●NEWS●

アメリカを代表するギター製作家Ervin Somogyi氏が、8年間以上の年月をかけてギター製作についてまとめた本を2009年7月に刊行することになりました。『The Responsive Guitar』『Making the Responsive Guitar』の2冊で、Somogyi氏のHPより購入が可能です。従来のハウツー本とは異なり、具体的な作業についての言及のみならず、ギターを製作する上で理解しておくべき原理原則などを平易な表現でまとめた本書は、他に類を見ないものとなっています。著者のコメントにも「次世代の製作家たちにとってバイブルのようなものとなるだろう」とあるように、ギター製作に関わる人にはぜひとも読んでもらいたい本です。なお本書は全編英語のみですのでご注意ください。
またSomogyi氏自身のナレーションによるプロモーションビデオがYouTubeに公開されていますのであわせてご覧ください。

Ken Oya Acoustic Guitarsの音は以下のCDでお聴きいただくことができます。

伊藤賢一さん
最新作『かざぐるま』ではModel-Jを、3rdアルバム『海流』ではModel-FとModel-Jにて演奏されております。

竹内いちろさん
1stアルバム『竹内いちろ』で全曲Model-F(12Fjoint仕様)を使っていただいております。

押尾コータローさん
2008/1/1リリースの『Nature Spirit』に収録されている「Christmas Rose」でModel-Jを弾いていただいています。

July 29, 2006

●Bill Evans: Waltz for Debby

BillEvans_waltz.jpg

Bill Evans (p)
Scott LaFaro (b)
Paul Motian (ds)

 ビル・エバンスがらみのアルバムを続けて紹介したので、次は彼のリーダー作を取り上げてみよう。数え切れないほどの名作を残しているビルだが、定番中の定番が本作。1961年6月25日、ニューヨークの老舗ジャズクラブ、ヴィレッジ・バンガードでのライブ収録盤である。この日の演奏は、『Waltz for Debby』、『Sunday at the Village Vanguard』の2枚としてリリースされている。『Sunday...』の方はスコット・ラファロのオリジナル曲などを収録しているのに対して、『Waltz for Debby』はスタンダード中心の選曲となっている。

 ビル・エバンスを聴くにあたり、トリオ編成ではスコット・ラファロ、ポール・モティアンによる演奏をまず押さえておきたい。スコット・ラファロがビルのピアノトリオに参加したのは1959年のことである。ビルが当時重視していたのがインタープレイと呼ばれるスタイル。従来のビバップでのアドリブに比べて、プレイヤー相互のかかわりがより強い演奏スタイルである。ビルはこの後にも、違うメンバーによる素晴らしいトリオ演奏を残しているが、最初の、そして最も成功したスコット・ラファロとポール・モティアンによるトリオ演奏をやはり最初に紹介しなければいけないだろう。

 ややルバート的なビルのソロから始まり、スコットが力強いベースラインで絡み、ポールがでしゃばりすぎず、かといってしっかりと存在感のあるブラシワークで支えるというパターンも一つの特徴ともいえよう。ビルのピアノは、これまでのジャズ・ピアニストとは少し趣きが異なり、リリカル(詩的)という表現がピタリとはまるものだろう。あくまでも違いという観点からだが、黒人ピアニストに対して白人ピアニストとしてくくられる「違い」を確かに感じる。単に激しい、激しくないということではなく、感情をストレートに表出させるのではなく、強い思いを内面に押しとどめつつも、それがじわりじわりと染み出てくるような印象を受ける。

 ビルにとって、重要なパートナーともいえるスコットは、この演奏のわずか10日後に交通事故で他界をしてしまう。その喪失感はとても大きく、1年近くビルは演奏活動を休止してしまう。しかし、当時の敏腕プロデューサー、クリード・テイラーの励ましを受け、さまざまな演奏フォーマットでの活動を再開する。

 ビルについて書かれたテキストによると、彼はこのアルバムには気に入らない点があるといっていたそうである。ヴィレッジ・ヴァンガードは老舗ジャズクラブで、客は熱心なジャズファンが多いといわれるが、このアルバムでは、グラスの中で氷が音を立てていたり、客席の雑音が結構録音されている。ビルは、観客がこのような音を立てていることが気に入らなかったということらしい。確かに、日本のジャズ・クラブではあまり見ないような、「ゆるい」雰囲気がそれらの音から伝わってくる。少々音を立てたからといって非難されようとも、この素晴らしい演奏を目の当たりにしていた人は、ほんとに幸せであろう。

July 23, 2006

●John McLaughlin: Time Remembered

JohnMcLaughlin_time.jpg

John McLaughlin (g)
Yan Maresz (b)
The Aighetta Quartet
   Francois Szonyi (g)
   Pascal Rabatti (g)
   Alexandre Del Fa (g)
   Philippe Loli (g)

 マイルスのアルバムでも触れたビル・エバンスは、60年代以降のジャズ・ピアニストとしてはもっとも重要な人物の一人といえるだろう。したがって、さまざまな人たちに影響を与えていったわけであるが、ピアニストのみならず、ギタリストも彼のことをフェイヴァリット・プレイヤーとしてあげる人は多い。

 ジョン・マクラフリンは60年代終わりにトニー・ウィリアムスのグループ、ライフタイムに参加すべくイギリスを離れニューヨークへと移り住む。そして、『ビッチェズ・ブリュー』をはじめとして、マイルスのアルバムにも数多く参加していった。その後、自身のグループ、マハヴィシュヌ・オーケストラを結成し、ハードコアなフュージョンの黎明期に大きな役割を果たしていった。さらには、インド音楽への傾倒を全面に出したシャクティでの演奏からは、アコースティック音楽を中心として、ラリー・コリエル、クリスチャン・エスクーデ、パコ・デ・ルシアやアル・ディメオラなどとの共演を重ねていった。
 80年代終わりから90年代初頭になると、セッション的なアコースティック・ギター主体の演奏から、メンバーをほぼ固定してジョン独自のスタイルを確立したともいえるジョン・マクラフリン・トリオでの演奏がメインとなり、か図化すの素晴らしい演奏を残していった。そのトリオでの演奏が一段落した時期に、この作品が録音された。

 ジャズを専門とする批評家などからは、ジョンに対する厳しい評価を聞くことが多い。マイルスのグループに参加していた前後は、エレクトリック・ジャズの主流に近いところにいたジョンのその後の道のりは、必ずしもジャズ信奉者からは好ましいものとは映っていなかったようなのである。そのジョンが、ジャズのメインストリームにドンと構えるビル・エバンスへのトリビュートとして楽曲集を出したことに違和感を感じているという内容の評論を目にしたこともある。

 確かに「ジャズ」というカテゴリーの中でこのアルバムを聴くと物足りなさを感じることは否めない。しかし、このアルバムは純粋なジャズではないという地点からスタートすると、まったく違う評価を下すことができよう。ベース奏者としても参加しているヤン・マレッツは、ジョンの弟子でジュリアード音楽院の卒業生。つまり、クラシック音楽の基礎をしっかりと持つ人物である。彼が、今回のビルの曲のアレンジに重要な役割を果たしていった。エイグェッタ・クァルテットはクラシック・ギターのアンサンブルユニットであることからも、この作品の志向するものがはっきりとうかがい取れる。
 緻密なアレンジ・構成をベースとしたアンサンブル演奏で、ビル・エバンスの持つ楽曲の繊細な対位法的手法を際立たせているのである。ジョンは、自分のソロパートではインプロヴィゼーションを展開しているが、決してジャズ・フュージョンのアルバムで見られるような自由奔放なラインではなく、カシッとした枠組みの中にきちんとおさまっているものとなっているのが面白い。

 ギターのピンと張り詰めた音、極限まで計算しつくされたメロディと内声の動き。クラシック・ギターのファンにも十分訴えかける力があるジョンの演奏は素晴らしいのはもちろんだが、やはり、ビル・エバンスというアーティストの計り知れないポテンシャルを意識せずにはいられない。

July 18, 2006

●Miles Davis: Kind of Blue

MilesDavis_kind.jpg

Miles Davis (tp)
Julian Cannonball Adderley (as)
John Coltrane (ts)
Bill Evans (p)
Wynton Kelly (p)
Paul Chambers (b)
Jimmy Cobb (ds)

 マイルス・ディヴィスのグループからは、楽器を問わず、その後のジャズ/フュージョンシーンをリードしていく素晴らしいミュージシャンが数多く輩出されている。アート・ブレイキー率いるジャズ・メッセンジャーズがどちらかというと管楽器中心に若手メインストリーム・ジャズプレイヤーを育てていったのとは、ある意味対照的でもある。

 マイルスにとって、大きな影響のあったピアニストといえば、まずビル・エバンスを挙げずにはいられない。このアルバムを録音する1年ほど前から、マイルスのセクステットに参加するようになったビルは、従来のジャズ・ピアニストとは違うアプローチを取り入れていく。ドビュッシーやレベルといわれる印象派からの影響を強く受けていた彼は、ヨーロッパのクラッシック音楽の流れをジャズとうまく融合させ、リリカルとも評される新しいスタイルを築いていった。

 このアルバムはマイルスにとって非常に重要なアルバムの一つといえるが、ここで展開されているさまざまな試みの源はビルにあるといえよう。中でも、冒頭の曲「So What」で展開されたモード奏法(この曲はドリアン・モード)は、それまでの典型的なコード進行に対して、常套句的なアドリブフレーズが展開していたものとは、まったく異なるアプローチによる曲の構成、アドリブの展開を示すものであった。モードのルーツは中世以前の教会旋律にあるといわれているが、学究肌のビルの力なくしては、このレベルまで形作られることが難しかっただろう。もちろん、マイルスはこの録音以前に、「マイルストーン」などで、すでにモード手法を取り入れているわけだから、ビル一人の力ではないのであるが・・・。

 裏ジャケットには、ピアノに向うビルを横からマイルスが覗いている写真が使われているが、両者の表情がとても興味深い。レコーディングの途中では、マイルスがたびたびピアノに向かい、その傍らでビルがアドバイスをするというシーンが何度も見られたという。くわえタバコでたったまま鍵盤を弾いているビルは、自分の求めているものに向って突き進んでいるかのような凛とした印象を漂わせているのに対し、マイルスの表情にはなんともいえない不安な影が落ちている。まったくの推測に過ぎないが、ビルの提示していくものに対して、マイルスが乗り切れていないのではと思わせるようである。

 実際の演奏はというと、写真にあった不安な表情というのをまったく感じさせないところが、さすがマイルスである。コルトレーン、アダレイとともに最強ともいえる3管編成は、強烈なドライブ感を前面に押し出すのではなく、静かな緊張感を携えつつ展開していく。ビルの代わりにウィントン・ケリーがピアノを弾いている「フレディー・フリーローダー」のみは、テーマ部にモーダルな要素があるものの、最初にソロを取るウィントンはモードというよりは従来のビバップ的なアドリブを展開しているのが、少し異質な感を受ける。しかし、メンバーにとっては、新しいモードから、一時的にせよ開放された一服の涼ともいえるような曲の仕上がりになっているもがおかしい。

 一部の曲を除けば、ほとんどがワン・テイクで録音されたという。おそらく、スタジオでの緊張感はすさまじいものがあったことは想像に難くない。ビルの力が不可欠であったにせよ、やはりこのメンバーをまとめあげて、一気にこの高みまで持ち上げるマイルスの統率力には脱帽である。

 

 

July 13, 2006

●Steve Eliovson: Dawn Dance

SteveEliovson_dawn.jpg

Steve Eliovson (g)
Collin Walcott (per)

 彗星のように現れて、素晴らしいアルバムを残したかと思うと、忽然と音楽シーンから姿を消してしまったアーティストもおおぜいいる。ここで紹介するスティーヴ・エリオヴソンもその一人であろう。

 21歳からギターを始めた彼が、このアルバムを録音したのは28歳のとき。わずか7年でこのレベルの演奏に到達したということから、相当ギターののめりこんでいたことは想像に難くない。
 たびたび取り上げているが、このアルバムもドイツのECMレーベルからのリリース。スティーヴは録音する1年前に、直接マンフレート・アイヒャーにデモテープを送ったところ、無名のギタリストの素晴らしい演奏にビックリしたマンフレートはスティーヴに直接会ってすぐさま、レコーディングをおこなうことを決めたという。

 南アフリカ生まれのスティーヴはギターを始めてからしばらくしてアメリカに渡っているが、2年ほどで再び母国へと戻っている。その後、ジャズやインド音楽などにも一時期傾倒していた。確かに、このアルバムでの演奏からはインド音楽の影響を、うまく昇華した形で自分の音楽を作り上げていることが伝わってくる。民族音楽への造詣が深いオレゴンののパーカッションとして活躍していたコリン・ウォルコットをサポートとして迎えているのも非常に当たっている。
 オレゴンではギターのラルフ・タウナーとともにダブル・フロント的な位置でかなりフィーチャーされた演奏をしているコリンだが、ここではあくまでもスティーヴのサポートという位置づけ。前に出すぎることなく、かといってしっかり存在感のある絶妙なプレイである。

 スティーヴのギターは、ジャズ・テイストが随所に顔を出しているものの、上述のインド音楽や、ウィンダム・ヒルレーベルのウィリアム・アッカーマンの初期の演奏とも共通するような畳み掛けるようなフレーズが徐々に展開をしていくようなニューエイジ的な構成など、それまでのECMレーベルのギタリストとは、少し違う傾向を持っている。曲の展開にはアフリカ音楽的な要素もそこはかとなく感じることができるが、比較的プリミティブな音の楽器を用いることが多いアフリカの音楽に対して、彼の弾くギターの音はやはりヨーロッパのもの。ヨーロッパ、アメリカの音楽をベースとしつつもアフリカや南アジアの影響もしっかり感じさせるところが興味深い。

 ECMレーベルはアーティストとの関係を長期間にわたって作り上げていくことを考えると、1作だけで関係を終わらせてしまったスティーヴのケースは極めて珍しいことであろう。これだけレベルの高いものを作り上げながら、わずか1作だけで、音楽の世界からすっかり姿を消してしまったのは残念至極である。いつの日かまた、素晴らしい演奏を聞かせてくれるのを心待ちにしたい。

July 07, 2006

●Anne Briggs: The Time Has Come

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Anne Briggs (vo, g, bouzouki)

 60年代から70年代にかけて活躍したブリティッシュ・フォーク(トラッド・フォーク・リヴァイヴァルと呼ばれる動き)では、女性シンガー(ヴォーカリスト)がひときわ輝いていた。以前紹介したペンタングルのジャッキー・マクシー、フェアポート・コンヴェンションのサンディ・デニー、スティーライ・スパンのマディ・ブライアーがその代表格だが、もう一人、主にソロ活動をしていたアン・ブリッグスのことを忘れることはできない。

 本作の邦題が『森の妖精』とあるためなのか、アンはブリティッシュ・フォークの妖精系シンガー(そもそもイメージがよくわかないのだが・・・)と呼ばれることもあるようだが、とても意思的な歌声が印象的で、妖精というイメージはあまり当てはまらないような気がする。

 イングランド中部のノッティンガムに生まれたアンは、いつしか地元のコーヒーハウスなどでトラッド・フォークソングを歌うようになるが、5-60年代のトラッド復興運動の中心的存在、イワン・マッコールやA.L. ロイドなどと出会うことで、瞬く間に表舞台に立つようになっていく。特にロイドからはトラッド・フォークの豊かな世界を伝授され、彼女のその後の音楽性に多大な影響を受けていく。

プロとしてのキャリアを踏み出す以前に、スコットランドを旅行しているときに知り合ったというバート・ヤンシュは、いうまでもなく、ペンタングルで活躍したシンガー/ギタリストであるが、バートはアンを通じて、ロイドなどが研究・伝授していたトラッド・フォークの奥深い世界を知っていくのであった。また、アンはバートからオープンチューニングなどのギター関連のテクニックや、ソングライティングを教わったとある。
 バートがジミー・ペイジをはじめ、数多くのミュージシャンに影響を与えたことを考えると、そのバートに重要な橋渡しをしたアンの存在はとても大きいことがわかる。

 本作では、インストも含めギターとブズーキーの演奏と歌をアンが一人でおこなっている(アルバムのクレジットには明記されていないのできちんと確認できているわけではないが)。特に、楽器の演奏は派手さはないものの、とてもしっかりしたピッキングで、女性らしからぬ力強さすら感じさせるものだ。ブリティッシュ・トラッド独特の雰囲気なのだが、幽玄でしっとりとした中にも、時折キラリと光るものを感じられるのは、なんとも不思議だ。コード進行はちゃんとあるのだが、モーダル的な浮遊感からは、不安定な気持ちの揺らぎにも似た危うさが感じられる。

 アンは、本作を発表した後、音楽活動を離れてしまう。育児のためといわれているようだが、一方では、自分自身の歌声に対してコンプレックスを持っていて、レコーディングを非常に嫌っていたともいわれている。90年代に入り、過去の録音を集めてCDとしてリリースしたのをきっかけに、音楽活動を一時再開したらしいが、1,2度の演奏以外には目立った活動の話は入ってこない。