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November 20, 2008

●Edward Gerhard: Counting the Ways

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Edward Gerhard (g, lap steel, b, per)
Martin Simpson (g)
Bob Brozman (lap steel)
Arlo Guthrie (g)
Ray Brunelle (ds)

『Night Birds』で触れたが、エドに初めて会ったのが1998年春の初来日のときだった。アーヴィンが自分のギターの音のプレゼンテーションにエドのアルバムを持っていたくらいだったので、てっきりSomogyiギターを使っていると思い、とても楽しみに南青山MANDALA似足を運んだ。中川イサトさんが中心となって、エド・ガーハード、プレストン・リードを招き、小松原俊さんと4人のジョイントという実に豪華なライブだった。

それぞれが個性的で味のある演奏を繰り広げ、心待ちにしていたエドのステージが始まった。彼が手にしていたのはアーヴィンの楽器ではない!! 「えぇっ」と驚きながら見るとBreedloveのあまり見たことのないモデルだ。
MCでこの楽器が来日直前に完成して渡され、今回が初のステージお目見えとのこと。演奏自体はとてもすばらしいもので楽器の違いなどあまり気にならなくなり、気がつけばすっかり音楽を楽しんでいる自分がいた。
ライブのあとエドに話をし、近々バークリーにギター製作を勉強しに行くというと、「Ervinのところかい? 彼は本当にいい製作家だよ。いい友達だし」と笑って答えてくれた。

このアルバムがリリースされたのが1996年。実はこのときすでにエンドースメントを受けてBreedloveを使っていたのだった。BreedloveはもともとTaylor社にいたLarry BreedloveがクラフトマンのSteve Hendersonと1990年に立ち上げた比較的新しいギターメーカー。外見的には特徴的なブリッジのデザインが印象的だが、立ち上げ直後に合流したDon Kendallが開発したJLDブリッジ・システムを採用していたのが実に斬新的だった。

アメリカに渡ってアーヴィンの元でギター製作を手伝いながら勉強をする日々を送っていた頃、エドと再会する機会があった。98年の夏、ベイエリアの北部にあるSan Rafaelという街で開催されたAcoustic Guitar Festivalの会場でのことだった。「僕のことを覚えている?」と聞くと、エドは笑って「もちろん!」と答えた。ライブで使うメインギターを変えた後も、エドとアーヴィンの親交は変わることなく続いていたのである。向こうのギター展示会では、自分のギターのプレゼンテーションの時間が設けられていることが多く、主催者側が手配したギタリストか、それぞれが各自で依頼したギタリストに別会場(このときは大学が会場になっていたので展示会場とは別の教室だった)で30分ほど演奏をお客さんに聴いてもらうことが出来る。

アーヴィンはマーティン・シンプソンに演奏を依頼していたのだが、当日、マーティンの友人がアクシデントに巻き込まれて、時間まで到着できないというハプニングが発生してしまった。急遽、旧友のエドに演奏を依頼したところ快諾してくれて無事にプレゼンテーションを終えることが出来た。期せずして、エドがアーヴィンの楽器を演奏(それもピックアップを搭載していない楽器だったのでマイク収音というおまけつきだった)を聴くことが出来たが、ギターも演奏自体もすばらしく、聞きながら思わず鳥肌が立つほどだった。

さて、少しこのアルバムについて触れてみよう。副題にLove Songsとあるように、バラードものを中心にイギリスの古い伝統歌、ビートルズやミシシッピ・ジョン・ハートの楽曲、アフリカ、メキシコ、フィジーのラブソングをギター曲にアレンジしている。比較的ゆったりした曲ばかりなのだが、メロディラインの多彩さもあいまって単調な感じはまったくなく一気に聴いてしまう。ライブでの定番曲も多いのでエドの代表アルバムといってもよいが、その中でも白眉の出来はやはり「The Water is Wide」だろう。

この曲のルーツははっきりしたことはわかっていないが、17世紀ごろにイングランドもしくはスコットランドで歌われていたメロディに19世紀ごろにバラッドといわれる口承の物語を歌詞にして載せたものだといわれている。このスタイルは多少形が違っていはいるもののアメリカでも見られ、この曲をもともとアメリカの曲だと思っている人も少なくないという。
アイリッシュ、ブリティッシュのシンガーのみならず、その美しいメロディからインストとしても良く取り上げられ、特にギターソロにアレンジされているものも多い。その中でもエドのアレンジは、いつものように決して奇をてらうことなく、それでいてユニークで聴くものを引き込む力のあるものだといえる。この一曲を聴くためだけにこのアルバムを手に入れる価値は十分ある。
このアルバムではメインにブリードラブのギターを使っているが、実は「The Water is Wide」、「My Creole Belle」および「Isa Lei」のメインギター(この曲はオーバーダブでエドが複数のパートでギターを弾いている)ではSomogyiを使っていると彼はHPでアナウンスしている。


1998年の初来日以来、毎年とまではいかないが幾度となく日本に来ているエド。パートナーのケリーともども大の親日家で、日本の聴衆の前での演奏を本当に楽しんでいる様子がいつも伝わってくる。
アメリカでは毎年12月に行っているクリスマス・コンサートのプログラムでの演奏を去年から日本でも行うようになった。ことしも11月25日に東京の白寿ホールでクリスマス・プログラムでのコンサートが開催される。オリジナル曲をたくさん聴けないのは少々残念ではあるが、思いのいっぱい詰まっているクリスマス曲をエドのつむぎだすすばらしいギターサウンドで堪能できるのはとても楽しみである。

November 14, 2008

●Edward Gerhard: Night Birds

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Edward Gerhard (g)

ギター製作の第一歩を踏み出すのに、もっとも大切だった出会いは1997年、東京池袋の楽器フェアの会場でのことだった。自らのギターのプロモーションも兼ねて、アメリカからErvin Somogyi氏が来日していたのである。当時、ギター製作の勉強をどうしたらいいかと模索していた私は、すばらしいギターを世に送り出し続けているアーヴィンにアドバイスを求めるべく話しかけたのだった。

このときの内容や、私がどうやってギター製作の道を歩み始めたのは置いておくとして、日本に来る際にアーヴィンが自分のギターの音を聴くサンプルとして持っていたアルバムが2つあった。ひとつはSteve Hancoffの『Steel String Guitar』、そしてもう一枚が本作だった。

アーヴィンのギターの音はマイケル・ヘッジスやアレックス・デグラッシ、ウィリアム・アッカーマンなどのウィンダムヒル系のギタリストの音楽でなじみがあったが、彼のギターの愛用者としてエド・ガーハードの名前は当時は知らなかった。

フィラデルフィア生まれのエドが最初にギターを意識したのは10歳のとき。テレビでクラシック・ギター界の巨匠アンドレス・セゴビアの演奏を見たのがきっかけだった。それまではポップスばかりを聴いていた少年が、ギター一本で繰り広げられる音楽に魅了された瞬間だ。
14歳のとき、ようやく自分のクラシック・ギターを手に入れた彼は当然のようにクラシック・ギターを習うようになる。しかし、しばらくして伝説のブルースマン、ミシシッピ・ジョン・ハートや鬼才ジョン・フェイヒの音楽に触れ、急速のその関心はクラシックからスティール弦ギターの演奏へと移っていく。レコードを聴いてコピーをしたり、友人に習ったりしてギターの技術を磨きながら、コーヒーハウスなどでソロもしくは友人たちと一緒に演奏をするようになっていった。
その後、現在も居を構えているニューハンプシャーへと移り住み、様々な形で演奏を続けながら自らも曲作りをどんどんと進めていく。特に、ジョン・フェイヒから強く影響を受けたと自ら言っているが、変則チューニングによってギターの美しい響きをどう生かすかを良く考えていたという。

本作はそんなエドが1987年、31歳のときにまさしく満を持して発表した初のソロアルバム。ボストン・グローブ紙のレコード評欄で年間のベスト10アルバムに選ばれるという高い評価を得た。リリース直後には、Windham Hillレーベルから新たにリリースされるGuitar Samplerアルバムへ参加しないかという声がかかり、Handing Down(ソロ3作目となる『Luna』にも収録されている)という曲を演奏・収録した。Windham Hillのアルバムを介してエドの名前を知ったというリスナーも数多くいたことだろう。

エドの魅力はなんといってもギターの音の存在感。決してギミックな奏法を用いたり、複雑なことを積極的にやっているわけではない。一音一音に、自分の持っているものすべてを凝縮して音楽を紡ぎだす、そんな彼の姿勢がひしひしと伝わってくる。弦をはじいてギターが音を発した瞬間に音楽になる、彼の演奏を聴くたびにいつも思うことである。

一部の楽曲ではGuildの12弦ギターを重ねているが、メインで使っているのはErvin SomogyiのDreadnoughtモデル。現在は座って演奏するのに適するようにボディのラインを一般的なドレッドノートタイプから変更したModified-Dというモデルが主流であるが、80-90年代初頭くらいまではドレッドノートモデルもかなり製作していて、エドは直接アーヴィンと相談しながらギターの仕様を決めていったという。
90年代後半になるとエドはBreedloveのエンドースメントを受け、ライブなどではこのギターの出番がなくなってしまったが、「今でも一番好きで大切なギターのひとつだよ」といい、アルバムでもここぞというときには登場している。

1998年3月に初来日をしたエド。そのときは中川イサト、小松原俊、プレストン・リードそしてエドの4人によるツアーだった。この年の5月以降にアメリカにわたり、アーヴィンの元でギター製作の勉強をするつもりだった私は、もちろんこのライブに足を運び、エドといろいろ話をすることが出来た。このときのことも含めてエドとのエピソードなどについては、次に紹介するアルバムで触れることにしたい。

July 13, 2006

●Steve Eliovson: Dawn Dance

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Steve Eliovson (g)
Collin Walcott (per)

 彗星のように現れて、素晴らしいアルバムを残したかと思うと、忽然と音楽シーンから姿を消してしまったアーティストもおおぜいいる。ここで紹介するスティーヴ・エリオヴソンもその一人であろう。

 21歳からギターを始めた彼が、このアルバムを録音したのは28歳のとき。わずか7年でこのレベルの演奏に到達したということから、相当ギターののめりこんでいたことは想像に難くない。
 たびたび取り上げているが、このアルバムもドイツのECMレーベルからのリリース。スティーヴは録音する1年前に、直接マンフレート・アイヒャーにデモテープを送ったところ、無名のギタリストの素晴らしい演奏にビックリしたマンフレートはスティーヴに直接会ってすぐさま、レコーディングをおこなうことを決めたという。

 南アフリカ生まれのスティーヴはギターを始めてからしばらくしてアメリカに渡っているが、2年ほどで再び母国へと戻っている。その後、ジャズやインド音楽などにも一時期傾倒していた。確かに、このアルバムでの演奏からはインド音楽の影響を、うまく昇華した形で自分の音楽を作り上げていることが伝わってくる。民族音楽への造詣が深いオレゴンののパーカッションとして活躍していたコリン・ウォルコットをサポートとして迎えているのも非常に当たっている。
 オレゴンではギターのラルフ・タウナーとともにダブル・フロント的な位置でかなりフィーチャーされた演奏をしているコリンだが、ここではあくまでもスティーヴのサポートという位置づけ。前に出すぎることなく、かといってしっかり存在感のある絶妙なプレイである。

 スティーヴのギターは、ジャズ・テイストが随所に顔を出しているものの、上述のインド音楽や、ウィンダム・ヒルレーベルのウィリアム・アッカーマンの初期の演奏とも共通するような畳み掛けるようなフレーズが徐々に展開をしていくようなニューエイジ的な構成など、それまでのECMレーベルのギタリストとは、少し違う傾向を持っている。曲の展開にはアフリカ音楽的な要素もそこはかとなく感じることができるが、比較的プリミティブな音の楽器を用いることが多いアフリカの音楽に対して、彼の弾くギターの音はやはりヨーロッパのもの。ヨーロッパ、アメリカの音楽をベースとしつつもアフリカや南アジアの影響もしっかり感じさせるところが興味深い。

 ECMレーベルはアーティストとの関係を長期間にわたって作り上げていくことを考えると、1作だけで関係を終わらせてしまったスティーヴのケースは極めて珍しいことであろう。これだけレベルの高いものを作り上げながら、わずか1作だけで、音楽の世界からすっかり姿を消してしまったのは残念至極である。いつの日かまた、素晴らしい演奏を聞かせてくれるのを心待ちにしたい。

July 02, 2006

●Tim Sparks: One String Leads to Another

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Tim Sparks (g)
Dean Magraw (g)


 アメリカにおいて、フィンガースタイルのギターソロ演奏では、毎年カンザス州ウィンフィールドで開かれるフィンガー・ピッキング・コンテストで優勝することが、最近は登竜門のようになっている。今回取り上げる、ティム・スパークスは1993年の優勝者。コンテストでは、チャイコフスキーの「くるみ割り人形」をギターソロにアレンジしたものを演奏し、後に、CDとしても(コンテストでの演奏ではなく、スタジオ録音のもの)発表した。

 アメリカ東海岸のノースカロライナ生まれのティムは、もともとクラシック・ギターから勉強を始めたという。しかし、アートスクールを卒業する頃から、ジャズをはじめとするさまざまなジャンルの音楽に関心を示すようになる。彼の音楽の方向性を大きく変えたのは、地中海~東ヨーロッパ地域の音楽だろう。奨学金を得て、ポルトガルのファドやユダヤのクレズマーなどを吸収することで、複雑なポリリズム、独特のエスニックな音階を多用するスタイルが形作られていった。

 本作では、一曲のみサポートのギターが入っているが、基本はギターソロ。彼自身のコメントによれば、「前作まではチャイコフスキーやバルトーク、バルカンのフォーク音楽、中東の音楽、ジャズ、ケルトそしてラテンの色が濃いものだった。しかし、今回の作品では、自分のルーツとも言える、ノースカロライナの音楽に戻ってきた」とある。確かに、(アメリカナイズされたわれわれ日本人にとっても)アメリカ的なわかりやすく、耳なじみの良い曲が並ぶ。しかし、地中海に面する国々の音楽の影響は、そこかしこに見え隠れするのが面白い。

 ティムは、何度が来日している。2002年に中川イサト氏がハンガリーのギタリスト、シャンドラ・サボと一緒にティムを呼んだライブを見たが、同じギターソロ演奏ながら三人三様でとても面白く、楽しむことができた。ライブ後に、自分が製作したギターを試奏してもらい、コメントをもらったのだが、とても誠実に対応してもらったことを今でもよく覚えている。
 ギターを評価してもらうと、概してアメリカ人はその楽器のいいところを捉えて、コメントしてくれ、ネガティブなことをいうことは滅多にない。こちらとしては、ほめてもらうよりは、いま自分の楽器に何が足りないかをプロのプレイヤーの視点から捉えてもらいたいという気持ちが強かったので、「あえて、ネガティブなことを指摘してもらえると、これから楽器をよくしていくための足がかりになるから」と無理を言って、いろいろアドバイスをしてもらった。ライブで自分が弾いていた楽器と私の楽器の両方をかわるがわる弾き、「こっちの楽器はこうだけれど、こちらはああだ」と一つ一つ丁寧にコメントをしてくれる。そのコメントはとても知的で、的確なものだった。彼の暖かい対応には、今でも感謝している。

 一見複雑そうに感じる彼の音楽も、気がつけばメロディラインを口ずさむようになるほど耳に馴染んでいく。それは、メロディが歌っているからに他ならない。

May 25, 2006

●Michael Hedges: Breakfast in the Field

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Michael Hedges (g)
Michael Manring (b)
George Winston (p)

 ウィンダムヒル・レーベルのギターもの、というと真っ先に出てくると誰もが思うのがマイケル・ヘッジスだろう。確かに、以前取り上げたアレックス・デ・グラッシに比べても、左手でのタッピングなどを初めとする斬新な演奏方法などからも、印象に強く残るプレイヤーだろう。好き嫌いは別にして、フィンガースタイルのインスト演奏をする人は、必ず一度はその演奏を耳にしているはずだし、コンテンポラリーな曲では、マイケルが礎を築いた演奏スタイルを何らかの形で取り入れたものも多い。

 初期の作品からすでに傑作が多いが、今回はファーストアルバムを取り上げてみたい。ここでは、アレックスのときと同じようにErvin Somogyiのギターを半数以上の曲で使用している。Ervinの工房にいたとき、マイケルのことを聞いたことがあったが、残念ながらアレックスの場合とは違って、マイケルはソモギギターを所有してはいなかったそうだ。

 ファーストアルバムを録音するにあたり、いいギターを探していたマイケルは、Windham Hillレーベルの主宰者ウィリアム・アッカーマンに相談したところ、Ervinとすでに面識があった、ウィリアムはすぐさま、彼の工房へと足を運んだ。たまたま、手元にあったギターをErvinは快くマイケルに貸し、そのギターを使ってこの作品の録音が始まったのである。

 70年代の終わりから80年代の初めにかけてのソモギギターは、現在のようなフィンガースタイル向きと限定されるようなものでは必ずしも無かった。しかし、マーティンを初めとする当時主流だった工場製のものと比較すると、鳴りや倍音の響きに大きな特徴があった。

 ギター演奏を始めて間もない段階では、いかに楽器を鳴らすかが大きな問題だ。しかし、どんどんレベルが高くなってくると、単に鳴らすだけではなく、響きを意図したようにコントロールできるかが重要なポイントとなる。鳴りのよい楽器であれば、必要に応じて、伸びている音を止める(ミュートする)というテクニックが不可欠なのだ。この点から考えると、Ervinの楽器は、その鳴りと倍音ゆえ、一般的な楽器よりもきちんとしたミュートのテクニックが無いと、いつまでもだらしなく音が鳴り響いてしまい、曲の進行感やハーモニーにも問題が出てきてしまう。

 マイケルは、実は、この作品以降はErvinの楽器はほとんど使わず、マーティンなどの楽器をメインに使用することになる。ひょっとすると、マイケルのように左手でも弦をはじいて音を出すスタイルでは、自由に音をミュートするのが難しいということが、その背景にはあったのかもしれない。

 1曲目に入っている「Layover」は、以前楽譜にもなっていたことがあり、マイケル好きの人が比較的簡単に挑戦する曲である。1998年に、サンフランシスコからゴールデンゲート・ブリッジを渡ってしばらく行ったサン・ラファエロという街でギターの展示会があった時の事である。Ervinのアシスタントとして私も会場で手伝っていたところ、中国系アメリカ人の男性が、ブースにやってきて試奏させて欲しいといった。彼がおもむろに弾き始めたのが、この「Layover」だった。ほとんどノーミスで完璧に近い演奏に、Ervinともどもビックリしたものだった。途中で、演奏を聴きつけて、少しずつギャラリーが集まるような状態になっていた。

 弾き終わった後、「一度、マイケルが実際にレコーディングで弾いたソモギ・ギターでこの曲を弾いてみたかったんだ」と彼がいったのを聞き、わずかその半年くらい前に交通事故でこの世を去ったマイケルの根強い信奉者がどこにでもいることを実感した。
 集まったギャラリーの中には、サンフランシスコをベースに演奏活動や、ライブの企画で中心的な働きをしているブライアン・ゴアというギタリストがいた。彼は、すぐさまその男性に声をかけた。「オリジナルの曲はないの? あれば、今度やるライブに一緒に演奏しないか。」と。しかし、彼の答えは、「オリジナルの曲はないんだ・・・。ただ、好きな曲をコピーして弾いているだけだよ。」というものだった。

 ブライアンにしてみれば、これだけギターが弾けるなら、自分で作った曲を演奏していてもおかしくは無いと思ったようだ。横で聞いていた私は、なんとなくこの中国系アメリカ人に、日本人にも通ずるようなメンタリティを感じ、共感できるものがあった。
 でも、今なら少し考え方が違う。うまくギターが弾けるようになるのは、自分にとっては楽しいことである。しかし、人の心を動かすのは、表現としての音楽で、演奏テクニックではない、と。
テクニック云々とはまったく別の次元において、オリジナルとしてのマイケルの素晴らしさ、すごさは筆舌に尽くしがたいものがある。

 

May 09, 2006

●Alex de Grassi: Southern Exposure

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Alex de Grassi (g)

 スティール弦ギターでのインストゥルメンタル演奏をポピュラーにしたことに貢献したレーベルとしてWindham Hillをあげることに異論を唱える人は少ないだろう。1970年代半ばに、スタンフォード大学のあるパロ・アルトでWilliam Ackermanが立ち上げたレーベルは、ピアノのジョージ・ウィンストンを初めとする、アメリカのフォークの伝統を持ちつつ、ジャズやクラシックの要素を取り入れた良質な音楽を演奏する仲間たちの活動を、世の中に伝えていこうとすることがベースとなっていた。

 アレックス・デ・グラッシは同じベイエリアにある公立校の雄、カリフォルニア大学バークリー校(ちなみにスタンフォードは西海岸を代表する私学)で地理経済学を専攻していたが、卒業を間近に控えた時期、いとこのウィリアム・アッカーマンが立ち上げたウインダムヒル・レーベルからギター演奏による作品『Turning: Turning Back』をリリース。この作品が好評だったこともあり、彼はギタリストとして一本立ちしていくことになる。

 アメリカを代表するギター製作家、Ervin Somogyi(日本ではアーヴィン・ソモギと呼ばれているが、英語ではソモジという音の方が近い。但し、Ervinによれば、彼の母国であるハンガリーではショモジと発音するので、どちらにせよもともとの発音とは違うということだ)は、70年代後半からギター製作に本格的に打ち込み始めるが、スティール弦の個人製作家というのは、それまでに前例がほとんどなく、苦戦を強いられていた。
 そんな折、同じベイエリアでの新興音楽勢力ともいえるウィンダムヒル・レーベルが立ち上がり、ウィリアム・アッカーマンがアーヴィンのギターを使い始めるようになる。ウィンダムヒルのギタリストたちは、ウィリアムから「今までに無い、素晴らしい音のギターがある」と、アーヴィンのギターを紹介され、次々とレコーディングに使うようになっていった。

 アーヴィンにとっては、早い段階で、自分のギターを愛用してくれたアレックス・デ・グラッシとダニエル・ヘクト(彼は『Willow』というアルバム一枚だけを同レーベルからリリースしている。現在はギター演奏をおこなっておらず、作家として活動しているらしい)は、特に思い入れがあるようで、工房には80年代前半に二人がおこなったコンサートのポスターを飾っていた。もちろん、二人ともアーヴィンのギターを手にして写真に写っている。

 本作は、アレックスにとっては4枚目のアルバム。初期の作品に比べると、演奏スタイルも熟成されてきている。楽曲の構成はクラシックの雰囲気もあり、ヨーロッパ的な香りがするのも面白い。空間系のエフェクト(おそらくコーラスかハーモナイザーの類と思うが詳細は不明)を効果的に使っているので、音のバリエーションも楽しめる。ただ、ギターを作る側から言えば、生音の素晴らしいアーヴィンの楽器を使っているだけに、加工をしない音をもっと聞かせて欲しかったのは正直な気持ちだ。

 AlexdeGrassi_retrospective.jpg 残念なことに、本作は現在入手困難になっているようである。手に入りやすいものとしては、Windham Hillレーベルでのベストアルバム『A Windham Hill Retrospective』を変わりにあげておく。『Southern Exposure』を含む過去4作とウィンダムヒル・アーティストのライブ盤からの選曲で、アレックスのウィンダムヒルでの演奏を知るには最適であろう。
 いい作品が、コンスタントに入手できるような状況をぜひとも作ってもらいたいものだ。

 アレックスは現在もベイエリアをベースとして演奏活動をおこなっている。新しい作品もなかなか評判がいいようなので、機会を見て聴かなければと思っている。

May 06, 2006

●Martin Simpson: Leaves of Life

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Martin Simpson (g)
Eric Aceto (violect Mandolect)

 Ervinの工房で修行をしていたとき、何人かに素晴らしいギタリストと出会うチャンスがあった。マーティン・シンプソンもその中の一人。1999年当時は、カリフォルニアからニューオリンズへと移り住んでいたが、ベイエリア(サンフランシスコ近辺)でイベントがあると、Ervinのところへいつも顔を出してた。英語特有の表現ではあるが、Ervinはマーティンのことをとてもリスペクトしていて、「彼と同じ空気を吸っていると思うだけで、光栄だ」」といつも言っていたことを思い出す。

 イングランド生まれのマーティンは、ケルト音楽など、伝統的なものをベースにしつつも、アメリカのブルースやカントリーの要素も加えた独特のスタイルを作り上げた。最初に手にしたのはバンジョーで、時折、弦をはじくようにしてパーカッシブな効果を狙ったギターの弾き方も、クローハンマースタイルというバンジョーの奏法を元にしたものだという。ちょっとダミ声っぽいボーカルも魅力的だが、やはりすごいのはギター演奏そのもの。情感のこもったスローな曲から、クローハンマーを駆使したドライブ感あふれるものまで、とても多彩でまったく飽きさせることが無い。本作は、Shanachieレーベルから出した最初のアルバムで、ギターの魅力を前面に押し出したもの。ちなみにエリックの演奏しているViolectとMandolectとは、彼のオリジナルデザインの楽器で、エレクトリック化をした、バイオリンとマンドリン。いずれも、エリック自身が製作したものだという。

 現在は、ニューオリンズを離れ、再びイングランドを拠点に活動をおこなっているマーティン。奥さんのジェシカとのおしどり夫婦ぶりも、とても素敵で、一緒に演奏しているアルバムもいい。彼の演奏を聴くと、「天賦の才」の意味がしっかりと伝わってくる。

April 28, 2006

●Pierre Bensusan: Musiques

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Pierre Bensusan (g, mandolin, vo)

 久しぶりにギターソロのアルバム紹介となるが、前回のラルフ・タウナーはナイロン弦ギターがメインだったのに対し、こちらはスティール弦。このスタイルの音楽をどのジャンルに入れるかはいつも悩むところだが、アメリカなどではNew Ageにカテゴライズされるのが一般的だった。ニューエイジという言葉には少し抵抗があるが、とりあえず、ここでもそのカテゴリーに入れることにしよう。

 ピエールはアルジェリア生まれのフランス人。ボブ・ディランの歌で英語を覚え、弾き語りを始めたという。その後、ジョン・レンボーン、バート・ヤンシュという素晴らしい二人のギタリストが在籍していた、伝説的なブリティッシュ・フォーク・ロックのグループ、「ペンタングル」に惹かれ、ケルト音楽などの影響も取り込んでいくようになる。

 このアルバムは、今では彼のトレードマークといってよいDADGADと呼ぶ変則チューニングで、全編演奏されている。このチューニングは、アイリッシュやブリティッシュ・フォークなどのプレイヤーがよく用いており、独特の雰囲気を作り出すものだ。ただ、ピエールは、このチューニングの持つ古典的なイメージを超え、コンテンポラリーな曲想にもうまくフィットさせている。ライブで、比較的インプロビゼーション色の強い曲を演奏すると、ケルト音楽の影響に、アフリカのリズムがのったようなフレーズが見られる。彼のルーツを考えると、なるほどと納得できる。

 ステージで自分の演奏、音を完璧にコントロールするピエールの姿から容易に想像できるが、アメリカのギター製作家に話を聞くと、多くの人が「ピエールは気難しいからなぁ」という。2001年に来日したとき、ライブ後に少し彼と話す機会があったが、気難しさなど感じさせぬ、実にフランクな人柄だった。もちろん、一緒に仕事をするとなると、別だろうが・・・。

 2004年には、サンフランシスコを拠点に活動をしているブライアン・ゴアの呼びかけで、クラシック・ギタリスト兼作曲家のアンドリュー・ヨークなどを交えて、「インターナショナル・ギター・ナイト」と称したツアーをおこなっている。それぞれが、ユニークな演奏スタイルを持つテクニシャンぞろいだけに、面白い仕上がりとなっているようだ。ただ、ピエールはこの頃から、メインギターを変更しており、ライブ音源などはピックアップの音色が今ひとつの仕上がりなのが残念だ。
 最新作も素晴らしい演奏だが、個人的には、以前のギターの音色の方がしっくりくるように感じてしまう。よい悪いではなく、あくまでも好みの問題ではあるが・・・。ただ、ひとつところにとどまらず、新しいスタイルにも挑戦し続けているピエールの今後からは、やはり目を離すことはできない。