●NEWS●

アメリカを代表するギター製作家Ervin Somogyi氏が、8年間以上の年月をかけてギター製作についてまとめた本を2009年7月に刊行することになりました。『The Responsive Guitar』『Making the Responsive Guitar』の2冊で、Somogyi氏のHPより購入が可能です。従来のハウツー本とは異なり、具体的な作業についての言及のみならず、ギターを製作する上で理解しておくべき原理原則などを平易な表現でまとめた本書は、他に類を見ないものとなっています。著者のコメントにも「次世代の製作家たちにとってバイブルのようなものとなるだろう」とあるように、ギター製作に関わる人にはぜひとも読んでもらいたい本です。なお本書は全編英語のみですのでご注意ください。
またSomogyi氏自身のナレーションによるプロモーションビデオがYouTubeに公開されていますのであわせてご覧ください。

Ken Oya Acoustic Guitarsの音は以下のCDでお聴きいただくことができます。

伊藤賢一さん
最新作『かざぐるま』ではModel-Jを、3rdアルバム『海流』ではModel-FとModel-Jにて演奏されております。

竹内いちろさん
1stアルバム『竹内いちろ』で全曲Model-F(12Fjoint仕様)を使っていただいております。

押尾コータローさん
2008/1/1リリースの『Nature Spirit』に収録されている「Christmas Rose」でModel-Jを弾いていただいています。

November 20, 2008

●Edward Gerhard: Counting the Ways

EdGerhard_Counting.jpg

Edward Gerhard (g, lap steel, b, per)
Martin Simpson (g)
Bob Brozman (lap steel)
Arlo Guthrie (g)
Ray Brunelle (ds)

『Night Birds』で触れたが、エドに初めて会ったのが1998年春の初来日のときだった。アーヴィンが自分のギターの音のプレゼンテーションにエドのアルバムを持っていたくらいだったので、てっきりSomogyiギターを使っていると思い、とても楽しみに南青山MANDALA似足を運んだ。中川イサトさんが中心となって、エド・ガーハード、プレストン・リードを招き、小松原俊さんと4人のジョイントという実に豪華なライブだった。

それぞれが個性的で味のある演奏を繰り広げ、心待ちにしていたエドのステージが始まった。彼が手にしていたのはアーヴィンの楽器ではない!! 「えぇっ」と驚きながら見るとBreedloveのあまり見たことのないモデルだ。
MCでこの楽器が来日直前に完成して渡され、今回が初のステージお目見えとのこと。演奏自体はとてもすばらしいもので楽器の違いなどあまり気にならなくなり、気がつけばすっかり音楽を楽しんでいる自分がいた。
ライブのあとエドに話をし、近々バークリーにギター製作を勉強しに行くというと、「Ervinのところかい? 彼は本当にいい製作家だよ。いい友達だし」と笑って答えてくれた。

このアルバムがリリースされたのが1996年。実はこのときすでにエンドースメントを受けてBreedloveを使っていたのだった。BreedloveはもともとTaylor社にいたLarry BreedloveがクラフトマンのSteve Hendersonと1990年に立ち上げた比較的新しいギターメーカー。外見的には特徴的なブリッジのデザインが印象的だが、立ち上げ直後に合流したDon Kendallが開発したJLDブリッジ・システムを採用していたのが実に斬新的だった。

アメリカに渡ってアーヴィンの元でギター製作を手伝いながら勉強をする日々を送っていた頃、エドと再会する機会があった。98年の夏、ベイエリアの北部にあるSan Rafaelという街で開催されたAcoustic Guitar Festivalの会場でのことだった。「僕のことを覚えている?」と聞くと、エドは笑って「もちろん!」と答えた。ライブで使うメインギターを変えた後も、エドとアーヴィンの親交は変わることなく続いていたのである。向こうのギター展示会では、自分のギターのプレゼンテーションの時間が設けられていることが多く、主催者側が手配したギタリストか、それぞれが各自で依頼したギタリストに別会場(このときは大学が会場になっていたので展示会場とは別の教室だった)で30分ほど演奏をお客さんに聴いてもらうことが出来る。

アーヴィンはマーティン・シンプソンに演奏を依頼していたのだが、当日、マーティンの友人がアクシデントに巻き込まれて、時間まで到着できないというハプニングが発生してしまった。急遽、旧友のエドに演奏を依頼したところ快諾してくれて無事にプレゼンテーションを終えることが出来た。期せずして、エドがアーヴィンの楽器を演奏(それもピックアップを搭載していない楽器だったのでマイク収音というおまけつきだった)を聴くことが出来たが、ギターも演奏自体もすばらしく、聞きながら思わず鳥肌が立つほどだった。

さて、少しこのアルバムについて触れてみよう。副題にLove Songsとあるように、バラードものを中心にイギリスの古い伝統歌、ビートルズやミシシッピ・ジョン・ハートの楽曲、アフリカ、メキシコ、フィジーのラブソングをギター曲にアレンジしている。比較的ゆったりした曲ばかりなのだが、メロディラインの多彩さもあいまって単調な感じはまったくなく一気に聴いてしまう。ライブでの定番曲も多いのでエドの代表アルバムといってもよいが、その中でも白眉の出来はやはり「The Water is Wide」だろう。

この曲のルーツははっきりしたことはわかっていないが、17世紀ごろにイングランドもしくはスコットランドで歌われていたメロディに19世紀ごろにバラッドといわれる口承の物語を歌詞にして載せたものだといわれている。このスタイルは多少形が違っていはいるもののアメリカでも見られ、この曲をもともとアメリカの曲だと思っている人も少なくないという。
アイリッシュ、ブリティッシュのシンガーのみならず、その美しいメロディからインストとしても良く取り上げられ、特にギターソロにアレンジされているものも多い。その中でもエドのアレンジは、いつものように決して奇をてらうことなく、それでいてユニークで聴くものを引き込む力のあるものだといえる。この一曲を聴くためだけにこのアルバムを手に入れる価値は十分ある。
このアルバムではメインにブリードラブのギターを使っているが、実は「The Water is Wide」、「My Creole Belle」および「Isa Lei」のメインギター(この曲はオーバーダブでエドが複数のパートでギターを弾いている)ではSomogyiを使っていると彼はHPでアナウンスしている。


1998年の初来日以来、毎年とまではいかないが幾度となく日本に来ているエド。パートナーのケリーともども大の親日家で、日本の聴衆の前での演奏を本当に楽しんでいる様子がいつも伝わってくる。
アメリカでは毎年12月に行っているクリスマス・コンサートのプログラムでの演奏を去年から日本でも行うようになった。ことしも11月25日に東京の白寿ホールでクリスマス・プログラムでのコンサートが開催される。オリジナル曲をたくさん聴けないのは少々残念ではあるが、思いのいっぱい詰まっているクリスマス曲をエドのつむぎだすすばらしいギターサウンドで堪能できるのはとても楽しみである。

November 14, 2008

●Edward Gerhard: Night Birds

EdGerhard_Night.jpg

Edward Gerhard (g)

ギター製作の第一歩を踏み出すのに、もっとも大切だった出会いは1997年、東京池袋の楽器フェアの会場でのことだった。自らのギターのプロモーションも兼ねて、アメリカからErvin Somogyi氏が来日していたのである。当時、ギター製作の勉強をどうしたらいいかと模索していた私は、すばらしいギターを世に送り出し続けているアーヴィンにアドバイスを求めるべく話しかけたのだった。

このときの内容や、私がどうやってギター製作の道を歩み始めたのは置いておくとして、日本に来る際にアーヴィンが自分のギターの音を聴くサンプルとして持っていたアルバムが2つあった。ひとつはSteve Hancoffの『Steel String Guitar』、そしてもう一枚が本作だった。

アーヴィンのギターの音はマイケル・ヘッジスやアレックス・デグラッシ、ウィリアム・アッカーマンなどのウィンダムヒル系のギタリストの音楽でなじみがあったが、彼のギターの愛用者としてエド・ガーハードの名前は当時は知らなかった。

フィラデルフィア生まれのエドが最初にギターを意識したのは10歳のとき。テレビでクラシック・ギター界の巨匠アンドレス・セゴビアの演奏を見たのがきっかけだった。それまではポップスばかりを聴いていた少年が、ギター一本で繰り広げられる音楽に魅了された瞬間だ。
14歳のとき、ようやく自分のクラシック・ギターを手に入れた彼は当然のようにクラシック・ギターを習うようになる。しかし、しばらくして伝説のブルースマン、ミシシッピ・ジョン・ハートや鬼才ジョン・フェイヒの音楽に触れ、急速のその関心はクラシックからスティール弦ギターの演奏へと移っていく。レコードを聴いてコピーをしたり、友人に習ったりしてギターの技術を磨きながら、コーヒーハウスなどでソロもしくは友人たちと一緒に演奏をするようになっていった。
その後、現在も居を構えているニューハンプシャーへと移り住み、様々な形で演奏を続けながら自らも曲作りをどんどんと進めていく。特に、ジョン・フェイヒから強く影響を受けたと自ら言っているが、変則チューニングによってギターの美しい響きをどう生かすかを良く考えていたという。

本作はそんなエドが1987年、31歳のときにまさしく満を持して発表した初のソロアルバム。ボストン・グローブ紙のレコード評欄で年間のベスト10アルバムに選ばれるという高い評価を得た。リリース直後には、Windham Hillレーベルから新たにリリースされるGuitar Samplerアルバムへ参加しないかという声がかかり、Handing Down(ソロ3作目となる『Luna』にも収録されている)という曲を演奏・収録した。Windham Hillのアルバムを介してエドの名前を知ったというリスナーも数多くいたことだろう。

エドの魅力はなんといってもギターの音の存在感。決してギミックな奏法を用いたり、複雑なことを積極的にやっているわけではない。一音一音に、自分の持っているものすべてを凝縮して音楽を紡ぎだす、そんな彼の姿勢がひしひしと伝わってくる。弦をはじいてギターが音を発した瞬間に音楽になる、彼の演奏を聴くたびにいつも思うことである。

一部の楽曲ではGuildの12弦ギターを重ねているが、メインで使っているのはErvin SomogyiのDreadnoughtモデル。現在は座って演奏するのに適するようにボディのラインを一般的なドレッドノートタイプから変更したModified-Dというモデルが主流であるが、80-90年代初頭くらいまではドレッドノートモデルもかなり製作していて、エドは直接アーヴィンと相談しながらギターの仕様を決めていったという。
90年代後半になるとエドはBreedloveのエンドースメントを受け、ライブなどではこのギターの出番がなくなってしまったが、「今でも一番好きで大切なギターのひとつだよ」といい、アルバムでもここぞというときには登場している。

1998年3月に初来日をしたエド。そのときは中川イサト、小松原俊、プレストン・リードそしてエドの4人によるツアーだった。この年の5月以降にアメリカにわたり、アーヴィンの元でギター製作の勉強をするつもりだった私は、もちろんこのライブに足を運び、エドといろいろ話をすることが出来た。このときのことも含めてエドとのエピソードなどについては、次に紹介するアルバムで触れることにしたい。

June 01, 2008

●Cannonball Adderley: Somethin' Else

CannonballAdderley_some.jpg

Cannonball Adderley (as)
Miles Davis (tp)
Hank Jones (p)
Sam Jones (b)
Art Blakey (ds)

高校の頃に聴いていたフュージョンから自然な流れでジャズへと手を伸ばすようになったのは、大学生活を送っていた京都でのことであった。チック・コリアをはじめとするフュージョンの中心メンバーたちは、マイルス・デイヴィスのグループに籍を置いていたり、エレクトリックへと移行していったマイルスの影響を強く受けていたこともあり、まず聴いたのはやはりマイルスだった。

当時、学生でステレオを持っているのは本当にまれで、私も音楽を聴く道具といえば唯一持っていたのがラジオ。いい音でジャズを聴きたいとなると、行くべきところはジャズ喫茶であった。京都には老舗店を含めたくさんジャズ喫茶があったので環境としては申し分ない。

熊野神社から丸太町通りを東に行ったところにあった「サンタクロース」。広い店内にゆったりと腰掛けられるソファーがある。なんと言っても目玉はアルテックのA7という馬鹿でかいスピーカー。もともとは劇場用に開発された機種なのでリアルな音像が浮き上がるさまはすさまじかった。

中心部の河原町まで行くのであれば、時間を見つけて出かけていたのが「蝶類図鑑」。店の名の通り、壁には額に入った蝶の標本がずらりと並ぶ奇妙なお店。ここのスピーカーはJBLのアポロ。

そして、大学から北に行ったときに寄っていたのは一乗寺の「downhome」。こちらはJBLのパラゴンでジャスを聴かせる珍しいところ。

他にもフリー系のジャズをよくかけていた「SMスポット」(すごいネーミング!)、ビルを地下に降りていくと縦長の狭い部屋に、すべての椅子がスピーカーに向かって並んでいた「The Man Hall」、荒神口の老舗店「しあんくれーる」(高野悦子の『二十歳の原点』にもでてくる)などなど・・・。残念なことにここにあげたすべてのお店はもうないらしい。

とても個人では所有できそうになりオーディオで大音量のジャズを聴くという贅沢な時間。ジャズメンが本当に目の前で演奏しているかのようなリアルな音像を経験したことが、オーディオに関する原体験といってもよいかもしれない。

閑話休題。
このアルバムはキャノンボール・アダレイがリーダーとしてクレジットされているが、当時はレコード会社との契約でマイルスをリーダーとしたアルバムを製作できなかったBlueNoteレーベルの苦肉の策。

キャノンボールは後にマイルスのスーパー・セクステットのメンバーとして『Kind of Blue』をはじめとする何枚かのすばらしいアルバムに参加するわけだが、このアルバムでは少なくともマイルスと対等に「行くぞ」という静かな気迫を彼の音から感じ取れる。

フロリダの高校でバンドの音楽監督をしていた彼は、たまたま休みが取れてニューヨークまで出かけ、有名なジャズスポット「ボヘミア」でオスカー・ペティフォード(当時はチャールス・ミンガスとならぶトップ・ベーシスト)・コンボの演奏を見に行ったのが1955年のこと。サックスプレイヤーのジェローム・リチャードソンが到着していなかったことを幸いに、キャノンボールはオスカーに自分をステージに上げてくれと頼み込んで、しぶしぶ承知をしたオスカーを尻目に、ものすごいテンポで「I'll Remember April」のソロを吹くまくったという。
その評判がニューヨーク中に伝わり、あっという間にSavoyとの契約を果たし、ニューヨークでフルタイムのジャズ・プレイヤーとして活躍を始めるようになる。

キャノンボールはチャーリー・パーカーの影響を強く受けているが、考えてみるとディジー・ガレスピーにあこがれてニューヨークに出て、パーカーのグループに参加したマイルスとは共通項も多かったはずである。このアルバムでも、おそらくレコーディング現場では相当なぶつかり合いもあったことは想像できるが、音楽そのものはそれぞれのメンバーがうまく溶け合い、ひとつの完成形として仕上がっている。「枯葉」のイントロが終わり、マイルスがテーマを吹き始めるその最初の一音はいつ聴いても鳥肌が立つほどだ。

とても知的で、じぶんの音楽についても細かく説明ができたといわれるキャノンボール、そしてとても感覚的だったと思われるマイルス。この二つの個性がぶつかり合うのではなく混じり合っているという点からも、マイルスのリーダー作とは違うよさが、このアルバムにはある。

何よりも、キャノンボールのサックスの音は(当時のプレイヤーには多かった)シリアスでダークなのではなく、人の気持ちをハッピーにする力を持っている。

April 06, 2008

●Egberto Gismonti in Tokyo 2007

2007年8月20日。東京勝どきの第一生命ホールでエグベルト・ジスモンチ(tiはポルトガルでは「ティ」と発音するが、ブラジルでは「チ」となるという話を聞いたので、今回からジスモンティではなくジスモンチと表記することにした)が16年ぶりに来日公演をおこなった。
ずいぶんと時間がたってしまったが、今回は特にCDを紹介するのではなく、このコンサートで感じたことを記してみたい。

前回の来日は1992年。関東ではBlue Note東京での公演だった。『Infancia』をリリースした直後ということもあり、ギター兼キーボード、ベース、チェロを加えたクァルテット編成で、とても完成度の高い素晴らしい演奏をおこなってくれた。

その後、大病を患ったこともあり、特に海外公演は滅多に行わなくなったので、生の演奏を見るにはブラジルに行くしかないのかもと思っていた矢先、突然の来日情報、それもソロコンサートだという。「このチャンスを逃すと二度と見ることができないかもしれない」という切羽詰った思いで、チケットを手配確保した。

会場の第一生命ホールは1,2階をあわせても800席弱のこじんまりとした楕円型のホール。
舞台のやや下手よりにはSteinway&SonsのフルコンサートピアノD-274(だと思う)。AKG C-414を2本,ややオンマイク気味に立てている。ほぼ中央には、ギター演奏に使う椅子と足台。こちらにはAKG C-491が一本。マイクはいずれもショックマウントを使用していた。

会場の規模からいって、ギターは生音なのかPAを使うのかは興味のあるところだったが、マイク録りでPAというスタイルだったわけだ。ただ、客席の両脇と、舞台上手のスピーカーの後ろにビデオカメラがセットされていたので、収録用としても音をきちんと拾う必要があったに違いない。

定刻からわずかに遅れて、会場の照明がおちる。舞台の袖からジスモンチが2本のギターを持って登場すると、会場から割れんばかりの拍手。彼の来日を心待ちしていた観客の気持ちがひしひしと伝わる。もちろん、私もその中の一人だ。

まず手にしたのは10弦のナイロン弦ギター。マイクの位置をちょっと直したかと思うと、いきなり演奏に入る。冒頭からものすごい疾走感。ピアノのポリフォニック的要素をギターで実現するために多弦ギターを使うといっていたが、確かに、左手のタッピング、右手の早いアルペジオやラスゲアードに近い奏法、また、ピッキングハーモニックスも多用していて、その音はまさしく変幻自在で、一本のギターから発せられているとはにわかには信じがたいほどだ。

よく、「ギターは小さなオーケストラ」とたとえられることがある。伴奏もメロディーも一台の楽器でこなし、音域も広いからだと思っていたが、ジスモンチの演奏を聴いていると、まったく違う次元で「ギター=オーケストラ」ということが理解できる。

時折12弦仕様のスティール弦(通常の12弦とは違い8弦ギターを部分的に複弦にしているように見える)に持ち替えながら6曲を演奏。どの曲もファンにはおなじみのメロディながら、アレンジが異なるせいか楽曲の色彩がいつもと違っているように感じる。それが、「現在のジスモンチ」の演奏という感をいっそう強くする。

息をつく間もなく前半が終わり、しばしの休憩。
ロビーに出ると、皆が興奮の色を隠せず、そこかしこで今日の演奏について言葉を交わしている。
そうこうしているうちに後半の始まりを告げる合図があり、あわてて席に戻る。

後半はピアノのセット。ピアノの前に座ったジスモンチは、まったくもったいぶることなくいきなりトップギアに入れての演奏が始まる。ただし、コンテンポラリー色の強いギターと比較すると、ピアノの演奏スタイルはいたって正攻法。クラシックのピアノになじんでいる人にとっては違和感があるのかもしれないが、とてもよく歌うフレーズはきわめて心地のよいもの。
ジスモンチの曲では一、二を争う人気曲「Frevo」と「Karate」をメドレーで弾くなど、予想をしない流れにはビックリしつつも、グイグイと彼の音楽世界に引き込まれていく。身をゆだねることの心地よさ・・・。

アンコールも含めてピアノで8曲の演奏。鳴り止まぬ会場の拍手にこたえ、何度もステージに戻って挨拶をするジスモンチの表情にも満足そうなものが浮かぶ。以前の公演ではプロモーターとの関係から「二度と日本では演奏をしたくない」といったといううわさを耳にしたが、このファンの歓声を受け止めてぜひとも日本公演を続けて欲しいという思いを強くした。

前回のライブはこれまでに見たもののベストと思っていたので、正直なところそれを上回ることはないだろうと思って会場に出かけた。しかし、そんな思いは軽く吹き飛ばされるほどの演奏。このすばらしい音楽を、家人とも共有できたことはこの上ない幸せ・・・。

当日のセットリスト


<追記>
今年の夏に開催予定の『第24回 〈東京の夏〉音楽祭2008』での来日が決まったようである。詳細は音楽祭のオフィシャルHPをごらんいただきたい。

June 27, 2007

●Nick Drake: Five Leaves Left

NickDrake_five.jpg

Nick Drake (vo, g)
Paul Harris (p)
Richard Thompson (g)
Danny Thompson (b)
Rocki Dzidzornu (per)
Clare Lowther (cello)
Tristam Fry (ds, vib)

以前は、洋楽というとほとんどアメリカのものを聴いていたような気がするけれど、最近手を伸ばすのは、圧倒時にブリティッシュものが多い。若い頃にはじっくりと向き合ってこなかったものを、あらためて丹念に聴いていくと、実にしっくりと来る感じのものが多い。

アメリカ、それもウエストコーストの音楽と比較すると、ブリティッシュのものは、マイナー(短調)な曲はもちろんのこと、メジャー(長調)であっても、底抜けに明るい感じは決してなく、どこかに影を落としているような印象が強い。イギリス特有のあのどんよりとした気候と、ついついリンクしているかのような気になってしまう。

ニック・ドレイクはそんなブリティッシュの中にあっても、一段とダークでメランコリックな音楽で知られる。弱冠20歳でニックは、当時凄腕のプロデューサーとして知られていたジョー・ボイド(Fairport ConventionやThe Incredible String Bandのプロデュースで知られる人物)と契約を結び、ファーストアルバムとなる本作をリリースしたのは1969年。彼が21歳のときだった。

バックを支える中心メンバーはPentangleのベーシスト、ダニー・トンプソンとFairport Conventionのギタリスト、リチャード・トンプソン。当時を代表する人気グループのメンバーが新人をサポートするも珍しいことだったようだ。
レコード会社が提案していたストリングス・アレンジャーに首を横に振り、ニックのケンブリッジでの友人ロバート・カービーにアレンジをさせるなど、20歳そこそこの新人らしからぬ逸話も残っている。

一度足を踏み入れてしまうと、抜け出せないほど深くて暗い孤独の闇が、ニックの世界には広がっている。時折差し込むかすかな光も、次の瞬間には「やはり幻だった」と思ってしまいそうな暗闇の中。「自分とは縁のない世界であって欲しい」と思いつつも、このアルバムを聴くと心の中の何かが震えだす。

専門家の間では評価が高かったにもかかわらず、リリースした3枚のオリジナルアルバムは、いずれもセールス的には振るわなかった。そんな状況が、ニックをどんどんと追い詰めていったのだろう。3枚目の『Pink Moon』を発表した後、精神状態が一層不安定になっていく。もともと、音楽制作をしている間はライブ演奏をほとんどしていなかったが、この頃からは音楽制作自体も休止すると口にするようになっていく。ただ、他のアーティストに向けた曲作りだけは続けたかったようである。

そして1976年11月26日。息を引き取っているニックが発見される。まだ26歳だった。前の晩に抗うつ剤を過剰摂取していたのが死因とされた。枕元には母親が好きだったというカミュの詩集。自殺説が強い中、彼の家族はあくまでも誤って過剰摂取をしたことによる事故死だと主張していたという。
彼の心の中は、闇に閉ざされたままだが、残した素晴らしい音楽は、人々の心を揺さぶり続けるだろう。

May 31, 2007

●James Taylor: Mud Slide Slim And The Blue Horizon

JamesTaylor_Mud.jpg

James Taylor (vo, g, p)
Russ Kunkel (ds, per)
Leland Sklar (b)
Carole King (p, chorus)
Danny Kootch (g, per)
Peter Asher (produce, per, chorus)
Joni Mitchell (chorus)
Kevin Kelly (accordian, p)
John Hartfor (banjo)
Richard Greene (fiddle)
Kate Taylor (chorus)

ジェイムス・テイラーの音楽に最初に接したのは中学生のときだった。CSN&Yの紹介でも触れたが、中学のときに通っていたギター教室で取り上げたのがきっかけである。スリーフィンガー奏法を徐々にマスターしてきたこともあり、「これで大抵のフォーク曲は弾けるだろう」と思い上がっていたころでもあった。

教室で習う順番からすると、スリーフィンガーはアルペジオ奏法よりも若干高度なテクニックと感じていたため、ジェイムスの譜面をもらったときに最初に思ったのは、「なんだぁ、アルペジオかぁ」ということだった。

ところがどうしてどうして、弾いてみると単純なアルペジオではなく、なかなか上手くできない。それまでの定型パターンのものとは違い、メロディやコード進行に併せて、実に効果的なオカズが入っているのだ。彼の曲を何曲か練習していくにしたがい、入れているオカズのフレーズは比較的手癖のようなものだと気付くのだが、それはずいぶん後になってからだった。

歌伴のギターとしては、今なお最高峰の演奏だと信じてやまない。歌とよく絡みつつでしゃばりすぎつ、かといってちゃんと存在感もある、こんなギターを弾くことができる人は滅多にいないだろう。
カントリー的な要素とジャジーな雰囲気とブルースの香りも感じるギタープレイは、今聴いてもとても新鮮だ。

当時、愛用していたのはギブソンのJ-50というモデル。ギブソンのアコースティック・ギターはかなり個体差が大きいこともあるが、私自身、何本か試奏したことはあるものの、ジェイムスのような音のものには一度たりとも出会ったことがない。あの独特の音は、ギターそのものというよりも彼のプレイによるところが大きいような気がする。

東海岸ボストン生まれのジェイムスは、1968年に最初のソロ名義のアルバムを、ビートルズのアップルレコードレーベルからリリースする。専門家の間では注目されたものの、商業的にはまったく振るわず、失意のままプロデューサーのピーター・アッシャー(本アルバムでもプロデュースをしている)とともにアメリカに戻り、カリフォルニアに拠点を置いて活動をおこなっていく。

1970年にリリースした2作目『Sweet Baby James』(これはいずれ別途紹介したい)で成功を収め、瞬く間にシンガーソングライターとしての地位を確立する。メッセージ性の強いプロテスト・ソングを歌っていたピート・シーガーやボブ・ディランなどとは一線を画し、日常的なことや恋愛などを繊細に歌い上げるシンガーソングライターは?というと、真っ先にあがるのがジェイムスだろう。

本作は1971年に発表した第3作。楽曲の構成、バリエーションともに素晴らしく、大変聴き応えがある。ギターや歌、コーラスなどを分析していくと、勉強になる点も多いが、そんなことを意識せず、音楽にどっぷりと浸かるのが最高の楽しみ方だろう。

初期から最新のものまで、音楽のスタイルにいろいろと変化はあるものの、駄作がなくどれをとっても素晴らしいものとなっている。初めて聴いても、なんとなくなつかしい香りがし、それでいて飽きさせないものがある。これこそがジェイムスのマジックなのかもしれない。

現在も変わらぬ歌声で、ライブも含めた活動を積極的におこなっている。日本のギタリストやシンガーソングライターが、彼の影響を強く受けたと語っているのが多いのもうなづける。

March 27, 2007

●Sergio & Odair Assad: Saga dos Migrantes

Assad_migrantes.jpg

Sergio Assad (g)
Odair Assad (g)

 コンスタントに活動をしているクラシック・ギターのデュオでは、まず紹介しなければいけないのがアサド兄弟だろう。兄セルジオと弟オダイルは4歳違い。自らたちを「4歳離れた一卵性双生児」と称することもあるが、その言葉通り、完璧なアンサンブルには思わずため息が出てしまうほどだ。

Assad_alma.jpg アサド兄弟のことを知ったのは、ある雑誌にギタリストの渡辺香津美氏が、今一番気になっているギターアルバムとしてアサド兄弟の『ブラジルの魂』をあげていたからだ。このアルバムには、ジョン・マクラフリンとパコ・デ・ルシアの演奏で有名になった、エグベルト・ジスモンティ作「Frevo」が入っていて、今回紹介する作品と甲乙つけがたい名盤といえよう。

 ギターものはほとんどなんでもといっていたわりには、クラシック関係はほとんど聴いていなかった当時、「香津美さんが薦めるくらいだから・・・」と手に入れて聴いてみたところ、何となくピンと来なかったというのが正直な感想だった。アンサンブルの凄さは十分わかるのだが、生ギターのアンサンブルといえばスーパー・ギター・トリオ系のものを愛聴していた耳には、何だが音が遠く、きれいにまとまりすぎているような感じがしたのだった。
 それでも、何度も聴き続けているうちに、だんだんとその素晴らしさがわかってくるようになる。なんといっても特筆すべきは、タッチである。二人のつむぎ出す音の立ち上がりの見事なこと。あまりに流暢なので、さらった聞き流してしまいそうなフレーズも、大きな流れの抑揚がしっかりあるのだ。

 二人の愛器は、ニューヨーク在住のトーマス・ハンフリー作のもの。トムはギターの表面板に対して指板の位置を上げるレイズド・フィンガーボードというシステムを普及させた張本人。最近では、日本の製作家でもこのスタイルを用いている人がいる。表面板裏のブレイシングと呼ばれる補強兼音響コントロール部材にも、独自の工夫が施されていて、彼の楽器の音の立ち上がりの素晴らしさは誰もが認めるところであろう。
 ギター専門誌のインタビューで、表面板を含めた音作りの考え方を語っていた記事は、アメリカにいるときに熟読したものだった。東海岸在住ということで会うチャンスがなかったが、いつかは会ってみたい製作家の一人だ。

 アサド兄弟は、バッハに始まり、古典的なレパートリーの演奏も素晴らしいが、やはり「南米モノ」を弾かせると、並ぶものがないほどだ。本作では、クラシック・ギタリストがレパートリーとしていることの多いピアソラ、ヴィラ=ロボスをはじめとし、セルジオ・アサド自身の曲や、ブラジルの異才エグベルト・ジスモンティの曲も取り上げている。作曲のみならず、セルジオの編曲センスも素晴らしく、あたかもギター曲であったかのような素晴らしいアレンジを、このアルバムでもじっくりと堪能できよう。

 毎年といっていいくらい来日を重ねているアサド兄弟。次に日本に来たときには、ぜひともコンサートに足を運ぼうと思う。

 ちなみに、このジャケットの写真は、Joel Meyerowitzによるもの。彼の代表作ともいえる、ケープコッド湾で撮影した写真集もよく眺めたものだ。カラーでのスナップ的な風景写真の先駆者であるが、彼独特の雰囲気が、このジャケット写真からも伝わってくる。

March 24, 2007

●Barney Wilen: Sanctuary

BarneyWilen_Sanctuary.jpg

Barney Wilen (ts, ss)
Philip Catherine (g)
Palle Danielsson (b)

 フランス、ニース生まれのバルネ・ウィランが一般に広く知られたのは、1950年代に公開されたフレンチ・ヌーベルバーグの一翼を担っていたルイ・マル監督の『死刑台のエレベータ』のサントラ盤に参加してからだろう。音楽を担当したのはマイルス・デイヴィスで映画のフラッシュバックを映しながら即興で音楽をつけていったという逸話もあるようだ。ここで、派手さはないものの、なぜだか心に引っかかるようなバルネのサックスに惹かれた人も多かったという。

 50年代のパリにはマイルス以外にも、バド・パウエル、ベニー・ゴルソンなどアメリカのジャズメンが集い、クラブ・サン・ジェルマンなどで演奏をしていたこともあり、バルネはマイルスとのつながりを持ち、映画のサントラ盤に参加したわけである。その後もロジェ・ヴァディム監督『危険な関係』(1988年にはハリウッドでリメイクされている)のサントラ盤を自ら手がけた。

 ジャズシーンで注目されたにもかかわらず、60年代に入るとロック色の強い演奏へと移行し、その後は音楽シーンからだんだんと離れてしまったのだが、80年代後半から再びジャズ演奏の場へと戻ってくる。本作は、1991年録音の作品。当時のレギュラー・クァルテットとは異なり、ギターのフィリップ・キャサリーン(カテリーン)とベースのバレ・ダニエルソンによる変則的なトリオ編成。
 サックスを中心にしたトリオ演奏だと、ソニー・ロリンズのピアノレス・トリオ(サックス、ベース、ドラムス)の編成が真っ先に思い浮かぶ。音楽の3要素が、メロディ、和音(コード)、リズムであることを考えれば、単音楽器のサックスは、バッキングに回ってコード感を出すのはかなり難しいといえよう。それでも、上手いオブリガードで雰囲気を出すものもあるが・・・。サックス、ベース、ドラムであれば、ドラムはリズムを刻み、通常はリズム隊とも言われるベースは、分散和音の形でコード感を作り、サックスが旋律を奏でることで、3つの要素を積み上げることは可能だ。
 これに対し、今回のバルネの編成では、リズムの核となる楽器がない。ギターは時としてバッキングによってリズムを刻み、オブリガードを入れたりと、八面六臂の活躍が求められている。フィリップは、そんな状況でも実にリラックスしながら、時にリズム、時にはメロディ、時にはコードをとすべての要素を紡いでいる。

 サックス、ピアノ、ベース、ドラムというクァルテット編成を基準と考えると、必要な要素が常に音空間に満たされているという点で、オーケストラ的と表現できるとしよう。これに対して、今回のような変則トリオでは、常に必要なものを満たすことは不可能である。つまり、最初からすべてを満たすことなどは狙わず、本当に必要なものを必要なだけ埋めていくという感覚で、先ほどのオーケストラ的という表現との対比で考えれば、弦楽四重奏的と言ってもよいように思う。

 マイルスの音楽監督のもとでの演奏の頃の印象と同じように、本作でもバルネのサックスは決して派手ではない。聴く者に極端な集中を強いるわけではないのに、さらっと聞き流させないような音楽。それがバルネの変わらぬ魅力なのかもしれない。残念なことに、このアルバムに限らずバルネの作品はなかなか入手しにくいようである。再発売されると嬉しいのだが・・・。

February 25, 2007

●サディスティック・ミカ・バンド: 黒船

SadisticMikaBand_black.jpg

加藤 和彦 (vo. g)
加藤 ミカ (vo)
小原 礼 (b, vo, per)
高橋 幸宏 (ds, per)
今井 裕 (key, sax)
高中 正義 (g)

 最近、木村カエラをボーカルに迎え、コマーシャルがきっかけで活動を再開したサディスティック・ミカ・バンド。以前桐島かれんをボーカルで参加させたときに比べれば、遥かにいい感じに仕上がっているが、やはりオリジナル・メンバーによるものからまず聴いてほしいものだ。

 加藤和彦といえば、フォーク・クルセイダースのイメージが強かったが、イギリス志向の飛び切りポップなミカ・バンドが出てきたとき、それまでとの方向性の違いにびっくりしたものだった。メンバー一人ひとりは、スタジオミュージシャンとしても活躍していた猛者ばかり。当時の奥さんだった加藤ミカの決してうまいとはいえないがなんともいえない味のあるボーカルと相まって、強烈な存在感を放っていた。

 そんなミカ・バンドがロンドンから敏腕プロデューサー、クリス・トーマスを迎えて製作したのが本作である。クリスはピンク・フロイドをはじめとするプロデュースで活躍していて、イギリスで最も有名なプロデューサーの一人といってもよかった。そんなクリスが日本という地の果てのロック・バンドのプロデュースをするというニュースに、誰しもが驚いた。イギリス、ロンドン志向の強かったことにくわえ、日本語でのロックには抵抗が強かった日本国内の市場に対する反発心もあったかもしれないが、このアルバムを製作した翌年には、イギリスを代表するバンド、ロキシー・ミュージックのロンドン公演で前座を務め、大反響でロンドンっ子たちに迎え入れられる。
 当時、私はまだ中学生だったが、なんとなくこれからの音楽はロスやニューヨークだろうという雰囲気を掴み取っていたので、「何でいまさらイギリス? ロンドン??」という気持ちが強かったことをよく覚えている、もちろん、その後、ロンドンからパンク・ムーヴメントが起こることなどは、まったく想像していなかった。

 まるでワイドショーネタだが、クリス・トーマスはこのアルバムのプロデュースがきっかけで、加藤ミカと不倫関係になり、その後、加藤和彦とミカは離婚し、バンドは解散となる。ミカは単身イギリスに渡り、クリスとしばらく生活を共にすることになる。今井裕、高橋幸宏、高中正義、そして小原礼にかわってベースで参加していた後藤次利の4人は、新たにサディスティックスと名前を変え、インストのバンドとしてしばらく活動をおこなっていった。

 この時代、日本語のロックはノリが悪いといわれていたが、そんな声を払拭するほど完成度が高かったのが、若干年代が前後するものの、はっぴいえんどとこのミカ・バンドだったと思う。片やアメリカ的、もう片方はイギリス志向という違いも、今になってみるととても興味深い。アルバムのストーリー立ても含め、綿密に練られた音楽は、クリスの力を借りているとはいえ、やはり加藤和彦の力だろう。アルバムを通して聴くと、一つのショーを観に行ったようなイメージが残るのが面白い。

 ギターの高中正義に関しては、サディスティックス~ソロの初期の演奏を一時期聴きまくっていた頃がある。高校生の頃はひたすらコピーをして、文化祭でバンド演奏をしたときにも3曲ほど取り上げるほどの入れ込みようだった。この頃のエピソードについては、いずれ高中のアルバムを取り上げるときにでも紹介してみたい。

January 31, 2007

●Steps: Smokin' in the Pit

Steps_smokin.jpg

Mike Mainieri (vib)
Michael Brecker (ts)
Steve Gadd (ds)
Don Grolnick (p, key)
Eddie Gomez (b)
渡辺香津美(g)

 残念なことに、昔からよく聴いていたプレイヤーの訃報を耳にすることがだんだんと多くなってきた。中には、「まさか、まだ若いのに」と思う人も少なくない。サックスのマイケル・ブレッカーもそんな一人だ。
 昨年、骨髄異形成症候群という診断が下され、予定されていたSteps Ahead(Stepsというグループ名は使用できなくなったためのちにSteps Aheadと改名した)のツアーをすべてキャンセルして、闘病生活を送っていたというマイケル。白血病へと進行することの多い病気で、マイケルは骨髄移植による治療を試みようとしていたが、特殊な型だったせいもあり、家族を含めドナーが見つからなかった。そして、残念なことに今年の1月13日、ニューヨークで亡くなった。一部には快方に向かっているという情報も流れ、レコーディングもおこなっているという話もあっただけに、本当に残念だ。

 私が音楽を聴くのに没頭していて、そして多感だった10代後半、アメリカを中心にジャズとロックを融合したようなフュージョンと呼ばれるスタイルの音楽が台頭してきた。そのとき、めきめきと頭角を現してきたのが、トランペットの兄ランディとテナー・サックスの弟マイケルの二人によるブレッカー・ブラザースであった。70年代後半から80年代初めにかけて、ニューヨークをベースにしているテクニシャンぞろいのプレイヤーたちと繰り広げるインタープレイは素晴らしいものがあった。当時、ラリー・コリエルに入れ込んでいたこともあり、彼とよく共演もしていたブレッカー・ブラザースの二人の演奏は、よく耳にすることになっていた。

 さて、そこでStepsである。リーダー格のマイク・マイニエリの元に集まった凄腕ミュージシャンによるユニットだけに、きわめて質の高い演奏が繰り広げられることは容易に想像できよう。
 実は、このSteps、ファーストと2枚目に当たるこのアルバムは、日本のみで当初は発売された。当時、フュージョンのプレイヤーにとっては聖地とも言える六本木のライブハウス、ピット・インでのこのライブでは、アルバム『トチカ』以来、マイクと親交の深かった渡辺香津美がゲストとして1曲参加している。とある雑誌に、当時を振り返って渡辺香津美がコメントしているのを見ると、プレイヤーたちにとってこのユニットがいかにすごいものであったかがわかる。

  このときは久々に胃が痛くなった(笑)。・・・(中略)ニューヨークの
  超第一線級のミュージシャンに交じって、マイニエリのバンドの
  一員としてベスト・プレイをしなければいけない。何がびっくりし
  たかって、早めに会場に行くとすでにマイケル・ブレッカーがい
  て、バリバリ練習している。こんな上手い人がマイニエリのツ
  アーでやるっていうので、必死にトレーニングをしている。すると
  今度はエディ・ゴメスがやって来て、弓で1~2時間基礎練習をや
  る。凄い人は準備も凄いんだよ。」

 テクニックのあるプレイヤーたちが、とてつもなく高い緊張感を持って望むライブ。いかに凄かったかは想像して余りある。もちろん、ユニットとしてはマイク・マイニエリがキーパースンなのは間違いないが、決してでしゃばりすぎず、かといってしっかりとユニットの音楽性をさせえているという点で、ドン・グロルニクの存在が非常に重要のように感じる。
 このアルバムはどの曲もお勧めだが、1曲を選べといわれれば迷わずラストのSara's Touchを上げたい。マイクが書いた名曲だが、マイケルのサックスの音が聴く人の心をがっしりと掴むスローナンバーである。

 最後に少し話をマイケルに戻したい。70年代後半、フュージョンを代表するサックスプレイヤーとして評価が高かった一方、4ビートのスタンダードなジャズはダメだろうと厳しい意見をいう人たちがいたことも確かだった。しかし、そんな声を吹き飛ばすかのように、Stepsでかなりジャズよりの素晴らしい演奏を披露し、さらには、80年代に入ってしばらくした後、チック・コリアとともに素晴らしい4ビートジャズの演奏を繰り広げていくことになる。こちらもいずれ取り上げることにしよう。
 サックスというとむせび泣くような情感たっぷりの音というイメージもあるが、マイケルは、決して感情に流されすぎることなく、常にクールな部分が残っていると感じさせるような演奏がとても印象的なプレイヤーだ。もちろん、ハードなブローもあるのだが、いわゆる泣きのフレーズなどは決して交えないのがとても潔い。
 ストレートアヘッドな、メインストリームのジャズを別にすれば、コンテンポラリーなスタイルのジャズは昔で言えば、フュージョンと呼ばれていた音楽の要素を何らかの形で含んでいたり、少なくとも影響を受けているものが多いと思う。そういった点から、ステップスというグループは、フュージョンという音楽をジャズの一つのスタイルとして結びつけた立役者といってもよいだろう。そして、ジャズでの花形がサックスであるとすれば、このユニットの音楽でマイケルが果たした役割の大きさは決して過小評価されるべきものではないだろう。

 息を引き取る2週間前にスタジオ入りをして遺作となるアルバムを完成させていたマイケル・ブレッカー。謹んで、彼のご冥福をお祈りしたい。

January 23, 2007

●Soig Siberil: Du Cote de Chez Soig

SoigSiberil_du.jpg

Soig Siberil (g)
Alain Genty (b)
Pierre-Yves Prothais (per)
Karl Gouriou (sax)
Camel Zekri (g)

 フランスのブルターニュのCDショップで一番良く目にしたギタリストの名前はソイグ・シブレルであった。70年代後半頃から、アイリッシュ音楽に接近をしていったソイグは、80年代に入ると、Kornogを結成する。ほとんどがブルターニュ出身のメンバーで構成されたKornogは、ブルターニュのケルト音楽にスコットランドやアイルランドのスタイルをうまく融合させ、ブルターニュを代表するグループとして高い評価を得るようになる。アルバム製作と並行して積極的にヨーロッパやアメリカのツアーを行い、ブルターニュの音楽を知らしめていった。

 Kornogでの活動を通じ、より深くブルターニュの音楽へと入り込んでいったソイグは、その後も様々なグループを編成して演奏活動を続けていく。その後、90年代に入ると、アコースティック・ギターを中心とした演奏をおこなうようになり、ギターのソロアルバムをリリースしていく一方、各地のケルト音楽フェスティバルなどにも積極的に参加していく。

 今回取り上げたアルバムは、2003年にリリースしたブルターニュ西部の町でのライブアルバム。アルバムのタイトルは「ソイグの家の方へ」といった意味だと思うが、このタイトル自体が、このユニット名になっているようでもある。ソイグのギターの音色は、ピエゾタイプのピックアップの音色が強いせいか、決していいものとはいえないが、ギター2本、ベースとパーカッション、それとサックスを加えた独特の編成による音楽は、アイルランド、スコットランドのケルト音楽とはまた異なる趣きのものでとても魅力的だ。特に、フレットレスベースとサックスが加わっていることが大きいのかもしれないが、とてもうまくジャズの要素を取り入れているように感じる。

 収録曲の約半数がトラッド、残りはソイグともう一人のギタリストキャメル・ゼクリのオリジナル。あいにく不勉強のため、トラッドに関しては原曲をほとんど聴いたことがないのだが、全編を通じ、5人によるグループの演奏スタイルが貫かれていて、最初から最後までスムーズに耳に入ってくる。

 フランス人でケルト音楽の影響色が濃いギタリストとしては、ピエール・ベンスーザンが一番知られていると思うが、素晴らしいギタリストはまだまだたくさんいる。アンサンブル・スタイルということでも含め、このソイグの演奏は非常に質の高いものと言って間違いはない。

 残念ながら、日本では彼のアルバムを入手するのは難しそうである。ジャケットの画像にリンクを張っているのは本アルバムの発売元のレーベルで、インターネット経由で購入できそうではある。ただ、日本に発送してくれるのどうかについては未確認なのでご注意いただきたい。

January 01, 2007

●本年もよろしくお願いいたします

本weblogも、立ち上げ当初は順調に書き込んでいましたが、途中で長いブランクがありました。
それでも、大勢の方に訪れていた抱いたこと、嬉しく思っております。
今年もがんばっていい音楽を紹介していくつもりですので、どうぞよろしくお願いいたします。

素晴らしい音楽とともに、すべての人が平和で穏やかに過ごせますように祈りつつ。


Ken Oya Acoustic Guitars 大屋 建

December 09, 2006

●Pascal Bournet: Solace - Celtic Spirit

PascalBournet_solace.jpg

Pascal Bournet (g)
Robert Le Gall (vln, mandola, b, per)
Benoit Sauve (recorders)
Hector "Tachi" Gomez (per)

 ケルト音楽というと、アイルランドを中心としたものだとずっと思っていたが、最近になって、そもそもケルト民族がどのようにしてアイルランドにたどり着いたかを考えれば、ヨーロッパ各地にケルト文化があってもおかしくないことに気付いた。ケルト民族はヨーロッパ中西部を支配していたが、紀元前3世紀頃から南からローマ帝国が勢力を伸ばし、次々とケルト圏を征服していく。さらには、当方からゲルマン民族が押し寄せ、ケルト民族は西へ西へと追いやられていってしまったのである。こうしてみれば、ヨーロッパ西部を中心にケルト文化が残っていることは何ら不思議なことではない。
 フランスに目を移すと、パリからTGVで2時間ほど西に行ったブルターニュ地方はケルト文化圏である。ブルターニュのロリアン市では毎年国際ケルト民族フェスティバルが開催され、音楽を初めとするケルト文化を継承するアーティストたちが数多く集うことでも知られている。

 さて、今回取り上げるパスカル・ブルネはパリ生まれのフランス人。7歳でピアノを始め、しばらくしてクラシックギターの勉強を重ねていく一方で、ステファン・グラッペリ、アストル・ピアソラ等をはじめとする様々なジャンルの音楽に関心を示すようになる。その中で、18世紀の盲目のハーピスト、ターロック・オカロランの音楽研究に力を注いでいった。『Celebrating O'Carolan』というオカロランの曲集も2001年にリリースしている。
 オカロランの書いた曲は、現在ではギター曲として演奏されることも多く、Si Bheag Si Mhor等はかなりポピュラーな曲といってもよいだろう。

 本作は、ケルト音楽の研究成果を消化して書き上げたオリジナル曲のみで構成されている。参加メンバーはいずれもケルト音楽への造詣が深いだけでなく、世界各地の音楽を吸収していることもあり、特にパーカッションなどはアジア、アフリカ、中近東、南米などの楽器を用いているのが興味深い。

 ケルト音楽にスティール弦のギターが入っていることは珍しいことではないが、パスカルは全曲ナイロン弦ギターを演奏しているのが面白い。ナイロン弦の音によって、伝統的なアイリッシュの風合いが若干薄まり、ワールド音楽的な要素が前面に出てきている印象を受けるのだ。もちろん、パスカル自身がジャズやロック、ブルースの影響を受けていることも忘れてはいけないだろう。
 正確なピッキングと、きれいに粒立ちのそろった音。ダンス曲のスタイルであるジグでは、リコーダーとユニゾンで小気味良いフレーズを披露したかと思うと、クラシックの楽曲のように重厚なスタイルの曲もある。全編に共通しているのは、非常にメロディアスな曲だということだろうか。聴く者の中にスッと入ってくるのである。それでいて、曲のバリエーションも豊富なのが素晴らしい。

 パスカルのことを知ったのは、以前ブルターニュに旅行をしたときのことだった。地元のCDショップでいいギター音楽がないかと探していたときに巡り合ったのである。聞いたことがなかった人なので、おそらく日本ではほとんど知られていないだろうと思ったが、知り合いのギタリストに紹介したところ、彼のオカロランの曲集は日本のCD屋で手に入れることができるという情報をもらい、ビックリした。
 パスカルが演奏しているのは、なかなか爆発的な人気の出るジャンルではないので、生の演奏に触れる機会を得るのは難しいだろう。最近は日本でもケルト音楽のイベントが開催されるようになって来た。このようなイベントでもいいから、何とか来日をして欲しいアーティストの一人である。

December 01, 2006

●GARO: GARO Box

Garo_box.jpg

堀内護 (vo, g)
日高富明 (vo, g)
大野 真澄 (vo, g)
 他

 ガロの歌を最初に聴いたのは、おそらく『学生街の喫茶店』の大ヒットのときだったと思う。その後も、数々のヒットを飛ばしたのであるが、ギターとコーラスが若干印象には残るものの、当時は数多くあったポップス色が強いフォーク系のグループという程度の認識しかなかった。ただ、マーティンの最上位機種のD-45(1970年ごろの定価が75万円くらいだったようである)を持っていたので、貧乏なイメージの強かったフォークシンガーと比べて、ずいぶんとお金を持っているんだなぁと思ったことを覚えている。

 お小遣いの少ない小学生にとって、ガロのメジャーなヒット曲は、わざわざレコードを買いたいと思うほどではなかった。最初に彼らの曲を耳にしていらずいぶんたった後のことだが、ラジオから聞こえてくる『一本の煙草』という曲が、とてもおしゃれで気になった。当時は東京の大井町に住んでいたのだが、、同級生の実家でもあったアップルレコードという行きつけのレコード店に、シングル盤を探しに行ったのは、その直後のことだった。
 お目当てのシングル盤はすぐに見つかり、白黒の渋いジャケットに惹かれつつも、「他に何かいいものがあるかもしれない」と思い、フォーク系のアーティストのシングルを物色してみることにした。そこで、もう一つ気になっていたアリスの『紫陽花』というシングルを見つけてしまった。どちらを買おうか、かなり長い時間迷った末、なんと手にしたのは、アリスのシングル。いまや演歌歌手となってしまったベーヤンこと堀内孝雄がメインボーカルの曲である。今思い起こしても、かなり演歌色の強い曲といってもよいものだった。
 そんなわけで、ガロのレコードを手にする機会を自ら逃してしまった。その後はロック~フュージョン~ジャズへと走っていく少年にとって、ポップス色(それもたぶんに歌謡曲的な要素が含まれていた)の強いフォークはもはやおしゃれなものとは映らず、長いこと思い出すこともない存在となっていた。

GARO_anthorogy.jpg

 大人になってかなりしてから、ガロがよく聴いていたCSN&Yのコピーバンドから始まったことを知り、俄然興味がわいてきた。
 すでに、彼らのCDは入手困難で、唯一手に入ったのがシングルリリースを中心にしたヒット曲集のアルバムのみ。ギターとコーラスには確かにCSY&Y的な雰囲気は感じられるものの、グイグイ著ひきつけられるほどの魅力は感じられない。
 いろいろと調べていくと、ファーストアルバムが一番CSN&Yの影響が濃い演奏となっていること、所属事務所(もしくはレコード会社)の意向で、ヒットを狙った路線を強いられ、なかなか自分たちのやりたかった音楽ができなかったことなどがわかってきた。そこで、ファーストアルバムを入手しようとしたところ、すでに廃盤。時折オークションで見かけても、1万円近くの値段で取引されているような状態だった。

 そうこうしているうちに、オリジナルアルバム8枚と未発表曲、テイク、ライブなどを収録したCD2枚とDVD1枚を組み合わせた本ボックスセットがリリースされるという情報を掴んだ。確かにセットとなると値段は高いものの、プレミアがついているものを買うことを考えたら、はるかにお得。おまけに、未発表曲にはCSN&Yのカバー演奏も含まれているというから、これは買わないわけにはいかない。

 完全予約生産というこのボックスセットは当初2006年8月にリリースされる予定だったが、DVDに収録しようとしていたCSN&Yの曲の使用承諾を得るのが難航し、発売は延期。結局、映像収録分は許可が下りず(ライブでのカバー演奏は収録されている)に内容を若干変更して11月末にリリースと相成った。すでにamazonでは在庫切れとなっているので、これから注文をしても入手できるかどうかはわからない。

 発売順にCD全10枚を続けて聞くと、事務所側がやらせたかったことと自分たちが本当にやりたかったこととの狭間でメンバーが苦しみながら音楽制作をしていたことが痛いほど伝わってくる。時折顔を出す、変則チューニングを多用したアコースティック・ギターの音と3声のコーラスは、確かにCSN&Yの影響がひしひしと現れている。当時ヒットしていた曲ではなくこれらの曲を聴いていれば、どっぷりとガロの音楽に浸っていたかもしれないほどだ。

 解散ライブの様子も一部収録されているが、解散の挨拶をメンバーがした後に「最後の曲です」といって演奏するのがTeach Your Children。そしておそらく続けて演奏されたのであろうFind the Cost of Freedom。Find~はCSN&Yがライブの最後にアコースティック・ギターだけを持って演奏する曲。途中から伴奏が一切なくなり、アカペラコーラスだけになる。グループの解散の最後にこの曲を持ってくることに、彼らの置かれていた状況の複雑さを垣間見たような気がした。

 残念なことに、トミーこと日高富明氏は1986年に36歳の若さで自ら命を絶つ。ガロとしての生演奏を耳にすることは二度とできないのである。高かった音楽性と、市場に翻弄されたグループとしての運と不運。音楽は、やはりアーティスト自身が内から湧き上がる思いとともに作り上げていくものだと感じずにはいられない。

November 26, 2006

●Kristina Olsen: Live From Around the World

KristinaOlsen_Live.jpg

Kristina Olsen (vo, g, p)
Nina Gerber (g)
Ed Johnson (chorus)
Kim Scanlon (chorus)
Martin Pearson (chorus)
Al Petteway (g)

 アメリカでギター製作の修行をしているときは、月曜から金曜までは工房で通常の作業、土曜日は楽器店でリペアの修行、日曜日は基本的に休みというパターンだった。日曜日には、工房で作業をしていることが多かったのだが、毎週のようにちょっと時間を作っては隣町のバークレーまで出かけていた。
 UCバークレー校(ある年代以上の人にとっては、ダスティン・ホフマン主演の『卒業』という映画の舞台にもなった大学として記憶にとどまっているかもしれない)の近くは、今では死語となってしまったヒッピースタイルの人々がアメリカ全国から集まっていたりと、ごちゃごちゃとしていて、とても楽しい場所だった。
 まず覗くのは、MOEという古本屋。まめに探していると、すでに絶版になっていたギター製作に関する書籍が見つかったりしたものだった。そしてお決まりのコースは、AMOEBAとRASPUTINという2軒のCD屋。いずれも中古盤の品揃えが豊富で、毎回1枚6ドル以下のもの限定で探しても、あっという間に欲しいものが見つかってしまうヤバイ場所だった。

 お気に入りのアーティストのCDを探したのはもちろんのことだったが、雑誌や書籍(一番頼りにしていたのは、『All Music Guide』という本。最近では、Web版をいつも参考にしている。)をチェックしながら、アコースティック・ギターが聴きもののアーティストを探すのも楽しみの一つだった。クリスティーナ・オルセンもこうやって出会ったアーティストの一人だった。

 このCDをかける前にまずビックリしたのはトラック数が24もあったこと。再生してみるとなぞは解けたのだが、ライブ演奏を集めたこのアルバムでは、曲間のMCにまでトラックナンバーをふっていたのであった。肝心の演奏はというと、比較的ブルース色の強いギターとパンチの効いたクリスティーナの歌声ではあったが、最初の印象では、自分の好みと必ずしもあっていたわけではなかったこともあり、あまりパッとした感じを受けなかった。

 それでも、繰り返し聴いているうちにだんだんと良さが伝わってくるようになった。なんといってもMCが絶妙で、話の内容が次の曲へのうまい導入にもなっている。なるほど、これならばMCにトラックナンバーをふりたくなる気持ちも良くわかる。ほとんどは一人での弾き語りだが、数曲、ニナ・ガーバーを始め、素晴らしいサポート・プレイヤーをバックに演奏している。ギターもブルース色が確かに強いが、オールドスタイルのものというよりは、時折ジャズ・フレーバーのフレーズもちりばめられていて、なんとも心地よい。最初の印象などは、もうどこ吹く風である。

 1957年生まれの彼女が最初のCDをリリースしたのは1992年。主にコーヒーハウスやフォーク・フェスティバルなどでの演奏活動をおこなっていたのであるが、キャリアの長さからすると遅咲きといってもいいだろう。

 日本ではあまり知られていないが、シンプルなスタイルの素晴らしいシンガー・ソング・ライターがまだまだたくさんいる。これが音楽大国アメリカの底力なのかもしれない。

September 09, 2006

●Ralph Towner: Time Line

RalphTowner_time.jpg

Ralph Towner (g)

 やはりラルフ・タウナーはすごい、と再認識させられてしまった。ソロアルバムとしては、前作の『Anthem』以来、5年ぶりとなる本作を聴いて、そう思わずにはいられなかった。確実にラルフ・タウナーというアイデンティティを演奏から感じさせる一方、決して一つところにとどまっていないという凄さ。

 海外からクラシック・ギタリストなどを招いてコンサートの企画をおこなっている知り合いと話す機会があったのだが、ラルフは比較的集客の難しいアーティストだということだった。確かに、ジャズというにはクラシックの要素が強く、かといって純粋なクラシックファンからはアドリブ的な要素に今ひとつなじみがないといわれるかもしれない。ジャンル分けというレッテルに気をとられてしまうと、本当に素晴らしいものを取り逃してしまうのだが・・・。

 もともとはクラシック・ギターから入ったラルフは、1969年にニューヨークに移り住んで以降、ウェザー・リポートやゲイリー・バートンなどとの共演で、ジャズ的な要素を取り入れていった。このことが、彼の音楽を構築していく上でも大きなポイントかもしれない。もちろん、Oregonとしての活動ではワールド・ミュージックの要素を吸収していることは言うまでもない。ジャズ、クラシックそしてワールド・ミュージックを融合したものが、ラルフの音楽の根底にはある。

 ECMレーベルということを考えると、録音の手法にもよる部分も大きいのかもしれないが、ラルフのギターの音は独特である。クラシックほど、ホールのルームアコースティックだけに依存するのでもなく、一般的なギターインストもののようにブース内で比較的デッドに録ってリバーブ処理をしているのでもない、独特の空間感が伝わってくる。音の芯がはっきりとしていながら、その周りにまとわりつくような残響音にもスッと溶け込んでいるといってもいいかもしれない。
 前作は、ECMとしては定番のオスロにあるレインボー・スタジオでの録音だったのに対し、ウィーンでクラシック・ギターの勉強をしたラルフが、今回、同じオーストリアのサンクト・ゲロルド修道院で録音をおこなったのも、何かの思い入れがあったのだろうか。

 以前取り上げた『Solo Concert』は実にエネルギッシュだったのに比べ、本作では幽玄な音のイメージは踏襲しつつも、力の抜けた柔らかい要素と、畳み掛けるような厳しいフレーズをとてもうまくブレンドしている。

 Oregonとして活動開始から35年経ったという。その独自の音楽観を構築しつつ、常に前進し続けるその姿には圧倒される。透明感のあるギターが好きであれば、6曲目の「If」を聴くためだけに本作を手に入れても後悔しないと思う。

August 18, 2006

●上条 恒彦: 冬の森にて

TsunehikoKamijo_fuyu.jpg

上条 恒彦 (vo. g)
小室 等 (g)
高嶋 宏 (g, mandolin, balalaika)
芹田 直彦 (p, key)
川野 優次 (b)
長倉 徹 (ds, per)

 ジョーさんの歌を最初に聴いたのは、小室等率いる六文銭をバックに歌った「出発の歌」だったと思う。ヤマハが主催していた世界歌謡祭で1971年にグランプリを受賞した曲である。その翌年、市川崑監督のテレビドラマ『木枯らし紋次郎』の主題歌「だれかが風の中で」でも、小室さんのギターをバックに素晴らしい歌を聞かせてくれていた。
 当時、小学生だったこともあり、ずいぶん遅い時間に始まるドラマだったような気がするが定かではない。「・・・上州新田郡三日月村の貧しい農家に生まれたという。十歳の時、国を捨て、その後一家は離散したと伝えられる。・・・」というナレーションで始まり、主演の中村敦夫が「あっしには関わりあいのないことでござんす」という決め台詞とともに、口にくわえた長楊枝をプッと吹きだすしぐさが流行ったものだった。きれいな刀さばきの殺陣ではなく、ばたばたとした立会いがそれまでの時代劇とは違っていて、妙にリアルな印象を受けるドラマだった。

 話をジョーさんの歌に戻そう。こどもの頃、わが家にジョーさんのベスト盤が1枚あり、何度も何度も繰り返し聴いたものだった。民謡、黒人霊歌からシャンソン、ポップスなど、様々なスタイルの曲を取り上げていたが、ことさら印象に残ったのは、歌詞を大切に歌うという姿勢だった。伸びのある太い声とともに、その歌詞がしっかりと聴くものの中に入ってきて、情景が思い浮かぶのである。

 「ショウは終わった」という曲のせいかもしれないが、“ステージで歌う、歌うたい”というのが、ジョーさんのイメージである。しかし、歌手をメインとしていたのははじめの頃のみで、その後はミュージカル、そして舞台やドラマで俳優として活躍するにつれ、歌の活動はだんだんと少なくなっていった。

 このアルバムは、1996年に初めて自主制作というスタイルで作られたもの。実に17年ぶりのアルバムである。初期の頃から新曲まで、馴染みのあるものないものを織り交ぜた構成となっている。昔の曲も、アコースティック編成でシンプルな編曲となっていて、とても新鮮だった。28ページにも渡るライナーノーツには、ジョーさん自身による解説が載っている。それぞれの曲にまつわる話、その曲を歌っていた頃の様子など、昔を知るものにとっては裏話的な内容がこれまた楽しい。

 7-8年位前だったと思うが、ようやくジョーさんが歌う姿を見ることができた。小室等さんが中心となったコンサートで、上条恒彦、森山良子や、武満徹つながりで渡辺香津美、鈴木大介などが一堂に会した豪華なものだった。初めて聴いた頃から30年近くたっていたが、そのうたごえの魅力は何ら衰えるところがなかった。憧れの人にようやく会えたというような感激があったのをよく覚えている。

 歌詞の持つ世界を大切に伝えようとすることを、歌い手は忘れてはいけないと思う。単に声の素晴らしさだけでなく、言葉によってより多くのものを、よりいっそう強く人々に訴えかけることができるのだから。 

August 11, 2006

●Allan Holdsworth: The Things You See

AllanHoldsworth_thethings.jpg

Allan Holdsworth (g)
Gordon Beck (p)

 アコースティック・ギターとピアノのデュオは思いのほか少ないような気がする。突き詰めて考えれば、ピアノもスティール弦を使い、鍵盤~ハンマーで弦を叩くという発音メカニズムは違うものの、音の質には共通点があることが影響しているのかもしれない。実験したことはないが、それぞれの音のアタック部分を消してしまうと、ピアノなのかスティール弦ギターなのかを識別するのは難しそうな気もする。

 最近では、超絶テクニックというと、ヘビーメタル系のギタリストが真っ先にあがることが多いが、私が高校生の頃、フュージョン系の人以外では、なんといってもプログレッシブ・ロックのギタリストが真っ先に思い浮かんだものだ。アラン・ホールズワースはややマニアックながら、コアなファンの多いギタリスト。70年代前半に、プログレバンドのテンペストに参加して以来、ゴング、UKなど、数々のグループに加わりアルバムを残してきた。

 「うまい」と聞けば、必ずそのギタリストの演奏を聴こうとしていた高校時代、最初に手に入れたアランのアルバムは『Velvet Darkness』というファーストソロだった。確かにテクニックはすごいのだが、なんだか散漫な印象をぬぐえなかったのだが、いろいろと調べていくと、アラン自身、このアルバムのできには非常に不満で、自分のソロアルバムとしては認めたくないといっていると知った。
 あまり良くない第一印象からか、シンセアックスという、ギターとシンセサイザーを組み合わせたような新しい楽器を使っているとか、さまざまな情報が入ってきたにもかかわらず、なんとなく聴かずにきてしまったのであった。

 かなり後になってからだが、ギタリストのコンピレーションアルバムで、アランの演奏を聴き、独特のうねるように流れていくフレーズに、彼のことを再認識した。そこで手にしたのが本作だった。期せずして、買った2枚目は実は、彼の2作目で、ファーストソロの2年後にリリースされたものだったのがおかしい。

 エレクトリック・ギターをメインにしている人がアコースティック・ギターを演奏する際、おなじようなスタイルで弾く人と、まったくスタイルを変えてしまう人がいる。後者の代表がパット・メセニーだろう。アランは前者のスタイル。ハンマリングとプリングを多用し、音が洪水のようにあふれてくるのは、まさしく彼がエレクトリックでも披露しているものと同じだ。ただ、エレクトリックでの歪み系サウンドとは異なり、生音メインのアコースティックでは、流れるようでありながら音の粒々がはっきりと伝わってくる感覚が面白い。きついテンションノートも使っているが、不思議と濁った感じはなく、するりと耳に入ってくるのは、アラン独特の演奏によるものなのだろう。

 ジャズ・ピアニストとしてキャリアをスタートさせたゴードン・ベックによるものが大きいのか、ジャズとロックの要素を非常にうまくミックスした仕上がりになっている。緊張感あふれるフレーズの応酬があるかと思うと、ほのぼのとした曲調もあり、いろいろな雰囲気を楽しむことができる。

 昨年には1990年の東京でのライブ盤が発売。気がつくと、時折来日してライブをおこなったりと、現在でもコンスタントに活動をおこなっているようである。新旧交えて、彼の音楽をまた少し追っかけてみようか・・・。

August 05, 2006

●Bill Evans: You Must Believe in Spring

BillEvans_youmust.jpg

Bill Evans (p)
Eddie Gomez (b)
Eliot Zigmund (ds)

 思いがけず、ビル・エバンスで引っ張ってしまったが、とりあえず本作の紹介で一段落としたい。
ビル・エバンス・トリオのベーシストでは、まず名前が上がってくるのはスコット・ラファロ、そして次がチャック・イスラエルであろう。本作は、この二人と同様、ビルにとっても重要なベーシストとして、晩年近く一緒に演奏をしていたエディ・ゴメスが参加した最後の作品。

 スコットとのトリオがまさしくインタープレイを中心にすえたものとすれば、ここでのビルの演奏はまさしくリリシズムを究極に追い求めたものといってよい。ビルへのトリビュートとして紹介したギター演奏との対比で考えれば、ラリーとミロスラフの演奏はインタープレイ的要素にスポットライトを当てた『Walts for Debby』からの流れを受け(トリオ演奏からの影響という枠をはずせば、ジム・ホールなどが参加した,タイトルもそのものズバリの『Interplay』からの流れというのがより正確かもしれない)たものであるのに対し、ジョンの演奏は本作を支配しているリリシズムを継承していると強く感じる。

 このアルバムを録音した前年には愛妻のエレーヌを失い、またこの年には兄ハリーが自殺するなど、悲しい出来事が続いたビルの弾くピアノは悲しいほどに美しい。ビルのようなリリカルな部分を強調すると、ピンと張り詰めた緊張感と透明感を前に押し出すような演奏が多くなる。しかし、このアルバムでの演奏は、インタープレイ的な緊迫感を排し、すべての音が自ら調和を求めてあふれ出ながら、温かさに満ちている。愛おしさにあふれたピアノをとくとご堪能あれ。

August 02, 2006

●Larry Coryell: Quartet

LarryCoryell_quartet.jpg

Larry Coryell (g)
Miroslav Vitous (b)

 ビル・エバンスつながりでもう一枚紹介したい。ここでは再度登場となるが、ラリー・コリエルのミロスラフ・ヴィトウスどのデュオアルバムである。タイトルが『Quartet』(4重奏の意味)とあるのは、ビル・エバンスとスコット・ラファロにインスパイヤされてこのアルバムを作ったためである。

 ビルへのトリビュートとして、先日紹介したジョン・マクラフリンの『Time Remembered』とはある意味、好対照なアルバムに仕上がっているのがとても興味深い。ジョンはビルのリリシズムに焦点を当てたの対して、ラリーはインタープレイをその中心に置いているのである。どちらも、ビル・エバンスを語る上では重要なファクターなのだが、同じようにジャズ・ギター界に変革をもたらしたジョンとラリーが、違ったアプローチからビルの音楽を見つめなおしているわけである。

 ミロスラフ・ヴィトウスはチェコ生まれ。小さい頃からヴァイオリン、ピアノを習ってきた彼がベースを弾き始めたのが14歳のとき。その後、ウィーンでのコンクールで優勝し、奨学金を得てアメリカ東海岸のバークリー音楽院へと留学をする。チック・コリア、ハービー・マンなどのレコーディングに参加した後、自己のアルバムも製作する。彼が広く脚光を浴びるようになったのは、ジョー・ザビヌル、ウェイン・ショーターらと一緒にウエザー・リポートを結成してからだろう。ウエザー・リポートの最初の3枚のアルバムに参加した後、ミロスラフはグループを離れ、ロスに移り住んで新しい楽器の開発に取り組んだり、音楽教育に力を注いできた。最近では、ちっく・こりあとの演奏や、自身のリーダーアルバムをECMからリリースしたりと、マイペースでの演奏活動を続けている。

 ジャズでギターとベースのデュオアルバムといえば、ロン・カーターとジム・ホールの『Alone Together』が真っ先に思い浮かぶが、歴史的名盤との評価が高いロンとジムのものに比べると、ラリーとミロスラフの演奏はストレート・アヘッドな4ビートジャズというよりは、もっとコンテンポラリーな印象が強い。それでいて、難解さはあまり感じさせないので、聴くものの中にスッと入って来やすい。時折アルコ奏法(弓によりベース演奏)を交えるミロスラフの演奏はとても美しく、また力強い。

 ベースがギターをサポートしているというよりは、ギターとベースがお互いに重なり合うように絡みつつあるのは、やはりビルが得意としていたインタープレイ的な要素が根底にあるからだ。Quartetというタイトルの意味を考えながらこのアルバムを聴くと、いっそうイメージが膨らむのが楽しい。
 

July 29, 2006

●Bill Evans: Waltz for Debby

BillEvans_waltz.jpg

Bill Evans (p)
Scott LaFaro (b)
Paul Motian (ds)

 ビル・エバンスがらみのアルバムを続けて紹介したので、次は彼のリーダー作を取り上げてみよう。数え切れないほどの名作を残しているビルだが、定番中の定番が本作。1961年6月25日、ニューヨークの老舗ジャズクラブ、ヴィレッジ・バンガードでのライブ収録盤である。この日の演奏は、『Waltz for Debby』、『Sunday at the Village Vanguard』の2枚としてリリースされている。『Sunday...』の方はスコット・ラファロのオリジナル曲などを収録しているのに対して、『Waltz for Debby』はスタンダード中心の選曲となっている。

 ビル・エバンスを聴くにあたり、トリオ編成ではスコット・ラファロ、ポール・モティアンによる演奏をまず押さえておきたい。スコット・ラファロがビルのピアノトリオに参加したのは1959年のことである。ビルが当時重視していたのがインタープレイと呼ばれるスタイル。従来のビバップでのアドリブに比べて、プレイヤー相互のかかわりがより強い演奏スタイルである。ビルはこの後にも、違うメンバーによる素晴らしいトリオ演奏を残しているが、最初の、そして最も成功したスコット・ラファロとポール・モティアンによるトリオ演奏をやはり最初に紹介しなければいけないだろう。

 ややルバート的なビルのソロから始まり、スコットが力強いベースラインで絡み、ポールがでしゃばりすぎず、かといってしっかりと存在感のあるブラシワークで支えるというパターンも一つの特徴ともいえよう。ビルのピアノは、これまでのジャズ・ピアニストとは少し趣きが異なり、リリカル(詩的)という表現がピタリとはまるものだろう。あくまでも違いという観点からだが、黒人ピアニストに対して白人ピアニストとしてくくられる「違い」を確かに感じる。単に激しい、激しくないということではなく、感情をストレートに表出させるのではなく、強い思いを内面に押しとどめつつも、それがじわりじわりと染み出てくるような印象を受ける。

 ビルにとって、重要なパートナーともいえるスコットは、この演奏のわずか10日後に交通事故で他界をしてしまう。その喪失感はとても大きく、1年近くビルは演奏活動を休止してしまう。しかし、当時の敏腕プロデューサー、クリード・テイラーの励ましを受け、さまざまな演奏フォーマットでの活動を再開する。

 ビルについて書かれたテキストによると、彼はこのアルバムには気に入らない点があるといっていたそうである。ヴィレッジ・ヴァンガードは老舗ジャズクラブで、客は熱心なジャズファンが多いといわれるが、このアルバムでは、グラスの中で氷が音を立てていたり、客席の雑音が結構録音されている。ビルは、観客がこのような音を立てていることが気に入らなかったということらしい。確かに、日本のジャズ・クラブではあまり見ないような、「ゆるい」雰囲気がそれらの音から伝わってくる。少々音を立てたからといって非難されようとも、この素晴らしい演奏を目の当たりにしていた人は、ほんとに幸せであろう。

July 23, 2006

●John McLaughlin: Time Remembered

JohnMcLaughlin_time.jpg

John McLaughlin (g)
Yan Maresz (b)
The Aighetta Quartet
   Francois Szonyi (g)
   Pascal Rabatti (g)
   Alexandre Del Fa (g)
   Philippe Loli (g)

 マイルスのアルバムでも触れたビル・エバンスは、60年代以降のジャズ・ピアニストとしてはもっとも重要な人物の一人といえるだろう。したがって、さまざまな人たちに影響を与えていったわけであるが、ピアニストのみならず、ギタリストも彼のことをフェイヴァリット・プレイヤーとしてあげる人は多い。

 ジョン・マクラフリンは60年代終わりにトニー・ウィリアムスのグループ、ライフタイムに参加すべくイギリスを離れニューヨークへと移り住む。そして、『ビッチェズ・ブリュー』をはじめとして、マイルスのアルバムにも数多く参加していった。その後、自身のグループ、マハヴィシュヌ・オーケストラを結成し、ハードコアなフュージョンの黎明期に大きな役割を果たしていった。さらには、インド音楽への傾倒を全面に出したシャクティでの演奏からは、アコースティック音楽を中心として、ラリー・コリエル、クリスチャン・エスクーデ、パコ・デ・ルシアやアル・ディメオラなどとの共演を重ねていった。
 80年代終わりから90年代初頭になると、セッション的なアコースティック・ギター主体の演奏から、メンバーをほぼ固定してジョン独自のスタイルを確立したともいえるジョン・マクラフリン・トリオでの演奏がメインとなり、か図化すの素晴らしい演奏を残していった。そのトリオでの演奏が一段落した時期に、この作品が録音された。

 ジャズを専門とする批評家などからは、ジョンに対する厳しい評価を聞くことが多い。マイルスのグループに参加していた前後は、エレクトリック・ジャズの主流に近いところにいたジョンのその後の道のりは、必ずしもジャズ信奉者からは好ましいものとは映っていなかったようなのである。そのジョンが、ジャズのメインストリームにドンと構えるビル・エバンスへのトリビュートとして楽曲集を出したことに違和感を感じているという内容の評論を目にしたこともある。

 確かに「ジャズ」というカテゴリーの中でこのアルバムを聴くと物足りなさを感じることは否めない。しかし、このアルバムは純粋なジャズではないという地点からスタートすると、まったく違う評価を下すことができよう。ベース奏者としても参加しているヤン・マレッツは、ジョンの弟子でジュリアード音楽院の卒業生。つまり、クラシック音楽の基礎をしっかりと持つ人物である。彼が、今回のビルの曲のアレンジに重要な役割を果たしていった。エイグェッタ・クァルテットはクラシック・ギターのアンサンブルユニットであることからも、この作品の志向するものがはっきりとうかがい取れる。
 緻密なアレンジ・構成をベースとしたアンサンブル演奏で、ビル・エバンスの持つ楽曲の繊細な対位法的手法を際立たせているのである。ジョンは、自分のソロパートではインプロヴィゼーションを展開しているが、決してジャズ・フュージョンのアルバムで見られるような自由奔放なラインではなく、カシッとした枠組みの中にきちんとおさまっているものとなっているのが面白い。

 ギターのピンと張り詰めた音、極限まで計算しつくされたメロディと内声の動き。クラシック・ギターのファンにも十分訴えかける力があるジョンの演奏は素晴らしいのはもちろんだが、やはり、ビル・エバンスというアーティストの計り知れないポテンシャルを意識せずにはいられない。

July 18, 2006

●Miles Davis: Kind of Blue

MilesDavis_kind.jpg

Miles Davis (tp)
Julian Cannonball Adderley (as)
John Coltrane (ts)
Bill Evans (p)
Wynton Kelly (p)
Paul Chambers (b)
Jimmy Cobb (ds)

 マイルス・ディヴィスのグループからは、楽器を問わず、その後のジャズ/フュージョンシーンをリードしていく素晴らしいミュージシャンが数多く輩出されている。アート・ブレイキー率いるジャズ・メッセンジャーズがどちらかというと管楽器中心に若手メインストリーム・ジャズプレイヤーを育てていったのとは、ある意味対照的でもある。

 マイルスにとって、大きな影響のあったピアニストといえば、まずビル・エバンスを挙げずにはいられない。このアルバムを録音する1年ほど前から、マイルスのセクステットに参加するようになったビルは、従来のジャズ・ピアニストとは違うアプローチを取り入れていく。ドビュッシーやレベルといわれる印象派からの影響を強く受けていた彼は、ヨーロッパのクラッシック音楽の流れをジャズとうまく融合させ、リリカルとも評される新しいスタイルを築いていった。

 このアルバムはマイルスにとって非常に重要なアルバムの一つといえるが、ここで展開されているさまざまな試みの源はビルにあるといえよう。中でも、冒頭の曲「So What」で展開されたモード奏法(この曲はドリアン・モード)は、それまでの典型的なコード進行に対して、常套句的なアドリブフレーズが展開していたものとは、まったく異なるアプローチによる曲の構成、アドリブの展開を示すものであった。モードのルーツは中世以前の教会旋律にあるといわれているが、学究肌のビルの力なくしては、このレベルまで形作られることが難しかっただろう。もちろん、マイルスはこの録音以前に、「マイルストーン」などで、すでにモード手法を取り入れているわけだから、ビル一人の力ではないのであるが・・・。

 裏ジャケットには、ピアノに向うビルを横からマイルスが覗いている写真が使われているが、両者の表情がとても興味深い。レコーディングの途中では、マイルスがたびたびピアノに向かい、その傍らでビルがアドバイスをするというシーンが何度も見られたという。くわえタバコでたったまま鍵盤を弾いているビルは、自分の求めているものに向って突き進んでいるかのような凛とした印象を漂わせているのに対し、マイルスの表情にはなんともいえない不安な影が落ちている。まったくの推測に過ぎないが、ビルの提示していくものに対して、マイルスが乗り切れていないのではと思わせるようである。

 実際の演奏はというと、写真にあった不安な表情というのをまったく感じさせないところが、さすがマイルスである。コルトレーン、アダレイとともに最強ともいえる3管編成は、強烈なドライブ感を前面に押し出すのではなく、静かな緊張感を携えつつ展開していく。ビルの代わりにウィントン・ケリーがピアノを弾いている「フレディー・フリーローダー」のみは、テーマ部にモーダルな要素があるものの、最初にソロを取るウィントンはモードというよりは従来のビバップ的なアドリブを展開しているのが、少し異質な感を受ける。しかし、メンバーにとっては、新しいモードから、一時的にせよ開放された一服の涼ともいえるような曲の仕上がりになっているもがおかしい。

 一部の曲を除けば、ほとんどがワン・テイクで録音されたという。おそらく、スタジオでの緊張感はすさまじいものがあったことは想像に難くない。ビルの力が不可欠であったにせよ、やはりこのメンバーをまとめあげて、一気にこの高みまで持ち上げるマイルスの統率力には脱帽である。

 

 

July 13, 2006

●Steve Eliovson: Dawn Dance

SteveEliovson_dawn.jpg

Steve Eliovson (g)
Collin Walcott (per)

 彗星のように現れて、素晴らしいアルバムを残したかと思うと、忽然と音楽シーンから姿を消してしまったアーティストもおおぜいいる。ここで紹介するスティーヴ・エリオヴソンもその一人であろう。

 21歳からギターを始めた彼が、このアルバムを録音したのは28歳のとき。わずか7年でこのレベルの演奏に到達したということから、相当ギターののめりこんでいたことは想像に難くない。
 たびたび取り上げているが、このアルバムもドイツのECMレーベルからのリリース。スティーヴは録音する1年前に、直接マンフレート・アイヒャーにデモテープを送ったところ、無名のギタリストの素晴らしい演奏にビックリしたマンフレートはスティーヴに直接会ってすぐさま、レコーディングをおこなうことを決めたという。

 南アフリカ生まれのスティーヴはギターを始めてからしばらくしてアメリカに渡っているが、2年ほどで再び母国へと戻っている。その後、ジャズやインド音楽などにも一時期傾倒していた。確かに、このアルバムでの演奏からはインド音楽の影響を、うまく昇華した形で自分の音楽を作り上げていることが伝わってくる。民族音楽への造詣が深いオレゴンののパーカッションとして活躍していたコリン・ウォルコットをサポートとして迎えているのも非常に当たっている。
 オレゴンではギターのラルフ・タウナーとともにダブル・フロント的な位置でかなりフィーチャーされた演奏をしているコリンだが、ここではあくまでもスティーヴのサポートという位置づけ。前に出すぎることなく、かといってしっかり存在感のある絶妙なプレイである。

 スティーヴのギターは、ジャズ・テイストが随所に顔を出しているものの、上述のインド音楽や、ウィンダム・ヒルレーベルのウィリアム・アッカーマンの初期の演奏とも共通するような畳み掛けるようなフレーズが徐々に展開をしていくようなニューエイジ的な構成など、それまでのECMレーベルのギタリストとは、少し違う傾向を持っている。曲の展開にはアフリカ音楽的な要素もそこはかとなく感じることができるが、比較的プリミティブな音の楽器を用いることが多いアフリカの音楽に対して、彼の弾くギターの音はやはりヨーロッパのもの。ヨーロッパ、アメリカの音楽をベースとしつつもアフリカや南アジアの影響もしっかり感じさせるところが興味深い。

 ECMレーベルはアーティストとの関係を長期間にわたって作り上げていくことを考えると、1作だけで関係を終わらせてしまったスティーヴのケースは極めて珍しいことであろう。これだけレベルの高いものを作り上げながら、わずか1作だけで、音楽の世界からすっかり姿を消してしまったのは残念至極である。いつの日かまた、素晴らしい演奏を聞かせてくれるのを心待ちにしたい。

July 07, 2006

●Anne Briggs: The Time Has Come

AnneBriggs_time.jpg

Anne Briggs (vo, g, bouzouki)

 60年代から70年代にかけて活躍したブリティッシュ・フォーク(トラッド・フォーク・リヴァイヴァルと呼ばれる動き)では、女性シンガー(ヴォーカリスト)がひときわ輝いていた。以前紹介したペンタングルのジャッキー・マクシー、フェアポート・コンヴェンションのサンディ・デニー、スティーライ・スパンのマディ・ブライアーがその代表格だが、もう一人、主にソロ活動をしていたアン・ブリッグスのことを忘れることはできない。

 本作の邦題が『森の妖精』とあるためなのか、アンはブリティッシュ・フォークの妖精系シンガー(そもそもイメージがよくわかないのだが・・・)と呼ばれることもあるようだが、とても意思的な歌声が印象的で、妖精というイメージはあまり当てはまらないような気がする。

 イングランド中部のノッティンガムに生まれたアンは、いつしか地元のコーヒーハウスなどでトラッド・フォークソングを歌うようになるが、5-60年代のトラッド復興運動の中心的存在、イワン・マッコールやA.L. ロイドなどと出会うことで、瞬く間に表舞台に立つようになっていく。特にロイドからはトラッド・フォークの豊かな世界を伝授され、彼女のその後の音楽性に多大な影響を受けていく。

プロとしてのキャリアを踏み出す以前に、スコットランドを旅行しているときに知り合ったというバート・ヤンシュは、いうまでもなく、ペンタングルで活躍したシンガー/ギタリストであるが、バートはアンを通じて、ロイドなどが研究・伝授していたトラッド・フォークの奥深い世界を知っていくのであった。また、アンはバートからオープンチューニングなどのギター関連のテクニックや、ソングライティングを教わったとある。
 バートがジミー・ペイジをはじめ、数多くのミュージシャンに影響を与えたことを考えると、そのバートに重要な橋渡しをしたアンの存在はとても大きいことがわかる。

 本作では、インストも含めギターとブズーキーの演奏と歌をアンが一人でおこなっている(アルバムのクレジットには明記されていないのできちんと確認できているわけではないが)。特に、楽器の演奏は派手さはないものの、とてもしっかりしたピッキングで、女性らしからぬ力強さすら感じさせるものだ。ブリティッシュ・トラッド独特の雰囲気なのだが、幽玄でしっとりとした中にも、時折キラリと光るものを感じられるのは、なんとも不思議だ。コード進行はちゃんとあるのだが、モーダル的な浮遊感からは、不安定な気持ちの揺らぎにも似た危うさが感じられる。

 アンは、本作を発表した後、音楽活動を離れてしまう。育児のためといわれているようだが、一方では、自分自身の歌声に対してコンプレックスを持っていて、レコーディングを非常に嫌っていたともいわれている。90年代に入り、過去の録音を集めてCDとしてリリースしたのをきっかけに、音楽活動を一時再開したらしいが、1,2度の演奏以外には目立った活動の話は入ってこない。

July 03, 2006

●Steve Khan: Evidence

SteveKhan_evidence.jpg

Steve Khan (g)

 70~80年代初頭のフュージョン・シーンを語る上で、はずせないのがアリスタ・レコードのノーヴァス(novus)・レーベルである。アリスタは、以前紹介したラリー・コリエルの『Tributaries』をはじめ、ブレッカー・ブラザースや、STEPS(のちにSTEPS AHEADとユニット名を変更)などで活躍をすることになるマイク・マイニエリなど、重要なプレイヤーが数多くの作品をリリースしていたことで知られる。

 70年代からニューヨークを拠点に、数々のセッションをこなし、実力派ミュージシャンとして評判が高かったスティーヴ・カーンは1975年から76年にかけてラリー・コリエルとギター・デュオのライブ・ツアーをおこなう。ここで、ウェイン・ショーターやチック・コリアなどの曲をギター2本で即興的な要素を交えながら、白熱のセッションを繰り広げた。このユニットでは1976年録音の『Two For the Road』という名盤を残しているが、これはまた機会を改めて紹介したい。

 コリエルとのツアーを終え、スティーブはエレクトリック主体のリーダー作を3枚ほど発表するが、81年にリリースした本作では、アコースティック・ギターを前面に出しながら、コリエルとのデュオとは別軸の素晴らしい演奏を披露する。場合によっては、複数のアコースティック・ギターのみならず、エレクトリック・ギターも重ねた多重録音による演奏だが、メロディの美しさを追求したスティーヴのギタープレイ自体は、決して奇をてらったものではなくオーソドックスともいえるものなのだが、非常に緻密に作り上げられた楽曲は、これまでにない独自性の強いものである。

 個人的には、少し空間系のエフェクト処理が強いのが気になるが、ギター自体の音も素晴らしい。このとき、スティーヴが弾いていたのは、デヴィッド・ラッセル・ヤングが製作したギター。デヴィッドは60年代終わりから80年代初めにかけてアメリカ西海岸でギター製作をしていた伝説の人物である。その後、ギター製作からはなれ、ヴァイオリンの弓製作家として現在も活動している。たまたま縁があって、『アコースティック・ギター・マガジンVol.18』(リットーミュージック 2003年10月刊)の「幻と呼ばれたドレッドノート」という企画で、もう一人の伝説的なギター製作家、マーク・ホワイトブックとともに取り上げたとき、二人の製作家とそれぞれのギターについて記事を書く機会を得た。デヴィッドとはメールで連絡を取り、短いバイオグラフィーながら、事実を確認しながら執筆できた。

 ギター製作をする人の間では、デヴィッドは『The Steel Guitar Construction & Repair』(残念ながら、絶版になってしまっていて入手は難しいようである)という教科書を執筆したことでも良く知られている。スティール弦ギターの製作方法について書かれた最初の本であるが、今はギター製作を離れている伝説の人物とコンタクトが取れたことで、とても興奮したことを今でもよく覚えている。

 メロディを歌わせるためにスティーヴが選んだのは、ウェイン・ショーターやホレス・シルバー、セロニアス・モンクなどの楽曲。その中でも、モンクの曲を9つメドレーにしてトータル18分強に渡って繰り広げらるるラストの曲は、名演というより他にない素晴らしいものだ。

 残念なことに、このアルバムは現在入手が難しいようである。ただ、ネット上のmp3形式で楽曲を扱うサイトなどからダウンロードはできるようである。「Steve Khan Evidence」といったキーワードで検索すると見つかるだろう。但し、mp3は圧縮形式なので、オリジナルの音を再現できるわけではないことを認識しておく必要があるだろう。個人的には、mp3ではかなり音の密度が変わるという印象がある。
 ちなみに画像のジャケット写真は「Novus series '70」というシリーズ企画でリリースされたCDのもの。LPでリリースされたのは、中央の白い部分のデザインによるものだった。

July 02, 2006

●Tim Sparks: One String Leads to Another

TimSparks_onestring.jpg

Tim Sparks (g)
Dean Magraw (g)


 アメリカにおいて、フィンガースタイルのギターソロ演奏では、毎年カンザス州ウィンフィールドで開かれるフィンガー・ピッキング・コンテストで優勝することが、最近は登竜門のようになっている。今回取り上げる、ティム・スパークスは1993年の優勝者。コンテストでは、チャイコフスキーの「くるみ割り人形」をギターソロにアレンジしたものを演奏し、後に、CDとしても(コンテストでの演奏ではなく、スタジオ録音のもの)発表した。

 アメリカ東海岸のノースカロライナ生まれのティムは、もともとクラシック・ギターから勉強を始めたという。しかし、アートスクールを卒業する頃から、ジャズをはじめとするさまざまなジャンルの音楽に関心を示すようになる。彼の音楽の方向性を大きく変えたのは、地中海~東ヨーロッパ地域の音楽だろう。奨学金を得て、ポルトガルのファドやユダヤのクレズマーなどを吸収することで、複雑なポリリズム、独特のエスニックな音階を多用するスタイルが形作られていった。

 本作では、一曲のみサポートのギターが入っているが、基本はギターソロ。彼自身のコメントによれば、「前作まではチャイコフスキーやバルトーク、バルカンのフォーク音楽、中東の音楽、ジャズ、ケルトそしてラテンの色が濃いものだった。しかし、今回の作品では、自分のルーツとも言える、ノースカロライナの音楽に戻ってきた」とある。確かに、(アメリカナイズされたわれわれ日本人にとっても)アメリカ的なわかりやすく、耳なじみの良い曲が並ぶ。しかし、地中海に面する国々の音楽の影響は、そこかしこに見え隠れするのが面白い。

 ティムは、何度が来日している。2002年に中川イサト氏がハンガリーのギタリスト、シャンドラ・サボと一緒にティムを呼んだライブを見たが、同じギターソロ演奏ながら三人三様でとても面白く、楽しむことができた。ライブ後に、自分が製作したギターを試奏してもらい、コメントをもらったのだが、とても誠実に対応してもらったことを今でもよく覚えている。
 ギターを評価してもらうと、概してアメリカ人はその楽器のいいところを捉えて、コメントしてくれ、ネガティブなことをいうことは滅多にない。こちらとしては、ほめてもらうよりは、いま自分の楽器に何が足りないかをプロのプレイヤーの視点から捉えてもらいたいという気持ちが強かったので、「あえて、ネガティブなことを指摘してもらえると、これから楽器をよくしていくための足がかりになるから」と無理を言って、いろいろアドバイスをしてもらった。ライブで自分が弾いていた楽器と私の楽器の両方をかわるがわる弾き、「こっちの楽器はこうだけれど、こちらはああだ」と一つ一つ丁寧にコメントをしてくれる。そのコメントはとても知的で、的確なものだった。彼の暖かい対応には、今でも感謝している。

 一見複雑そうに感じる彼の音楽も、気がつけばメロディラインを口ずさむようになるほど耳に馴染んでいく。それは、メロディが歌っているからに他ならない。

June 25, 2006

●Toninho Horta: Durango Kid

ToninhoHorta_Durango.jpg

Toninho Horta (g, vo)

 トニーニョ・オルタを最初に見たときの印象は、心優しき巨漢というものだった。ジョイスのサポートで、前に出すぎず、かといって、しっかりとした存在感のあるギタープレイからは、歌い手をやさしく包み込むような力が感じられた。

 2度目に彼のライブを見たのは、ブラジル音楽演奏を聞かせるブラジルレストラン(確かサバス東京だったと思うが定かではない)での演奏。このときは、自身のグループを引き連れての演奏で、素晴らしいギター演奏と歌(ヴォイス)に魅了されてしまった。実は、こちらのライブでは、エレクトリックはヤマハのパシフィカ・シリーズのものを使用していたが、ガットギター(おそらくフラメンコモデルだったと思う)は、当時東京に工房を持っていた福岡氏のギターを使い始めたところだった。会場jに製作者が来ていて、ライブ途中で、トニーニョが「この素晴らしいギターを製作してくれた若き友人、福岡氏を紹介します」といっていたのを、今でもはっきりと覚えている。トニーニョは現在に至るまで、福岡ギターを愛用しているようである。
 このアルバムは、彼が福岡ギターに出会う前の作品なので、使用しているのは、コンデ・エルマノスというギターのようである。コンデは、フラメンコ・ギタリストのパコ・デ・ルシアの愛器としても知られている、スペインの有名な工房の作品である。

 トニーニョの素晴らしいところは、オリジナル、カバーを問わず、演奏する曲を完全に自分のものにしていることである。彼のアレンジによるギターと歌が始まると、周りの空気までもが柔らかいトニーニョの世界そのものであるかのように変わる。

 余談を一つ。私の年代にしては珍しいかもしれないが、これまでほとんどビートルズを聴かずに育ってきた。中学生ぐらいになり、洋楽を聴くようになったときには、ビートルズは時代遅れのような気がして手を伸ばさずにいて、結局そのままにしてしまったからだ。だから、有名な曲もほとんど知らない。このアルバムには「アクロス・ザ・ユニバース」という曲のカバーが収められている。いわずとしれた、レノン/マッカートニーという黄金コンビによる作品だ。恥ずかしながら、割合最近までこの曲はトニーニョのオリジナルだと信じて疑わなかった。あるとき、他の人のカバー演奏を聴いて、「やはり、トニーニョの曲でもメロディがきれいだから、誰かが歌詞をつけてカバーをしたんだ」と思い込んでいた。しかし、いろいろなところで、いろいろなアーティストがカバーしているのを耳にすると、さすがになんか変だなと感じて、調べてみたところ、ビートルズがオリジナルだということを初めて知った。
 一度、ちゃんとビートルズを聴かないといけないと思いつつも、まだ手を伸ばさずにいる。

 トニーニョの生まれたミナス(正式にはミナス・ジェライス州)はブラジルの中でも独特の音楽文化を持つ地域。トニーニョ以外にも、ミルトン・ナシメントをはじめとする、ミナスを代表するアーティストは数多い。パット・メセニーはトニーニョから多大な影響を受けたといっている。トニーニョは、1981年にメジャー・レーベルから初めてリリースしたアルバムでは、パットとの共演を果たしている。一方、パットはECMでの最後の作品『First Circle』(このアルバムをいずれ取り上げる予定)や、Geffenレーベルに移籍した後、『Still Life (talking)』から始まる、ワールドミュージック色の濃い作品群からは、明らかにブラジル音楽、おそらくはトニーニョから受けた影響が聞き取れる。

 プレイヤーズ・プレイヤーという称号がふさわしいトニーニョ。彼が音楽に向っている姿勢そのものは厳しいものだが、あふれ出てくる音には、人の気持ちを和らげる素敵なオーラに満ち溢れている。

June 18, 2006

●Pat Martino: Exit

PatMartino_exit.jpg

Pat Martino (g)
Gil Goldstein(p)
Richard Davis(b)
Hilly Hart(ds)

 パット・マルティーノとは思いのほか縁がなく、聴くようになったのはずいぶんあとになってからだ。ジャズ・フュージョンのギタリストを聴き始めるようになると、だんだんと彼らが持っているルーツをたどり、ウエス・モンゴメリなどのオーソドックスなスタイルのジャズ・ギターは割合聴いた。  ジャズ・ギターへと深く入っていくにつれ、当然のことながらパットの名前も耳にするようになり、気になってはいた。

PatMartino.jpg
 ただ、最初に目にした彼の写真が、サングラスとヒゲがなんとも怪しい風貌で、「ウエスの後継者」といわれてもまったく信じることができなかった。それよりも、ロック界の奇人フランク・ザッパに通ずるようなイメージが植えつけられ、端正なギタープレイをするなどとは思いもよらなかった。はっきりとは覚えていないが、手にしていたギターも、ジャズ・ギタリストが通常使うアーチトップ(フルアコ)ではなく、ソリッドボディのものだったような気がする。いずれにせよ、ガンガンにひずませた音で弾いていてもおかしくなさそうな風貌だったのだ。

 あるとき、FMラジオから聞こえてきた「酒とバラの日々」に思わずはっとした。クリーントーンながら素晴らしいドライブ感。一体誰の演奏だろうと思って調べると、それがパット・マルティーノだった。あわてて、本作を手に入れて聴いてみた。リチャード・デイビスの渋いベースソロから始まる冒頭の曲は、若干フリーフォーム色がはいっているが、それ以外はほぼスタンダード曲が中心で、ギターを弾きまくるパットを堪能できる。
 パットのギターから思い浮かぶのが、“空間恐怖症”というイメージだ。音の無い空間の存在にガマンができず、隙間という隙間に音を埋め込んでいくかのごとく、ギターを弾いている。

 1980年頃に脳動脈瘤に倒れ、手術を行いなんとか回復するものの、その影響で、過去の記憶を失ってしまう。ギター演奏を再びおこなうことは不可能だろうとうわさをされたが、そんな声を払拭するかのように1987年には『The Return』を発表。以前にも増して、複雑さを増した独特のフレージングは、続けて発表されていく作品ごとに磨きをかけられていく。見事に再起した彼の演奏を聴くと、プレイヤーの音楽スタイルは、単に脳に記憶されているものではないということを思い知らされる。

 最新作では、ウエス・モンゴメリー・トリビュートというコンセプトでまとめたパット。ビバップからコンテンポラリーまで何でもこなせて、思わず人を唸らせるギタリストだろう。カリスマ性を持つ彼が放つオーラは、聴く者をどんどんと深い世界へと引きずり込んでいく。

June 15, 2006

●Joni Mitchell: Blue

JoniMitchell_blue.jpg

Joni Mitchell (vo, g, dulcimer, p)
Stephen Stills (b, g)
James Taylor (g)
Sneeky Pete (pedal-steel)
Russ Kunkel (ds)

 ギターをかっこよく弾く女性シンガー・ソング・ライターの草分けといえば、ジョニ・ミッチェルをあげずにはいられない。もちろん、それ以前にもジョーン・バエズをはじめとする、女性フォーク・シンガーは大勢いた。それでも、ジョニのかっこよさが際立っているのは、彼女のギター演奏スタイルとも関係がある。
 彼女が得意としていたのは、オープンチューニングを使ったもの。チューニングが一般のものとは違っているため、和音の響きが独特のものになる。ハイトーンの歌声に、ふわふわとした透明感のあるギターの音が絡み合っている心地よさ。

dulcimer.jpg
 ジョニはカナダ生まれだが、東出身のシンガー・ソング・ライターは、結構ダルシマーを演奏する人が多い。以前取り上げたブルース・コバーンも弾いているし、女性ギター製作家として知られているリンダ・マンザーも、最初に作ったのはダルシマーのキットだったという。このマウンテン・ダルシマー(ハンマー・ダルシマーとは別の楽器)は別名アパラチアン・ダルシマーと呼ばれることもあることから、北米大陸東海岸のアパラチアン山脈地方では割合ポピュラーなものといえよう。
 アパラチアン山脈は、英国・アイルランド系の移民が多く、アメリカのルーツ的な音楽の源となった地域である。楽器自体のルーツはドイツ等といわれているが、1940年代頃、ジーン・リッチーがダルシマーを演奏するようになり、その後のフォーク・リヴァイバルの波に乗って、ポピュラーなものとなっていったようだ。
 日本では、なかなかお目にかかることは少ないが、われわれの世代では、「私は泣いています」のヒットで知られるリリィが『ダルシマー』というアルバムを出していて、その当時のライブで演奏していた記憶がある。

 初期の傑作として名高い本作だが、デビュー当初からジュディ・コリンズやCSN&Yなどをはじめ、数多くの楽曲を提供していることから、ソング・ライティングの質の高さも際立っている。ウッドストック・ロック・フェスティバルにむけては、CSN&Yにそのものズバリ「ウッドストック」という曲まで書いている。この当時は、彼らと活動をともにしていることが多く、古いライブ映像では、ライブにコーラスとして参加している姿を見ることもできる。フェスティバルにも同行する予定があったが、直後に自分のコンサートが控えていて、予定通り戻ってこれるかどうかがわからなかったので一緒に行かなかったという話も耳にしたことがある。

 シンプルなフォーク~ロックスタイルから、後にはジャコ・パストリアスなどをはじめとするジャズ・フュージョン界のトップ・プレイヤーとの共演など、新しい世界を広げつつも、その歌声とサウンドは、常にジョニらしさを感じさせるユニークなスタイルを貫いている。
2002年にはこれまでの集大成といえるセルフカバー集『Travelogue』を発表し、その後の目立った活動は停止している。ぜひとも、活動を再開して、今なお透明感を失っていない声と、素晴らしいギター演奏を披露してもらいたいものだ。

June 07, 2006

●Billie Holiday: Lady in Satin

BillieHoliday_Lady.jpg

Billie Holiday (vo)
Ray Ellis and his orchestra

 「うまいとか下手とかを超越して、人の心に入ってくる歌声」、晩年のビリー・ホリデイを聴くと、いつもそのことが頭に浮かんでくる。最晩年の本作では、ヘロインの常用により、文字通り身も心もボロボロになっていたビリーの声が痛々しいばかりだ。音程は不安定で、声の艶も消えてしまっている。それでも、冒頭の曲で「I'm a fool to want you.」と歌いだすのを聴くと、心を強く揺さぶられてしまう。

 古いブルーススタイルをベースにしていたビリーは、それまでの女性ボーカルとは違う、新しいスタイルを築き上げていった。敬愛していたルイ・アームストロングやレスター・ヤングなどのホーンプレイヤーの作り出していたハーモニー的な要素も歌に取り入れていったのである。彼女は、「管楽器のように歌いたい」とよく口にしていたという。

 ビリーの歌う歌詞は、非常に辛く、悲しい内容が多い。当時の黒人たちが直面していた、ひどい状況を、時には明るいメロディにまでのせて歌っている。「奇妙な果実」でうたわれている、木にぶら下がっている奇妙な果実とは、リンチを受けて木に吊り下げられて殺された黒人のこと。
 ビリー自身、自分が歌っていた悲惨な歌詞の世界そのままを生きていた。未婚の母の子として生まれた彼女は、差別を受けたり、乱暴をされたりと、幼少から辛い道を歩かされていた。しかし、10代後半で、歌手としての評価を得ると、人気の高い楽団との競演を重ね、一気に知名度を上げていくようになる。歌い手として一時は高い評価を得ながらも、私生活では母親の死や、暴力を振るう男性の存在から、ヘロインを常用するようになっていく。結局、麻薬の不法所持で刑務所に送られてしまうようになる。ヘロインの常習者というレッテルを貼られたビリーは、キャバレー・カードを剥奪され、ナイトクラブでの出演の機会も奪われてしまう。過度のヘロイン服用とアルコール摂取により、声はボロボロになっていき、歌手としての生命もほとんど絶たれたも同然のようになっていく。
 
 このアルバムを録音したとき、ビリーはまだ43歳だったが、70過ぎの女性の声といっても通るほど、しわがれ、艶も失われている。悲しい内容を切々と歌うその姿には、ある種の諦念のようなものすら感じさせられる。だからこそ、詞の内容がグイグイと心にねじ込まれるようにして入ってくるのだろう。
  この翌年、早すぎる死を迎えてしまうのだが、ベッドで眠るように息を引き取っていたのを発見されたときも、死してなおヘロインの不法所持で逮捕されるという悲しい結末を迎える。

 長いことビリーの歌伴をしていたピアノのマル・ウォルドロンは、このアルバムでも半数ほどの曲に参加している。ビリーの死をいたみ、その喪失感を表現したマルの『Left Alone』は、ひとり取り残された悲しさと寂しさをを訴えかけてくる。そのマルも2002年にこの世を去り、むせび泣くようなアルト・サックスを吹いていたジャッキー・マクリーンも、最近、鬼籍に入ってしまった。

 ビリーの歌を聴くたびに、歌のもつ力とはなんなのかを、考えずにはいられない。人の心を揺さぶるのは、決して「うまさ」ではないのだろうと思う。

June 03, 2006

●上田 正樹と有山 淳司: ぼちぼちいこか

MasakiUeda_bochibochi.jpg

上田 正樹 (vo)
有山 淳司 (vo, g)
中西 康晴 (p)
藤井 裕 (b)
金子 マリ(chorus)
妹尾 隆一郎 (harm)

 昔から、音楽やオーディオなど興味のある分野については、関連する雑誌のほとんどに目を通すのが習慣になっている。特に音楽は、ミーハーなものを除けば、小学生の頃から主要な雑誌はほとんど見ているような気がする。最も、最近ではミーハーなものが多いので、手にする雑誌は限られたものとなってきている。

 このアルバムが発売された頃、今は廃刊になってしまった『新譜ジャーナル』や『Guts』といった雑誌に紹介されていたのは覚えている。当時は、アルバムの中から1-2曲、楽譜か歌詞プラスコード進行などが載っていることが多かった。たしか、「俺の借金、全部でなんぼや」という曲がのっていたように記憶しているが、歌詞だけを読むと完全なおちゃらけで、コミックバンドにしか思えず、聴いてみたいと思うこともなく忘れ去っていた。 
 そうこうしているうちに、気がつけば月日は流れ、上田正樹の名前は「悲しい色やね」の大ヒットで再び目にするようになった。おりしもAORブームが起こっていた時代ということもあり、都会的な大人の雰囲気のシンガーというイメージが、自分の中に植えつけられていった。

 ずっと忘れ去っていたアルバムを聴いてみようと思ったのは、有山淳司のギタープレイに関心があったからだ。少し泥臭いスタイルで、どんなギターを手にしても自分の音にしてしまう彼の演奏をたまたま見て、昔のものも聞いてみたくなったのだ。上田正樹の声も好きだったので、本作を手にしたのは自然の流れだった。
 「しまったぁ! もっと昔からちゃんと聴いておくんだったぁ」というのが最初の感想。確かに歌詞はコミカルな内容が多いが、演奏は素晴らしいし、コーラスもばっちり決まっている。何よりも、関西弁が実にブルースなどのスタイルにマッチしていて、ノリがよく、日本語の歌詞とは思えないほど。うまい人たちが、遊びの要素を持って楽しみつつ音楽をやっているのがなんともかっこよい。

 残念ながら、現在はこのCDは入手が難しくなっているようである。中古屋でリーズナブルな値段のものを見かけたらぜひとも手に入れてほしい。まだ、知らないうちに再発売となることも多々あるので、チェックをしておきたい。
 この時代で、ブルースの香りのする音楽を聴くのであれば、関西をベースに活動していた人たちのものは、絶対にはずせない。

 

May 31, 2006

●Back Street Crawler: Second Street

BackStreetCrawler_2nd.jpg

Paul Kossoff (g)
John ‘Rabbit’ Bundrik (key, vo)
Tony Braunagel (ds, vo)
Terry Wislon (b, g)
Terry Wilson Slesser (vo)

 ブリティッシュ・ロックを代表するバンドといえば、レッド・ツェッペリンやザ・フーなど、枚挙に暇が無いが、派手さにはかけるものの、どうしても気になっていたのがフリーだった。ヴォーカルのポール・ロジャース(最近ではクィーンのヴォーカルとして脚光を浴びていたが)を中心としたこのグループは、シンプルなスタイルながら、ズンズンと心に響いてくる演奏をしていた。
 フリーのメンバーでひときわ輝いていたのが、ギターのポール・コゾフ。ギブソンのレスポールを使い、ひたすら泣きまくるフレーズには、単なる哀愁を越えて、鬼気迫るものすら感じさせられた。コゾフ独特の深いビブラートは、ちょっと聞いただけでも彼だとわかるトレードマークようなものだ。
 「All Right Now」が大ヒットすると、フリーは一気にトップ・グループへと駆け登っていく。その一方、メンバー間の軋轢がだんだんと大きくなり、ついにはバンドを解散、それぞれが別のグループを編成して活動を開始する。しかし、いずれもあまりパッとした成果を挙げられなかったこともあり、わずか一年余りでオリジナルメンバー4人でフリーを再結成することになる。

 以前から、コカイン依存が強かったポール・コゾフは、再結成後、さらにドラッグに浸るようになり、だんだんと演奏活動も満足におこなえないようになっていく。この状況に嫌気をさしたベースのアンディ・フレイザーがバンドを脱退。さらに、ツアーでもコゾフはギターを弾けないようなことが続く。結局、ツアー途中に新しいギタリストを加えて演奏を続けて急場をしのいだりするが、バンドとして問題は山積みとなり、再度解散という結末を迎えてしまう。

 フリーの2度目の解散後、奇跡的に状態が回復したコゾフは新たなメンバーとともにソロアルバムをリリースする。このアルバムがなかなかの好評だったことに気をよくしたコゾフは、『バック・ストリート・クローラー』というアルバムのタイトルをそのままバンド名として、自身のバンドを正式に結成して演奏活動をしていくわけである。
 しかし、コゾフのドラッグ依存症はひどくなる一方で、バンドとしてわずか2枚のアルバムをリリースした後、移動中の飛行機内で、ドラッグ多用が原因となる心臓発作のため、わずか25歳の若さでこの世を去ってしまう。

 このアルバムは、バック・ストリート・クローラー名義の2枚目。コゾフが死んだ直後のリリースだったためか、邦題は『2番街の悲劇』というものだった。ジャケット裏に小さく、「KOSS(コゾフの愛称)に捧ぐ」とあるのが痛ましい。1枚目に比べると、コゾフのギターは少し控えめになっているが、オリジナル期のフリーの音楽性をストレートに受け継いでいる本作は、佳作といってよい出来だ。
 クレジットを詳細に見ると、ポール・コゾフ(リードギター)となっているのに気付く。つまり、リード以外はベーシストでもあるテリー・ウィルソンがギターを弾いているのである。おそらく、すべてのギターパートを弾くことができるほどには、コゾフのコンディションはよくなかったのであろう。1枚目では、ギターを弾きまくっていたのとは好対照だ。

 改めて、じっくりと聴きなおしてみると、アコースティック・ギターの使い方がうまいのに感心する。ツェッペリンなどにも感じるのだが、ブリティッシュのトラッド・フォークの演奏スタイルが刷り込まれているがごとく、ダークでウェットなブリティッシュ独特の雰囲気のアコースティック・ギターがなんとも言えず良い。同じロックでも、バーズなどのアメリカン・ウエストコースト・サウンドでは、とても粋なサウンドに仕上がっているが、ブリティッシュ・ロックとなると、やはりどこかにブルースの香りが残る、泥臭さがある。そして、それが魅力でもある。

 ジョン・メイオールのブルース・ブレイカーズに在籍していたエリック・クラプトンの演奏を聴いて、ロック・ギタリストを目指したというポール・コゾフ。その生涯はあまりにも短く、燃え尽きてしまった。1950年9月生まれのコゾフが、今、生きていれば55歳。でも、彼が上手にバランスを取りながら、器用にギターを弾く姿など、まったく想像できない。
 

May 29, 2006

●Stephen Bishop: Careless

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Stephen Bishop (vo, g, tb)
Andrew Gold (g)
Eric Clapton (g)
Lee Ritenour (g)
Larry Carlton (g)
Reinie Press (b)
Barlow Jarvis (key, p)
Larry Brown (ds)
Chaka Khan (chorus)
Art Garfunkel (chorus)


 サイモン&ガーファンクルを聴くようになったとき、彼らはすでに解散していてそれぞれのソロアルバムを発表していた。ちょうどアート・ガーファンクルがリリースした『愛への旅立ち』の中の何曲かが、とても印象に残った。その一つを作詞・作曲したのがスティーヴン・ビショップ(ステファン・ビショップ)だった。アートのアルバムに楽曲を取り上げてもらったことが縁で、スティーヴンは自身のアルバム製作にこぎつけ、発表したのが本作である。

 この時代、AOR(Adult Oriented Rock-日本だけの呼び方なので、アメリカに行ってAORといってもまったく通じない)と呼ばれる、都会的でおしゃれな雰囲気のあるポップスがはやり始めていた。時代的には多少の前後はあるものの、ボビー・コールドウェルや、それまでのブルースをルーツにしたハード路線から若干軌道修正をしていたボズ・スキャッグス、クリストファー・クロスやマイケル・フランクスなどが、このブームに乗って脚光を浴びるようになっていた。

 ソングライターとしてのスティーヴンの才は、本作に収録されている作品を、前述のアートのみならず、フィービ・スノウやケニー・ランキン、バーバラ・ストライザンドなどがカバーしていることからもうかがい知ることができる。レコーディングに参加したミュージシャンもそうそうたる面子で、当時、売り出し始めた新人のシンガーソングライターへのサポートとしては、ビックリさせられるほどのものだ。結局、このアルバムからはシングルヒットも出、グラミー賞にノミネートされるなど高い評価を得るようになった。その後、立て続けにアルバムを数枚発表した後、『アニマル・ハウス』、『チャイナ・シンドローム』等をはじめ、映画音楽も手がけるようになり、コンポーザーとしての評判も高めていった。映画そのものにも出演するケースもどんどんと増えていった。
 自身の音楽としては、90年代に1枚、2000年以降にも1枚と、ペースは落としているものの、活動自体は続いている。

 都会的で、独特のウィットを持ちながら、どことなくほろ苦いような感傷を感じさせるスティーヴンの世界。70年代終わりから80年代の初めにかけて自分の過ごした時代と、オーバーラップしてはいろいろな想い出が頭の中に浮かんでくる。

May 25, 2006

●Michael Hedges: Breakfast in the Field

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Michael Hedges (g)
Michael Manring (b)
George Winston (p)

 ウィンダムヒル・レーベルのギターもの、というと真っ先に出てくると誰もが思うのがマイケル・ヘッジスだろう。確かに、以前取り上げたアレックス・デ・グラッシに比べても、左手でのタッピングなどを初めとする斬新な演奏方法などからも、印象に強く残るプレイヤーだろう。好き嫌いは別にして、フィンガースタイルのインスト演奏をする人は、必ず一度はその演奏を耳にしているはずだし、コンテンポラリーな曲では、マイケルが礎を築いた演奏スタイルを何らかの形で取り入れたものも多い。

 初期の作品からすでに傑作が多いが、今回はファーストアルバムを取り上げてみたい。ここでは、アレックスのときと同じようにErvin Somogyiのギターを半数以上の曲で使用している。Ervinの工房にいたとき、マイケルのことを聞いたことがあったが、残念ながらアレックスの場合とは違って、マイケルはソモギギターを所有してはいなかったそうだ。

 ファーストアルバムを録音するにあたり、いいギターを探していたマイケルは、Windham Hillレーベルの主宰者ウィリアム・アッカーマンに相談したところ、Ervinとすでに面識があった、ウィリアムはすぐさま、彼の工房へと足を運んだ。たまたま、手元にあったギターをErvinは快くマイケルに貸し、そのギターを使ってこの作品の録音が始まったのである。

 70年代の終わりから80年代の初めにかけてのソモギギターは、現在のようなフィンガースタイル向きと限定されるようなものでは必ずしも無かった。しかし、マーティンを初めとする当時主流だった工場製のものと比較すると、鳴りや倍音の響きに大きな特徴があった。

 ギター演奏を始めて間もない段階では、いかに楽器を鳴らすかが大きな問題だ。しかし、どんどんレベルが高くなってくると、単に鳴らすだけではなく、響きを意図したようにコントロールできるかが重要なポイントとなる。鳴りのよい楽器であれば、必要に応じて、伸びている音を止める(ミュートする)というテクニックが不可欠なのだ。この点から考えると、Ervinの楽器は、その鳴りと倍音ゆえ、一般的な楽器よりもきちんとしたミュートのテクニックが無いと、いつまでもだらしなく音が鳴り響いてしまい、曲の進行感やハーモニーにも問題が出てきてしまう。

 マイケルは、実は、この作品以降はErvinの楽器はほとんど使わず、マーティンなどの楽器をメインに使用することになる。ひょっとすると、マイケルのように左手でも弦をはじいて音を出すスタイルでは、自由に音をミュートするのが難しいということが、その背景にはあったのかもしれない。

 1曲目に入っている「Layover」は、以前楽譜にもなっていたことがあり、マイケル好きの人が比較的簡単に挑戦する曲である。1998年に、サンフランシスコからゴールデンゲート・ブリッジを渡ってしばらく行ったサン・ラファエロという街でギターの展示会があった時の事である。Ervinのアシスタントとして私も会場で手伝っていたところ、中国系アメリカ人の男性が、ブースにやってきて試奏させて欲しいといった。彼がおもむろに弾き始めたのが、この「Layover」だった。ほとんどノーミスで完璧に近い演奏に、Ervinともどもビックリしたものだった。途中で、演奏を聴きつけて、少しずつギャラリーが集まるような状態になっていた。

 弾き終わった後、「一度、マイケルが実際にレコーディングで弾いたソモギ・ギターでこの曲を弾いてみたかったんだ」と彼がいったのを聞き、わずかその半年くらい前に交通事故でこの世を去ったマイケルの根強い信奉者がどこにでもいることを実感した。
 集まったギャラリーの中には、サンフランシスコをベースに演奏活動や、ライブの企画で中心的な働きをしているブライアン・ゴアというギタリストがいた。彼は、すぐさまその男性に声をかけた。「オリジナルの曲はないの? あれば、今度やるライブに一緒に演奏しないか。」と。しかし、彼の答えは、「オリジナルの曲はないんだ・・・。ただ、好きな曲をコピーして弾いているだけだよ。」というものだった。

 ブライアンにしてみれば、これだけギターが弾けるなら、自分で作った曲を演奏していてもおかしくは無いと思ったようだ。横で聞いていた私は、なんとなくこの中国系アメリカ人に、日本人にも通ずるようなメンタリティを感じ、共感できるものがあった。
 でも、今なら少し考え方が違う。うまくギターが弾けるようになるのは、自分にとっては楽しいことである。しかし、人の心を動かすのは、表現としての音楽で、演奏テクニックではない、と。
テクニック云々とはまったく別の次元において、オリジナルとしてのマイケルの素晴らしさ、すごさは筆舌に尽くしがたいものがある。

 

May 23, 2006

●Fleetwood Mac: English Rose

FleetwoodMac_english.jpg

Peter Green (g, key, ds)
Mick Fleetwood (ds)
John McVie (b)
Jeremy Spencer (g, vo)
Danny Kirwan (g, vo)

 中学生の頃、土曜の晩は兄とトランプゲームをして過ごすことが多かった。看守と囚人が一晩中やっていたというジン・ラミーというゲームだったのだが、ラジオの「アメリカン・トップ40」という番組を聴きながらというのが常だった。
この番組は、その名の通りアメリカのヒットチャートの曲をどんどんかけるわけで、当時はフリートウッド・マックの『噂』というアルバムからのシングルカット曲などがチャートをにぎわせていた。スティービー・ニックスの甘く、とろけるようなボーカルがなかなか魅力的だったが、甘口のロック・ポップスという印象は否めなかった。

 そんな印象が強かったので、ほとんどフリートウッド・マックを聴くことはなかったのだが、あるとき、サンタナの「ブラック・マジック・ウーマン」のオリジナルは、フリートウッド・マックで、当時在籍していたギタリストのピーター・グリーンが書いた曲だと聞いた。どうしても、スティービーの歌声とこの曲のイメージが結びつかなかったので、いずれちゃんと聞かなきゃと思いながら時間だけがどんどん過ぎていった。

 結局、このアルバムを手にしたのは数年前なので、20ン年越しの出会いとなるのであるが、お目当ての曲のみならず、ブリティッシュのブルース・ロック・スタイルを代表するといってもいいような名演がいっぱいだ。今風の音作りからすると、密度も低く、音圧も高くないのだが、「音楽はこうでなくちゃ」とわくわくさせてくれるものがあるのだ。頭で考えて、どんどん作品として仕上げていくのではなく、演奏の場(レコーディングの場)に漂っていたであろうオーラがそのまま、聴くものにも伝わってくる。

 そもそも、このバンドのルーツをたどれば、、ベーシストのジョン・マクヴィーはオリジナルメンバーだったジョン・メイオールのブルース・ブレイカーズと密接な関係がある。この伝説的なブリティッシュ・ブルース・ロックバンドのギターがエリック・クラプトンからピーター・グリーンへと、そして、ドラマーとしてミック・フリートウッドが加わり、この3人がジョン・メイオールと決別をしてフリートウッド・マックを結成する(ブルース・ブレイカーズのメンバー変遷は複雑で、どの時期に誰が誰と一緒だったのかなどの詳細については私は把握していない)のである。したがって、クリームやヤードバーズ、さらにはジミ・ヘンドリックスなどから音楽的な影響を受けたバンドであっても何ら不思議は無い。
 ドラッグを多用していたピーターは、このアルバムを発表してまもなく、バンドを離れソロ活動をおこなうようになるが、目立った活躍をあげることなく、精神のバランスを崩していくようになってしまい、だんだんと表舞台での音楽活動をおこなえなくなっていく。ほとんど音楽界で、彼の音沙汰を聞くことがなかったが、どうやら最近、再び音楽活動を再開したといううわさも届いている。

 一瞬の輝きをはなったブルース・ロックバンドとしてのフリートウッド・マックの頂点は、本作をおいてほかにはない。強烈なインパクトのジャケット写真にひるむことなく、このアルバムを手にして欲しい。

May 21, 2006

●Pat Metheny: Pat Metheny Group

PatMetheny_PMG.jpg

Pat Metheny (g)
Lyle Mays (p, key, autoharp)
Mark Egan (b)
Dan Gottlieb (ds)

 パット・メセニーを最初に聞いたときのことは、あまり覚えていない。おそらく、このアルバムが発売された頃、日本でもだんだんと注目されていたはずだが、ギター関係の雑誌ではよく取り上げられていた。その中で、一番印象的だったのが、機材に関する話である。当時は、レコーディングの現場などでのみ使われていた、レキシコンのプライムタイムというディレイをステレオで使って、不思議な音の広がりを作るという話である。今でこそ、ギター用のコンパクトタイプではないものをラックに入れてライブに使うことは珍しくは無いが、その頃は、こんなことを考えて、実際にやってしまうとは、「なんてクレイジーなんだ」と思ったものである。

 パットが音楽を志すきっかけとなったのが、13歳のときに見たヴィブラホン奏者ゲイリー・バートンのグループを地元で見たときのことだったという。当時、このグループには若き日のラリー・コリエルが参加しており、おりしもジャズとロックを融合したスタイルのギターを弾きまくっていたのである。その後、フロリダをベースに音楽活動をおこなう中、ジャコ・パストリアスなどともつながりを持つようになっていく。

 ECMからの3作目に当たる本作で、初めて「パット・メセニー・グループ(PMG)」という名称を使うようになる。現在では、ライル・メイズとの共演に限り、PMGとクレジットするということである。ECMを離れた辺りから、グループの編成も変わっていき、ワールド・ミュージック的な要素も取り入れた、グループトータルのサウンドメイキングがより鮮明になっていくのに対し、この時代の作品は、シンプルな編成ながら必要な音が必要なだけあるという印象を受ける。
 ライルはピアノ主体の演奏で、時折、キース・ジャレット風のフレーズが飛び出したりするのも、なんともおかしい。ECMならではのことなのかもしれない。マーク・イーガンはジャコに並ぶフレットレス・ベースの使い手として知られているが、ジャコを意識しつつも、フレージングやハーモニックスの使い方など、独特のスタイルを感じさせる。パットは、空間系のエフェクトを多用しているものの、決して線は細くなく、パワフルな演奏を聞かせてくれる。
 ちなみに、国内盤では1曲目の邦題『思い出のサン・ロレンツォ』がそのままアルバムタイトルになっている。

 最近のパットの演奏は今ひとつ、と思っている人で、よりジャズ色の強いものを好む人にとって、この時代の演奏はしっくり来るはずだ。すべての要素を計算しつくしたような現在のスタイルも素晴らしいが、このアルバムのように少数の実力派メンバーで、思い切り自由に演奏するのも聴いてみたいと思う。

May 19, 2006

●Hermeto Pascoal: Slaves Mass

HermetoPascoal_slaves.jpg

Hermeto Pascoal (p, key, g, ss, fl, vo)
Ron Carter (b)
Alphonso Jonson (b)
Airto Moreira (ds, per, vo)
Chester Thompson (ds)
Raul de Souza (tb, vo)
David Amaro (g)
Hugo Fattoruso (vo)
Laudir de Olivera (vo)

 いつの頃か、ブラジル音楽がとてもしっくりと合うようになって来た。ポルトガル語の柔らかい音感と、比較的抑揚を抑えて淡々と弾くナイロン弦ギターによる音楽は、とても心地よいものだ。同じブラジルでも、非常にスピード感にあふれ、ピンと張り詰めた緊張感を前面に出した音楽もある。以前、紹介したエグベルト・ジスモンティはその筆頭とも言ってよいが、もう一人、忘れてならないのが、このエルメート・パスコアールだ。

 今考えてみると、高校生の頃、東京田園調布の田園コロシアムでおこなわれていた「ライブ・アンダー・ザ・スカイ」というライブイベントは、その後の私の音楽との関わりを大きく左右するものだった。自分の聴いてきた音楽を振り返りながら文章を書いてみると、そのことを強く実感する。

 エルメートは1979年のライブ・アンダー・ザ・スカイに出演していた。ブラジリアン・ナイトと銘うち、ブラジルの歌姫エリス・レジーナとの共演である。当時の私は、チック・コリアやアル・ディ・メオラしか眼中に無く、「ブラジリアン・ナイト?! みんなでサンバ演奏かぁ。」と高をくくっていた。もちろんお金に余裕の無い高校生のこと、さして関心の無いコンサートに足を運ぶことなど無かった。今思うと、本作を発表して間もない時期だったので、脂の乗り切った時期の演奏だったに違いない。
 ライブのパンフレットでみたエルメートの写真は、怪しげな初老の巨体で、「奇才」という形容詞がピッタリの風貌だった。色素欠乏症のため、このとき40歳そこそこにもかかわらず年老いたように見えたのだったということを知ったのは、ずいぶん後になってからだった。

 マルチ・インストゥルメンタル・プレイヤーとして名高いエルメートは、本作でも鍵盤楽器、管楽器そしてギターとマルチぶりを存分に発揮している。あるときはアンサンブル全体がものすごいスピードで疾走し、混沌とした淵へと飛び込みそうになったり、また、ある時はフルートのみの演奏に声やパーカッションによる不思議な効果音がからんできたり、彼の楽曲の展開は、聴くものに息をもつかせぬほどのものだ。かといって、難解なフリーフォームへと突入するのではなく、メロディアスなフレーズも随所にちりばめられている。

最近になって、数年前に何度か来日をしていたことを知った。そのときの演奏も素晴らしいものだったそうだ。今年、70歳を迎えるエルメート。次に日本での演奏があるならば、見逃せないものになることは間違いない。

May 18, 2006

●鈴木 大介: どですかでん

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鈴木 大介 (g)
渡辺 香津美 (g)
岩佐 和弘 (a-fl)

 大学時代に武満徹に傾倒してたY君が、「真っ先にこれを聴かなきゃ」といって薦めてくれたのは、『ノヴェンバー・ステップス』だった。ニューヨーク・フィルの指揮者だったレーナード・バーンスタインからの依頼されて作曲した交響曲で琵琶と尺八をオーケストラと組み合わせるという、独創的な曲であった。しかし、その曲を聴きながら、どうしても私には東洋的な部分が西洋のオーケストラに馴染んではおらず、強い緊張感が伝わってくるものに感じられ、正直なところあまり入り込んで聴くことができなかった。後になって、武満自身が書いた文章で、東洋の日本人である自分が西洋の音楽をやることに対するディレンマのようなものも吐露しているのを読んだとき、「あのときの感想はあながち見当違いでもなかったのでは・・・。」と思った。

 どうしても難解な現代音楽の代表的な作曲家というイメージが強かった武満だが、実際は、ポピュラー音楽、ジャズを始め、歌謡曲や演歌など大衆音楽にも精通しており、仲間内での集まりなどでは、ビートルズの曲を口ずさむこともあったという。確かに、いろいろと調べてみると、映画音楽もあれば、谷川俊太郎などの詩を載せた曲を石川セリや小室等が歌っているものなどがあり、実に美しいメロディがスッと耳に入ってくる心地よさがある。

 「ギターという楽器には限りない可能性があり、同時に限界もある。だからこそ僕はこの楽器に惹かれるんだ。」といっていた武満。ギターのための曲も数々と残している。本作は武満が「今までに聴いたことがないようなギタリスト」と称した鈴木大介が、あるときはソロ、あるときは異種格闘技ともいうべく渡辺香津美を迎えてのデュオ、またあるときはアルトフルートとの共演という、バラエティに富んだ構成となっている。きれいで印象的なメロディラインに対し、実に複雑に内声を動かしたり、複雑なハーモニーをのせたりと、武満徹の素晴らしさはポピュラーな楽曲でもあふれ出ている。同時に、演奏者の武満へのリスペクトが痛いほど伝わってもくる。


TakemitsuSuzuki_guitar.jpg

 このアルバムの中で、重要な位置を占める作品が「ギターのための12の歌」である。初演は1977年で荘村清志によるものであった。誰もが耳にした事のあるメロディを、微妙な不協和音を交えたり、フレーズとフレーズの間に「間」をもたせたり、さまざまなギターの音色を使い分けたりと、編曲者としての武満徹のすごさをじっくりと聴くことができる。鈴木大介は『武満徹:ギター作品集成1961-1995』(右ジャケットの作品)でこの作品を初めて録音するが、収録時間の関係で、本来指示されているリピート部分などを省略せざるをえなかったという。そんなこともあり、より完全に近い形でこの作品を録音したいという気持ちから、本作に再び収録されるようになったといういきさつがある。

 若いギタリストの台頭に大いに期待しつつも、武満は生前に鈴木の生演奏を聴くことはかなわなかった。しかし、病床に伏しながらも彼の演奏テープを繰り返し聴いていたという。この作品のギターを聴くと、離れた存在に感じていた武満徹の音楽が、グイグイと身近に引き寄せられる。

May 17, 2006

●Singers Unlimited, The: A Capella

SingersUnlimited_acapella.jpg

Gene Puerling (vo)
Don Shelton (vo)
Len Dresslar (vo)
Bonnie Herman (vo)

 サラリーマン時代、お世話になった先輩が定年退職を迎えたときのことである。60歳の誕生日が退職日となるのであるが、当時の直属の上司から、退職記念パーティの企画を取り仕切るように言われた私は、これまでのパーティとは違った内容を盛り込もうといろいろ考えた。なかなかいいアイディアが出ずに悩む日が続いたが、あるとき、パッと思いついたのがアカペラのコーラスだった。男性4部のコーラスで、ダーク・ダックスやデューク・エイセスのようなものではなく、もっとおしゃれな構成のものだ。
 「やはり、ジャズ・コーラスでしょう」ということで、なんでも理屈から入る私は、さっそくジャズ・コーラスの本を数冊買い込み、コンピューターソフトで和音をチェックしながら4声のパートを考えていった。誕生日ということなので、思いっきりベタな選曲で「Happy Birthday」。これを思いっきりおしゃれにするというのがこのときのテーマだった。
 さすがに経験したことのない世界だったので、なかなか進まない。ジャズ・コーラスグループの演奏も片っ端から聴いていった。もともとよく聴いていたManhattan Transfer(男声2、女声2)や、男性ジャズ・コーラスの新しいスタイルを完成させたというFour Freshmenなどは、アレンジをする上でとても参考になった。

 そんな中、繰り返し聴いたのがこのアルバム。女声が入っているので、直接自分たちのアレンジに取り入れたわけではないが、メロディラインに対する内声の動かし方などは本当に勉強になった。マンハッタン・トランスファーはインストもののオリジナル演奏を、ヴォーカルでフレーズ完コピという独自のスタイルを築いていた。フォー・フレッシュメンはとても端正な和音の積み上げで、もはやジャズ・コーラスのニュー・スタンダードといってもよいほど完成されたものであった。一方、シンガーズ・アンリミテッドは一曲の中でもリズムやコーラス編成の変化が豊かで、飽きさせない。ビートルズナンバーを筆頭に選曲もおしゃれで、複雑な和音を安定して聴かせてくれる本作は、アカペラコーラスを聴く際の導入部としても最適だろう。

 話を元に戻そう。
 何とかコーラス・アレンジを終えると、同じ研究室で音楽経験のある3人の先輩に声をかけ、それぞれ個人練習をしてもらった上で、仕事が終わった後の全体練習を重ねること数週間。何とか形になり、本番当日を迎えた。4人が皆、ブラックスーツに蝶ネクタイといういでたちでコーラスをお披露目し、暖かい拍手をいただくことができた。
 その後も、定年退職パーティーといえば、アカペラコーラスというのが続き、数回の出番があった。私は会社を離れ、コーラスに参加した先輩諸氏もそれぞれ偉くなって所属が変わってしまった今、あのアレンジで、あの歌を歌う人はいないのだろう。

May 16, 2006

●Noa & Gil Dor: Live

Noa_live.jpg

Noa (vo, g, per)
Gil Dor (g)

 イスラエルの歌姫、ノアは本名Achinoam Nini(アヒノーム・ニニ)、1969年テル・アビブ生まれ。生まれてまもなく、家族そろってニューヨークへと移住し、8歳頃から作曲活動を始めたという。その後、ハイスクール在学中に、生まれ故郷のイスラエルに戻り、音楽活動に本腰を入れていく。
 90年代に入り、本作でも競演をしているギタリストのGil Dorと出会ったのが、彼女にとっての大きなターニングポイントとなったようである。Pat Methenyと知り合ったギルはノアを彼に引き合わせ、当時パットが在籍してたGeffen Recordsから『Noa』をリリースするきっかけを作る。このアルバムは、パットと、パット・メセニー・グループ(PMG)の中心メンバーでもあるベーシストのスティーブ・ロドビーがプロデュースを行い、ライル・メイズも参加しており、PMGをバックにノアが歌うといった感じの仕上がりになっている。

 『Noa』は国際マーケットへと登場し、私も東京のCD専門店で"お薦め盤"として紹介されていたので、初めて目にしたわけである。当時は、かなりパット・メセニーに入れ込んでいたため、ノアという歌手よりもPMGメンバーの演奏に注目していたのだが、クリアーながらパワーもあるノアの声は惹きつけてやまないものがあった。

 その後も、お店でノアの名前を見つけるとなるべく手にするようになっていたが、ギタリストと二人での共演盤ということで、期待を膨らませつつ本作を購入した覚えがある。その期待を裏切ることなく、ギルのギターと、時折ギターやパーカッションも演奏するノアのボーカルというシンプルな構成ながら、伸びやかな歌声は魅力がいっぱいだ。突然ひずんだ音のギターで ジミ・ヘンドリックスのフレーズを弾くギルの遊び心にも思わずニヤリとさせられてしまう。ヘブライ語で歌われるオリジナル曲はもちろんのこと、ビートルズのナンバーやマドンナの曲なども、完全に自分のものにして、新しい姿に歌い上げている。

 日本盤が発売された95年以降、しばらくはノアの作品は簡単に入手できたが、残念なことに、本作を国内で入手するのは難しいようである。ちなみに本作は1991年の録音で、『Noa』よりも古い作品である。少し探してみると、ジャケットデザインは違うが同じ内容のアルバムがアメリカの通販サイトで入手できるみたいだ。2005年にはギルと弦楽四重奏の演奏をバックに歌ったコンサートのDVDも出ているようで、いずれチェックしてみたい。

 ノアに関する情報は、なかなか日本に入ってこないが、このアルバムのようなシンプルな編成でのライブをぜひとも見てみたいものだ。

May 11, 2006

●Charlie Mingus: Pithecanthropus Erectus

CharlieMingus_Pithecanthropus.jpg

Charlie Mingus (b)
Jackie McLean (as)
J. R. Monterose (ts)
Mal Waldron (p)
Willie Jones (ds)

 「怒れる黒人」というのが、全盛期のチャーリー・ミンガスのイメージだ。人種差別問題に対し、抗議の声をあげ、社会的なメッセージを含んだ曲を数多く作り、演奏をしてきた。ベーシストという性格もあるかもしれないが、ミンガスが目指したのは、集団即興演奏と呼ばれるグループ表現だった。アルバムのタイトルともなっている「Pithecanthropus Erectus(直立猿人)」では、この実験的な要素が、高いレベルで結実している。"進化"、"優越感"、"衰退"、"滅亡"と題された四部構成のこの曲は、たった5人で演奏しているとは思えぬ重量感にまず圧倒される。フリーフォームでそれぞれが勝手な方向に走り始めるかと思うと、破綻をきたす一歩手前で突然の調和が訪れる。その緊張感と安堵感の繰り返しこそが、ミンガスの強さをイメージ付けるものなのだろう。

 黒人のメッセージを世に発するジャズメンという点では、デューク・エリントンと対比されることも多いが、ミンガスの場合は、強烈な社会風刺と皮肉がこめられたメッセージとなって外に向うことが多かった。そのため、いろいろな面で敵も多かったという。さらに、大きな体から容易にイメージされるように腕っ節も強く、しょっちゅうバンドメンバーとも衝突をしていた。怒りながらピアノのふたをガチャンと閉め、ピアニストが危うく手を傷つけてしまいようになったり、トロンボーンプレイヤーの顔面を殴ったりと、その方面の話題には事欠かなかった。

 そんなミンガスもパーキンソン病を患い、晩年は大きな体を車椅子に沈めてすっかりと弱々しい姿となってしまった。最晩年には、当時のアメリカ大統領ジミー・カーターに声をかけられて、感極まって泣いている姿には、若き日の「怒れる巨人」の面影はまったく感じられなかった。しかし、このアルバムで地の底から響いてくるようなベースの音は、紛れも無いミンガスの力をわれわれに伝えるものだ。

May 09, 2006

●Alex de Grassi: Southern Exposure

AlexdeGrassi_southern.jpg

Alex de Grassi (g)

 スティール弦ギターでのインストゥルメンタル演奏をポピュラーにしたことに貢献したレーベルとしてWindham Hillをあげることに異論を唱える人は少ないだろう。1970年代半ばに、スタンフォード大学のあるパロ・アルトでWilliam Ackermanが立ち上げたレーベルは、ピアノのジョージ・ウィンストンを初めとする、アメリカのフォークの伝統を持ちつつ、ジャズやクラシックの要素を取り入れた良質な音楽を演奏する仲間たちの活動を、世の中に伝えていこうとすることがベースとなっていた。

 アレックス・デ・グラッシは同じベイエリアにある公立校の雄、カリフォルニア大学バークリー校(ちなみにスタンフォードは西海岸を代表する私学)で地理経済学を専攻していたが、卒業を間近に控えた時期、いとこのウィリアム・アッカーマンが立ち上げたウインダムヒル・レーベルからギター演奏による作品『Turning: Turning Back』をリリース。この作品が好評だったこともあり、彼はギタリストとして一本立ちしていくことになる。

 アメリカを代表するギター製作家、Ervin Somogyi(日本ではアーヴィン・ソモギと呼ばれているが、英語ではソモジという音の方が近い。但し、Ervinによれば、彼の母国であるハンガリーではショモジと発音するので、どちらにせよもともとの発音とは違うということだ)は、70年代後半からギター製作に本格的に打ち込み始めるが、スティール弦の個人製作家というのは、それまでに前例がほとんどなく、苦戦を強いられていた。
 そんな折、同じベイエリアでの新興音楽勢力ともいえるウィンダムヒル・レーベルが立ち上がり、ウィリアム・アッカーマンがアーヴィンのギターを使い始めるようになる。ウィンダムヒルのギタリストたちは、ウィリアムから「今までに無い、素晴らしい音のギターがある」と、アーヴィンのギターを紹介され、次々とレコーディングに使うようになっていった。

 アーヴィンにとっては、早い段階で、自分のギターを愛用してくれたアレックス・デ・グラッシとダニエル・ヘクト(彼は『Willow』というアルバム一枚だけを同レーベルからリリースしている。現在はギター演奏をおこなっておらず、作家として活動しているらしい)は、特に思い入れがあるようで、工房には80年代前半に二人がおこなったコンサートのポスターを飾っていた。もちろん、二人ともアーヴィンのギターを手にして写真に写っている。

 本作は、アレックスにとっては4枚目のアルバム。初期の作品に比べると、演奏スタイルも熟成されてきている。楽曲の構成はクラシックの雰囲気もあり、ヨーロッパ的な香りがするのも面白い。空間系のエフェクト(おそらくコーラスかハーモナイザーの類と思うが詳細は不明)を効果的に使っているので、音のバリエーションも楽しめる。ただ、ギターを作る側から言えば、生音の素晴らしいアーヴィンの楽器を使っているだけに、加工をしない音をもっと聞かせて欲しかったのは正直な気持ちだ。

 AlexdeGrassi_retrospective.jpg 残念なことに、本作は現在入手困難になっているようである。手に入りやすいものとしては、Windham Hillレーベルでのベストアルバム『A Windham Hill Retrospective』を変わりにあげておく。『Southern Exposure』を含む過去4作とウィンダムヒル・アーティストのライブ盤からの選曲で、アレックスのウィンダムヒルでの演奏を知るには最適であろう。
 いい作品が、コンスタントに入手できるような状況をぜひとも作ってもらいたいものだ。

 アレックスは現在もベイエリアをベースとして演奏活動をおこなっている。新しい作品もなかなか評判がいいようなので、機会を見て聴かなければと思っている。

May 08, 2006

●Paul Simon: Song Book

PaulSimon_songbook.jpg

Paul Simon (g, vo)

 サイモン&ガーファンクルを聴くようになったのは中学生の頃で、すでに解散してから数年たち、二人それぞれがソロアルバムを発表していた。解散に至る経緯なども含め、音楽界としても振り返る余裕ができたこともあってか、ラジオでかぜ耕士(当時、ニッポン放送の深夜番組「たむたむたいむ」の人気パーソナリティーだった)がナレーションで「サイモン&ガーファンクル・ストーリー」という連載番組(半年以上続いたように記憶している)を放送していた。その時代ごとの二人にまつわるエピソードを交えながら、当時の曲をかけるという番組だった。ポール・サイモンとアート・ガーファンクル、そしてプロデューサーのロイ・ハリーの間のずれがどのように生じていったのかなどについても触れていた。

 マイク・ニコルズ監督の『卒業』の音楽を全編担当することで、二人の評価はゆるぎないものになっていったが、その一方で、アートが一時的に音楽から離れ、役者としてマイクがメガホンを取った『キャッチ22』や『愛の狩人』へと出演することになったのは、なんとも皮肉にようにも思える。当時は、マイクやアートが映画へ移行しなければ、この素晴らしいデュオが解散には至らなかったのに、とずいぶんとアートに対して悪い印象を持ったものだ。

 さて、本作はS&G名義で活動を始めて間もない頃、ポールが一人で全編弾き語りでおこなった録音。ファーストアルバムが不振だったことに失望したポールはしばらくイギリスに渡り、しばらく書き溜めていた曲を一人でレコーディングする。ギター一本にボーカルというシンプルな構成は、取り上げている楽曲の影響も大きいが、ファーストアルバム『水曜の朝、午前3時』と通ずるものを強く感じさせる。美しいメロディにのせて淡々と、また、あるときは激しい口調の歌声は、強いメッセージ性を含むものである。

 ポールとアートの二人とはまったく別に、ファーストアルバムに収録されていた「サウンド・オヴ・サイレンス」にエレクトリック・ギターやドラムスをかぶせて編曲し、シングルリリースされたものが大ヒットとなったことはよく知られていることだが、失意の底にありながらポールが製作したアルバムとはまったく違うサウンド、当時流行しつつあったフォーク・ロックスタイルの編曲が世に受けたということは、なんとも皮肉である。

 本作は、長らくCD化されなかったが、2004年にようやくリリースされた。オリジナルのLPに対して、CDのジャケットでは写真が裏焼きになっているように使われている。ひょっとすると、オリジナルのものが裏焼きで使われていたのかもしれないが、アルバムタイトルの字体なども変更され、昔のカシッとしたデザインとはずいぶんと趣きが変わった。いずれにせよ、貴重な音源を再びCDで聴くことができるのは嬉しいことだ。

May 07, 2006

●John Abercrombie: Arcade

JohnAbercrombie_arch.jpg

John Abercrombie (g, e-mandolin)
Richie Beirach (p)
George Mraz (b)
Peter Donald (ds)

 長いことCD化を待ち望んでいたものが、ある時、突然リリースされることがある。そのため、時折CD通販サイトをチェックしなければと思っている。本作もそんなものの一つだ。ここでも何回か言及したECMレーベルの作品だが、考えてみると、初めて買ったECMのレコードがこれだった。

 ジョン・アバークロンビーは派手さは無いものの、玄人好みのギタリストといえるだろう。このアルバムはLPで発売されたときの邦題が『マジカル・フィンガー』。「驚異のテクニック」といったようなキャッチコピーがついていたように記憶している。ここで、再三書いているが、この類のコピーにはめっぽう弱かった高校生時代の私は、なけなしの小遣いをはたいて手に入れたのであった。確かにすごいテクニックではあった。ただ、あまりにも流暢に音が流れていくので、弾きまくるという印象はまったく感じなかった。それよりも、ディレイを多用するジョンのギターの音や、リッチー・バイラークのピアノ、そして時折アルコ奏法を交えたジョージ・ムラーツのベースは非常に透明感があり、ユニットのまとまりの素晴らしさが目立った。ドラムスのピーター・ドナルドはあまりよく知らないが、ルー・タバキンなどと演奏をしていたようである。ここでは、他の3人が作り出す音空間に溶け込むようなシンバル・ワークがとてもよい。

 不幸なことに、ECMのマンフレート・アイヒャーと、当時はこのレーベルで中心的な活動をしていたリッチーは、このアルバムをきっかけに、音楽面での確執が表面化し、しばらくして袂を分かつことになってしまう。アイヒャーにとって、この問題は思いのほか大きかったようで、ジョン名義でリッチーが参加した3枚のLPはECMのリストから抹消されてしまうという結末を迎える。その経緯を考えると、本作がCDとなって再び日の目を見るようになったことは、本当の驚くべきことであろう。

 ジョンの一聴するとつかみどころが無く、浮遊感の漂うギターと、ビル・エバンスの流れを汲み、リリカルでありながら、時折きらめくようなフレーズが輝いているリッチーのピアノが、素晴らしくマッチしている。ジャンは、この後にもマーク・ジョンソン、ピーター・アースキンとのレギュラートリオでも素晴らしい演奏を残しているが、音楽的な完成度の高さでは、本作が一押しだ。

May 06, 2006

●Martin Simpson: Leaves of Life

MartinSimpson_leave.jpg

Martin Simpson (g)
Eric Aceto (violect Mandolect)

 Ervinの工房で修行をしていたとき、何人かに素晴らしいギタリストと出会うチャンスがあった。マーティン・シンプソンもその中の一人。1999年当時は、カリフォルニアからニューオリンズへと移り住んでいたが、ベイエリア(サンフランシスコ近辺)でイベントがあると、Ervinのところへいつも顔を出してた。英語特有の表現ではあるが、Ervinはマーティンのことをとてもリスペクトしていて、「彼と同じ空気を吸っていると思うだけで、光栄だ」」といつも言っていたことを思い出す。

 イングランド生まれのマーティンは、ケルト音楽など、伝統的なものをベースにしつつも、アメリカのブルースやカントリーの要素も加えた独特のスタイルを作り上げた。最初に手にしたのはバンジョーで、時折、弦をはじくようにしてパーカッシブな効果を狙ったギターの弾き方も、クローハンマースタイルというバンジョーの奏法を元にしたものだという。ちょっとダミ声っぽいボーカルも魅力的だが、やはりすごいのはギター演奏そのもの。情感のこもったスローな曲から、クローハンマーを駆使したドライブ感あふれるものまで、とても多彩でまったく飽きさせることが無い。本作は、Shanachieレーベルから出した最初のアルバムで、ギターの魅力を前面に押し出したもの。ちなみにエリックの演奏しているViolectとMandolectとは、彼のオリジナルデザインの楽器で、エレクトリック化をした、バイオリンとマンドリン。いずれも、エリック自身が製作したものだという。

 現在は、ニューオリンズを離れ、再びイングランドを拠点に活動をおこなっているマーティン。奥さんのジェシカとのおしどり夫婦ぶりも、とても素敵で、一緒に演奏しているアルバムもいい。彼の演奏を聴くと、「天賦の才」の意味がしっかりと伝わってくる。

May 04, 2006

●Joyce: Feminina/Agua e Luz

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Joyce (vo. g)


 音楽をジャンル分けすることに意味はほとんど無いのだが、どこの音楽が一番好きかといわれると、「ブラジル」と答えたくなる。知らないうちに耳に飛び込んできたボサノバなどを別にすれば、一番最初にブラジル出身プレイヤーの音楽として意識しながら聞いたのは、エウミール・デオダートの『ツラトゥストラはかく語りき』だった。おなじみのメロディを、とてもおしゃれなコードワークとリズムでまったく違うものに仕上がっていてとってもかっこよかったことを覚えている。その後、ボサノバを含めたギターものにもだんだんと自分から手を伸ばしていき、素晴らしいプレイヤーをどんどんと知るようになる。

 ジョイスは、60年代終わり頃から活動を続けているブラジルの女性アーティストの中心人物の一人。本作は80年発表の『フェミニーナ』と81年発表の『水と光』のLP2枚を、1枚のCDに収録したもので、初期の代表的な作品。残念ながらパーソネル(参加ミュージシャン)はわからなかった。時にしっとりと、時に縦横無尽に駆け回るようなジョイスの歌とスキャットは、今聴いてもまったく色あせていない。
ジョイスの声は、透明感がありながら「ざらついた」テクスチャーを感じる。心地よくすっと入ってきて、すっと出て行くのではなく、ざらついた部分が自分の中に引っかかっていくような感じなのである。

 90年代に入ると、ロンドンでのクラブシーンでジョイスの人気が再び高まり、日本のクラブなどでもさかんにこのアルバムの曲がかけられるようになった。ちょうどこの頃、来日したジョイスを見にブルーノート東京に出かけたことがあったが、観客には若い20代前半の人が目立っていたのにはビックリした。このときは、ギターにトニーニョ・オルタをひきつれてという豪華な布陣で、ステージ中央にスッと立ったジョイスはとてもかっこよかった。定番のナンバー「Samba de Gago」では、観客と一体となったスキャットで雰囲気は最高潮。日ごろクラブシーンにはほとんど関心を持っていないが、どんな形にせよ、いい音楽を知るきっかけとなるのであれば、それもまた良しという思いを強くした。

May 02, 2006

●John Williams: From The Jungles of Paraguay

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John Williams (g)

 クラシック・ギターを現在のような形まで引き上げた最大の功労者は、アンドレス・セゴビアである。それまでは、ギターは小さい空間でのみ演奏される楽器という認識しかなかったが、ギター製作者、作曲家たちに積極的に働きかけ、コンサートホールでの演奏に耐えうる楽器と、ギターの特性を生かしたレパートリーの拡大に、尽力したその功績は計り知れないものがある。同時に、後進の教育にも非常に熱心で、彼の元から数々の素晴らしいギタリストが誕生した。
 ジョン・ウィリアムズはオーストラリア生まれ。ジャズ・ギタリストの父親の影響もあり、幼い頃からギターを弾き始める。その後、イギリスのロンドンへ移り住み、14歳の頃にロンドンのコンウェイ・ホールで演奏しているのをセゴビアに認められ、ロンドンの王立音楽院で学ぶ一方、セゴビアの元でも研鑽を積んでいった。ジョンはセゴビアの教えを受け、もっとも成功した一人として知られることになるが、世界各地を演奏してまわるにつれ、クラシックの範疇にとどまらず、さまざまなジャンルの音楽エッセンスを吸収していく。厳格に自分の教えを受け継いでいくことをよしとしていたセゴビアとの間に、何らかの考え方の相違が生まれてきたとしてもおかしくは無い。事実、ジョンは、自分の技術の中で、師事してきたセゴビアをはじめとする指導者たちから学んだものの割合は、決して大きいものではないともいっている。

 クラシック・ギターへの計り知れない貢献をした一方で、セゴビアによって、長らく日の目を見ることができなかった面もある。本作は、パラグアイの作曲家アウグスティン・バリオスの作品集で、最近では『大聖堂』などは、クラシックのレパートリーとしてもポピュラーになってきている。しかし、セゴビアはバリオスの曲を「演奏するに足らぬつまらぬもの。彼の曲を演奏するくらいなら、他に弾くべき曲は山ほどある」と酷評していた。セゴビアがクラシック・ギター界の中心で力を振るっていた時代には、バリオスの曲を演奏するプレイヤーは数えるほどだったという。
 リリカルで、哀愁を帯びたバリオスのメロディ・ラインは、ナイロン弦の音色と相まって際立った美しさを見せる。ジョンの非常にシャープで輪郭のたった演奏は、バリオスの曲を演奏している録音の中でも、トップクラスの仕上がりだと思う。彼が愛用しているのは、オーストラリアのグレッグ・スモールマンという製作家のギター。通常のクラシック・ギターと比べて、表面版の補強の仕方がまったく異なるスモールマン・ギターは音の立ち上がり方が独特で、ジョンの演奏スタイルを特徴付ける要素として、今や欠かせぬものとなっている。

 ジョンは80年代には、ポピュラー音楽演奏にもかなり力を入れ、自らSKYというグループを結成する。こちらでは、ピックアップを内蔵したオヴェイションのナイロン弦モデルを使い、バンド編成での演奏をおこなっていた。この頃、クラシック・ギターの演奏をほとんど耳にしていなかった私だが、「クラシック・ギター界の貴公子がフュージョン音楽を演奏する!」といったようなキャッチコピーで宣伝していたことは覚えている。ただ、クラシックのファンからは、この時代については「非常に無駄な回り道をした」という厳しい声が多い。

 ジョンの演奏するナイロン弦ギターの音をポピュラーなものにしたのは、マイケル・チミノ監督の『ディアハンター』のメインテーマとして使われた、「カヴァティーナ」の演奏だろう。ナイロン弦ギターを手に入れたら、この曲を練習して弾けるようになりたいと思いながら、ずいぶんと長いことたってしまったが・・・。

May 01, 2006

●ゲルニカ: 改造への躍動

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戸川 純
上野 耕路
太田 螢一

 学生時代、一人暮らしをしているアパートの部屋に、あるとき友人のK君が一枚のレコードを持ってやってきた。レトロ調のジャケットデザインに「ゲルニカ」という聞いたことの無いユニット名。部屋にはレコードプレイヤーが無かったので、音楽好きの友人の部屋に出かけ、さっそく針を落としてみた。耳に飛び込んできたのは、昭和初期~戦後復興辺りの時期をイメージして作りこんだ音楽。他に類を見ないユニークさ。
 このときまで、私は戸川純のことをほとんど知らなかった。しばらくして、テレビドラマなどに出演している姿を見て、エキセントリックな雰囲気も含め、強烈な存在感が印象に残った。ただ、その演技の姿と、ゲルニカの歌い手としての姿はずいぶん印象が違う。演技では時として陰鬱な印象が強すぎる感もあったが、歌い手となると、時として朗々と、時として可憐なに、変幻自在の声色には、好き嫌いを越えてひきつけられずに入られないものを感じてしまった。
 K君とは学籍番号が近かったので、試験のたびに机を並べたが、あるとき、試験休みに旅行でも行こうかという話になった。お互いお金の無い学生だったこともあるが、彼が琵琶湖の湖岸近くの町の出身で昔から一度やってみたかったといっていた「琵琶湖徒歩1周」を敢行することになった。バイトの帰りに、大学近くの私の部屋にやってきたK君と、寝袋を背負って京都の街中を出発して、北上し、大原を抜けて「途中越え」というルートで琵琶湖の湖岸まで出る。そのまま、野宿をしながら3日かけて約210kmを歩いた。このアルバムをずっと聞いていたこともあり、二人で、「夢の山獄地帯」や「復興の唄」等を歌いながらひたすら歩く姿は、他の人からは異様に映ったかもしれない。無事に歩き終えて部屋に戻ると、足が腿の付け根から落ちてしまうのではと思うほど疲れきっていた。一息ついてテレビをつけると、当時マラソンの第一人者だった瀬古敏彦選手の様子を紹介しており、「瀬古選手は毎日70km走りこんでいます」と聞いて呆然。さらにどっと疲れが出たのはいうまでも無い。

 このアルバムのプロデュースには細野晴臣が参加。とても明確なコンセプトで作り上げている。ゲルニカとしては、この後に『新世紀への運河』『電離層からの眼差し』を発表し、いずれもユニークで質の高い音楽を聞かせてくれた。ただ、斬新さと完成度の高さでは、本作が一番ではないかと思う。戸川純も、『玉姫様』など個人名義での演奏や、ヤプーズというユニットでの演奏も面白いが、ゲルニカでは、非常に限定されたターゲットにすべてを集中させているのが痛快だ。

April 30, 2006

●Pentangle: Basket of Light

Pentangle_basket.jpg

Terry Cox (ds, vo)
Jacqui McShee (vo)
Bart Jansch (g, vo)
John Renbourn (g, vo)
Danny Thompson (b)

 今まで聞いていなかったものを聴くようになるきっかけはさまざまだが、私の場合、自分の好きなプレイヤーが影響を受けた音楽に手を伸ばすというパターンが多い。1960年代のブリティッシュ・フォークへと導いてくれたのは、ポール・サイモンである。ご存知のように、ポールは、サイモン&ガーファンクルとして、1960年代前半から1970年までの間、数々のヒットを飛ばしたスーパーデュオである。
 S&G名義のアルバムに唯一入っていたポールのギターインスト曲が「Anji」だった。昔は、この曲を完璧に弾ければプロになれるといううわさまで流れた曲である。そのポールが、影響を受けたのがバート・ヤンシュの「Anji」であったり、もともとの作曲者のデイヴィー・グレアムであったりという情報が耳にはいると、バーとを追っかけておくと行き当たったのが、ペンタングルである。ジョン・レンボーンとバート・ヤンシュという素晴らしいギタリスト二人を擁するというグループとのイメージが強かったが、ジャッキー・マクシーのボーカルの独特の存在感が際立っているのに圧倒された。
 ペンタングルとしては、デビューアルバムの評価も高いが、実験的な取り組みもある本作は、このグループの最高傑作の名に恥ずかしくない仕上がりであろう。ジャズやブルースに繋がる要素と、ケルト音楽の影響が複雑に交じり合った音楽は、イギリスの独特のどんよりとした気候を肌で感じさせるものを持っている。アメリカルーツのブルースとは根本的に違いつつも、「これもやはりブルース」と思わせるところは、音楽としての芯の強さなのかもしれない。
 伝統を継承しつつも、革新的なものに取り組むペンタングルの斬新さは、力強く、聴くものにせまってくる。

April 28, 2006

●Pierre Bensusan: Musiques

PierreBensusa_musiques.jpg

Pierre Bensusan (g, mandolin, vo)

 久しぶりにギターソロのアルバム紹介となるが、前回のラルフ・タウナーはナイロン弦ギターがメインだったのに対し、こちらはスティール弦。このスタイルの音楽をどのジャンルに入れるかはいつも悩むところだが、アメリカなどではNew Ageにカテゴライズされるのが一般的だった。ニューエイジという言葉には少し抵抗があるが、とりあえず、ここでもそのカテゴリーに入れることにしよう。

 ピエールはアルジェリア生まれのフランス人。ボブ・ディランの歌で英語を覚え、弾き語りを始めたという。その後、ジョン・レンボーン、バート・ヤンシュという素晴らしい二人のギタリストが在籍していた、伝説的なブリティッシュ・フォーク・ロックのグループ、「ペンタングル」に惹かれ、ケルト音楽などの影響も取り込んでいくようになる。

 このアルバムは、今では彼のトレードマークといってよいDADGADと呼ぶ変則チューニングで、全編演奏されている。このチューニングは、アイリッシュやブリティッシュ・フォークなどのプレイヤーがよく用いており、独特の雰囲気を作り出すものだ。ただ、ピエールは、このチューニングの持つ古典的なイメージを超え、コンテンポラリーな曲想にもうまくフィットさせている。ライブで、比較的インプロビゼーション色の強い曲を演奏すると、ケルト音楽の影響に、アフリカのリズムがのったようなフレーズが見られる。彼のルーツを考えると、なるほどと納得できる。

 ステージで自分の演奏、音を完璧にコントロールするピエールの姿から容易に想像できるが、アメリカのギター製作家に話を聞くと、多くの人が「ピエールは気難しいからなぁ」という。2001年に来日したとき、ライブ後に少し彼と話す機会があったが、気難しさなど感じさせぬ、実にフランクな人柄だった。もちろん、一緒に仕事をするとなると、別だろうが・・・。

 2004年には、サンフランシスコを拠点に活動をしているブライアン・ゴアの呼びかけで、クラシック・ギタリスト兼作曲家のアンドリュー・ヨークなどを交えて、「インターナショナル・ギター・ナイト」と称したツアーをおこなっている。それぞれが、ユニークな演奏スタイルを持つテクニシャンぞろいだけに、面白い仕上がりとなっているようだ。ただ、ピエールはこの頃から、メインギターを変更しており、ライブ音源などはピックアップの音色が今ひとつの仕上がりなのが残念だ。
 最新作も素晴らしい演奏だが、個人的には、以前のギターの音色の方がしっくりくるように感じてしまう。よい悪いではなく、あくまでも好みの問題ではあるが・・・。ただ、ひとつところにとどまらず、新しいスタイルにも挑戦し続けているピエールの今後からは、やはり目を離すことはできない。

April 27, 2006

●南 佳孝: 摩天楼のヒロイン

YoshitakaMinami_matenro.jpg

南 佳孝 (vo, g, p)
矢野 誠 (p, key)
林 立夫 (ds)
小原 礼 (b)
細野 晴臣 (b)
鈴木 茂 (g)
駒沢 裕城 (dobro, steel g)
松本 隆 (per, arr)

 中学生の頃、歌謡曲以外の音楽映像を唯一流していたのが、地元のTVK(テレビ神奈川)だった。川村尚が進行する洋楽のPVを流していた『ポップス・イン・ピクチャー』と、南佳孝が司会をしていた『ファンキー・トマト』というのが双璧の音楽番組。ファンキー・トマトでは、アシスタントに売り出したばかりの竹内まりあがついていた。湘南地方の番組らしく、サーフィンのコーナーがあったりと、当時の若者文化をフィーチャーしたものだったが、毎回、番組の最後に、南佳孝が弾き語りで1曲歌うのがとても気に入っていた。シンプルな編成で、パーカッションがついたり、キーボードのサポートがあったり、時にはラジという女性シンガーとのデュエットもあった。
 ちょうど、洋楽でもAOR(アダルト・オリエンテッド・ロック)と呼ばれるジャンルが出始め、ボズ・スキャッグスやボビー・コールドウェルなどがこのスタイルをリードしていた。邦楽はというと、フォークからニューミュージックへと移行している段階で、荒井由美(ちょうど結婚をして松任谷由美になったようなタイミング)や中島みゆきなどが、中心となって活動していた。そんな中、南佳孝はとても都会的なセンスで、独特の雰囲気を持っていた。それが、中学生や高校生の時期にはとてもかっこよく映り、大人の雰囲気の香りを楽しんだものだ。

 このアルバムのサポートメンバーを見ればわかるが、元はっぴいえんどの3人が要となっている。特に、松本隆は、本作がプロデューサーとして取り組んだ最初の作品である。その後、太田裕美を初め松田聖子などに数々の詞を提供し、ヒットメーカーとして大活躍することになるのは周知のことと思う。

 LPでの発売時点では、A面がHero Side、B面はHeroin Sideという構成だった。歌詞やアレンジも物語性を非常に意識しており、舞台上での演技を見ているかのように感じさせる仕上がりが面白い。ジャリッとしたした感触を聞かせるギターの音も新鮮で、決して密ではない音空間なのに、隙間を感じさせないのは不思議だ。

 その後、「モンロー・ウォーク」や「スローなブギにしてくれ」などで、メジャーヒットを飛ばすが、この人の持ち味は、弾き語りなどのシンプルなスタイルにあるような気がする。ただ、音を積み上げていくコンセプトで作り上げたアルバム『冒険王』は、別方向のものながらとてもいい。これは、いずれまた取り上げてみたい。

 2000年以降は、ボサノバの曲を演奏したりと、いい意味で力を抜きながらお気に入りのスタイルの音楽をやっているように感じる。今でも、湘南に拠点を置き、海の匂いを感じさせる南佳孝。一度は、生で演奏を見てみたいアーティストの一人だ。

April 26, 2006

●Bartok: Piano Concertos Nos. 1&2

Bartok_pianoconcerto.jpg

Maurizio Pollini (p)
Claudio Abbado (cond)
Chicago Symphony Orchestra

 バロック音楽を代表するバッハなどは、その旋律法などが数学的見地からも興味深い対象(ホフスタッターの名著『ゲーデル・エッシャー・バッハ』は一世を風靡した)であったため、時折聴くこともあったが、近現代物となると難解なイメージがどうしても強く、避けて通ってきた。

 大学時代、友人のY君は現代音楽に非常に精通しており、武満徹を初めとした現代音楽のCDのコレクションはなかなかのものだった。ジョン・ケージの作品などをはじめ、現代音楽の素晴らしさについて熱弁をふるったY君だが、私のほうは、「音楽」というイメージと現代音楽の作品が結びつかず、なんとなく気にはなっていたものの、積極的に手を伸ばそうという対象ではなかった。その彼が、あるとき「バルトークはいいよ」といって推薦してくれたのが、このバルトークのピアノ協奏曲第1番、第2番である。やはり、あまり期待もせずに、聞かせてもらったのだが、それまでの「近現代もの=難解」というイメージを払拭する、すばらしい演奏だった。
 クラシックの場合、同じ曲でも指揮者やソリスト、オーケストラが違えば当然違った演奏に仕上がる。「誰が指揮した、どこのオケの、いつの録音がいい」などと、マニアは言うわけであるが、残念ながら、私はそこまでいろいろと聴き込んでいるわけではない。ただ、本作に関しては、バルトークの楽曲とポリーニのピアノが、すばらしくマッチしていることは間違いない。

 弦を極力追いやり、管楽器を前面に出した曲の構成は、一般的なオーケストラ演奏とはイメージをかなり違うものにしている。非常に硬質で、時折パーカッシブな要素も交えたポリーニのピアノは、管楽器の中に、切り込んでいくかのように鋭い。第2番の第2楽章には、唯一といってよいくらいだが、弦楽を前に出した主題が演奏される。ここでも、「弱音器をつけて、ビヴィブラートをかけずに」と指定されているため、普通とは違う、不思議な浮遊感を感じさせる弦の響きとなっている。
 音階、和声によるものだろうが、楽曲の展開なども含め、現代のジャズに通ずる要素を強く感じる。特に、ヨーロッパ系のピアノもの、それもリリカルではない演奏をするジャズ・ピアニストは、バルトークの影響を何らかの形で受けているのかもしれない。

 ジャズのアルバム全体を一つの作品として聴くことを考えれば、バルトークの曲はさほど抵抗無く聞くことができるだろう。緻密なつみあげをしながら、難解なものとはなっていないこの曲などは、近現代のクラシックを聴くための導入作品としてもよいかもしれない。

 今や、クラシック界を代表するアバドとポリーニ。若かりし頃のジャケット写真がほほえましい。

April 25, 2006

●Egberto Gismonti: Infancia

EgbertoGismonti_Infancia.jpg

Egberto Gismonti (p, g)
Nando Carneiro (key, g)
Zeca Assumpcao (b)
Jacques Morelenbaum (cello)

 これまでに見たライブのうち、3本の指に入るほどすごかったのが、1991年6月、ブルーノート東京で見たエグベルト・ジスモンティのライブだった。80年代には来日ソロコンサートもおこなっていたジスモンティだが、雑誌のインタビューによると、日本にはいい印象が無く、来日はしたくないという話しが伝わっていた。そんな中、本作をリリースした直後に、同じ編成の4人(まったく同一メンバーだったかどうかは覚えていない)で、コンサートホールではなく、小さなスペースでのライブ。彼の演奏を間近に見ることができたのは、本当にラッキーだった。ギターのソロ、ピアノソロ、4人でのアンサンブルなど、とてもバラエティに富んだ内容だったが、特に愛用の10弦ギターを弾いているときの、すさまじいばかりの集中力と、ひしひしと伝わってくる緊張感は忘れがたいものだった。前から2番目くらいの席で、ステージ上のジスモンティをわずかに見上げるような位置から見ていたのだが、やや逆光気味の照明に、飛び散る汗がキラキラと見えた。聴くものに息をすることすら許さない、といわんばかりの迫力だった。

 ギター製作のためにアメリカに渡ったとき、たまたまサンフランシスコのホールでジスモンティのコンサートがあった。まだ、向こうに着いたばかりで自分の車も無く、友達に頼んで移動をするような状況だったし、「さすが、サンフランシスコ。ジスモンティのライブもしょっちゅうあるんだ。」と勝手に思い込み、次の機会でいいやと、行かずにいた。もちろん、彼のコンサートは頻繁にあるわけではなく、結局、アメリカ滞在中に、彼の演奏を見るチャンスには恵まれなかった。

 ジスモンティの名前を初めて聞いたのは、「Frevo」という曲の作曲者としてであった。スーパー・ギター・トリオのライブでは、マクラフリンとパコのデュオで必ずといってよいほど演奏された曲だが、とても美しいメロディラインが印象的で、最も好きな曲のひとつだ。この曲をたどりつつ、ジスモンティの作品をどんどんと聴き始め、気がつくと、彼の音楽にどっぷりと首まで浸かるような状態になってしまった。ブラジル出身の彼は、幼い頃からクラシック・ピアノを習い、その後、パリに渡り、管弦楽法と作曲を勉強したという。ブラジルの伝統的な音楽をベースとしつつも、西洋の音楽手法を融合させ、独自の音楽を築いていく。

 クラシック、ジャズそしてブラジルの伝統音楽のショーロやサンバ、ボサノバ。さまざまな要素が見え隠れするジスモンティの曲は、クラシック・ギタリストにも積極的にレパートリーとして取り上げられている。ブラジル人としての血を根底に持ち続けつつも、時にはシリアスに、そして時にはユーモアを交えながら、ジャンルにとらわれないジスモンティが作り出す音楽世界。彼のパフォーマンスを再び目にする機会が訪れることを切に願う。

April 24, 2006

●Bruce Cockburn: Salt, Sun and Time

BruceCockburn_salt.jpg

Bruce Cockburn (vo. g)
Eugene Martynec (g, key)
Jack Zaza (cl)

 カナダのシンガー・ソング・ライターというと、ゴードン・ライトフット、ニール・ヤングやジョニ・ミッチェルといった名前がすぐに思い浮かぶ。あるとき、カナダの女性ギター製作家、リンダ・マンザーが「カナダのカリスマ的シンガー・ソング・ライターのブルース・コバーン」にギターを製作した時に、どれだけ興奮したかということをインタビューで述べているのを読んだことがあった。「製作家がお気に入りとあらば、これは聴かずばなるまい!」と探してみたものの、なかなか見当たらない。結局、最初に手に入れたのはアメリカ滞在中、いつものカリフォルニア大学バークレー校そばの中古CD屋だった。ところが、エレクトリック主体であまりパッとしない演奏がずっと続く。「こんなもんかぁ」とがっかりしつつ、ブルースのことは忘れてしまった。

 日本に戻り、いろいろと調べると、アコースティック・ギターの第一人者中川イサト氏が初期のブルース・コバーンの影響を受け、当時、出版したギターの楽譜集にも何曲か取り上げたとのこと。もう一度聴いてみようと思い、探し当てたのが本作だった。ほとんどギターとボーカルのみの構成ながら、ブルースの音楽世界が目の前いっぱいに広がるような感覚はなんなのだろう。敬虔なクリスチャンでもあるブルースは、デビュー当初から70年代終わりくらいまでは、非常に宗教色の強い歌詞を書いている。無神論者の私にとって、信仰からくるものを理解するのは難しいが、美しいメロディと朴訥とした声のバランスの妙は、歌詞の理解とは別の次元で、心に響いてくるものがある。80年代に入ると、キリスト教色は薄まり、よりロック色の強い音楽へと向うのだが、政治的なメッセージを歌に込めるようになっていく。

 時折オープンチューニングを用いる、ブルースのギタースタイルは独特のもので、北米東海岸の湿度が高く、しっとりした空気と、彼が初期の頃に愛用していたカナダのジーン・ラリビー製作のギターの音がぴったりと合う。倍音がすっきり整理され、重心の低い音は、ジャズ・テイストを含んだフレーズをいっそう際立たせるものだ。ギターのラインがボーカルとハモる構成など、比類のないほどすばらしい。


BruceCockburn_.speechlessjpg

 ブルースの最近の動向を調べてみると、昨年、ギターのインスト・アルバムをリリースしたことを知った。ソングリストを見ると、初期から毎作数曲ずつ入れていたインストものを、ギターソロで演奏しているようである。エレクトリックよりは、アコースティック・ギターの名手として活躍して欲しいと思っていただけに、これは嬉しい情報だ。さっそく、入手しなければ・・・。

April 23, 2006

●Ralph Towner: Solo Concert

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Ralph Towner (g)

 大雑把に言って、ギターを弾くのに2つのスタイルがある。一つは、フラットピックを使う奏法。もう一つは、フィンガースタイルと呼ぶ指弾きである。指で弾く場合、爪をどのくらい伸ばしてどう使うかによって、音が変わってくる。爪を使う割合が増えれば、輪郭のたった硬質な音となるし、指の肉の部分を主に使えば、タッチはソフトで芯のある音となる。ナイロン弦は、スティール弦に比べて柔らかいため、ナイロン弦を主に使う人はスティール弦のギターを弾くと爪を痛めてしまうことが多い。そのため、両方を併用する人がごくまれである。

 ラルフは、ナイロン弦での演奏が中心だが、スティール弦、それも弦の張力が強い12弦ギターを併用する、非常に珍しいギタリストである。場合によっては、1曲ごとにギターを持ちかえ、ナイロン弦とスティールの12弦を交互に弾くというのは、普通では考えられないことだが、彼はいとも簡単にやってのけている。

 繊細な音作りを得意とするECMレーベルの録音で、コンサートのライブ録音とは思えないほどクリアーな音にはビックリさせられる。ジャケットの写真を見ると、ブリッジとネックの付け根をそれぞれ狙ったマイクのセット(ノイマンのU87と思えるラージダイアフラムのセットと、AKG451スタイルの小径ダイアフラムのセットを併用しているので、計4本のマイクを使用)、少し離してアンビエントマイクを1本セットしている。さすがに、レコーディングを重視したセッティングで、コンサートでの見栄えは二の次にしているところが、いかにもECMらしい。

 ラルフの演奏を最初に聞いたのは、彼がソロ活動と並行して演奏活動をおこなっているオレゴンというグループでの演奏。ラリー・コリエルとの共演盤、『The Restful Mind』である。オレゴンは、ラルフとタブラ、コンガ奏者のコリン・ウォルコットを中心としたユニットで、インド音楽などの影響も取り入れた、エスニックテイストのある、独特の音楽世界を繰り広げている。残念なことに、コリンは後に事故で他界してしまうが、その後も、メンバーを替え、現在も活動を続けている。

 ソロ演奏では、クラシカルな要素と、ジャズの即興的な要素を非常にうまくミックスしている。緻密な構成を感じさせる一方で、自由奔放に展開されるパッセージも織り交ぜ、最初から最後まで聴く者を惹きつけてやまない。学者然としたその風貌にマッチした、知的な香りのする音楽がなんとも心地よいものだ。

April 22, 2006

●Mark O'Connor: Markology

MarkO'connor_Markology.jpg

Mark O'Connor (g)
David Grisman (mandolin)
Tony Rice (g)
Bill Amatneek (b)
Sam Bush (mandolin)
Dan Crary (g)

 ギターが主役の音楽でも、ほとんど聴かずに来たジャンルがブルーグラスである。定番のドク・ワトソンやトニー・ライスなどは聴くことは聴いたのだが、どうも自分の中に響いてくるものを感じなかったからだ。ギタリストにはテクニシャンがそろい、早弾きもある。普通であれば、飛びつくようなものなのだが・・・。

 マーク・オコナーは実は、フィドル(ヴァイオリン)のトップ・プレイヤーである。しかし、私が彼の名前を聞いたのは、ギタリストとしての評判が最初だった。私が修行をしたギター製作家Ervin Somogyi氏のギターを使ったこともあるという話しだった。Ervinのギターは、その豊かな倍音と繊細な響きから、フィンガースタイルと呼ばれる指弾きのインスト曲を演奏するプレイヤーが愛用するケースが多い。フラット・ピッキングで、それもハードなタッチで弾くブルーグラスのプレイヤーがどのように使いこなしているか、興味津々だったのだ。CDショップを回って手に入れた最初のアルバムが、『Stone from Which the Arch Was Made』。家に帰って、プレイヤーにかけてみてビックリ。前面に出ているのはフィドルだ。改めてライナーをチェックすると、マーク・オコナー(フィドル)とあるではないか。おまけに曲はコンテンポラリ・ブルーグラスというさらに馴染みのないスタイル。すっかり当てが外れた気分になってしまった。(注:Ervinによると、このアルバムのレコーディングで彼のギターを使用していたということなので、近いうちにこのアルバムもじっくり聴き直してみたい。.)

 ギター製作の修行でアメリカに滞在中、休みの日曜には車で10分くらいのバークレーの中心街に出るのがいつものことだった。そこで、中古CD屋と古本屋を回りながら、気に入ったものを探すのが、なんとも楽しい時間なのである。そのとき見つけたのがこのアルバム。ジャケットにもギターの絵があるので、これこそが、求めていたギター・アルバムに違いないと買って帰った。工房の戻り、さっそく聞いてい見ると、のっけからはじけるようなギターの音。当たりだ。
 このアルバムが録音された頃、マンドリンのデヴィッド・グリスマンはDAWGという新しい音楽のスタイルを作りつつあった。従来のブルーグラスにフォークやジャズを融合させたものである。当然、本作にもその影響がおよび、マークの弾くリードラインはストレートなブルーグラスのフレーズとはまったく違い、ジャズテイストが色濃い。これが、「いい!」と思った一番の要因であろう。ストレートアヘッドなブルーグラス・アルバムとはいえないかもしれないが、私にとっては一押しのギター演奏である。

 このweblogのために、ジャケット写真を探して初めて気がついたこと。手元にあるアルバムにはマークのサインが入っていたのである。ジャケットデザインにある、ギターの輪郭線と、文字のペンによる線がほとんど同じだったので、てっきりこういうデザインのものだと思っていたのだが・・・。1978年のレコーディングは、バークレーでおこなわれたとクレジットされているので、中古CD屋に彼のサインアルバムがあっても不思議ではないのかもしれない。とはいえ、買ったのは録音されてから20年以上経ってからではあったが。

 天才フィドルプレイヤーとして登場して、最初のアルバムを録音したのが、12歳のとき。1961年生まれの彼が、本作を録音したときは、まだ16歳。その、恐ろしいまでの才能には、ただただ脱帽である。いい演奏に年齢は関係ない。

April 21, 2006

●Keith Jarrett: My Song

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Keith Jarrett (p)
Jan Garbarek (ts, ss)
Palle Danielsson (b)
Jon Christensen (ds)

 新しい音楽を聴き始めるきっかけは、些細なことが多い。FM東京(現在のTokyo FM)の夜11時代の番組で、某ウイスキーメーカーがスポンサーだった番組があった。その番組の中で流れるCMで、「・・・・暖炉の前に腰掛ける・・・・キース・ジャレットのカントリーを聞きながら(BGMにこの曲が流れている)、グラスに○○ウイスキーを注ぐ。(ガラスがカランという効果音)・・・」というナレーションがあった。思い描くイメージにピタリとこの曲がはまり、おしゃれな大人の時間をうらやましくも思ったものだ。そのCMが、このアルバムへと導いてくれたのだった。

 クラシックやジャスでは、名門レーベルというものが存在し、そのレーベルごとに、音作りを含めた強い個性がある。ジャズのレーベルで一番好きだったのが、このアルバムをリリースしているECMというドイツのレーベルだ。1969年創立のECMは老舗と呼ぶにはまだ歴史が浅いが、マンフレート・アイヒャーというカリスマ性のある創立者が、プロデューサーとして君臨し、アーティストと喧々諤々の論争をしながら、作品製作をしていく様子は、数々の伝説を生んだほどだ。水彩画のような透明感のある知的なECMサウンドは、ヨーロッパ・ジャズの一つのシンボル的存在として、アメリカのジャズと対比することができよう。マンフレートはギターものに対する思い入れも強く、ラルフ・タウナー、ジョン・アバークロンビー、(初期の)パット・メセニーを初めとして、数々の名作を世に出してきた。

 このアルバムを録音する1年ほど前に、キースは5年間活動を続けたレギュラー・クァルテットを解散し、かつて、同じECMで『ビロンギング』を録音したメンバーを再び集め、レコーディングに入った。インプロビゼーションによって繰り広げられる独特のソロ・ピアノの世界をすでに確立してしまったキースにとって、新しいメンバーで、別の方向へと向う演奏をすることは必然だったのかもしれない。キース以外はいずれも北欧出身の実力派メンバー。特に、サックスのヤン・ガルバレクはECMレーベルでのセッションで、数々の名演を残している。ソロでは自由奔放に弾いているキースも、ヤンのサックスをうまくサポートしているのが印象に残る。ベースにあるのはリラックスしたムードだが、時折激しく音をぶつけ合い、きらりと光る緊張感あふれるプレイも随所に見え隠れする。

 暖炉の前で、ロッキングチェアに腰を下ろして、ウイスキーグラスを片手にこのアルバムを聴きたいという思いは、まだ、かなっていない。

April 20, 2006

●Donovan: Live in Japan

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Donovan (vo. g)

 ドノヴァンは、60年代中頃に注目を浴びるようになったスコットランド出身のシンガーソングライター。彼に少し先立ってデビューを脚光を浴びていたボブ・ディランと何かと比較される存在であった。「アメリカのディランに対する、イギリスの回答」と、なにやら国を代表する存在にまで祭り上げられていたこともあったようだが、スタイルはまったく違うように思う。直情的なディランに対し、ドノヴァンは叙情的で、楽曲は牧歌的な雰囲気の漂うものも多い。一時期、ミッキー・モストプロデュースのもと、サイケデリックな方向へと歩み、『サンシャイン・スーパーマン』等のヒットを飛ばしたことjもあった。ロック色が強くなった頃は、レッド・ツェッペリンのメンバーや、ジェフ・ベック・グループのメンバーとレコーディングをすることもあった。しかし、シンプルなアコースティック・スタイルこそがこの人の真骨頂だと思う。

 ドノヴァンが、何よりも強く印象に残っていたのは、不思議なギターを持っていたからだ。このアルバムのジャケットでわかるように、サウンドホールは三日月型、真っ黒なボディに星がちりばめられたデザイン。一度見たら忘れられないものだ。
クラシック・ギターの世界では、いわゆる手工品と呼ばれる個人製作家ものがハイエンドのギターとして、普通に存在しているが、不思議とスティール弦では、個人製作家のものは見当たらず、楽器として評価が高かったのは、一部のメーカーのものだった。その中で、唯一、個人製作家として評価されていたのが、ドノヴァンのこの楽器などを製作した、イギリスのトニー・ゼマティスである。彼は、エレキ、アコースティック・ギターの両方を製作し、60年代半ばからギター製作家としての評価が高まり、イギリスのミュージシャンを中心に、彼の楽器を愛用するプロのプレイヤーが増えていった。デザインも含め、非常にユニークなギターで、今でもワンオフものとして市場での価値も高い。

 このweblogで紹介するものは、普段工房でかけている音源からというのが原則だが、このアルバムは、残念なことにCD化がされていない。それどころか、LPでリリースされたのも日本国内だけという、貴重なもののようだ。1972年の東京と大阪での公演から選曲されているが、ギター一本でヴォーカルとハーモニカのみ。とてもシンプルなサウンドである。曲によっては、ケルト音楽の影響が強く出ているものもある。時として、ディランのようにメッセージ性の強い歌詞もあるが、決して怒鳴るように訴えるのではなく、あくまでもきれいなメロディに載せて、切々と歌いかけてくる。ギターの演奏面でも、オープン・ハイ・コードと呼ばれる、開放弦とハイポジションを混ぜた音使いなどが時折あり、透明感のある歌声に実によくマッチしている。

 70年代の後半頃から、だんだんと表に出ての活動が少なくなり、ほとんど活動休止状態になっていたが、1996年には久しぶりのアコースティック・スタイルの新作『Sutras』を発表。その後も、リリースの間隔は長いものの、コンスタントの活動をしているようである。
 今年に入ってから、Try for the Sun: The Journey of Donovanという集大成的なCD3枚+DVDというボックスセットが発売されたり、5月には昔のライブ盤がリリース予定など、嬉しい動きもある。英国BBC放送では、今年の2月から3月にかけて、FOLK BRITANNIA SEASONというシリーズ番組で、1972年のライブ映像を放映している。貴重な映像の数々をアーカイブに持っているBBCならではだが、日本でもぜひ放送してもらいたいものだ。

April 19, 2006

●井上 陽水: II センチメンタル

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井上 陽水 (vo, g)
星 勝 (arr, g,)
安田 裕美 (g)
矢島 賢 (g)
竹部 秀明 (b)
高中 正義 (b)
稲葉 国光 (b)
田中 清司 (ds)
深町 純 (arr, p, key)
本田 竹廣 (p)
飯吉 馨 (p)

 ギターの入った音楽に没頭するようになったのは、井上陽水のアルバムを聞いてからだった。それ以前に、ギターに関心を持ったことはあったっけと、思い起こしてみると、小学校中学年の頃にさかのぼる。母親がある日、突然(のように私には思えた)ギターを買ってきたのである。たしかFujiというブランドのクラシックギターだった。
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 それと、多少前後したかもしれないが、一枚のレコードが我が家にやってきた。森進一の『影を慕いて』。古賀メロディーを若き森進一が歌い上げているものである。つまり、演歌のギターが、一番最初に原体験として刷り込まれたのだった。それでは、家にあったギターで演歌ギターの練習を始めたかというと、そうではなかった。とりあえず、手元にあったクラシックの教則本を見ながらポロポロと練習曲等を弾き始めただけだった。

 陽水の曲を初めて聴いたのもラジオからだった。『傘がない』というタイトルの曲は、まだ、学生運動や政治活動が盛んな時代に、彼女のところに行くのに傘がなくて困っているという内容の歌詞だった。当時は、社会問題について、関心がないこと自体が罪だと糾弾するような時代。その中にあって、社会で起こっていることよりも自分が傘を持っていないということを淡々と歌っていることが、あまりに衝撃的だった。
 一か月分のお小遣いを握り締め、レコード屋でシングル盤を買って、何度も何度も聞き返した。知り合いが、陽水のLPを持っているというので、借りてきてカセットに録音し、テープが伸びてしまうまで聴き続けた。当時、フォークのスターといえばまずあがったのがよしだたくろう。しかし、シンプルなコード進行に、直情的な歌詞をのせて、時には攻撃的に歌うたくろうは、がさつな感じがしてどうしても好きになれなかった。それに対し、陽水は、繊細で弱々しくはあったが、ディミニッシュコードなども用いたおしゃれなコード展開で、ギターのアレンジも秀逸、心の弱い部分を歌う独特の世界観に強い共感を覚えた。楽譜集を買ってきて、載っている曲を片っ端から練習したことは言うまでもない。

 このアルバムは、陽水名義でリリースした2作目。歌を邪魔せず、かといってきちんと存在感のあるギターのアレンジが実にすばらしい。陽水の歌声は、現在に比べるとはるかに繊細で、その歌詞から伝わってくる、今にも壊れてしまいそうな世界とぴったり合っている。陽水はある時期以降、カミングアウトをして、自ら屈折した部分を堂々と出すようになったが、この当時は、屈折したところを、自分でも疑問を感じながら、気持ちに正直に表現せずにはいられないという雰囲気が伝わってくる。歌詞は時として不条理なまでもの情景を述べる。『東へ西へ』での、”・・・電車は今日もすし詰め、(中略) 床に倒れた老婆が笑う・・・・”といった内容も、さらりと歌いながら、歌われているものはすさまじいばかりだ。当時は考えも及ばなかったが、今、改めてこの歌詞を読むと、まるでつげ義春のマンガにでも出てきそうな不条理の世界がイメージされるのは私だけだろうか。

 この頃のアルバムは、参加ミュージシャンのクレジットを見るのも楽しみのひとつ。星勝は元モップス(鈴木ヒロミツがボーカルをしていたグループ)で、陽水の初期からアレンジ全般を手がけている。その関係は現在でも続いているから、30年以上の長い関係というわけだ。リリースされたのが1972年だということを考えると、高中正義は成毛滋(当時は、グレコのギターを買うと、成毛滋のロックギター教則カセットか、竹田和夫のブルースギター教則カセットがついていたのが懐かしい)率いるフライド・エッグにベーシストとして参加していた時代なので、ギターではなくベースで参加しているのもおかしくない。深町純はその後、オールスターズというグループを率いて『オン・ザ・ムーブ』という名曲をヒットさせるし、本田竹廣(残念なことに、つい最近亡くなられた)は、フュージョンブームの中で、日本の旗頭となるべくネイティブ・サンを結成して一世を風靡する。
 これだけの実力派が脇を固めているので、やたら音を重ねているのではないのに、必要な音が必要な空間を満たしている。シンプルなスタイルの音楽が、ストレートに心に響く。

April 18, 2006

●Yardbirds: Little Games

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Jimmy Page (g)
Keith Relf (vo)
Chris Dreja (b)
Jim McCarty (ds)

 すでに死語となった感があるが、ロック三大ギタリストとは、エリック・クラプトン、ジェフ・ベック、ジミー・ペイジのことを指す。ジェフ・ベック命だった私は、エリックもジミーもまったく眼中にはなかったのだが、この3人が在籍したことのある伝説のグループ、ヤードバーズはどうしてもチェックしておかなければいけないバンドだった。初代ギタリストのエリックが脱退した後、ジェフが参加するのだが、そのうちベーシストがバンドを離れたため、ジミーがベーシストとして参加することになる。三人のうち、同時期にバンド在籍していたのは、このときのジェフとジミーだけだ。
 当時のヤードバーズの様子は、ミケランジェロ・アントニオーニ監督のカンヌ映画祭グランプリ受賞作品『欲望』で、見ることができる。「動くヤードバーズが見られる」と知ると、ちょうどタイミングよくテレビの深夜映画で放送されたのであった。眠い目をこすりながらテレビの前に座って映画を見たのだが、中学生にはこの映画自体はさして面白いものには映らなかった。ただ、お目当てのヤードバーズのことだけはさすがに覚えている。確か、地下室でバンドが"Stroll On"という曲を演奏しているシーンなのだが、ジェフは途中でギターを叩き壊す。今でこそ、ギター製作という仕事をしているので、どんなにいい音楽をやっていてもギターを壊す人は評価しないが、当時はこの道を選ぶことなど夢にも思っていなかったので、ただただ「おぉ、すごい!!」と思ったものだった。

 その後、ツアーの途中で体調を崩したジェフが辞め、ジミーがギターを担当してバンドの主導権を握っていく。本作は、ジミー中心のヤードバーズが唯一残したスタジオ盤である。メンバー間の関係がギクシャクしていたり、プロデューサーのミッキー・モストがどんどんポップ志向になっていくのに対する反発が強まっていたなど、バンドの状態は決してよくなく、アルバム全体としてのコンセプトの統一感に欠けるのは事実だが、きらりと光って印象に残る楽曲も多い。ジェフの時代は、ストレートなブリティッシュ・ロックというイメージが強かったが、ここでは、ブリティッシュ・トラッド・フォークやインド音楽の影響が随所に見られる。演奏面でも、ヴァイオリンの弓を使ってエレキ・ギターを弾く奏法なども取り入れられている。これらは、まさしくレッド・ツェッペリンのファーストアルバムへと繋がっていくものだ。このアルバムを初めて聴いたのは、音楽評論家渋谷陽一氏の番組。当時は、LPの全曲をかけることも珍しくなかったのだ。さまざまなスタイルが融合し始めた(必ずしも、すべてがしっくりといっていたわけではなかったが)ヤードバーズの音楽は、それまで知っていたものとはまったく別のものだった。それまでは、「ジミー・ペイジ? やっぱりジェフでしょう。」と思っていたのが、「やるじゃない、ジミー」と認識を新たにしたのだった。

 CD化に当たっては、オリジナルのアルバムとは別に、シングルのみでリリースされていた曲も追加収録されている。ただ、こちらはポップ志向がいっそう強いため、曲の流れからも浮いた感じがしてしまうのは否めない。
 ジミーを再認識しながらも、レッド・ツェッペリンはほとんど聴かなかった。ジェフに対する義理立ての気持ちが強かったからなのかは定かではないが・・・。

April 17, 2006

●Larry Coryell: Tributaries

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Larry Coryell (g)
Joe Beck (g)
John Scofield (g)

 ジェフ・ベックの次に、思い切りはまったギタリストがラリー・コリエルである。ジャズ・ギターというとウエス・モンゴメリに代表されるようにアーチトップ・ギターを抱え、クリーンなトーンというのが一般的なイメージだった。そこにロックのイディオムを持ち込んだのがラリー・コリエルとジョン・マクラフリンだ。まだ、日本ではフュージョンとかクロスオーバーという言葉が耳馴染みない頃、FMラジオから聞こえてきた、ラリーの演奏は、ひずんだ音のギターが縦横無尽に駆け回るような、新鮮な響きだった。

 ディメオラが初来日した翌年、ライブ・アンダー・ザ・スカイでは、なんと「ラリー・コリエル&ジョン・マクラフリンナイト」というプログラムが用意された。前の年は、チケット発売日の昼休み、学校にある公衆電話(当時はもちろん携帯電話などなかった)から必死に駆け続けてようやくチケットを取ったが、席はスタンドの真ん中辺り。ステージは遥かかなただった。今年は絶対にいい席で見るぞ、と思い、母親を拝み倒して、チケット発売開始の10時に繋がるまで電話をかけ続けてもらった。その甲斐もあって、席はアリーナの前から2列目の中央。もう、この席のことを考えただけでも興奮してしまうほどだ。

 ライブが近づいても、この晩のプログラムには「出演者:ラリー・コリエル(g)、ジョン・マクラフリン(g)、クリスチャン・エスクーデ(g)」とあるだけ。会場はテニスコートスタジアム。「広いステージにギター3人だけ??!」、おまけに最後のクリスチャン・エスクーデは名前も聞いたことがない。不安と期待が入り混じりながら、夕方の田園調布駅から会場の田園コロシアムへの道のりを急いだ。
 最初は、ラリー・コリエルのソロ。ステージ中央に三つ並んだ椅子、オヴェイションのアダマス(ギターのモデル名)を持ったラリーが登場すると、その一つの座り、おもむろにギター一本での演奏が始まる。チック・コリアの『スペイン』やジョン・コルトレーンの『ジャイアント・ステップス』など、とてもソロではできないと思うような曲が次から次へと飛び出す。おまけに、目の前で演奏しているにもかかわらず、とても一本のギターから出ているとは信じられないような音数。ただただ、あっけにとられるだけだった。後で聞いた話しによると、渡辺香津美氏もこのライブを見に来ていて、あまりのすごさに一週間寝込んでしまうほどだったという。
 ライブは、その後、ジョンとクリスチャンのデュオ、3人でのアンサンブルと盛りだくさんの内容で、アコースティック・ギターのすばらしさを満喫して帰り道についた。

 さて、前置きが長くなったが、本作は、1979年の作品。ラリーは70年代中頃からスティーブ・カーンやフィリップ・キャサリーンなどと、アコースティック・ギターによるデュオアルバムを製作しているが、これもその路線の延長線上にある。アコースティック・ギター3本の演奏というと、ディメオラ、マクラフリンとフラメンコ・ギタリストのパコ・デ・ルシアによるスーパーギタートリオが有名(実は、一時期ディメオラではなくにラリーが入って三人で演奏していたこともある)だが、こちらは、ジャズ・フュージョン界で活躍していたジョー・ベックと、今やコンテンポラリースタイルのジャズ・ギターでは第一人者といってよいジョン・スコフィールドによる演奏。スーパーギタートリオがインプロビゼイション(アドリブ)中心に展開しているのに比べ、こちらは、きちんとアレンジをした印象が強く、アンサンブルもすばらしい。音の重ね方が、即興演奏では出てこないような緻密な構成になっているのだ。全体的に、ジャズ・ブルースともいえるスタイルで、思わずうなるほどのかっこよさ。ちなみに、ジョンはほとんどアコースティックでの演奏をおこなっておらず、このレコーディングでも、ギターがなかったためにラリーのものを借りたという。

 CDでは、もともとのTributariesに含まれていた7曲に、1978年のスイス・モントルー・ジャズ・フェスティバルでのライブ収録とスタジオ録音を交えた"European Impressions"(邦題『ヨーロッパの印象』)のB面の4曲を加えた11曲入り。Tributariesではオヴェイションのアダマスを、後半の録音では、オヴェイションのカスタム・レジェンドを弾いており、音がかなり違うのも興味深い。ちなみに”European Impressions"のA面に入っている曲は、ラリーとスティーブ・カーンの共演盤”Two For the Road"に収録されている。こちらも名盤なので、いずれ紹介したい。

 アダマスのネックが3本並んだジャケット写真は本当にかっこよかった。「いつかはアダマス」と、高校生の頃から思っていたものだった。それから10年ほどして、いい縁があって本物を持つことができたときの嬉しさといったらなかった。

April 16, 2006

●Juanjo Dominguez: Plays Astor Piazzolla

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Juanjo Dominguez (g)

 ギターを製作するようになって、以前よりもナイロン弦を用いた、クラシック・ギターやフラメンコの演奏を聴くようになった。同じような外見でも、自分で作るスティール弦のギターとは内部の構造も違い、音作りのアプローチも異なる。ナイロン弦のギターは、弦の特性上、ふくよかな低音は出しやすいが、ピンと通る高音を出すのが難しい。一方、スティール弦では、キンとした音が出しやすい一方、ふくよかな低音を出すのが大変で、ここが製作家の腕の見せ所となる。いずれにしても、「いい楽器」というのは低音から高音までバランス(音量だけではなく)が取れているものなのである。まったく別方向からのアプローチを持つ同じ「ギター」というものを見つめることで、それまでの自分の考え方から一歩離れてモノを理解するきっかけとなるものだ。

 ここのところ、一番のヘビーローテーションでかけているのが本作。ナイロン弦のギターで、「ピンッ」と音が立っている好例である。ファンホ・ドミンゲスはアルゼンチンのギタリストで、クラシックに分類するのがいいのかもしれないが、ピアソラ曲集ということもあり、今回はワールド・ミュージックにカテゴライズした。

 ピアソラの曲はクラシックやジャズのプレイヤーがよく取り上げ、名演も多い。その中においても、ファンホのこの作品の仕上がりは特筆すべきものだ。同じアルゼンチン人として、ピアソラが何を考え、感じて曲を書いたのかということを意識し、ギター曲にアレンジしたという。タンゴ五重奏団でバンドネオンやヴァイオリンが繰り広げていたスリリングな演奏パートまでも、ギターの音だけで表現し、単調さなどまったく感じさせず、恐ろしいばかりの緊張感を最初から最後まで持ち続けている。音の立ち上がりとスピード感が全面に出た演奏は、まさしくナイロン弦の持ち味を最大限活かしたもので、これほどピタリとはまる感覚も珍しい。曲によってはギターを2本、3本と多重録音しているが、自分の演奏を重ねたからこそ、ここまでピタリと合ったものになっているのであろう。

 音数も多いので、音楽が「饒舌すぎるのでは」と心配してしまいそうだが、それも杞憂に過ぎないとすぐに気付く。すばらしい演奏テクニックに余りある歌心が、その音にはある。アルゼンチン人にとってタンゴ音楽、そしてピアソラの音楽がどのようなものなのかを、ファンホのギターがわれわれに投げかけている。

April 15, 2006

●Crosby, Stills, Nash & Young: 4 Way Street

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David Crosby (vo. g)
Graham Nash (vo. g)
Stephen Stills (vo, g)
Neil Young (vo. g)
Johnny Barbata (ds)
Calvin Samuels (b)

 中学1-2年の頃、東京の浜松町にある世界貿易センタービルまでヤマハのギター教室に通っていたことがあった。グループレッスンだったが、たいていの人は長続きせず、気がつくと私一人という感じで、その分、たくさんのことを教えてもらえてよかった。それまでは、日本のフォークを中心に聴いていた私に、海外のすばらしい音楽を押して得てくれたのが、このときの講師の人だった。確か、小泉さんというひとで、教室で教えている以外にもヤマハ関連のイベントでサポートギタリストとして活躍していたと記憶している。その小泉先生が「このギターはかっこいいぞ!」と教えてくれたのが、クロスビー・スティルス・ナッシュ・アンド・ヤング(CSN&Y)だった。中でもお勧めは『組曲:青い眼のジュディ』という曲だということだったので、お小遣いをためてレコード屋に足を運び、探してみるとこの曲が入っているアルバムが2枚。片方はLP1枚で2,500円。本作は2枚組みで4,000円。「当然こちらの方がコストパフォーマンスが高い」と思って購入したまではよかった。
 さて、冒頭が先生お勧めの曲だったので、気合を入れて聞いてみると、コーラス部分がフェードインで始まると、すぐにワァーっという歓声とともに終わってしまった。「えっ」と動揺しながらジャケットをよくよく見ると、「組曲:青い眼のジュディ(0:33)」とある。もともとスティルスが普通の長さの1曲に治めることができなかったので「組曲」という構成にした長い曲である(ちなみに「ジュディ」とは当時同棲をしていたジュディ・コリンズのことだといわれている)。その曲の終わりのほんの一部をライブアルバムの雰囲気作りで使っていただけだったのだ。肝心のかっこいいギターの部分は聴けずじまいで、アルバムの選択ミスを後悔をしつつも聴き進んでいくことにした。お目当ての曲はともかく、他の曲はどれもギターはかっこよく、ハモリも今まで聞いたことがない新鮮なもので、気がつくと、グイグイとCSN&Yの世界に引き込まれていった。

 元バーズのクロスビー、ホリーズを脱退してイギリスから参加したナッシュ、そして元バッファロースプリングフィールドのスティルスとヤングが組み合わさったユニットは、斬新なギタープレイと複雑なコーラスが特徴。
 普通にギターをチューニングすると、左手でどこも押さえずに(「開放で」と表現する)すべての弦を鳴らしても、調整の取れた和音にはなっていない。チューニングを変えて、開放である和音がなるようにするのがオープン・チューニングである。スティルスはこのオープン・チューニングの名手で、自分だけの独特のパターンをよく使っていた。このため、今まで聴いたことのないようなギターの音となっていたのである。中学1年のときに買った安いヤマキのギターでも、オープン・チューニングにすると気分はもうスティルス。その音に飽きるまで弾き続けていたことはいうまでもない。
 ハモリも、一般的なのは3度のハーモニーだが、4度を多用して、長調なのか短調なのかを表に出さず、浮遊感のある和音構成がこれまたユニーク。ハーモニーの和音だけで、「あっ、CSN&Yだ」とわかるほどだ。

 個性の強いメンバーが集まれば当然衝突も多かったようで、DVDになっている映像には、マリファナでボーとしながらハンモックに揺られているクロスビーに向って、「いいかげんにしろよっ!」と切れるスティルスの姿を見ることもできる。スティルスはスティルスでヤングとは仲が悪く、ツアーの途中で喧嘩が絶えず、後半のツアーキャンセルということも結構あったようだ。その割りには、機会があるたびにともに演奏をし続け、CSN&Y以降でも、スティルス・ヤング・バンドとしての活動などもおこなった。ライブ映像でも、4人で一つのユニットというよりは、曲によって一人でやったり、二人、三人と編成を変えて演奏している。

 本CDはLP同様2枚組みで、一枚目がアコースティック、二枚目がエレクトリックという構成。しかし、アコースティック盤には、新たに4曲追加されているのが嬉しい。ライブでは必ずアンコールの最後にやっていたという"Find The Cost of Freedom"は当然一番最後(二枚目のオーラス)に収録されている。ギター2本がかっこよく絡むインストパートから始まり、ユニゾンでのワンコーラス目の途中からギターの音が消えて、完全なアカペラとなる。ツーコーラス目は3声のハモリ。突然、音空間が上下に広がる快感。パッとコーラスが終わり、(おそらく)ナッシュが”Good Night"といってコンサートは終わりを迎える。

 自分にとってのウエストコースト・サウンドの原点はこの辺りにあるのだろう。

April 14, 2006

●Return To Forever: Romantic Warrior

RTF_romantic.jpg

Chick Corea (p, key, per)
Stanley Clarke (b, per)
Lenny White (ds, per)
Al Di Meola (g, per)

 中学、高校と音楽にどっぷり浸かっていたが、当時の情報源は雑誌とFMラジオ。雑誌はミーハー指向のものを除けばほとんど目を通し、"超絶テクニックのギター"などという文字があろうものならば、「何としてでも聴かなければ」と思ったものである。そんな状況だったので、「バカテクのギタリスト」として脚光を浴びつつあったディメオラがアンテナに引っかかったのも当然の成り行きだった。ディメオラのソロアルバムもいいものがいくつかあるが、ソロ活動前の演奏を追っかけていってたどり着いたのが、チック・コリア率いるリターン・トゥ・フォーエヴァー(RTF)である。

 本作は、後期RTFの最高傑作といってもいい。ネヴィル・ポッターの詩にインスパイアされ、アルバムをトータル構成したもので、確かにストーリー性が感じられる曲展開である。4人が4人ともテクニック抜群で、遊び心にもあふれた演奏は、理屈抜きで楽しめるだろう。レニー・ホワイトのドラムスとディメオラのギターがかなりロック色を濃くしている一方、スタンリー・クラークは時折アコースティック・ベースのアルコ(クラシックのように弓を使っうこと)奏法を交え、”中世の騎士”というイメージに繋げているのも面白い。チック、ディメオラ、スタンリーがいずれもアコースティック楽器を演奏していながら、曲としてはエレクトリックのイメージを感じさせるのは、RTFというトータルユニットの持つマジックかもしれない。

 ディメオラは1979年のライブ・アンダー・ザ・スカイでチック・コリアのバンドメンバーとして初来日をするのだが、必死の思いでチケットを手に入れ、会場の田園コロシアムに出かけた。RTFの再構成に近い、このときの来日メンバーはチック・コリア(key)、アル・ディメオラ(g)、バーニー・ブルネル(b)、トニー・ウィリアムス(ds)という豪華な顔ぶれ。ディメオラ目当ての観客が多かったせいもあってか、彼のアコースティック・ギターソロのコーナーでは、ワンフレーズひいてはワァーという歓声が上がり、演奏としては期待していたほどではなかったのが残念だった。メンバーで一番光っていたのはバーニー・ブルネル。フレットレス・ペースでハーモニックスを多用する奏法には度肝を抜かれた。当時、フレットレス・ベースといえばジャコ・パストリアスというイメージが強かったが、まったく違うスタイルで、「すごい!!」と思わせるユニークさがバーニーにはあった。自分が知らないプレイヤーでも、すごい人がごろごろしているんだなぁと思いながら家に帰ったのをよく覚えている。

 後期RTFのコンセプトは、その後、チック・コリア・エレクトリック・バンドへと繋がっていくものだが、よりロック色の濃いRTFの演奏は、今聞いてもまったく色あせていないのがすばらしい。

April 13, 2006

●Astor Piazzolla: The Rough Dancer and The Cyclical Night

AstorPiazzolla1.jpg

Astor Piazzolla (bandneon)
Fernando Suarez Paz (vln)
Pablo Zinger (p)
Paquito D'Rivera (as, cl)
Andy Gonzalez (b)
Rodolfo Alchourron (g)

  「20世紀を代表する音楽家は?」と聞かれると、真っ先に思い浮かぶのが作曲家・バンドネオン奏者のアストル・ピアソラだ。アルゼンチン・タンゴの異端者として本国ではなかなか評価されなかったピアソラだが、彼の楽曲はタンゴの枠にとどまらず、ポピュラー、クラシックなど幅広い分野のプレイヤーがカバーしていることから、そのすばらしさをうかがい知ることができる。  そもそもタンゴにおいて、音楽とは踊りのためのものであったのだが、ピアソラは従来のバンド編成(バンドネオン、ヴァイオリン、コントラバス、ピアノ)にエレキギターを加えた五重奏団で、踊りのための音楽という殻を破った、前衛的な演奏を繰り広げた。そのため、保守的な層からは、徹底的に批判を受けるが、彼が作り上げた独創的なモダン・タンゴの世界は唯一無二ともいえる。皮肉なことに、その独創性ゆえ、「ピアソラの先にアルゼンチン・タンゴの将来はない」と評されることもあるが、「アルゼンチン・タンゴ」という枠から見れば、あながち誤った指摘ともいえないだろう。

 本作は、『Tango: Zero Hour』、『La Camorra』と並ぶ、いわゆるピアソラ3部作の一つ。他の2作品の強烈な緊張感あふれる仕上がりと比較すると、比較的聞きやすい作品。バンドネオンを中心に強靭なリズムが刻まれ、躍動するヴァイオリンのメロディ展開がとても印象的だ。早いパッセージの後に、メランコリックなフレーズが続いたりするのも、「泣きの音楽」を好む日本人にはピッタリとも言える。

 ピアソラのすばらしさは、その音楽の展開から、色彩や、人間の心理描写をイメージさせる点にあると思う。一つ一つの独立した楽曲から伝わってくるというよりは、アルバム全体の流れがストーリー展開となって自分の中に入ってくる感覚は、他ではあまり経験したことがない。残念ながら、生の演奏を聴く機会はなかったが、映像を手に入れてじっくりと演奏を見てみたいアーティストの一人だ。

April 12, 2006

●Jeff Beck: Blow by Blow

JeffBeck1.jpg

Jeff Beck (g)
Max Middleton (key)
Phil Chenn (b)
Richard Balley (ds, per)

 僕にとっての最初のギターアイドルは間違いなくジェフ・ベックである。運命的な出会いとなったのが1975年発売のこのアルバム。当時は中学一年か二年だったはず。この頃は、アルバムのタイトルに邦題をつけることが多く、発売当初のアルバム名は『ギター殺人者の凱旋』というもの。「なんじゃ、こりゃ?」という感じだが、この邦題をつけたレコード会社の人がのちに語ったことによると、どんなタイトルにしようかと悩んでいるとき、たまたま目にしたジェフ・ベックのコンサート評で、彼の鬼気迫る演奏を「・・・まるでギター殺人者のようであった・・・」とあったのが頭に残り、このようなタイトルにしたとのこと。レコード盤を手にしながら、「ギター殺人者ってなんだろう??」と悩みつつも、人を殺すほど研ぎ澄まされた何かがあるように感じたものだった。

 今であれば、このアルバムはストレートなロックというよりはフュージョン系の音楽に入るかもしれないが、全曲インストという構成。冒頭のファンキーなカッティングに始まり、さまざまなエフェクターを駆使したギターの音作りには度肝を抜かれた。
 2曲目ではトーキングモジュレーターというエフェクターを使っている。これは、小さな箱に入れたスピーカーからギターの音を出し、その箱から出ているホースを口にくわえ、唄うように口の形を変えると、ギターの音と声が混ざったかのような効果が得られる(口がフィルターの効果を果たす)ものだ。お小遣いの少ない中学生には、何とかギターを手に入れることはできたとしても、エフェクターまで手が回るはずはなかった。それでも何とか音をまねてみたく、お菓子の缶に小さなスピーカーを入れ、ふたに開けた穴から太目の水道ホースをだすようにして、何とか格好だけは形にした。期待にわくわくしながらホースを口にくわえ、アンプのスイッチをオン。その気になってフレーズをひいてみたものの、かすかにギターの音が口の中で響くだけで、レコードの音とは大違い。結局、失意のまま、改造されたお菓子の缶は押入れの奥に追いやられることになった。
 うわさによると、このトーギングモジュレーターを多用すると、大音量が口の中で響くため、脳細胞が破壊されてバカになるという話がまことしやかに流れていたこともよく覚えている。もし、あの時自作したものがうまくいっていたら、若いうちに貴重な脳細胞を失っていたのかもしれないと思うと、失敗もよかったのかもしれない。

 このアルバムが出てしばらくすると、フュージョンブーム(当時はクロスオーバーと呼んでいた)がやってくるわけだが、ほとんどのフュージョンものがジャズプレイヤーがロックよりの演奏をしていたのに対し、ジェフはこのアルバムと、次作の『Wired』では、数少ないロックからジャズへと歩み寄ったすばらしい演奏の数々を残した。『Wired』ではマハビシュヌ・オーケストラのキーボード奏者だったヤン・ハマーのシンセサイザーが前面に出ていて双頭バンド的な色合いが濃くなるのに比べ、本作はもちろんギターがフューチャーされているが、それにも増してユニット全体のまとまりがすばらしく、音楽としての完成度の面ではジェフの最高傑作といっても過言ではないだろう。"ジェフのアルバムをまず一枚"というのであれば、まちがいなくこのアルバムをお勧めする。

 今でも、このアルバムの1曲目が流れると、どっとアドレナリンが噴出すのがおかしい。

April 11, 2006

●weblog開設

 毎日、工房でギターを製作しながら音楽を流しています。聴くものはどうしてもギターものに偏りがちですが、昔のものから比較的新しいものまで、そしてジャンルもポピュラー~ジャズ~クラシックと広い範囲にわたっています。
 せっかくいい音楽を毎日聴いているので、その中でも特にお勧めのものを少しずつ紹介していこうと思い、このweblogを立ち上げることにしました。気の向くまま書いていきますので、不定期更新かつ個人的な内容が多くなりがちですが、ご覧の方が「いい音楽」を探す上で、何かの手助けにでもなれば幸いです。



大屋 建
Ken Oya Acoustic Guitars