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April 26, 2006

●Bartok: Piano Concertos Nos. 1&2

Bartok_pianoconcerto.jpg

Maurizio Pollini (p)
Claudio Abbado (cond)
Chicago Symphony Orchestra

 バロック音楽を代表するバッハなどは、その旋律法などが数学的見地からも興味深い対象(ホフスタッターの名著『ゲーデル・エッシャー・バッハ』は一世を風靡した)であったため、時折聴くこともあったが、近現代物となると難解なイメージがどうしても強く、避けて通ってきた。

 大学時代、友人のY君は現代音楽に非常に精通しており、武満徹を初めとした現代音楽のCDのコレクションはなかなかのものだった。ジョン・ケージの作品などをはじめ、現代音楽の素晴らしさについて熱弁をふるったY君だが、私のほうは、「音楽」というイメージと現代音楽の作品が結びつかず、なんとなく気にはなっていたものの、積極的に手を伸ばそうという対象ではなかった。その彼が、あるとき「バルトークはいいよ」といって推薦してくれたのが、このバルトークのピアノ協奏曲第1番、第2番である。やはり、あまり期待もせずに、聞かせてもらったのだが、それまでの「近現代もの=難解」というイメージを払拭する、すばらしい演奏だった。
 クラシックの場合、同じ曲でも指揮者やソリスト、オーケストラが違えば当然違った演奏に仕上がる。「誰が指揮した、どこのオケの、いつの録音がいい」などと、マニアは言うわけであるが、残念ながら、私はそこまでいろいろと聴き込んでいるわけではない。ただ、本作に関しては、バルトークの楽曲とポリーニのピアノが、すばらしくマッチしていることは間違いない。

 弦を極力追いやり、管楽器を前面に出した曲の構成は、一般的なオーケストラ演奏とはイメージをかなり違うものにしている。非常に硬質で、時折パーカッシブな要素も交えたポリーニのピアノは、管楽器の中に、切り込んでいくかのように鋭い。第2番の第2楽章には、唯一といってよいくらいだが、弦楽を前に出した主題が演奏される。ここでも、「弱音器をつけて、ビヴィブラートをかけずに」と指定されているため、普通とは違う、不思議な浮遊感を感じさせる弦の響きとなっている。
 音階、和声によるものだろうが、楽曲の展開なども含め、現代のジャズに通ずる要素を強く感じる。特に、ヨーロッパ系のピアノもの、それもリリカルではない演奏をするジャズ・ピアニストは、バルトークの影響を何らかの形で受けているのかもしれない。

 ジャズのアルバム全体を一つの作品として聴くことを考えれば、バルトークの曲はさほど抵抗無く聞くことができるだろう。緻密なつみあげをしながら、難解なものとはなっていないこの曲などは、近現代のクラシックを聴くための導入作品としてもよいかもしれない。

 今や、クラシック界を代表するアバドとポリーニ。若かりし頃のジャケット写真がほほえましい。

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