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December 01, 2006

●GARO: GARO Box

Garo_box.jpg

堀内護 (vo, g)
日高富明 (vo, g)
大野 真澄 (vo, g)
 他

 ガロの歌を最初に聴いたのは、おそらく『学生街の喫茶店』の大ヒットのときだったと思う。その後も、数々のヒットを飛ばしたのであるが、ギターとコーラスが若干印象には残るものの、当時は数多くあったポップス色が強いフォーク系のグループという程度の認識しかなかった。ただ、マーティンの最上位機種のD-45(1970年ごろの定価が75万円くらいだったようである)を持っていたので、貧乏なイメージの強かったフォークシンガーと比べて、ずいぶんとお金を持っているんだなぁと思ったことを覚えている。

 お小遣いの少ない小学生にとって、ガロのメジャーなヒット曲は、わざわざレコードを買いたいと思うほどではなかった。最初に彼らの曲を耳にしていらずいぶんたった後のことだが、ラジオから聞こえてくる『一本の煙草』という曲が、とてもおしゃれで気になった。当時は東京の大井町に住んでいたのだが、、同級生の実家でもあったアップルレコードという行きつけのレコード店に、シングル盤を探しに行ったのは、その直後のことだった。
 お目当てのシングル盤はすぐに見つかり、白黒の渋いジャケットに惹かれつつも、「他に何かいいものがあるかもしれない」と思い、フォーク系のアーティストのシングルを物色してみることにした。そこで、もう一つ気になっていたアリスの『紫陽花』というシングルを見つけてしまった。どちらを買おうか、かなり長い時間迷った末、なんと手にしたのは、アリスのシングル。いまや演歌歌手となってしまったベーヤンこと堀内孝雄がメインボーカルの曲である。今思い起こしても、かなり演歌色の強い曲といってもよいものだった。
 そんなわけで、ガロのレコードを手にする機会を自ら逃してしまった。その後はロック~フュージョン~ジャズへと走っていく少年にとって、ポップス色(それもたぶんに歌謡曲的な要素が含まれていた)の強いフォークはもはやおしゃれなものとは映らず、長いこと思い出すこともない存在となっていた。

GARO_anthorogy.jpg

 大人になってかなりしてから、ガロがよく聴いていたCSN&Yのコピーバンドから始まったことを知り、俄然興味がわいてきた。
 すでに、彼らのCDは入手困難で、唯一手に入ったのがシングルリリースを中心にしたヒット曲集のアルバムのみ。ギターとコーラスには確かにCSY&Y的な雰囲気は感じられるものの、グイグイ著ひきつけられるほどの魅力は感じられない。
 いろいろと調べていくと、ファーストアルバムが一番CSN&Yの影響が濃い演奏となっていること、所属事務所(もしくはレコード会社)の意向で、ヒットを狙った路線を強いられ、なかなか自分たちのやりたかった音楽ができなかったことなどがわかってきた。そこで、ファーストアルバムを入手しようとしたところ、すでに廃盤。時折オークションで見かけても、1万円近くの値段で取引されているような状態だった。

 そうこうしているうちに、オリジナルアルバム8枚と未発表曲、テイク、ライブなどを収録したCD2枚とDVD1枚を組み合わせた本ボックスセットがリリースされるという情報を掴んだ。確かにセットとなると値段は高いものの、プレミアがついているものを買うことを考えたら、はるかにお得。おまけに、未発表曲にはCSN&Yのカバー演奏も含まれているというから、これは買わないわけにはいかない。

 完全予約生産というこのボックスセットは当初2006年8月にリリースされる予定だったが、DVDに収録しようとしていたCSN&Yの曲の使用承諾を得るのが難航し、発売は延期。結局、映像収録分は許可が下りず(ライブでのカバー演奏は収録されている)に内容を若干変更して11月末にリリースと相成った。すでにamazonでは在庫切れとなっているので、これから注文をしても入手できるかどうかはわからない。

 発売順にCD全10枚を続けて聞くと、事務所側がやらせたかったことと自分たちが本当にやりたかったこととの狭間でメンバーが苦しみながら音楽制作をしていたことが痛いほど伝わってくる。時折顔を出す、変則チューニングを多用したアコースティック・ギターの音と3声のコーラスは、確かにCSN&Yの影響がひしひしと現れている。当時ヒットしていた曲ではなくこれらの曲を聴いていれば、どっぷりとガロの音楽に浸っていたかもしれないほどだ。

 解散ライブの様子も一部収録されているが、解散の挨拶をメンバーがした後に「最後の曲です」といって演奏するのがTeach Your Children。そしておそらく続けて演奏されたのであろうFind the Cost of Freedom。Find~はCSN&Yがライブの最後にアコースティック・ギターだけを持って演奏する曲。途中から伴奏が一切なくなり、アカペラコーラスだけになる。グループの解散の最後にこの曲を持ってくることに、彼らの置かれていた状況の複雑さを垣間見たような気がした。

 残念なことに、トミーこと日高富明氏は1986年に36歳の若さで自ら命を絶つ。ガロとしての生演奏を耳にすることは二度とできないのである。高かった音楽性と、市場に翻弄されたグループとしての運と不運。音楽は、やはりアーティスト自身が内から湧き上がる思いとともに作り上げていくものだと感じずにはいられない。

コメント

ガロ──ファンでなかったとはちょっと意外。
わたしはリアルタイムで大好きでしたよ。

ステージも何度か見ています。
マーティン D-45 をこれ見よがしに 2台持って並んで弾く姿(日高と堀内)は、当時はそれだけで強烈な印象がありました。
初期のころのステージでは自作曲が少なかったのでしょう、CSN&Y の曲も何曲か演奏していました。

自分でコピーした曲は、まず「暗い部屋」。
聞けばすぐにわかる、CSN&Y の「青い目のジュディ」のパクリですが、Dm チューニングの響き(1弦D が響きっぱなし)はなかなかのアイデアでした。ステージのギターソロでは、右手の平でミュートしながらハーモニックスのような音を出すテクニック(難しくはないのだけどカッコいい)をよく使っていました(わたしもパクらせてもらいました)。

他には、「ひとりで行くさ」。
これは変則コードの響きが新鮮でした。

バンドで演奏したのは「時の魔法」。
フルボイスでハモるのが気持ちよかった……。

「たんぽぽ」「地球はメリーゴラーンド」「花の伝説」なども仲間と歌ったりしました。

サードアルバムの「木馬」は名曲だと思います(CD 持ってないけど……)。

ヒット曲「涙はいらない」もカッコよかった。

ファーストアルバムは名盤だと思います(CD 持ってます)。しかし、セカンドアルバムで一気に温度が下がって、片面が歌謡曲風、片面はビートルズなどのカバー曲という、ワケのわからない構成でした。このアルバムから「学生街の喫茶店」という大ヒットが生まれることが、のちの悲劇につながるのですが……。

しかし、ボックスセットが出ていたとは知りませんでした。それも予約生産……。まぁ、そんなに売れないのかな……。

日高はこの世を去り、堀内はテニスインストラクターに。大野は今も地味にステージ活動をしています(メジャーシーンからは消えていますね)。

>Nozomiさん
いらっしゃいませ。

リアルタイムで押さえていたとはさすがですね。

私の場合、最初に聞いたのが『学生街の喫茶店』がヒットしたときで、それ以降耳に入ってくるのは歌謡曲路線の色濃いものばかりでした。
ファーストアルバムの曲を聴いていればかなり印象が違ったのかもしれませんが・・・。

オリジナルアルバムでは、ファースト、サードと吟遊詩人がかなりいい出来だと思います。
後期になると、メンバーそれぞれの音楽志向の違いがはっきりとしてきます。それにくわえ、強いられていたとは言え歌謡曲調の音楽もガロの一要素として染み付いていて、かなり雑多な印象を強く受けます。

大野真澄は、伊勢正三や太田裕美などと一緒にコンサート活動もしているようですね。

自己レスになってしまいました。

ジャケット写真からリンクを張っているamazon.co.jpでは、やはり在庫切れとなっているようです。そのほかのところもほとんどが取り扱い終了とありますが、どうやらHMVでは今のところ在庫がある見たいです。
http://www.hmv.co.jp/product/detail.asp?sku=1368407
関心のある方はお早めにどうぞ。

ちなみに、配信サイトでダウンロードできるところがあるようですが、オリジナルアルバム収録曲のみみたいで、今回初めて音源化された実発表音源やライブ、DVD収録曲はダメのようです。

ガロ・ボックス、買いました。

まだ全部は聞けてませんが、DVD の映像は新鮮ですね。
冒頭の「暗い部屋」の演奏はよく撮れてる映像です。チューニングが微妙に合ってないように聞こえるのはテープの劣化のせいかな……。
ガロの三声のハーモニーは、今聞いてもじゅうぶん新鮮です。
ギターテクニックは今見ると稚拙な感じはありますが、マーティン D-45 の華やかな音は当時かなり衝撃的でした。
日高は、エレクトリックを弾いている時のほうが余裕がありますね。やはり“ロック”の人なんでしょう。

ファーストアルバムのクオリティは、やはり最高レベルですね。アコースティックギターの響きと深みのあるハーモニー──、当時、FMラジオで初めて聞いたときの衝撃を思い出します。

>Nozomiさん
いらっしゃいませ。

おぉ、ボックスセットを入手できたとは良かったです。

中学生の頃、TVK(テレビ神奈川)は音楽関連の映像を唯一流している局でした。「暗い部屋」の映像を見ても、ライティングなどを含めてちゃんとした演出をしていますよね。

GAROとは離れてしまいますが、TVKで放送していた川村尚(愛称:デデのちに川村龍一と改名したようです)の番組では洋楽のライブ映像を良く流していました。彼の番組は(たしかPops in Picture)はTVKオリジナルではなく、KBS京都製作だったようなので、関西の方のほうがおなじみだったかもしれません。

いずれにせよ、TVKといえば音楽という図式が強かったです。

アマゾンの中古で入手しました。

「暗い部屋」の演出はなかなかのものですね。ギターのアップなんかもツボを心得ている感じです。
川村デデ、知ってますよ。そう言えばKBS京都で日本のフォークやロックの映像をよく見た気がする。
「暗い部屋」はライブではエレクトリックでもやっていました。わたしは野外のフォーク&ロックのフェスティバルで見たことがあります。

ギターの話──
サードアルバムのジャケットで日高が持っている J-200 は Gibson ではなく、Ibanez でした。DVD の「吟遊詩人」で堀内が持っているギターも確か日本製だったはず(ヤイリかな?)。

「姫鏡台」は当時も奇妙な曲だと思ったのですが、やはり今聞いても奇妙です。このヘタなシタールと琴は何だ??
最後の芸能ニュースはまるでギャグですね。こんなことはしたくなかったでしょう……。

>Nozomiさん
いらっしゃいませ。

なるほど、中古なら手に入ったのですね。

GAROといえばMartin D-45というイメージが強かったので、J-200タイプを弾いていたのはビックリでした。

「姫鏡台」の音にはビックリしましたが、映像で本当にシタールと卓上(?!)琴を弾いていたのには絶句してしまいました。

当時のタレントは結構芸能ニュースでやらせのオフショットを流していたように記憶しています。このGAROのものも、以前NHKのBSで観たことがありました。

川村デデさん、私の記憶では圧倒的に洋楽ロック・ポップスの映像と結びついています。なかでもAC/DCは、それまでまったく聞いたことがなかったのが、アンガス・ヤングが幼稚園児のような衣装でSGを弾きまくる姿が焼きついています。
うちの母親までもが、「あの幼稚園児のような格好をしてギターを弾いていた人は・・・」と今でも思い出すようです。

ガロボックスは、オークションでも見かけました。値段は高くないようです。

確かに、ガロは Martin D-45 のイメージでしたね。ただ、日高は D-28 を弾いているのもよく見ました。本人も気に入っていたようです。堀内は D-45 が多かった……。
日高の J-200 コピーは Ibanez ですから、当時は輸出品のみですね。日本国内ではグレコでした。
芸能ニュースの“やらせショット”は、確かにBS のフォーク特集でもよく見ますね。多いのはやはりフォーククルセダーズかな。ガロのものは今回初めて見ました。「写真が共通の趣味」なんて知らなかった……。ほんとの話なのかな?

アンガス・ヤングはランドセルですから、「小学生」では?……不思議なのは、ランドセルって日本特有のイメージがあるのだけど、欧米でもあるのかな?

ガロはタイムリーにシングルレコードを数枚持っていました。
その後、ベスト盤のようなLPをレンタルし、カセットテープに録音したのを持っています。
それは今でも時々聴きます。
「姫鏡台」は好きな曲です。

>ROYさん
いらっしゃいませ。

なるほど、リアルタイムで結構聴いていましたか。私はヒット曲は当時耳にしていましたが、結局レコードを買うほどには至りませんでした。

2枚組みのシングル集と今回のボックスに入っているものとを聞き比べると、シングルとアルバムとで音楽への思いが複雑に動いていただろうということを計り知ることができます。

今回のボックスに収録されている映像には「姫鏡台」も入っていました。マークがシタール(インドの弦楽器)、トミーがおもちゃのようなミニチュア琴を弾いているのにはびっくりしました。

1970年代にヒットを飛ばした男性コーラスバンドとして記憶に残っているのは、オフコース、バズ、ガロなんですが、のちにオフコースは日本のポップスの本流として君臨し、バズはヒットが続かず消えてしまう。ガロはシングル曲が歌謡曲的にヒットしてしまったのが災いして空中分解──。
やや出遅れた感じのあったオフコースのポジションが結果的には正解だったわけですが、ガロのファンが、今でもそれなりにいることは嬉しいことです。
どのバンドも生で見ましたが、オフコースのテンションの高さと演奏能力の高さ、ステージ全体の統一感は圧倒的でした。
ガロは3人の個性がバラバラだったのかな。ステージでも、なんとなく楽しそうじゃなかった印象があります。

>Nozomiさん
いらっしゃいませ。

オフコースは大ヒット以降耳にしたので、赤い鳥と同時代に活動していたと知ったのは、ずいぶん後のことでした。

バズは、NHK BSのフォーク番組で「愛は風のように」を歌っているのを久しぶりに聴きました。当時はおしゃれなコードを使っているなぁという印象が強かったですね。

3つのグループを生で見ていたとは、さすがNozomiさんです。

赤い鳥とオフコースは、1969年のライトミュージックコンテストの1位と2位ですね。
「同時に活動」というのは、多分ちょっと違うのかも……? 赤い鳥は、1970年代前半にトップグループになりましたが、オフコースはヒットが出なくて、杉田二郎のバックで活動してました(「人力ヒコーキのバラード」という曲がちょっとヒット)。
セカンドアルバムまではヒットしなくてサードアルバムの『ワインの匂い』はヒットしました(「眠れぬ夜」収録)。これが1975年。
「さよなら」の大ヒットは1979年ですね。
なお、ライトミュージックのときの音源がCDになっているようです。
http://www.amazon.co.jp/gp/product/B000GUK69E?tag2=offcoursescho-22

バズの「愛と風のように~ケンとメリー」の元ネタはきっとニール・ヤングでしょう。5弦のAをペダルにしてAのコードとBmのコードを交互に弾くセンスはニール・ヤングに通じます。
コーラスは抜群でしたね。

>Nozomiさん
いらっしゃいませ。
コメント公開が遅れて申し訳ありませんでした。

なるほど、なるほど。
オフコースはメジャーヒットが出てから知ったので、赤い鳥と同じ時期にコンテストに出ていたと聞いてもピンと来ませんでした。

1974年頃までは、結構熱心にフォークも聴いていましたが、ちょうどこの辺りから洋楽ロックに入れ込むようになり、邦楽をほとんど聴かなくなってしまいました。
そのため、赤い鳥は身近に感じるのですが、オフコースはあまりなじみがないような印象だけが残ってしまっています。

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