●NEWS●

アメリカを代表するギター製作家Ervin Somogyi氏が、8年間以上の年月をかけてギター製作についてまとめた本を2009年7月に刊行することになりました。『The Responsive Guitar』『Making the Responsive Guitar』の2冊で、Somogyi氏のHPより購入が可能です。従来のハウツー本とは異なり、具体的な作業についての言及のみならず、ギターを製作する上で理解しておくべき原理原則などを平易な表現でまとめた本書は、他に類を見ないものとなっています。著者のコメントにも「次世代の製作家たちにとってバイブルのようなものとなるだろう」とあるように、ギター製作に関わる人にはぜひとも読んでもらいたい本です。なお本書は全編英語のみですのでご注意ください。
またSomogyi氏自身のナレーションによるプロモーションビデオがYouTubeに公開されていますのであわせてご覧ください。

Ken Oya Acoustic Guitarsの音は以下のCDでお聴きいただくことができます。

伊藤賢一さん
最新作『かざぐるま』ではModel-Jを、3rdアルバム『海流』ではModel-FとModel-Jにて演奏されております。

竹内いちろさん
1stアルバム『竹内いちろ』で全曲Model-F(12Fjoint仕様)を使っていただいております。

押尾コータローさん
2008/1/1リリースの『Nature Spirit』に収録されている「Christmas Rose」でModel-Jを弾いていただいています。

June 07, 2006

●Billie Holiday: Lady in Satin

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Billie Holiday (vo)
Ray Ellis and his orchestra

 「うまいとか下手とかを超越して、人の心に入ってくる歌声」、晩年のビリー・ホリデイを聴くと、いつもそのことが頭に浮かんでくる。最晩年の本作では、ヘロインの常用により、文字通り身も心もボロボロになっていたビリーの声が痛々しいばかりだ。音程は不安定で、声の艶も消えてしまっている。それでも、冒頭の曲で「I'm a fool to want you.」と歌いだすのを聴くと、心を強く揺さぶられてしまう。

 古いブルーススタイルをベースにしていたビリーは、それまでの女性ボーカルとは違う、新しいスタイルを築き上げていった。敬愛していたルイ・アームストロングやレスター・ヤングなどのホーンプレイヤーの作り出していたハーモニー的な要素も歌に取り入れていったのである。彼女は、「管楽器のように歌いたい」とよく口にしていたという。

 ビリーの歌う歌詞は、非常に辛く、悲しい内容が多い。当時の黒人たちが直面していた、ひどい状況を、時には明るいメロディにまでのせて歌っている。「奇妙な果実」でうたわれている、木にぶら下がっている奇妙な果実とは、リンチを受けて木に吊り下げられて殺された黒人のこと。
 ビリー自身、自分が歌っていた悲惨な歌詞の世界そのままを生きていた。未婚の母の子として生まれた彼女は、差別を受けたり、乱暴をされたりと、幼少から辛い道を歩かされていた。しかし、10代後半で、歌手としての評価を得ると、人気の高い楽団との競演を重ね、一気に知名度を上げていくようになる。歌い手として一時は高い評価を得ながらも、私生活では母親の死や、暴力を振るう男性の存在から、ヘロインを常用するようになっていく。結局、麻薬の不法所持で刑務所に送られてしまうようになる。ヘロインの常習者というレッテルを貼られたビリーは、キャバレー・カードを剥奪され、ナイトクラブでの出演の機会も奪われてしまう。過度のヘロイン服用とアルコール摂取により、声はボロボロになっていき、歌手としての生命もほとんど絶たれたも同然のようになっていく。
 
 このアルバムを録音したとき、ビリーはまだ43歳だったが、70過ぎの女性の声といっても通るほど、しわがれ、艶も失われている。悲しい内容を切々と歌うその姿には、ある種の諦念のようなものすら感じさせられる。だからこそ、詞の内容がグイグイと心にねじ込まれるようにして入ってくるのだろう。
  この翌年、早すぎる死を迎えてしまうのだが、ベッドで眠るように息を引き取っていたのを発見されたときも、死してなおヘロインの不法所持で逮捕されるという悲しい結末を迎える。

 長いことビリーの歌伴をしていたピアノのマル・ウォルドロンは、このアルバムでも半数ほどの曲に参加している。ビリーの死をいたみ、その喪失感を表現したマルの『Left Alone』は、ひとり取り残された悲しさと寂しさをを訴えかけてくる。そのマルも2002年にこの世を去り、むせび泣くようなアルト・サックスを吹いていたジャッキー・マクリーンも、最近、鬼籍に入ってしまった。

 ビリーの歌を聴くたびに、歌のもつ力とはなんなのかを、考えずにはいられない。人の心を揺さぶるのは、決して「うまさ」ではないのだろうと思う。

June 03, 2006

●上田 正樹と有山 淳司: ぼちぼちいこか

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上田 正樹 (vo)
有山 淳司 (vo, g)
中西 康晴 (p)
藤井 裕 (b)
金子 マリ(chorus)
妹尾 隆一郎 (harm)

 昔から、音楽やオーディオなど興味のある分野については、関連する雑誌のほとんどに目を通すのが習慣になっている。特に音楽は、ミーハーなものを除けば、小学生の頃から主要な雑誌はほとんど見ているような気がする。最も、最近ではミーハーなものが多いので、手にする雑誌は限られたものとなってきている。

 このアルバムが発売された頃、今は廃刊になってしまった『新譜ジャーナル』や『Guts』といった雑誌に紹介されていたのは覚えている。当時は、アルバムの中から1-2曲、楽譜か歌詞プラスコード進行などが載っていることが多かった。たしか、「俺の借金、全部でなんぼや」という曲がのっていたように記憶しているが、歌詞だけを読むと完全なおちゃらけで、コミックバンドにしか思えず、聴いてみたいと思うこともなく忘れ去っていた。 
 そうこうしているうちに、気がつけば月日は流れ、上田正樹の名前は「悲しい色やね」の大ヒットで再び目にするようになった。おりしもAORブームが起こっていた時代ということもあり、都会的な大人の雰囲気のシンガーというイメージが、自分の中に植えつけられていった。

 ずっと忘れ去っていたアルバムを聴いてみようと思ったのは、有山淳司のギタープレイに関心があったからだ。少し泥臭いスタイルで、どんなギターを手にしても自分の音にしてしまう彼の演奏をたまたま見て、昔のものも聞いてみたくなったのだ。上田正樹の声も好きだったので、本作を手にしたのは自然の流れだった。
 「しまったぁ! もっと昔からちゃんと聴いておくんだったぁ」というのが最初の感想。確かに歌詞はコミカルな内容が多いが、演奏は素晴らしいし、コーラスもばっちり決まっている。何よりも、関西弁が実にブルースなどのスタイルにマッチしていて、ノリがよく、日本語の歌詞とは思えないほど。うまい人たちが、遊びの要素を持って楽しみつつ音楽をやっているのがなんともかっこよい。

 残念ながら、現在はこのCDは入手が難しくなっているようである。中古屋でリーズナブルな値段のものを見かけたらぜひとも手に入れてほしい。まだ、知らないうちに再発売となることも多々あるので、チェックをしておきたい。
 この時代で、ブルースの香りのする音楽を聴くのであれば、関西をベースに活動していた人たちのものは、絶対にはずせない。

 

May 31, 2006

●Back Street Crawler: Second Street

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Paul Kossoff (g)
John ‘Rabbit’ Bundrik (key, vo)
Tony Braunagel (ds, vo)
Terry Wislon (b, g)
Terry Wilson Slesser (vo)

 ブリティッシュ・ロックを代表するバンドといえば、レッド・ツェッペリンやザ・フーなど、枚挙に暇が無いが、派手さにはかけるものの、どうしても気になっていたのがフリーだった。ヴォーカルのポール・ロジャース(最近ではクィーンのヴォーカルとして脚光を浴びていたが)を中心としたこのグループは、シンプルなスタイルながら、ズンズンと心に響いてくる演奏をしていた。
 フリーのメンバーでひときわ輝いていたのが、ギターのポール・コゾフ。ギブソンのレスポールを使い、ひたすら泣きまくるフレーズには、単なる哀愁を越えて、鬼気迫るものすら感じさせられた。コゾフ独特の深いビブラートは、ちょっと聞いただけでも彼だとわかるトレードマークようなものだ。
 「All Right Now」が大ヒットすると、フリーは一気にトップ・グループへと駆け登っていく。その一方、メンバー間の軋轢がだんだんと大きくなり、ついにはバンドを解散、それぞれが別のグループを編成して活動を開始する。しかし、いずれもあまりパッとした成果を挙げられなかったこともあり、わずか一年余りでオリジナルメンバー4人でフリーを再結成することになる。

 以前から、コカイン依存が強かったポール・コゾフは、再結成後、さらにドラッグに浸るようになり、だんだんと演奏活動も満足におこなえないようになっていく。この状況に嫌気をさしたベースのアンディ・フレイザーがバンドを脱退。さらに、ツアーでもコゾフはギターを弾けないようなことが続く。結局、ツアー途中に新しいギタリストを加えて演奏を続けて急場をしのいだりするが、バンドとして問題は山積みとなり、再度解散という結末を迎えてしまう。

 フリーの2度目の解散後、奇跡的に状態が回復したコゾフは新たなメンバーとともにソロアルバムをリリースする。このアルバムがなかなかの好評だったことに気をよくしたコゾフは、『バック・ストリート・クローラー』というアルバムのタイトルをそのままバンド名として、自身のバンドを正式に結成して演奏活動をしていくわけである。
 しかし、コゾフのドラッグ依存症はひどくなる一方で、バンドとしてわずか2枚のアルバムをリリースした後、移動中の飛行機内で、ドラッグ多用が原因となる心臓発作のため、わずか25歳の若さでこの世を去ってしまう。

 このアルバムは、バック・ストリート・クローラー名義の2枚目。コゾフが死んだ直後のリリースだったためか、邦題は『2番街の悲劇』というものだった。ジャケット裏に小さく、「KOSS(コゾフの愛称)に捧ぐ」とあるのが痛ましい。1枚目に比べると、コゾフのギターは少し控えめになっているが、オリジナル期のフリーの音楽性をストレートに受け継いでいる本作は、佳作といってよい出来だ。
 クレジットを詳細に見ると、ポール・コゾフ(リードギター)となっているのに気付く。つまり、リード以外はベーシストでもあるテリー・ウィルソンがギターを弾いているのである。おそらく、すべてのギターパートを弾くことができるほどには、コゾフのコンディションはよくなかったのであろう。1枚目では、ギターを弾きまくっていたのとは好対照だ。

 改めて、じっくりと聴きなおしてみると、アコースティック・ギターの使い方がうまいのに感心する。ツェッペリンなどにも感じるのだが、ブリティッシュのトラッド・フォークの演奏スタイルが刷り込まれているがごとく、ダークでウェットなブリティッシュ独特の雰囲気のアコースティック・ギターがなんとも言えず良い。同じロックでも、バーズなどのアメリカン・ウエストコースト・サウンドでは、とても粋なサウンドに仕上がっているが、ブリティッシュ・ロックとなると、やはりどこかにブルースの香りが残る、泥臭さがある。そして、それが魅力でもある。

 ジョン・メイオールのブルース・ブレイカーズに在籍していたエリック・クラプトンの演奏を聴いて、ロック・ギタリストを目指したというポール・コゾフ。その生涯はあまりにも短く、燃え尽きてしまった。1950年9月生まれのコゾフが、今、生きていれば55歳。でも、彼が上手にバランスを取りながら、器用にギターを弾く姿など、まったく想像できない。
 

May 29, 2006

●Stephen Bishop: Careless

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Stephen Bishop (vo, g, tb)
Andrew Gold (g)
Eric Clapton (g)
Lee Ritenour (g)
Larry Carlton (g)
Reinie Press (b)
Barlow Jarvis (key, p)
Larry Brown (ds)
Chaka Khan (chorus)
Art Garfunkel (chorus)


 サイモン&ガーファンクルを聴くようになったとき、彼らはすでに解散していてそれぞれのソロアルバムを発表していた。ちょうどアート・ガーファンクルがリリースした『愛への旅立ち』の中の何曲かが、とても印象に残った。その一つを作詞・作曲したのがスティーヴン・ビショップ(ステファン・ビショップ)だった。アートのアルバムに楽曲を取り上げてもらったことが縁で、スティーヴンは自身のアルバム製作にこぎつけ、発表したのが本作である。

 この時代、AOR(Adult Oriented Rock-日本だけの呼び方なので、アメリカに行ってAORといってもまったく通じない)と呼ばれる、都会的でおしゃれな雰囲気のあるポップスがはやり始めていた。時代的には多少の前後はあるものの、ボビー・コールドウェルや、それまでのブルースをルーツにしたハード路線から若干軌道修正をしていたボズ・スキャッグス、クリストファー・クロスやマイケル・フランクスなどが、このブームに乗って脚光を浴びるようになっていた。

 ソングライターとしてのスティーヴンの才は、本作に収録されている作品を、前述のアートのみならず、フィービ・スノウやケニー・ランキン、バーバラ・ストライザンドなどがカバーしていることからもうかがい知ることができる。レコーディングに参加したミュージシャンもそうそうたる面子で、当時、売り出し始めた新人のシンガーソングライターへのサポートとしては、ビックリさせられるほどのものだ。結局、このアルバムからはシングルヒットも出、グラミー賞にノミネートされるなど高い評価を得るようになった。その後、立て続けにアルバムを数枚発表した後、『アニマル・ハウス』、『チャイナ・シンドローム』等をはじめ、映画音楽も手がけるようになり、コンポーザーとしての評判も高めていった。映画そのものにも出演するケースもどんどんと増えていった。
 自身の音楽としては、90年代に1枚、2000年以降にも1枚と、ペースは落としているものの、活動自体は続いている。

 都会的で、独特のウィットを持ちながら、どことなくほろ苦いような感傷を感じさせるスティーヴンの世界。70年代終わりから80年代の初めにかけて自分の過ごした時代と、オーバーラップしてはいろいろな想い出が頭の中に浮かんでくる。

May 25, 2006

●Michael Hedges: Breakfast in the Field

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Michael Hedges (g)
Michael Manring (b)
George Winston (p)

 ウィンダムヒル・レーベルのギターもの、というと真っ先に出てくると誰もが思うのがマイケル・ヘッジスだろう。確かに、以前取り上げたアレックス・デ・グラッシに比べても、左手でのタッピングなどを初めとする斬新な演奏方法などからも、印象に強く残るプレイヤーだろう。好き嫌いは別にして、フィンガースタイルのインスト演奏をする人は、必ず一度はその演奏を耳にしているはずだし、コンテンポラリーな曲では、マイケルが礎を築いた演奏スタイルを何らかの形で取り入れたものも多い。

 初期の作品からすでに傑作が多いが、今回はファーストアルバムを取り上げてみたい。ここでは、アレックスのときと同じようにErvin Somogyiのギターを半数以上の曲で使用している。Ervinの工房にいたとき、マイケルのことを聞いたことがあったが、残念ながらアレックスの場合とは違って、マイケルはソモギギターを所有してはいなかったそうだ。

 ファーストアルバムを録音するにあたり、いいギターを探していたマイケルは、Windham Hillレーベルの主宰者ウィリアム・アッカーマンに相談したところ、Ervinとすでに面識があった、ウィリアムはすぐさま、彼の工房へと足を運んだ。たまたま、手元にあったギターをErvinは快くマイケルに貸し、そのギターを使ってこの作品の録音が始まったのである。

 70年代の終わりから80年代の初めにかけてのソモギギターは、現在のようなフィンガースタイル向きと限定されるようなものでは必ずしも無かった。しかし、マーティンを初めとする当時主流だった工場製のものと比較すると、鳴りや倍音の響きに大きな特徴があった。

 ギター演奏を始めて間もない段階では、いかに楽器を鳴らすかが大きな問題だ。しかし、どんどんレベルが高くなってくると、単に鳴らすだけではなく、響きを意図したようにコントロールできるかが重要なポイントとなる。鳴りのよい楽器であれば、必要に応じて、伸びている音を止める(ミュートする)というテクニックが不可欠なのだ。この点から考えると、Ervinの楽器は、その鳴りと倍音ゆえ、一般的な楽器よりもきちんとしたミュートのテクニックが無いと、いつまでもだらしなく音が鳴り響いてしまい、曲の進行感やハーモニーにも問題が出てきてしまう。

 マイケルは、実は、この作品以降はErvinの楽器はほとんど使わず、マーティンなどの楽器をメインに使用することになる。ひょっとすると、マイケルのように左手でも弦をはじいて音を出すスタイルでは、自由に音をミュートするのが難しいということが、その背景にはあったのかもしれない。

 1曲目に入っている「Layover」は、以前楽譜にもなっていたことがあり、マイケル好きの人が比較的簡単に挑戦する曲である。1998年に、サンフランシスコからゴールデンゲート・ブリッジを渡ってしばらく行ったサン・ラファエロという街でギターの展示会があった時の事である。Ervinのアシスタントとして私も会場で手伝っていたところ、中国系アメリカ人の男性が、ブースにやってきて試奏させて欲しいといった。彼がおもむろに弾き始めたのが、この「Layover」だった。ほとんどノーミスで完璧に近い演奏に、Ervinともどもビックリしたものだった。途中で、演奏を聴きつけて、少しずつギャラリーが集まるような状態になっていた。

 弾き終わった後、「一度、マイケルが実際にレコーディングで弾いたソモギ・ギターでこの曲を弾いてみたかったんだ」と彼がいったのを聞き、わずかその半年くらい前に交通事故でこの世を去ったマイケルの根強い信奉者がどこにでもいることを実感した。
 集まったギャラリーの中には、サンフランシスコをベースに演奏活動や、ライブの企画で中心的な働きをしているブライアン・ゴアというギタリストがいた。彼は、すぐさまその男性に声をかけた。「オリジナルの曲はないの? あれば、今度やるライブに一緒に演奏しないか。」と。しかし、彼の答えは、「オリジナルの曲はないんだ・・・。ただ、好きな曲をコピーして弾いているだけだよ。」というものだった。

 ブライアンにしてみれば、これだけギターが弾けるなら、自分で作った曲を演奏していてもおかしくは無いと思ったようだ。横で聞いていた私は、なんとなくこの中国系アメリカ人に、日本人にも通ずるようなメンタリティを感じ、共感できるものがあった。
 でも、今なら少し考え方が違う。うまくギターが弾けるようになるのは、自分にとっては楽しいことである。しかし、人の心を動かすのは、表現としての音楽で、演奏テクニックではない、と。
テクニック云々とはまったく別の次元において、オリジナルとしてのマイケルの素晴らしさ、すごさは筆舌に尽くしがたいものがある。