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June 01, 2008

●Cannonball Adderley: Somethin' Else

CannonballAdderley_some.jpg

Cannonball Adderley (as)
Miles Davis (tp)
Hank Jones (p)
Sam Jones (b)
Art Blakey (ds)

高校の頃に聴いていたフュージョンから自然な流れでジャズへと手を伸ばすようになったのは、大学生活を送っていた京都でのことであった。チック・コリアをはじめとするフュージョンの中心メンバーたちは、マイルス・デイヴィスのグループに籍を置いていたり、エレクトリックへと移行していったマイルスの影響を強く受けていたこともあり、まず聴いたのはやはりマイルスだった。

当時、学生でステレオを持っているのは本当にまれで、私も音楽を聴く道具といえば唯一持っていたのがラジオ。いい音でジャズを聴きたいとなると、行くべきところはジャズ喫茶であった。京都には老舗店を含めたくさんジャズ喫茶があったので環境としては申し分ない。

熊野神社から丸太町通りを東に行ったところにあった「サンタクロース」。広い店内にゆったりと腰掛けられるソファーがある。なんと言っても目玉はアルテックのA7という馬鹿でかいスピーカー。もともとは劇場用に開発された機種なのでリアルな音像が浮き上がるさまはすさまじかった。

中心部の河原町まで行くのであれば、時間を見つけて出かけていたのが「蝶類図鑑」。店の名の通り、壁には額に入った蝶の標本がずらりと並ぶ奇妙なお店。ここのスピーカーはJBLのアポロ。

そして、大学から北に行ったときに寄っていたのは一乗寺の「downhome」。こちらはJBLのパラゴンでジャスを聴かせる珍しいところ。

他にもフリー系のジャズをよくかけていた「SMスポット」(すごいネーミング!)、ビルを地下に降りていくと縦長の狭い部屋に、すべての椅子がスピーカーに向かって並んでいた「The Man Hall」、荒神口の老舗店「しあんくれーる」(高野悦子の『二十歳の原点』にもでてくる)などなど・・・。残念なことにここにあげたすべてのお店はもうないらしい。

とても個人では所有できそうになりオーディオで大音量のジャズを聴くという贅沢な時間。ジャズメンが本当に目の前で演奏しているかのようなリアルな音像を経験したことが、オーディオに関する原体験といってもよいかもしれない。

閑話休題。
このアルバムはキャノンボール・アダレイがリーダーとしてクレジットされているが、当時はレコード会社との契約でマイルスをリーダーとしたアルバムを製作できなかったBlueNoteレーベルの苦肉の策。

キャノンボールは後にマイルスのスーパー・セクステットのメンバーとして『Kind of Blue』をはじめとする何枚かのすばらしいアルバムに参加するわけだが、このアルバムでは少なくともマイルスと対等に「行くぞ」という静かな気迫を彼の音から感じ取れる。

フロリダの高校でバンドの音楽監督をしていた彼は、たまたま休みが取れてニューヨークまで出かけ、有名なジャズスポット「ボヘミア」でオスカー・ペティフォード(当時はチャールス・ミンガスとならぶトップ・ベーシスト)・コンボの演奏を見に行ったのが1955年のこと。サックスプレイヤーのジェローム・リチャードソンが到着していなかったことを幸いに、キャノンボールはオスカーに自分をステージに上げてくれと頼み込んで、しぶしぶ承知をしたオスカーを尻目に、ものすごいテンポで「I'll Remember April」のソロを吹くまくったという。
その評判がニューヨーク中に伝わり、あっという間にSavoyとの契約を果たし、ニューヨークでフルタイムのジャズ・プレイヤーとして活躍を始めるようになる。

キャノンボールはチャーリー・パーカーの影響を強く受けているが、考えてみるとディジー・ガレスピーにあこがれてニューヨークに出て、パーカーのグループに参加したマイルスとは共通項も多かったはずである。このアルバムでも、おそらくレコーディング現場では相当なぶつかり合いもあったことは想像できるが、音楽そのものはそれぞれのメンバーがうまく溶け合い、ひとつの完成形として仕上がっている。「枯葉」のイントロが終わり、マイルスがテーマを吹き始めるその最初の一音はいつ聴いても鳥肌が立つほどだ。

とても知的で、じぶんの音楽についても細かく説明ができたといわれるキャノンボール、そしてとても感覚的だったと思われるマイルス。この二つの個性がぶつかり合うのではなく混じり合っているという点からも、マイルスのリーダー作とは違うよさが、このアルバムにはある。

何よりも、キャノンボールのサックスの音は(当時のプレイヤーには多かった)シリアスでダークなのではなく、人の気持ちをハッピーにする力を持っている。

March 24, 2007

●Barney Wilen: Sanctuary

BarneyWilen_Sanctuary.jpg

Barney Wilen (ts, ss)
Philip Catherine (g)
Palle Danielsson (b)

 フランス、ニース生まれのバルネ・ウィランが一般に広く知られたのは、1950年代に公開されたフレンチ・ヌーベルバーグの一翼を担っていたルイ・マル監督の『死刑台のエレベータ』のサントラ盤に参加してからだろう。音楽を担当したのはマイルス・デイヴィスで映画のフラッシュバックを映しながら即興で音楽をつけていったという逸話もあるようだ。ここで、派手さはないものの、なぜだか心に引っかかるようなバルネのサックスに惹かれた人も多かったという。

 50年代のパリにはマイルス以外にも、バド・パウエル、ベニー・ゴルソンなどアメリカのジャズメンが集い、クラブ・サン・ジェルマンなどで演奏をしていたこともあり、バルネはマイルスとのつながりを持ち、映画のサントラ盤に参加したわけである。その後もロジェ・ヴァディム監督『危険な関係』(1988年にはハリウッドでリメイクされている)のサントラ盤を自ら手がけた。

 ジャズシーンで注目されたにもかかわらず、60年代に入るとロック色の強い演奏へと移行し、その後は音楽シーンからだんだんと離れてしまったのだが、80年代後半から再びジャズ演奏の場へと戻ってくる。本作は、1991年録音の作品。当時のレギュラー・クァルテットとは異なり、ギターのフィリップ・キャサリーン(カテリーン)とベースのバレ・ダニエルソンによる変則的なトリオ編成。
 サックスを中心にしたトリオ演奏だと、ソニー・ロリンズのピアノレス・トリオ(サックス、ベース、ドラムス)の編成が真っ先に思い浮かぶ。音楽の3要素が、メロディ、和音(コード)、リズムであることを考えれば、単音楽器のサックスは、バッキングに回ってコード感を出すのはかなり難しいといえよう。それでも、上手いオブリガードで雰囲気を出すものもあるが・・・。サックス、ベース、ドラムであれば、ドラムはリズムを刻み、通常はリズム隊とも言われるベースは、分散和音の形でコード感を作り、サックスが旋律を奏でることで、3つの要素を積み上げることは可能だ。
 これに対し、今回のバルネの編成では、リズムの核となる楽器がない。ギターは時としてバッキングによってリズムを刻み、オブリガードを入れたりと、八面六臂の活躍が求められている。フィリップは、そんな状況でも実にリラックスしながら、時にリズム、時にはメロディ、時にはコードをとすべての要素を紡いでいる。

 サックス、ピアノ、ベース、ドラムというクァルテット編成を基準と考えると、必要な要素が常に音空間に満たされているという点で、オーケストラ的と表現できるとしよう。これに対して、今回のような変則トリオでは、常に必要なものを満たすことは不可能である。つまり、最初からすべてを満たすことなどは狙わず、本当に必要なものを必要なだけ埋めていくという感覚で、先ほどのオーケストラ的という表現との対比で考えれば、弦楽四重奏的と言ってもよいように思う。

 マイルスの音楽監督のもとでの演奏の頃の印象と同じように、本作でもバルネのサックスは決して派手ではない。聴く者に極端な集中を強いるわけではないのに、さらっと聞き流させないような音楽。それがバルネの変わらぬ魅力なのかもしれない。残念なことに、このアルバムに限らずバルネの作品はなかなか入手しにくいようである。再発売されると嬉しいのだが・・・。

January 31, 2007

●Steps: Smokin' in the Pit

Steps_smokin.jpg

Mike Mainieri (vib)
Michael Brecker (ts)
Steve Gadd (ds)
Don Grolnick (p, key)
Eddie Gomez (b)
渡辺香津美(g)

 残念なことに、昔からよく聴いていたプレイヤーの訃報を耳にすることがだんだんと多くなってきた。中には、「まさか、まだ若いのに」と思う人も少なくない。サックスのマイケル・ブレッカーもそんな一人だ。
 昨年、骨髄異形成症候群という診断が下され、予定されていたSteps Ahead(Stepsというグループ名は使用できなくなったためのちにSteps Aheadと改名した)のツアーをすべてキャンセルして、闘病生活を送っていたというマイケル。白血病へと進行することの多い病気で、マイケルは骨髄移植による治療を試みようとしていたが、特殊な型だったせいもあり、家族を含めドナーが見つからなかった。そして、残念なことに今年の1月13日、ニューヨークで亡くなった。一部には快方に向かっているという情報も流れ、レコーディングもおこなっているという話もあっただけに、本当に残念だ。

 私が音楽を聴くのに没頭していて、そして多感だった10代後半、アメリカを中心にジャズとロックを融合したようなフュージョンと呼ばれるスタイルの音楽が台頭してきた。そのとき、めきめきと頭角を現してきたのが、トランペットの兄ランディとテナー・サックスの弟マイケルの二人によるブレッカー・ブラザースであった。70年代後半から80年代初めにかけて、ニューヨークをベースにしているテクニシャンぞろいのプレイヤーたちと繰り広げるインタープレイは素晴らしいものがあった。当時、ラリー・コリエルに入れ込んでいたこともあり、彼とよく共演もしていたブレッカー・ブラザースの二人の演奏は、よく耳にすることになっていた。

 さて、そこでStepsである。リーダー格のマイク・マイニエリの元に集まった凄腕ミュージシャンによるユニットだけに、きわめて質の高い演奏が繰り広げられることは容易に想像できよう。
 実は、このSteps、ファーストと2枚目に当たるこのアルバムは、日本のみで当初は発売された。当時、フュージョンのプレイヤーにとっては聖地とも言える六本木のライブハウス、ピット・インでのこのライブでは、アルバム『トチカ』以来、マイクと親交の深かった渡辺香津美がゲストとして1曲参加している。とある雑誌に、当時を振り返って渡辺香津美がコメントしているのを見ると、プレイヤーたちにとってこのユニットがいかにすごいものであったかがわかる。

  このときは久々に胃が痛くなった(笑)。・・・(中略)ニューヨークの
  超第一線級のミュージシャンに交じって、マイニエリのバンドの
  一員としてベスト・プレイをしなければいけない。何がびっくりし
  たかって、早めに会場に行くとすでにマイケル・ブレッカーがい
  て、バリバリ練習している。こんな上手い人がマイニエリのツ
  アーでやるっていうので、必死にトレーニングをしている。すると
  今度はエディ・ゴメスがやって来て、弓で1~2時間基礎練習をや
  る。凄い人は準備も凄いんだよ。」

 テクニックのあるプレイヤーたちが、とてつもなく高い緊張感を持って望むライブ。いかに凄かったかは想像して余りある。もちろん、ユニットとしてはマイク・マイニエリがキーパースンなのは間違いないが、決してでしゃばりすぎず、かといってしっかりとユニットの音楽性をさせえているという点で、ドン・グロルニクの存在が非常に重要のように感じる。
 このアルバムはどの曲もお勧めだが、1曲を選べといわれれば迷わずラストのSara's Touchを上げたい。マイクが書いた名曲だが、マイケルのサックスの音が聴く人の心をがっしりと掴むスローナンバーである。

 最後に少し話をマイケルに戻したい。70年代後半、フュージョンを代表するサックスプレイヤーとして評価が高かった一方、4ビートのスタンダードなジャズはダメだろうと厳しい意見をいう人たちがいたことも確かだった。しかし、そんな声を吹き飛ばすかのように、Stepsでかなりジャズよりの素晴らしい演奏を披露し、さらには、80年代に入ってしばらくした後、チック・コリアとともに素晴らしい4ビートジャズの演奏を繰り広げていくことになる。こちらもいずれ取り上げることにしよう。
 サックスというとむせび泣くような情感たっぷりの音というイメージもあるが、マイケルは、決して感情に流されすぎることなく、常にクールな部分が残っていると感じさせるような演奏がとても印象的なプレイヤーだ。もちろん、ハードなブローもあるのだが、いわゆる泣きのフレーズなどは決して交えないのがとても潔い。
 ストレートアヘッドな、メインストリームのジャズを別にすれば、コンテンポラリーなスタイルのジャズは昔で言えば、フュージョンと呼ばれていた音楽の要素を何らかの形で含んでいたり、少なくとも影響を受けているものが多いと思う。そういった点から、ステップスというグループは、フュージョンという音楽をジャズの一つのスタイルとして結びつけた立役者といってもよいだろう。そして、ジャズでの花形がサックスであるとすれば、このユニットの音楽でマイケルが果たした役割の大きさは決して過小評価されるべきものではないだろう。

 息を引き取る2週間前にスタジオ入りをして遺作となるアルバムを完成させていたマイケル・ブレッカー。謹んで、彼のご冥福をお祈りしたい。

September 09, 2006

●Ralph Towner: Time Line

RalphTowner_time.jpg

Ralph Towner (g)

 やはりラルフ・タウナーはすごい、と再認識させられてしまった。ソロアルバムとしては、前作の『Anthem』以来、5年ぶりとなる本作を聴いて、そう思わずにはいられなかった。確実にラルフ・タウナーというアイデンティティを演奏から感じさせる一方、決して一つところにとどまっていないという凄さ。

 海外からクラシック・ギタリストなどを招いてコンサートの企画をおこなっている知り合いと話す機会があったのだが、ラルフは比較的集客の難しいアーティストだということだった。確かに、ジャズというにはクラシックの要素が強く、かといって純粋なクラシックファンからはアドリブ的な要素に今ひとつなじみがないといわれるかもしれない。ジャンル分けというレッテルに気をとられてしまうと、本当に素晴らしいものを取り逃してしまうのだが・・・。

 もともとはクラシック・ギターから入ったラルフは、1969年にニューヨークに移り住んで以降、ウェザー・リポートやゲイリー・バートンなどとの共演で、ジャズ的な要素を取り入れていった。このことが、彼の音楽を構築していく上でも大きなポイントかもしれない。もちろん、Oregonとしての活動ではワールド・ミュージックの要素を吸収していることは言うまでもない。ジャズ、クラシックそしてワールド・ミュージックを融合したものが、ラルフの音楽の根底にはある。

 ECMレーベルということを考えると、録音の手法にもよる部分も大きいのかもしれないが、ラルフのギターの音は独特である。クラシックほど、ホールのルームアコースティックだけに依存するのでもなく、一般的なギターインストもののようにブース内で比較的デッドに録ってリバーブ処理をしているのでもない、独特の空間感が伝わってくる。音の芯がはっきりとしていながら、その周りにまとわりつくような残響音にもスッと溶け込んでいるといってもいいかもしれない。
 前作は、ECMとしては定番のオスロにあるレインボー・スタジオでの録音だったのに対し、ウィーンでクラシック・ギターの勉強をしたラルフが、今回、同じオーストリアのサンクト・ゲロルド修道院で録音をおこなったのも、何かの思い入れがあったのだろうか。

 以前取り上げた『Solo Concert』は実にエネルギッシュだったのに比べ、本作では幽玄な音のイメージは踏襲しつつも、力の抜けた柔らかい要素と、畳み掛けるような厳しいフレーズをとてもうまくブレンドしている。

 Oregonとして活動開始から35年経ったという。その独自の音楽観を構築しつつ、常に前進し続けるその姿には圧倒される。透明感のあるギターが好きであれば、6曲目の「If」を聴くためだけに本作を手に入れても後悔しないと思う。

August 11, 2006

●Allan Holdsworth: The Things You See

AllanHoldsworth_thethings.jpg

Allan Holdsworth (g)
Gordon Beck (p)

 アコースティック・ギターとピアノのデュオは思いのほか少ないような気がする。突き詰めて考えれば、ピアノもスティール弦を使い、鍵盤~ハンマーで弦を叩くという発音メカニズムは違うものの、音の質には共通点があることが影響しているのかもしれない。実験したことはないが、それぞれの音のアタック部分を消してしまうと、ピアノなのかスティール弦ギターなのかを識別するのは難しそうな気もする。

 最近では、超絶テクニックというと、ヘビーメタル系のギタリストが真っ先にあがることが多いが、私が高校生の頃、フュージョン系の人以外では、なんといってもプログレッシブ・ロックのギタリストが真っ先に思い浮かんだものだ。アラン・ホールズワースはややマニアックながら、コアなファンの多いギタリスト。70年代前半に、プログレバンドのテンペストに参加して以来、ゴング、UKなど、数々のグループに加わりアルバムを残してきた。

 「うまい」と聞けば、必ずそのギタリストの演奏を聴こうとしていた高校時代、最初に手に入れたアランのアルバムは『Velvet Darkness』というファーストソロだった。確かにテクニックはすごいのだが、なんだか散漫な印象をぬぐえなかったのだが、いろいろと調べていくと、アラン自身、このアルバムのできには非常に不満で、自分のソロアルバムとしては認めたくないといっていると知った。
 あまり良くない第一印象からか、シンセアックスという、ギターとシンセサイザーを組み合わせたような新しい楽器を使っているとか、さまざまな情報が入ってきたにもかかわらず、なんとなく聴かずにきてしまったのであった。

 かなり後になってからだが、ギタリストのコンピレーションアルバムで、アランの演奏を聴き、独特のうねるように流れていくフレーズに、彼のことを再認識した。そこで手にしたのが本作だった。期せずして、買った2枚目は実は、彼の2作目で、ファーストソロの2年後にリリースされたものだったのがおかしい。

 エレクトリック・ギターをメインにしている人がアコースティック・ギターを演奏する際、おなじようなスタイルで弾く人と、まったくスタイルを変えてしまう人がいる。後者の代表がパット・メセニーだろう。アランは前者のスタイル。ハンマリングとプリングを多用し、音が洪水のようにあふれてくるのは、まさしく彼がエレクトリックでも披露しているものと同じだ。ただ、エレクトリックでの歪み系サウンドとは異なり、生音メインのアコースティックでは、流れるようでありながら音の粒々がはっきりと伝わってくる感覚が面白い。きついテンションノートも使っているが、不思議と濁った感じはなく、するりと耳に入ってくるのは、アラン独特の演奏によるものなのだろう。

 ジャズ・ピアニストとしてキャリアをスタートさせたゴードン・ベックによるものが大きいのか、ジャズとロックの要素を非常にうまくミックスした仕上がりになっている。緊張感あふれるフレーズの応酬があるかと思うと、ほのぼのとした曲調もあり、いろいろな雰囲気を楽しむことができる。

 昨年には1990年の東京でのライブ盤が発売。気がつくと、時折来日してライブをおこなったりと、現在でもコンスタントに活動をおこなっているようである。新旧交えて、彼の音楽をまた少し追っかけてみようか・・・。

August 05, 2006

●Bill Evans: You Must Believe in Spring

BillEvans_youmust.jpg

Bill Evans (p)
Eddie Gomez (b)
Eliot Zigmund (ds)

 思いがけず、ビル・エバンスで引っ張ってしまったが、とりあえず本作の紹介で一段落としたい。
ビル・エバンス・トリオのベーシストでは、まず名前が上がってくるのはスコット・ラファロ、そして次がチャック・イスラエルであろう。本作は、この二人と同様、ビルにとっても重要なベーシストとして、晩年近く一緒に演奏をしていたエディ・ゴメスが参加した最後の作品。

 スコットとのトリオがまさしくインタープレイを中心にすえたものとすれば、ここでのビルの演奏はまさしくリリシズムを究極に追い求めたものといってよい。ビルへのトリビュートとして紹介したギター演奏との対比で考えれば、ラリーとミロスラフの演奏はインタープレイ的要素にスポットライトを当てた『Walts for Debby』からの流れを受け(トリオ演奏からの影響という枠をはずせば、ジム・ホールなどが参加した,タイトルもそのものズバリの『Interplay』からの流れというのがより正確かもしれない)たものであるのに対し、ジョンの演奏は本作を支配しているリリシズムを継承していると強く感じる。

 このアルバムを録音した前年には愛妻のエレーヌを失い、またこの年には兄ハリーが自殺するなど、悲しい出来事が続いたビルの弾くピアノは悲しいほどに美しい。ビルのようなリリカルな部分を強調すると、ピンと張り詰めた緊張感と透明感を前に押し出すような演奏が多くなる。しかし、このアルバムでの演奏は、インタープレイ的な緊迫感を排し、すべての音が自ら調和を求めてあふれ出ながら、温かさに満ちている。愛おしさにあふれたピアノをとくとご堪能あれ。

August 02, 2006

●Larry Coryell: Quartet

LarryCoryell_quartet.jpg

Larry Coryell (g)
Miroslav Vitous (b)

 ビル・エバンスつながりでもう一枚紹介したい。ここでは再度登場となるが、ラリー・コリエルのミロスラフ・ヴィトウスどのデュオアルバムである。タイトルが『Quartet』(4重奏の意味)とあるのは、ビル・エバンスとスコット・ラファロにインスパイヤされてこのアルバムを作ったためである。

 ビルへのトリビュートとして、先日紹介したジョン・マクラフリンの『Time Remembered』とはある意味、好対照なアルバムに仕上がっているのがとても興味深い。ジョンはビルのリリシズムに焦点を当てたの対して、ラリーはインタープレイをその中心に置いているのである。どちらも、ビル・エバンスを語る上では重要なファクターなのだが、同じようにジャズ・ギター界に変革をもたらしたジョンとラリーが、違ったアプローチからビルの音楽を見つめなおしているわけである。

 ミロスラフ・ヴィトウスはチェコ生まれ。小さい頃からヴァイオリン、ピアノを習ってきた彼がベースを弾き始めたのが14歳のとき。その後、ウィーンでのコンクールで優勝し、奨学金を得てアメリカ東海岸のバークリー音楽院へと留学をする。チック・コリア、ハービー・マンなどのレコーディングに参加した後、自己のアルバムも製作する。彼が広く脚光を浴びるようになったのは、ジョー・ザビヌル、ウェイン・ショーターらと一緒にウエザー・リポートを結成してからだろう。ウエザー・リポートの最初の3枚のアルバムに参加した後、ミロスラフはグループを離れ、ロスに移り住んで新しい楽器の開発に取り組んだり、音楽教育に力を注いできた。最近では、ちっく・こりあとの演奏や、自身のリーダーアルバムをECMからリリースしたりと、マイペースでの演奏活動を続けている。

 ジャズでギターとベースのデュオアルバムといえば、ロン・カーターとジム・ホールの『Alone Together』が真っ先に思い浮かぶが、歴史的名盤との評価が高いロンとジムのものに比べると、ラリーとミロスラフの演奏はストレート・アヘッドな4ビートジャズというよりは、もっとコンテンポラリーな印象が強い。それでいて、難解さはあまり感じさせないので、聴くものの中にスッと入って来やすい。時折アルコ奏法(弓によりベース演奏)を交えるミロスラフの演奏はとても美しく、また力強い。

 ベースがギターをサポートしているというよりは、ギターとベースがお互いに重なり合うように絡みつつあるのは、やはりビルが得意としていたインタープレイ的な要素が根底にあるからだ。Quartetというタイトルの意味を考えながらこのアルバムを聴くと、いっそうイメージが膨らむのが楽しい。
 

July 29, 2006

●Bill Evans: Waltz for Debby

BillEvans_waltz.jpg

Bill Evans (p)
Scott LaFaro (b)
Paul Motian (ds)

 ビル・エバンスがらみのアルバムを続けて紹介したので、次は彼のリーダー作を取り上げてみよう。数え切れないほどの名作を残しているビルだが、定番中の定番が本作。1961年6月25日、ニューヨークの老舗ジャズクラブ、ヴィレッジ・バンガードでのライブ収録盤である。この日の演奏は、『Waltz for Debby』、『Sunday at the Village Vanguard』の2枚としてリリースされている。『Sunday...』の方はスコット・ラファロのオリジナル曲などを収録しているのに対して、『Waltz for Debby』はスタンダード中心の選曲となっている。

 ビル・エバンスを聴くにあたり、トリオ編成ではスコット・ラファロ、ポール・モティアンによる演奏をまず押さえておきたい。スコット・ラファロがビルのピアノトリオに参加したのは1959年のことである。ビルが当時重視していたのがインタープレイと呼ばれるスタイル。従来のビバップでのアドリブに比べて、プレイヤー相互のかかわりがより強い演奏スタイルである。ビルはこの後にも、違うメンバーによる素晴らしいトリオ演奏を残しているが、最初の、そして最も成功したスコット・ラファロとポール・モティアンによるトリオ演奏をやはり最初に紹介しなければいけないだろう。

 ややルバート的なビルのソロから始まり、スコットが力強いベースラインで絡み、ポールがでしゃばりすぎず、かといってしっかりと存在感のあるブラシワークで支えるというパターンも一つの特徴ともいえよう。ビルのピアノは、これまでのジャズ・ピアニストとは少し趣きが異なり、リリカル(詩的)という表現がピタリとはまるものだろう。あくまでも違いという観点からだが、黒人ピアニストに対して白人ピアニストとしてくくられる「違い」を確かに感じる。単に激しい、激しくないということではなく、感情をストレートに表出させるのではなく、強い思いを内面に押しとどめつつも、それがじわりじわりと染み出てくるような印象を受ける。

 ビルにとって、重要なパートナーともいえるスコットは、この演奏のわずか10日後に交通事故で他界をしてしまう。その喪失感はとても大きく、1年近くビルは演奏活動を休止してしまう。しかし、当時の敏腕プロデューサー、クリード・テイラーの励ましを受け、さまざまな演奏フォーマットでの活動を再開する。

 ビルについて書かれたテキストによると、彼はこのアルバムには気に入らない点があるといっていたそうである。ヴィレッジ・ヴァンガードは老舗ジャズクラブで、客は熱心なジャズファンが多いといわれるが、このアルバムでは、グラスの中で氷が音を立てていたり、客席の雑音が結構録音されている。ビルは、観客がこのような音を立てていることが気に入らなかったということらしい。確かに、日本のジャズ・クラブではあまり見ないような、「ゆるい」雰囲気がそれらの音から伝わってくる。少々音を立てたからといって非難されようとも、この素晴らしい演奏を目の当たりにしていた人は、ほんとに幸せであろう。

July 23, 2006

●John McLaughlin: Time Remembered

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John McLaughlin (g)
Yan Maresz (b)
The Aighetta Quartet
   Francois Szonyi (g)
   Pascal Rabatti (g)
   Alexandre Del Fa (g)
   Philippe Loli (g)

 マイルスのアルバムでも触れたビル・エバンスは、60年代以降のジャズ・ピアニストとしてはもっとも重要な人物の一人といえるだろう。したがって、さまざまな人たちに影響を与えていったわけであるが、ピアニストのみならず、ギタリストも彼のことをフェイヴァリット・プレイヤーとしてあげる人は多い。

 ジョン・マクラフリンは60年代終わりにトニー・ウィリアムスのグループ、ライフタイムに参加すべくイギリスを離れニューヨークへと移り住む。そして、『ビッチェズ・ブリュー』をはじめとして、マイルスのアルバムにも数多く参加していった。その後、自身のグループ、マハヴィシュヌ・オーケストラを結成し、ハードコアなフュージョンの黎明期に大きな役割を果たしていった。さらには、インド音楽への傾倒を全面に出したシャクティでの演奏からは、アコースティック音楽を中心として、ラリー・コリエル、クリスチャン・エスクーデ、パコ・デ・ルシアやアル・ディメオラなどとの共演を重ねていった。
 80年代終わりから90年代初頭になると、セッション的なアコースティック・ギター主体の演奏から、メンバーをほぼ固定してジョン独自のスタイルを確立したともいえるジョン・マクラフリン・トリオでの演奏がメインとなり、か図化すの素晴らしい演奏を残していった。そのトリオでの演奏が一段落した時期に、この作品が録音された。

 ジャズを専門とする批評家などからは、ジョンに対する厳しい評価を聞くことが多い。マイルスのグループに参加していた前後は、エレクトリック・ジャズの主流に近いところにいたジョンのその後の道のりは、必ずしもジャズ信奉者からは好ましいものとは映っていなかったようなのである。そのジョンが、ジャズのメインストリームにドンと構えるビル・エバンスへのトリビュートとして楽曲集を出したことに違和感を感じているという内容の評論を目にしたこともある。

 確かに「ジャズ」というカテゴリーの中でこのアルバムを聴くと物足りなさを感じることは否めない。しかし、このアルバムは純粋なジャズではないという地点からスタートすると、まったく違う評価を下すことができよう。ベース奏者としても参加しているヤン・マレッツは、ジョンの弟子でジュリアード音楽院の卒業生。つまり、クラシック音楽の基礎をしっかりと持つ人物である。彼が、今回のビルの曲のアレンジに重要な役割を果たしていった。エイグェッタ・クァルテットはクラシック・ギターのアンサンブルユニットであることからも、この作品の志向するものがはっきりとうかがい取れる。
 緻密なアレンジ・構成をベースとしたアンサンブル演奏で、ビル・エバンスの持つ楽曲の繊細な対位法的手法を際立たせているのである。ジョンは、自分のソロパートではインプロヴィゼーションを展開しているが、決してジャズ・フュージョンのアルバムで見られるような自由奔放なラインではなく、カシッとした枠組みの中にきちんとおさまっているものとなっているのが面白い。

 ギターのピンと張り詰めた音、極限まで計算しつくされたメロディと内声の動き。クラシック・ギターのファンにも十分訴えかける力があるジョンの演奏は素晴らしいのはもちろんだが、やはり、ビル・エバンスというアーティストの計り知れないポテンシャルを意識せずにはいられない。

July 18, 2006

●Miles Davis: Kind of Blue

MilesDavis_kind.jpg

Miles Davis (tp)
Julian Cannonball Adderley (as)
John Coltrane (ts)
Bill Evans (p)
Wynton Kelly (p)
Paul Chambers (b)
Jimmy Cobb (ds)

 マイルス・ディヴィスのグループからは、楽器を問わず、その後のジャズ/フュージョンシーンをリードしていく素晴らしいミュージシャンが数多く輩出されている。アート・ブレイキー率いるジャズ・メッセンジャーズがどちらかというと管楽器中心に若手メインストリーム・ジャズプレイヤーを育てていったのとは、ある意味対照的でもある。

 マイルスにとって、大きな影響のあったピアニストといえば、まずビル・エバンスを挙げずにはいられない。このアルバムを録音する1年ほど前から、マイルスのセクステットに参加するようになったビルは、従来のジャズ・ピアニストとは違うアプローチを取り入れていく。ドビュッシーやレベルといわれる印象派からの影響を強く受けていた彼は、ヨーロッパのクラッシック音楽の流れをジャズとうまく融合させ、リリカルとも評される新しいスタイルを築いていった。

 このアルバムはマイルスにとって非常に重要なアルバムの一つといえるが、ここで展開されているさまざまな試みの源はビルにあるといえよう。中でも、冒頭の曲「So What」で展開されたモード奏法(この曲はドリアン・モード)は、それまでの典型的なコード進行に対して、常套句的なアドリブフレーズが展開していたものとは、まったく異なるアプローチによる曲の構成、アドリブの展開を示すものであった。モードのルーツは中世以前の教会旋律にあるといわれているが、学究肌のビルの力なくしては、このレベルまで形作られることが難しかっただろう。もちろん、マイルスはこの録音以前に、「マイルストーン」などで、すでにモード手法を取り入れているわけだから、ビル一人の力ではないのであるが・・・。

 裏ジャケットには、ピアノに向うビルを横からマイルスが覗いている写真が使われているが、両者の表情がとても興味深い。レコーディングの途中では、マイルスがたびたびピアノに向かい、その傍らでビルがアドバイスをするというシーンが何度も見られたという。くわえタバコでたったまま鍵盤を弾いているビルは、自分の求めているものに向って突き進んでいるかのような凛とした印象を漂わせているのに対し、マイルスの表情にはなんともいえない不安な影が落ちている。まったくの推測に過ぎないが、ビルの提示していくものに対して、マイルスが乗り切れていないのではと思わせるようである。

 実際の演奏はというと、写真にあった不安な表情というのをまったく感じさせないところが、さすがマイルスである。コルトレーン、アダレイとともに最強ともいえる3管編成は、強烈なドライブ感を前面に押し出すのではなく、静かな緊張感を携えつつ展開していく。ビルの代わりにウィントン・ケリーがピアノを弾いている「フレディー・フリーローダー」のみは、テーマ部にモーダルな要素があるものの、最初にソロを取るウィントンはモードというよりは従来のビバップ的なアドリブを展開しているのが、少し異質な感を受ける。しかし、メンバーにとっては、新しいモードから、一時的にせよ開放された一服の涼ともいえるような曲の仕上がりになっているもがおかしい。

 一部の曲を除けば、ほとんどがワン・テイクで録音されたという。おそらく、スタジオでの緊張感はすさまじいものがあったことは想像に難くない。ビルの力が不可欠であったにせよ、やはりこのメンバーをまとめあげて、一気にこの高みまで持ち上げるマイルスの統率力には脱帽である。

 

 

July 03, 2006

●Steve Khan: Evidence

SteveKhan_evidence.jpg

Steve Khan (g)

 70~80年代初頭のフュージョン・シーンを語る上で、はずせないのがアリスタ・レコードのノーヴァス(novus)・レーベルである。アリスタは、以前紹介したラリー・コリエルの『Tributaries』をはじめ、ブレッカー・ブラザースや、STEPS(のちにSTEPS AHEADとユニット名を変更)などで活躍をすることになるマイク・マイニエリなど、重要なプレイヤーが数多くの作品をリリースしていたことで知られる。

 70年代からニューヨークを拠点に、数々のセッションをこなし、実力派ミュージシャンとして評判が高かったスティーヴ・カーンは1975年から76年にかけてラリー・コリエルとギター・デュオのライブ・ツアーをおこなう。ここで、ウェイン・ショーターやチック・コリアなどの曲をギター2本で即興的な要素を交えながら、白熱のセッションを繰り広げた。このユニットでは1976年録音の『Two For the Road』という名盤を残しているが、これはまた機会を改めて紹介したい。

 コリエルとのツアーを終え、スティーブはエレクトリック主体のリーダー作を3枚ほど発表するが、81年にリリースした本作では、アコースティック・ギターを前面に出しながら、コリエルとのデュオとは別軸の素晴らしい演奏を披露する。場合によっては、複数のアコースティック・ギターのみならず、エレクトリック・ギターも重ねた多重録音による演奏だが、メロディの美しさを追求したスティーヴのギタープレイ自体は、決して奇をてらったものではなくオーソドックスともいえるものなのだが、非常に緻密に作り上げられた楽曲は、これまでにない独自性の強いものである。

 個人的には、少し空間系のエフェクト処理が強いのが気になるが、ギター自体の音も素晴らしい。このとき、スティーヴが弾いていたのは、デヴィッド・ラッセル・ヤングが製作したギター。デヴィッドは60年代終わりから80年代初めにかけてアメリカ西海岸でギター製作をしていた伝説の人物である。その後、ギター製作からはなれ、ヴァイオリンの弓製作家として現在も活動している。たまたま縁があって、『アコースティック・ギター・マガジンVol.18』(リットーミュージック 2003年10月刊)の「幻と呼ばれたドレッドノート」という企画で、もう一人の伝説的なギター製作家、マーク・ホワイトブックとともに取り上げたとき、二人の製作家とそれぞれのギターについて記事を書く機会を得た。デヴィッドとはメールで連絡を取り、短いバイオグラフィーながら、事実を確認しながら執筆できた。

 ギター製作をする人の間では、デヴィッドは『The Steel Guitar Construction & Repair』(残念ながら、絶版になってしまっていて入手は難しいようである)という教科書を執筆したことでも良く知られている。スティール弦ギターの製作方法について書かれた最初の本であるが、今はギター製作を離れている伝説の人物とコンタクトが取れたことで、とても興奮したことを今でもよく覚えている。

 メロディを歌わせるためにスティーヴが選んだのは、ウェイン・ショーターやホレス・シルバー、セロニアス・モンクなどの楽曲。その中でも、モンクの曲を9つメドレーにしてトータル18分強に渡って繰り広げらるるラストの曲は、名演というより他にない素晴らしいものだ。

 残念なことに、このアルバムは現在入手が難しいようである。ただ、ネット上のmp3形式で楽曲を扱うサイトなどからダウンロードはできるようである。「Steve Khan Evidence」といったキーワードで検索すると見つかるだろう。但し、mp3は圧縮形式なので、オリジナルの音を再現できるわけではないことを認識しておく必要があるだろう。個人的には、mp3ではかなり音の密度が変わるという印象がある。
 ちなみに画像のジャケット写真は「Novus series '70」というシリーズ企画でリリースされたCDのもの。LPでリリースされたのは、中央の白い部分のデザインによるものだった。

June 18, 2006

●Pat Martino: Exit

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Pat Martino (g)
Gil Goldstein(p)
Richard Davis(b)
Hilly Hart(ds)

 パット・マルティーノとは思いのほか縁がなく、聴くようになったのはずいぶんあとになってからだ。ジャズ・フュージョンのギタリストを聴き始めるようになると、だんだんと彼らが持っているルーツをたどり、ウエス・モンゴメリなどのオーソドックスなスタイルのジャズ・ギターは割合聴いた。  ジャズ・ギターへと深く入っていくにつれ、当然のことながらパットの名前も耳にするようになり、気になってはいた。

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 ただ、最初に目にした彼の写真が、サングラスとヒゲがなんとも怪しい風貌で、「ウエスの後継者」といわれてもまったく信じることができなかった。それよりも、ロック界の奇人フランク・ザッパに通ずるようなイメージが植えつけられ、端正なギタープレイをするなどとは思いもよらなかった。はっきりとは覚えていないが、手にしていたギターも、ジャズ・ギタリストが通常使うアーチトップ(フルアコ)ではなく、ソリッドボディのものだったような気がする。いずれにせよ、ガンガンにひずませた音で弾いていてもおかしくなさそうな風貌だったのだ。

 あるとき、FMラジオから聞こえてきた「酒とバラの日々」に思わずはっとした。クリーントーンながら素晴らしいドライブ感。一体誰の演奏だろうと思って調べると、それがパット・マルティーノだった。あわてて、本作を手に入れて聴いてみた。リチャード・デイビスの渋いベースソロから始まる冒頭の曲は、若干フリーフォーム色がはいっているが、それ以外はほぼスタンダード曲が中心で、ギターを弾きまくるパットを堪能できる。
 パットのギターから思い浮かぶのが、“空間恐怖症”というイメージだ。音の無い空間の存在にガマンができず、隙間という隙間に音を埋め込んでいくかのごとく、ギターを弾いている。

 1980年頃に脳動脈瘤に倒れ、手術を行いなんとか回復するものの、その影響で、過去の記憶を失ってしまう。ギター演奏を再びおこなうことは不可能だろうとうわさをされたが、そんな声を払拭するかのように1987年には『The Return』を発表。以前にも増して、複雑さを増した独特のフレージングは、続けて発表されていく作品ごとに磨きをかけられていく。見事に再起した彼の演奏を聴くと、プレイヤーの音楽スタイルは、単に脳に記憶されているものではないということを思い知らされる。

 最新作では、ウエス・モンゴメリー・トリビュートというコンセプトでまとめたパット。ビバップからコンテンポラリーまで何でもこなせて、思わず人を唸らせるギタリストだろう。カリスマ性を持つ彼が放つオーラは、聴く者をどんどんと深い世界へと引きずり込んでいく。

June 07, 2006

●Billie Holiday: Lady in Satin

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Billie Holiday (vo)
Ray Ellis and his orchestra

 「うまいとか下手とかを超越して、人の心に入ってくる歌声」、晩年のビリー・ホリデイを聴くと、いつもそのことが頭に浮かんでくる。最晩年の本作では、ヘロインの常用により、文字通り身も心もボロボロになっていたビリーの声が痛々しいばかりだ。音程は不安定で、声の艶も消えてしまっている。それでも、冒頭の曲で「I'm a fool to want you.」と歌いだすのを聴くと、心を強く揺さぶられてしまう。

 古いブルーススタイルをベースにしていたビリーは、それまでの女性ボーカルとは違う、新しいスタイルを築き上げていった。敬愛していたルイ・アームストロングやレスター・ヤングなどのホーンプレイヤーの作り出していたハーモニー的な要素も歌に取り入れていったのである。彼女は、「管楽器のように歌いたい」とよく口にしていたという。

 ビリーの歌う歌詞は、非常に辛く、悲しい内容が多い。当時の黒人たちが直面していた、ひどい状況を、時には明るいメロディにまでのせて歌っている。「奇妙な果実」でうたわれている、木にぶら下がっている奇妙な果実とは、リンチを受けて木に吊り下げられて殺された黒人のこと。
 ビリー自身、自分が歌っていた悲惨な歌詞の世界そのままを生きていた。未婚の母の子として生まれた彼女は、差別を受けたり、乱暴をされたりと、幼少から辛い道を歩かされていた。しかし、10代後半で、歌手としての評価を得ると、人気の高い楽団との競演を重ね、一気に知名度を上げていくようになる。歌い手として一時は高い評価を得ながらも、私生活では母親の死や、暴力を振るう男性の存在から、ヘロインを常用するようになっていく。結局、麻薬の不法所持で刑務所に送られてしまうようになる。ヘロインの常習者というレッテルを貼られたビリーは、キャバレー・カードを剥奪され、ナイトクラブでの出演の機会も奪われてしまう。過度のヘロイン服用とアルコール摂取により、声はボロボロになっていき、歌手としての生命もほとんど絶たれたも同然のようになっていく。
 
 このアルバムを録音したとき、ビリーはまだ43歳だったが、70過ぎの女性の声といっても通るほど、しわがれ、艶も失われている。悲しい内容を切々と歌うその姿には、ある種の諦念のようなものすら感じさせられる。だからこそ、詞の内容がグイグイと心にねじ込まれるようにして入ってくるのだろう。
  この翌年、早すぎる死を迎えてしまうのだが、ベッドで眠るように息を引き取っていたのを発見されたときも、死してなおヘロインの不法所持で逮捕されるという悲しい結末を迎える。

 長いことビリーの歌伴をしていたピアノのマル・ウォルドロンは、このアルバムでも半数ほどの曲に参加している。ビリーの死をいたみ、その喪失感を表現したマルの『Left Alone』は、ひとり取り残された悲しさと寂しさをを訴えかけてくる。そのマルも2002年にこの世を去り、むせび泣くようなアルト・サックスを吹いていたジャッキー・マクリーンも、最近、鬼籍に入ってしまった。

 ビリーの歌を聴くたびに、歌のもつ力とはなんなのかを、考えずにはいられない。人の心を揺さぶるのは、決して「うまさ」ではないのだろうと思う。

May 21, 2006

●Pat Metheny: Pat Metheny Group

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Pat Metheny (g)
Lyle Mays (p, key, autoharp)
Mark Egan (b)
Dan Gottlieb (ds)

 パット・メセニーを最初に聞いたときのことは、あまり覚えていない。おそらく、このアルバムが発売された頃、日本でもだんだんと注目されていたはずだが、ギター関係の雑誌ではよく取り上げられていた。その中で、一番印象的だったのが、機材に関する話である。当時は、レコーディングの現場などでのみ使われていた、レキシコンのプライムタイムというディレイをステレオで使って、不思議な音の広がりを作るという話である。今でこそ、ギター用のコンパクトタイプではないものをラックに入れてライブに使うことは珍しくは無いが、その頃は、こんなことを考えて、実際にやってしまうとは、「なんてクレイジーなんだ」と思ったものである。

 パットが音楽を志すきっかけとなったのが、13歳のときに見たヴィブラホン奏者ゲイリー・バートンのグループを地元で見たときのことだったという。当時、このグループには若き日のラリー・コリエルが参加しており、おりしもジャズとロックを融合したスタイルのギターを弾きまくっていたのである。その後、フロリダをベースに音楽活動をおこなう中、ジャコ・パストリアスなどともつながりを持つようになっていく。

 ECMからの3作目に当たる本作で、初めて「パット・メセニー・グループ(PMG)」という名称を使うようになる。現在では、ライル・メイズとの共演に限り、PMGとクレジットするということである。ECMを離れた辺りから、グループの編成も変わっていき、ワールド・ミュージック的な要素も取り入れた、グループトータルのサウンドメイキングがより鮮明になっていくのに対し、この時代の作品は、シンプルな編成ながら必要な音が必要なだけあるという印象を受ける。
 ライルはピアノ主体の演奏で、時折、キース・ジャレット風のフレーズが飛び出したりするのも、なんともおかしい。ECMならではのことなのかもしれない。マーク・イーガンはジャコに並ぶフレットレス・ベースの使い手として知られているが、ジャコを意識しつつも、フレージングやハーモニックスの使い方など、独特のスタイルを感じさせる。パットは、空間系のエフェクトを多用しているものの、決して線は細くなく、パワフルな演奏を聞かせてくれる。
 ちなみに、国内盤では1曲目の邦題『思い出のサン・ロレンツォ』がそのままアルバムタイトルになっている。

 最近のパットの演奏は今ひとつ、と思っている人で、よりジャズ色の強いものを好む人にとって、この時代の演奏はしっくり来るはずだ。すべての要素を計算しつくしたような現在のスタイルも素晴らしいが、このアルバムのように少数の実力派メンバーで、思い切り自由に演奏するのも聴いてみたいと思う。

May 17, 2006

●Singers Unlimited, The: A Capella

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Gene Puerling (vo)
Don Shelton (vo)
Len Dresslar (vo)
Bonnie Herman (vo)

 サラリーマン時代、お世話になった先輩が定年退職を迎えたときのことである。60歳の誕生日が退職日となるのであるが、当時の直属の上司から、退職記念パーティの企画を取り仕切るように言われた私は、これまでのパーティとは違った内容を盛り込もうといろいろ考えた。なかなかいいアイディアが出ずに悩む日が続いたが、あるとき、パッと思いついたのがアカペラのコーラスだった。男性4部のコーラスで、ダーク・ダックスやデューク・エイセスのようなものではなく、もっとおしゃれな構成のものだ。
 「やはり、ジャズ・コーラスでしょう」ということで、なんでも理屈から入る私は、さっそくジャズ・コーラスの本を数冊買い込み、コンピューターソフトで和音をチェックしながら4声のパートを考えていった。誕生日ということなので、思いっきりベタな選曲で「Happy Birthday」。これを思いっきりおしゃれにするというのがこのときのテーマだった。
 さすがに経験したことのない世界だったので、なかなか進まない。ジャズ・コーラスグループの演奏も片っ端から聴いていった。もともとよく聴いていたManhattan Transfer(男声2、女声2)や、男性ジャズ・コーラスの新しいスタイルを完成させたというFour Freshmenなどは、アレンジをする上でとても参考になった。

 そんな中、繰り返し聴いたのがこのアルバム。女声が入っているので、直接自分たちのアレンジに取り入れたわけではないが、メロディラインに対する内声の動かし方などは本当に勉強になった。マンハッタン・トランスファーはインストもののオリジナル演奏を、ヴォーカルでフレーズ完コピという独自のスタイルを築いていた。フォー・フレッシュメンはとても端正な和音の積み上げで、もはやジャズ・コーラスのニュー・スタンダードといってもよいほど完成されたものであった。一方、シンガーズ・アンリミテッドは一曲の中でもリズムやコーラス編成の変化が豊かで、飽きさせない。ビートルズナンバーを筆頭に選曲もおしゃれで、複雑な和音を安定して聴かせてくれる本作は、アカペラコーラスを聴く際の導入部としても最適だろう。

 話を元に戻そう。
 何とかコーラス・アレンジを終えると、同じ研究室で音楽経験のある3人の先輩に声をかけ、それぞれ個人練習をしてもらった上で、仕事が終わった後の全体練習を重ねること数週間。何とか形になり、本番当日を迎えた。4人が皆、ブラックスーツに蝶ネクタイといういでたちでコーラスをお披露目し、暖かい拍手をいただくことができた。
 その後も、定年退職パーティーといえば、アカペラコーラスというのが続き、数回の出番があった。私は会社を離れ、コーラスに参加した先輩諸氏もそれぞれ偉くなって所属が変わってしまった今、あのアレンジで、あの歌を歌う人はいないのだろう。

May 11, 2006

●Charlie Mingus: Pithecanthropus Erectus

CharlieMingus_Pithecanthropus.jpg

Charlie Mingus (b)
Jackie McLean (as)
J. R. Monterose (ts)
Mal Waldron (p)
Willie Jones (ds)

 「怒れる黒人」というのが、全盛期のチャーリー・ミンガスのイメージだ。人種差別問題に対し、抗議の声をあげ、社会的なメッセージを含んだ曲を数多く作り、演奏をしてきた。ベーシストという性格もあるかもしれないが、ミンガスが目指したのは、集団即興演奏と呼ばれるグループ表現だった。アルバムのタイトルともなっている「Pithecanthropus Erectus(直立猿人)」では、この実験的な要素が、高いレベルで結実している。"進化"、"優越感"、"衰退"、"滅亡"と題された四部構成のこの曲は、たった5人で演奏しているとは思えぬ重量感にまず圧倒される。フリーフォームでそれぞれが勝手な方向に走り始めるかと思うと、破綻をきたす一歩手前で突然の調和が訪れる。その緊張感と安堵感の繰り返しこそが、ミンガスの強さをイメージ付けるものなのだろう。

 黒人のメッセージを世に発するジャズメンという点では、デューク・エリントンと対比されることも多いが、ミンガスの場合は、強烈な社会風刺と皮肉がこめられたメッセージとなって外に向うことが多かった。そのため、いろいろな面で敵も多かったという。さらに、大きな体から容易にイメージされるように腕っ節も強く、しょっちゅうバンドメンバーとも衝突をしていた。怒りながらピアノのふたをガチャンと閉め、ピアニストが危うく手を傷つけてしまいようになったり、トロンボーンプレイヤーの顔面を殴ったりと、その方面の話題には事欠かなかった。

 そんなミンガスもパーキンソン病を患い、晩年は大きな体を車椅子に沈めてすっかりと弱々しい姿となってしまった。最晩年には、当時のアメリカ大統領ジミー・カーターに声をかけられて、感極まって泣いている姿には、若き日の「怒れる巨人」の面影はまったく感じられなかった。しかし、このアルバムで地の底から響いてくるようなベースの音は、紛れも無いミンガスの力をわれわれに伝えるものだ。

May 07, 2006

●John Abercrombie: Arcade

JohnAbercrombie_arch.jpg

John Abercrombie (g, e-mandolin)
Richie Beirach (p)
George Mraz (b)
Peter Donald (ds)

 長いことCD化を待ち望んでいたものが、ある時、突然リリースされることがある。そのため、時折CD通販サイトをチェックしなければと思っている。本作もそんなものの一つだ。ここでも何回か言及したECMレーベルの作品だが、考えてみると、初めて買ったECMのレコードがこれだった。

 ジョン・アバークロンビーは派手さは無いものの、玄人好みのギタリストといえるだろう。このアルバムはLPで発売されたときの邦題が『マジカル・フィンガー』。「驚異のテクニック」といったようなキャッチコピーがついていたように記憶している。ここで、再三書いているが、この類のコピーにはめっぽう弱かった高校生時代の私は、なけなしの小遣いをはたいて手に入れたのであった。確かにすごいテクニックではあった。ただ、あまりにも流暢に音が流れていくので、弾きまくるという印象はまったく感じなかった。それよりも、ディレイを多用するジョンのギターの音や、リッチー・バイラークのピアノ、そして時折アルコ奏法を交えたジョージ・ムラーツのベースは非常に透明感があり、ユニットのまとまりの素晴らしさが目立った。ドラムスのピーター・ドナルドはあまりよく知らないが、ルー・タバキンなどと演奏をしていたようである。ここでは、他の3人が作り出す音空間に溶け込むようなシンバル・ワークがとてもよい。

 不幸なことに、ECMのマンフレート・アイヒャーと、当時はこのレーベルで中心的な活動をしていたリッチーは、このアルバムをきっかけに、音楽面での確執が表面化し、しばらくして袂を分かつことになってしまう。アイヒャーにとって、この問題は思いのほか大きかったようで、ジョン名義でリッチーが参加した3枚のLPはECMのリストから抹消されてしまうという結末を迎える。その経緯を考えると、本作がCDとなって再び日の目を見るようになったことは、本当の驚くべきことであろう。

 ジョンの一聴するとつかみどころが無く、浮遊感の漂うギターと、ビル・エバンスの流れを汲み、リリカルでありながら、時折きらめくようなフレーズが輝いているリッチーのピアノが、素晴らしくマッチしている。ジャンは、この後にもマーク・ジョンソン、ピーター・アースキンとのレギュラートリオでも素晴らしい演奏を残しているが、音楽的な完成度の高さでは、本作が一押しだ。

April 23, 2006

●Ralph Towner: Solo Concert

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Ralph Towner (g)

 大雑把に言って、ギターを弾くのに2つのスタイルがある。一つは、フラットピックを使う奏法。もう一つは、フィンガースタイルと呼ぶ指弾きである。指で弾く場合、爪をどのくらい伸ばしてどう使うかによって、音が変わってくる。爪を使う割合が増えれば、輪郭のたった硬質な音となるし、指の肉の部分を主に使えば、タッチはソフトで芯のある音となる。ナイロン弦は、スティール弦に比べて柔らかいため、ナイロン弦を主に使う人はスティール弦のギターを弾くと爪を痛めてしまうことが多い。そのため、両方を併用する人がごくまれである。

 ラルフは、ナイロン弦での演奏が中心だが、スティール弦、それも弦の張力が強い12弦ギターを併用する、非常に珍しいギタリストである。場合によっては、1曲ごとにギターを持ちかえ、ナイロン弦とスティールの12弦を交互に弾くというのは、普通では考えられないことだが、彼はいとも簡単にやってのけている。

 繊細な音作りを得意とするECMレーベルの録音で、コンサートのライブ録音とは思えないほどクリアーな音にはビックリさせられる。ジャケットの写真を見ると、ブリッジとネックの付け根をそれぞれ狙ったマイクのセット(ノイマンのU87と思えるラージダイアフラムのセットと、AKG451スタイルの小径ダイアフラムのセットを併用しているので、計4本のマイクを使用)、少し離してアンビエントマイクを1本セットしている。さすがに、レコーディングを重視したセッティングで、コンサートでの見栄えは二の次にしているところが、いかにもECMらしい。

 ラルフの演奏を最初に聞いたのは、彼がソロ活動と並行して演奏活動をおこなっているオレゴンというグループでの演奏。ラリー・コリエルとの共演盤、『The Restful Mind』である。オレゴンは、ラルフとタブラ、コンガ奏者のコリン・ウォルコットを中心としたユニットで、インド音楽などの影響も取り入れた、エスニックテイストのある、独特の音楽世界を繰り広げている。残念なことに、コリンは後に事故で他界してしまうが、その後も、メンバーを替え、現在も活動を続けている。

 ソロ演奏では、クラシカルな要素と、ジャズの即興的な要素を非常にうまくミックスしている。緻密な構成を感じさせる一方で、自由奔放に展開されるパッセージも織り交ぜ、最初から最後まで聴く者を惹きつけてやまない。学者然としたその風貌にマッチした、知的な香りのする音楽がなんとも心地よいものだ。

April 21, 2006

●Keith Jarrett: My Song

KeithJarrett_mysong.jpg

Keith Jarrett (p)
Jan Garbarek (ts, ss)
Palle Danielsson (b)
Jon Christensen (ds)

 新しい音楽を聴き始めるきっかけは、些細なことが多い。FM東京(現在のTokyo FM)の夜11時代の番組で、某ウイスキーメーカーがスポンサーだった番組があった。その番組の中で流れるCMで、「・・・・暖炉の前に腰掛ける・・・・キース・ジャレットのカントリーを聞きながら(BGMにこの曲が流れている)、グラスに○○ウイスキーを注ぐ。(ガラスがカランという効果音)・・・」というナレーションがあった。思い描くイメージにピタリとこの曲がはまり、おしゃれな大人の時間をうらやましくも思ったものだ。そのCMが、このアルバムへと導いてくれたのだった。

 クラシックやジャスでは、名門レーベルというものが存在し、そのレーベルごとに、音作りを含めた強い個性がある。ジャズのレーベルで一番好きだったのが、このアルバムをリリースしているECMというドイツのレーベルだ。1969年創立のECMは老舗と呼ぶにはまだ歴史が浅いが、マンフレート・アイヒャーというカリスマ性のある創立者が、プロデューサーとして君臨し、アーティストと喧々諤々の論争をしながら、作品製作をしていく様子は、数々の伝説を生んだほどだ。水彩画のような透明感のある知的なECMサウンドは、ヨーロッパ・ジャズの一つのシンボル的存在として、アメリカのジャズと対比することができよう。マンフレートはギターものに対する思い入れも強く、ラルフ・タウナー、ジョン・アバークロンビー、(初期の)パット・メセニーを初めとして、数々の名作を世に出してきた。

 このアルバムを録音する1年ほど前に、キースは5年間活動を続けたレギュラー・クァルテットを解散し、かつて、同じECMで『ビロンギング』を録音したメンバーを再び集め、レコーディングに入った。インプロビゼーションによって繰り広げられる独特のソロ・ピアノの世界をすでに確立してしまったキースにとって、新しいメンバーで、別の方向へと向う演奏をすることは必然だったのかもしれない。キース以外はいずれも北欧出身の実力派メンバー。特に、サックスのヤン・ガルバレクはECMレーベルでのセッションで、数々の名演を残している。ソロでは自由奔放に弾いているキースも、ヤンのサックスをうまくサポートしているのが印象に残る。ベースにあるのはリラックスしたムードだが、時折激しく音をぶつけ合い、きらりと光る緊張感あふれるプレイも随所に見え隠れする。

 暖炉の前で、ロッキングチェアに腰を下ろして、ウイスキーグラスを片手にこのアルバムを聴きたいという思いは、まだ、かなっていない。

April 17, 2006

●Larry Coryell: Tributaries

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Larry Coryell (g)
Joe Beck (g)
John Scofield (g)

 ジェフ・ベックの次に、思い切りはまったギタリストがラリー・コリエルである。ジャズ・ギターというとウエス・モンゴメリに代表されるようにアーチトップ・ギターを抱え、クリーンなトーンというのが一般的なイメージだった。そこにロックのイディオムを持ち込んだのがラリー・コリエルとジョン・マクラフリンだ。まだ、日本ではフュージョンとかクロスオーバーという言葉が耳馴染みない頃、FMラジオから聞こえてきた、ラリーの演奏は、ひずんだ音のギターが縦横無尽に駆け回るような、新鮮な響きだった。

 ディメオラが初来日した翌年、ライブ・アンダー・ザ・スカイでは、なんと「ラリー・コリエル&ジョン・マクラフリンナイト」というプログラムが用意された。前の年は、チケット発売日の昼休み、学校にある公衆電話(当時はもちろん携帯電話などなかった)から必死に駆け続けてようやくチケットを取ったが、席はスタンドの真ん中辺り。ステージは遥かかなただった。今年は絶対にいい席で見るぞ、と思い、母親を拝み倒して、チケット発売開始の10時に繋がるまで電話をかけ続けてもらった。その甲斐もあって、席はアリーナの前から2列目の中央。もう、この席のことを考えただけでも興奮してしまうほどだ。

 ライブが近づいても、この晩のプログラムには「出演者:ラリー・コリエル(g)、ジョン・マクラフリン(g)、クリスチャン・エスクーデ(g)」とあるだけ。会場はテニスコートスタジアム。「広いステージにギター3人だけ??!」、おまけに最後のクリスチャン・エスクーデは名前も聞いたことがない。不安と期待が入り混じりながら、夕方の田園調布駅から会場の田園コロシアムへの道のりを急いだ。
 最初は、ラリー・コリエルのソロ。ステージ中央に三つ並んだ椅子、オヴェイションのアダマス(ギターのモデル名)を持ったラリーが登場すると、その一つの座り、おもむろにギター一本での演奏が始まる。チック・コリアの『スペイン』やジョン・コルトレーンの『ジャイアント・ステップス』など、とてもソロではできないと思うような曲が次から次へと飛び出す。おまけに、目の前で演奏しているにもかかわらず、とても一本のギターから出ているとは信じられないような音数。ただただ、あっけにとられるだけだった。後で聞いた話しによると、渡辺香津美氏もこのライブを見に来ていて、あまりのすごさに一週間寝込んでしまうほどだったという。
 ライブは、その後、ジョンとクリスチャンのデュオ、3人でのアンサンブルと盛りだくさんの内容で、アコースティック・ギターのすばらしさを満喫して帰り道についた。

 さて、前置きが長くなったが、本作は、1979年の作品。ラリーは70年代中頃からスティーブ・カーンやフィリップ・キャサリーンなどと、アコースティック・ギターによるデュオアルバムを製作しているが、これもその路線の延長線上にある。アコースティック・ギター3本の演奏というと、ディメオラ、マクラフリンとフラメンコ・ギタリストのパコ・デ・ルシアによるスーパーギタートリオが有名(実は、一時期ディメオラではなくにラリーが入って三人で演奏していたこともある)だが、こちらは、ジャズ・フュージョン界で活躍していたジョー・ベックと、今やコンテンポラリースタイルのジャズ・ギターでは第一人者といってよいジョン・スコフィールドによる演奏。スーパーギタートリオがインプロビゼイション(アドリブ)中心に展開しているのに比べ、こちらは、きちんとアレンジをした印象が強く、アンサンブルもすばらしい。音の重ね方が、即興演奏では出てこないような緻密な構成になっているのだ。全体的に、ジャズ・ブルースともいえるスタイルで、思わずうなるほどのかっこよさ。ちなみに、ジョンはほとんどアコースティックでの演奏をおこなっておらず、このレコーディングでも、ギターがなかったためにラリーのものを借りたという。

 CDでは、もともとのTributariesに含まれていた7曲に、1978年のスイス・モントルー・ジャズ・フェスティバルでのライブ収録とスタジオ録音を交えた"European Impressions"(邦題『ヨーロッパの印象』)のB面の4曲を加えた11曲入り。Tributariesではオヴェイションのアダマスを、後半の録音では、オヴェイションのカスタム・レジェンドを弾いており、音がかなり違うのも興味深い。ちなみに”European Impressions"のA面に入っている曲は、ラリーとスティーブ・カーンの共演盤”Two For the Road"に収録されている。こちらも名盤なので、いずれ紹介したい。

 アダマスのネックが3本並んだジャケット写真は本当にかっこよかった。「いつかはアダマス」と、高校生の頃から思っていたものだった。それから10年ほどして、いい縁があって本物を持つことができたときの嬉しさといったらなかった。

April 14, 2006

●Return To Forever: Romantic Warrior

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Chick Corea (p, key, per)
Stanley Clarke (b, per)
Lenny White (ds, per)
Al Di Meola (g, per)

 中学、高校と音楽にどっぷり浸かっていたが、当時の情報源は雑誌とFMラジオ。雑誌はミーハー指向のものを除けばほとんど目を通し、"超絶テクニックのギター"などという文字があろうものならば、「何としてでも聴かなければ」と思ったものである。そんな状況だったので、「バカテクのギタリスト」として脚光を浴びつつあったディメオラがアンテナに引っかかったのも当然の成り行きだった。ディメオラのソロアルバムもいいものがいくつかあるが、ソロ活動前の演奏を追っかけていってたどり着いたのが、チック・コリア率いるリターン・トゥ・フォーエヴァー(RTF)である。

 本作は、後期RTFの最高傑作といってもいい。ネヴィル・ポッターの詩にインスパイアされ、アルバムをトータル構成したもので、確かにストーリー性が感じられる曲展開である。4人が4人ともテクニック抜群で、遊び心にもあふれた演奏は、理屈抜きで楽しめるだろう。レニー・ホワイトのドラムスとディメオラのギターがかなりロック色を濃くしている一方、スタンリー・クラークは時折アコースティック・ベースのアルコ(クラシックのように弓を使っうこと)奏法を交え、”中世の騎士”というイメージに繋げているのも面白い。チック、ディメオラ、スタンリーがいずれもアコースティック楽器を演奏していながら、曲としてはエレクトリックのイメージを感じさせるのは、RTFというトータルユニットの持つマジックかもしれない。

 ディメオラは1979年のライブ・アンダー・ザ・スカイでチック・コリアのバンドメンバーとして初来日をするのだが、必死の思いでチケットを手に入れ、会場の田園コロシアムに出かけた。RTFの再構成に近い、このときの来日メンバーはチック・コリア(key)、アル・ディメオラ(g)、バーニー・ブルネル(b)、トニー・ウィリアムス(ds)という豪華な顔ぶれ。ディメオラ目当ての観客が多かったせいもあってか、彼のアコースティック・ギターソロのコーナーでは、ワンフレーズひいてはワァーという歓声が上がり、演奏としては期待していたほどではなかったのが残念だった。メンバーで一番光っていたのはバーニー・ブルネル。フレットレス・ペースでハーモニックスを多用する奏法には度肝を抜かれた。当時、フレットレス・ベースといえばジャコ・パストリアスというイメージが強かったが、まったく違うスタイルで、「すごい!!」と思わせるユニークさがバーニーにはあった。自分が知らないプレイヤーでも、すごい人がごろごろしているんだなぁと思いながら家に帰ったのをよく覚えている。

 後期RTFのコンセプトは、その後、チック・コリア・エレクトリック・バンドへと繋がっていくものだが、よりロック色の濃いRTFの演奏は、今聞いてもまったく色あせていないのがすばらしい。