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June 27, 2007

●Nick Drake: Five Leaves Left

NickDrake_five.jpg

Nick Drake (vo, g)
Paul Harris (p)
Richard Thompson (g)
Danny Thompson (b)
Rocki Dzidzornu (per)
Clare Lowther (cello)
Tristam Fry (ds, vib)

以前は、洋楽というとほとんどアメリカのものを聴いていたような気がするけれど、最近手を伸ばすのは、圧倒時にブリティッシュものが多い。若い頃にはじっくりと向き合ってこなかったものを、あらためて丹念に聴いていくと、実にしっくりと来る感じのものが多い。

アメリカ、それもウエストコーストの音楽と比較すると、ブリティッシュのものは、マイナー(短調)な曲はもちろんのこと、メジャー(長調)であっても、底抜けに明るい感じは決してなく、どこかに影を落としているような印象が強い。イギリス特有のあのどんよりとした気候と、ついついリンクしているかのような気になってしまう。

ニック・ドレイクはそんなブリティッシュの中にあっても、一段とダークでメランコリックな音楽で知られる。弱冠20歳でニックは、当時凄腕のプロデューサーとして知られていたジョー・ボイド(Fairport ConventionやThe Incredible String Bandのプロデュースで知られる人物)と契約を結び、ファーストアルバムとなる本作をリリースしたのは1969年。彼が21歳のときだった。

バックを支える中心メンバーはPentangleのベーシスト、ダニー・トンプソンとFairport Conventionのギタリスト、リチャード・トンプソン。当時を代表する人気グループのメンバーが新人をサポートするも珍しいことだったようだ。
レコード会社が提案していたストリングス・アレンジャーに首を横に振り、ニックのケンブリッジでの友人ロバート・カービーにアレンジをさせるなど、20歳そこそこの新人らしからぬ逸話も残っている。

一度足を踏み入れてしまうと、抜け出せないほど深くて暗い孤独の闇が、ニックの世界には広がっている。時折差し込むかすかな光も、次の瞬間には「やはり幻だった」と思ってしまいそうな暗闇の中。「自分とは縁のない世界であって欲しい」と思いつつも、このアルバムを聴くと心の中の何かが震えだす。

専門家の間では評価が高かったにもかかわらず、リリースした3枚のオリジナルアルバムは、いずれもセールス的には振るわなかった。そんな状況が、ニックをどんどんと追い詰めていったのだろう。3枚目の『Pink Moon』を発表した後、精神状態が一層不安定になっていく。もともと、音楽制作をしている間はライブ演奏をほとんどしていなかったが、この頃からは音楽制作自体も休止すると口にするようになっていく。ただ、他のアーティストに向けた曲作りだけは続けたかったようである。

そして1976年11月26日。息を引き取っているニックが発見される。まだ26歳だった。前の晩に抗うつ剤を過剰摂取していたのが死因とされた。枕元には母親が好きだったというカミュの詩集。自殺説が強い中、彼の家族はあくまでも誤って過剰摂取をしたことによる事故死だと主張していたという。
彼の心の中は、闇に閉ざされたままだが、残した素晴らしい音楽は、人々の心を揺さぶり続けるだろう。

May 31, 2007

●James Taylor: Mud Slide Slim And The Blue Horizon

JamesTaylor_Mud.jpg

James Taylor (vo, g, p)
Russ Kunkel (ds, per)
Leland Sklar (b)
Carole King (p, chorus)
Danny Kootch (g, per)
Peter Asher (produce, per, chorus)
Joni Mitchell (chorus)
Kevin Kelly (accordian, p)
John Hartfor (banjo)
Richard Greene (fiddle)
Kate Taylor (chorus)

ジェイムス・テイラーの音楽に最初に接したのは中学生のときだった。CSN&Yの紹介でも触れたが、中学のときに通っていたギター教室で取り上げたのがきっかけである。スリーフィンガー奏法を徐々にマスターしてきたこともあり、「これで大抵のフォーク曲は弾けるだろう」と思い上がっていたころでもあった。

教室で習う順番からすると、スリーフィンガーはアルペジオ奏法よりも若干高度なテクニックと感じていたため、ジェイムスの譜面をもらったときに最初に思ったのは、「なんだぁ、アルペジオかぁ」ということだった。

ところがどうしてどうして、弾いてみると単純なアルペジオではなく、なかなか上手くできない。それまでの定型パターンのものとは違い、メロディやコード進行に併せて、実に効果的なオカズが入っているのだ。彼の曲を何曲か練習していくにしたがい、入れているオカズのフレーズは比較的手癖のようなものだと気付くのだが、それはずいぶん後になってからだった。

歌伴のギターとしては、今なお最高峰の演奏だと信じてやまない。歌とよく絡みつつでしゃばりすぎつ、かといってちゃんと存在感もある、こんなギターを弾くことができる人は滅多にいないだろう。
カントリー的な要素とジャジーな雰囲気とブルースの香りも感じるギタープレイは、今聴いてもとても新鮮だ。

当時、愛用していたのはギブソンのJ-50というモデル。ギブソンのアコースティック・ギターはかなり個体差が大きいこともあるが、私自身、何本か試奏したことはあるものの、ジェイムスのような音のものには一度たりとも出会ったことがない。あの独特の音は、ギターそのものというよりも彼のプレイによるところが大きいような気がする。

東海岸ボストン生まれのジェイムスは、1968年に最初のソロ名義のアルバムを、ビートルズのアップルレコードレーベルからリリースする。専門家の間では注目されたものの、商業的にはまったく振るわず、失意のままプロデューサーのピーター・アッシャー(本アルバムでもプロデュースをしている)とともにアメリカに戻り、カリフォルニアに拠点を置いて活動をおこなっていく。

1970年にリリースした2作目『Sweet Baby James』(これはいずれ別途紹介したい)で成功を収め、瞬く間にシンガーソングライターとしての地位を確立する。メッセージ性の強いプロテスト・ソングを歌っていたピート・シーガーやボブ・ディランなどとは一線を画し、日常的なことや恋愛などを繊細に歌い上げるシンガーソングライターは?というと、真っ先にあがるのがジェイムスだろう。

本作は1971年に発表した第3作。楽曲の構成、バリエーションともに素晴らしく、大変聴き応えがある。ギターや歌、コーラスなどを分析していくと、勉強になる点も多いが、そんなことを意識せず、音楽にどっぷりと浸かるのが最高の楽しみ方だろう。

初期から最新のものまで、音楽のスタイルにいろいろと変化はあるものの、駄作がなくどれをとっても素晴らしいものとなっている。初めて聴いても、なんとなくなつかしい香りがし、それでいて飽きさせないものがある。これこそがジェイムスのマジックなのかもしれない。

現在も変わらぬ歌声で、ライブも含めた活動を積極的におこなっている。日本のギタリストやシンガーソングライターが、彼の影響を強く受けたと語っているのが多いのもうなづける。

November 26, 2006

●Kristina Olsen: Live From Around the World

KristinaOlsen_Live.jpg

Kristina Olsen (vo, g, p)
Nina Gerber (g)
Ed Johnson (chorus)
Kim Scanlon (chorus)
Martin Pearson (chorus)
Al Petteway (g)

 アメリカでギター製作の修行をしているときは、月曜から金曜までは工房で通常の作業、土曜日は楽器店でリペアの修行、日曜日は基本的に休みというパターンだった。日曜日には、工房で作業をしていることが多かったのだが、毎週のようにちょっと時間を作っては隣町のバークレーまで出かけていた。
 UCバークレー校(ある年代以上の人にとっては、ダスティン・ホフマン主演の『卒業』という映画の舞台にもなった大学として記憶にとどまっているかもしれない)の近くは、今では死語となってしまったヒッピースタイルの人々がアメリカ全国から集まっていたりと、ごちゃごちゃとしていて、とても楽しい場所だった。
 まず覗くのは、MOEという古本屋。まめに探していると、すでに絶版になっていたギター製作に関する書籍が見つかったりしたものだった。そしてお決まりのコースは、AMOEBAとRASPUTINという2軒のCD屋。いずれも中古盤の品揃えが豊富で、毎回1枚6ドル以下のもの限定で探しても、あっという間に欲しいものが見つかってしまうヤバイ場所だった。

 お気に入りのアーティストのCDを探したのはもちろんのことだったが、雑誌や書籍(一番頼りにしていたのは、『All Music Guide』という本。最近では、Web版をいつも参考にしている。)をチェックしながら、アコースティック・ギターが聴きもののアーティストを探すのも楽しみの一つだった。クリスティーナ・オルセンもこうやって出会ったアーティストの一人だった。

 このCDをかける前にまずビックリしたのはトラック数が24もあったこと。再生してみるとなぞは解けたのだが、ライブ演奏を集めたこのアルバムでは、曲間のMCにまでトラックナンバーをふっていたのであった。肝心の演奏はというと、比較的ブルース色の強いギターとパンチの効いたクリスティーナの歌声ではあったが、最初の印象では、自分の好みと必ずしもあっていたわけではなかったこともあり、あまりパッとした感じを受けなかった。

 それでも、繰り返し聴いているうちにだんだんと良さが伝わってくるようになった。なんといってもMCが絶妙で、話の内容が次の曲へのうまい導入にもなっている。なるほど、これならばMCにトラックナンバーをふりたくなる気持ちも良くわかる。ほとんどは一人での弾き語りだが、数曲、ニナ・ガーバーを始め、素晴らしいサポート・プレイヤーをバックに演奏している。ギターもブルース色が確かに強いが、オールドスタイルのものというよりは、時折ジャズ・フレーバーのフレーズもちりばめられていて、なんとも心地よい。最初の印象などは、もうどこ吹く風である。

 1957年生まれの彼女が最初のCDをリリースしたのは1992年。主にコーヒーハウスやフォーク・フェスティバルなどでの演奏活動をおこなっていたのであるが、キャリアの長さからすると遅咲きといってもいいだろう。

 日本ではあまり知られていないが、シンプルなスタイルの素晴らしいシンガー・ソング・ライターがまだまだたくさんいる。これが音楽大国アメリカの底力なのかもしれない。

July 07, 2006

●Anne Briggs: The Time Has Come

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Anne Briggs (vo, g, bouzouki)

 60年代から70年代にかけて活躍したブリティッシュ・フォーク(トラッド・フォーク・リヴァイヴァルと呼ばれる動き)では、女性シンガー(ヴォーカリスト)がひときわ輝いていた。以前紹介したペンタングルのジャッキー・マクシー、フェアポート・コンヴェンションのサンディ・デニー、スティーライ・スパンのマディ・ブライアーがその代表格だが、もう一人、主にソロ活動をしていたアン・ブリッグスのことを忘れることはできない。

 本作の邦題が『森の妖精』とあるためなのか、アンはブリティッシュ・フォークの妖精系シンガー(そもそもイメージがよくわかないのだが・・・)と呼ばれることもあるようだが、とても意思的な歌声が印象的で、妖精というイメージはあまり当てはまらないような気がする。

 イングランド中部のノッティンガムに生まれたアンは、いつしか地元のコーヒーハウスなどでトラッド・フォークソングを歌うようになるが、5-60年代のトラッド復興運動の中心的存在、イワン・マッコールやA.L. ロイドなどと出会うことで、瞬く間に表舞台に立つようになっていく。特にロイドからはトラッド・フォークの豊かな世界を伝授され、彼女のその後の音楽性に多大な影響を受けていく。

プロとしてのキャリアを踏み出す以前に、スコットランドを旅行しているときに知り合ったというバート・ヤンシュは、いうまでもなく、ペンタングルで活躍したシンガー/ギタリストであるが、バートはアンを通じて、ロイドなどが研究・伝授していたトラッド・フォークの奥深い世界を知っていくのであった。また、アンはバートからオープンチューニングなどのギター関連のテクニックや、ソングライティングを教わったとある。
 バートがジミー・ペイジをはじめ、数多くのミュージシャンに影響を与えたことを考えると、そのバートに重要な橋渡しをしたアンの存在はとても大きいことがわかる。

 本作では、インストも含めギターとブズーキーの演奏と歌をアンが一人でおこなっている(アルバムのクレジットには明記されていないのできちんと確認できているわけではないが)。特に、楽器の演奏は派手さはないものの、とてもしっかりしたピッキングで、女性らしからぬ力強さすら感じさせるものだ。ブリティッシュ・トラッド独特の雰囲気なのだが、幽玄でしっとりとした中にも、時折キラリと光るものを感じられるのは、なんとも不思議だ。コード進行はちゃんとあるのだが、モーダル的な浮遊感からは、不安定な気持ちの揺らぎにも似た危うさが感じられる。

 アンは、本作を発表した後、音楽活動を離れてしまう。育児のためといわれているようだが、一方では、自分自身の歌声に対してコンプレックスを持っていて、レコーディングを非常に嫌っていたともいわれている。90年代に入り、過去の録音を集めてCDとしてリリースしたのをきっかけに、音楽活動を一時再開したらしいが、1,2度の演奏以外には目立った活動の話は入ってこない。

June 15, 2006

●Joni Mitchell: Blue

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Joni Mitchell (vo, g, dulcimer, p)
Stephen Stills (b, g)
James Taylor (g)
Sneeky Pete (pedal-steel)
Russ Kunkel (ds)

 ギターをかっこよく弾く女性シンガー・ソング・ライターの草分けといえば、ジョニ・ミッチェルをあげずにはいられない。もちろん、それ以前にもジョーン・バエズをはじめとする、女性フォーク・シンガーは大勢いた。それでも、ジョニのかっこよさが際立っているのは、彼女のギター演奏スタイルとも関係がある。
 彼女が得意としていたのは、オープンチューニングを使ったもの。チューニングが一般のものとは違っているため、和音の響きが独特のものになる。ハイトーンの歌声に、ふわふわとした透明感のあるギターの音が絡み合っている心地よさ。

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 ジョニはカナダ生まれだが、東出身のシンガー・ソング・ライターは、結構ダルシマーを演奏する人が多い。以前取り上げたブルース・コバーンも弾いているし、女性ギター製作家として知られているリンダ・マンザーも、最初に作ったのはダルシマーのキットだったという。このマウンテン・ダルシマー(ハンマー・ダルシマーとは別の楽器)は別名アパラチアン・ダルシマーと呼ばれることもあることから、北米大陸東海岸のアパラチアン山脈地方では割合ポピュラーなものといえよう。
 アパラチアン山脈は、英国・アイルランド系の移民が多く、アメリカのルーツ的な音楽の源となった地域である。楽器自体のルーツはドイツ等といわれているが、1940年代頃、ジーン・リッチーがダルシマーを演奏するようになり、その後のフォーク・リヴァイバルの波に乗って、ポピュラーなものとなっていったようだ。
 日本では、なかなかお目にかかることは少ないが、われわれの世代では、「私は泣いています」のヒットで知られるリリィが『ダルシマー』というアルバムを出していて、その当時のライブで演奏していた記憶がある。

 初期の傑作として名高い本作だが、デビュー当初からジュディ・コリンズやCSN&Yなどをはじめ、数多くの楽曲を提供していることから、ソング・ライティングの質の高さも際立っている。ウッドストック・ロック・フェスティバルにむけては、CSN&Yにそのものズバリ「ウッドストック」という曲まで書いている。この当時は、彼らと活動をともにしていることが多く、古いライブ映像では、ライブにコーラスとして参加している姿を見ることもできる。フェスティバルにも同行する予定があったが、直後に自分のコンサートが控えていて、予定通り戻ってこれるかどうかがわからなかったので一緒に行かなかったという話も耳にしたことがある。

 シンプルなフォーク~ロックスタイルから、後にはジャコ・パストリアスなどをはじめとするジャズ・フュージョン界のトップ・プレイヤーとの共演など、新しい世界を広げつつも、その歌声とサウンドは、常にジョニらしさを感じさせるユニークなスタイルを貫いている。
2002年にはこれまでの集大成といえるセルフカバー集『Travelogue』を発表し、その後の目立った活動は停止している。ぜひとも、活動を再開して、今なお透明感を失っていない声と、素晴らしいギター演奏を披露してもらいたいものだ。

May 31, 2006

●Back Street Crawler: Second Street

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Paul Kossoff (g)
John ‘Rabbit’ Bundrik (key, vo)
Tony Braunagel (ds, vo)
Terry Wislon (b, g)
Terry Wilson Slesser (vo)

 ブリティッシュ・ロックを代表するバンドといえば、レッド・ツェッペリンやザ・フーなど、枚挙に暇が無いが、派手さにはかけるものの、どうしても気になっていたのがフリーだった。ヴォーカルのポール・ロジャース(最近ではクィーンのヴォーカルとして脚光を浴びていたが)を中心としたこのグループは、シンプルなスタイルながら、ズンズンと心に響いてくる演奏をしていた。
 フリーのメンバーでひときわ輝いていたのが、ギターのポール・コゾフ。ギブソンのレスポールを使い、ひたすら泣きまくるフレーズには、単なる哀愁を越えて、鬼気迫るものすら感じさせられた。コゾフ独特の深いビブラートは、ちょっと聞いただけでも彼だとわかるトレードマークようなものだ。
 「All Right Now」が大ヒットすると、フリーは一気にトップ・グループへと駆け登っていく。その一方、メンバー間の軋轢がだんだんと大きくなり、ついにはバンドを解散、それぞれが別のグループを編成して活動を開始する。しかし、いずれもあまりパッとした成果を挙げられなかったこともあり、わずか一年余りでオリジナルメンバー4人でフリーを再結成することになる。

 以前から、コカイン依存が強かったポール・コゾフは、再結成後、さらにドラッグに浸るようになり、だんだんと演奏活動も満足におこなえないようになっていく。この状況に嫌気をさしたベースのアンディ・フレイザーがバンドを脱退。さらに、ツアーでもコゾフはギターを弾けないようなことが続く。結局、ツアー途中に新しいギタリストを加えて演奏を続けて急場をしのいだりするが、バンドとして問題は山積みとなり、再度解散という結末を迎えてしまう。

 フリーの2度目の解散後、奇跡的に状態が回復したコゾフは新たなメンバーとともにソロアルバムをリリースする。このアルバムがなかなかの好評だったことに気をよくしたコゾフは、『バック・ストリート・クローラー』というアルバムのタイトルをそのままバンド名として、自身のバンドを正式に結成して演奏活動をしていくわけである。
 しかし、コゾフのドラッグ依存症はひどくなる一方で、バンドとしてわずか2枚のアルバムをリリースした後、移動中の飛行機内で、ドラッグ多用が原因となる心臓発作のため、わずか25歳の若さでこの世を去ってしまう。

 このアルバムは、バック・ストリート・クローラー名義の2枚目。コゾフが死んだ直後のリリースだったためか、邦題は『2番街の悲劇』というものだった。ジャケット裏に小さく、「KOSS(コゾフの愛称)に捧ぐ」とあるのが痛ましい。1枚目に比べると、コゾフのギターは少し控えめになっているが、オリジナル期のフリーの音楽性をストレートに受け継いでいる本作は、佳作といってよい出来だ。
 クレジットを詳細に見ると、ポール・コゾフ(リードギター)となっているのに気付く。つまり、リード以外はベーシストでもあるテリー・ウィルソンがギターを弾いているのである。おそらく、すべてのギターパートを弾くことができるほどには、コゾフのコンディションはよくなかったのであろう。1枚目では、ギターを弾きまくっていたのとは好対照だ。

 改めて、じっくりと聴きなおしてみると、アコースティック・ギターの使い方がうまいのに感心する。ツェッペリンなどにも感じるのだが、ブリティッシュのトラッド・フォークの演奏スタイルが刷り込まれているがごとく、ダークでウェットなブリティッシュ独特の雰囲気のアコースティック・ギターがなんとも言えず良い。同じロックでも、バーズなどのアメリカン・ウエストコースト・サウンドでは、とても粋なサウンドに仕上がっているが、ブリティッシュ・ロックとなると、やはりどこかにブルースの香りが残る、泥臭さがある。そして、それが魅力でもある。

 ジョン・メイオールのブルース・ブレイカーズに在籍していたエリック・クラプトンの演奏を聴いて、ロック・ギタリストを目指したというポール・コゾフ。その生涯はあまりにも短く、燃え尽きてしまった。1950年9月生まれのコゾフが、今、生きていれば55歳。でも、彼が上手にバランスを取りながら、器用にギターを弾く姿など、まったく想像できない。
 

May 29, 2006

●Stephen Bishop: Careless

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Stephen Bishop (vo, g, tb)
Andrew Gold (g)
Eric Clapton (g)
Lee Ritenour (g)
Larry Carlton (g)
Reinie Press (b)
Barlow Jarvis (key, p)
Larry Brown (ds)
Chaka Khan (chorus)
Art Garfunkel (chorus)


 サイモン&ガーファンクルを聴くようになったとき、彼らはすでに解散していてそれぞれのソロアルバムを発表していた。ちょうどアート・ガーファンクルがリリースした『愛への旅立ち』の中の何曲かが、とても印象に残った。その一つを作詞・作曲したのがスティーヴン・ビショップ(ステファン・ビショップ)だった。アートのアルバムに楽曲を取り上げてもらったことが縁で、スティーヴンは自身のアルバム製作にこぎつけ、発表したのが本作である。

 この時代、AOR(Adult Oriented Rock-日本だけの呼び方なので、アメリカに行ってAORといってもまったく通じない)と呼ばれる、都会的でおしゃれな雰囲気のあるポップスがはやり始めていた。時代的には多少の前後はあるものの、ボビー・コールドウェルや、それまでのブルースをルーツにしたハード路線から若干軌道修正をしていたボズ・スキャッグス、クリストファー・クロスやマイケル・フランクスなどが、このブームに乗って脚光を浴びるようになっていた。

 ソングライターとしてのスティーヴンの才は、本作に収録されている作品を、前述のアートのみならず、フィービ・スノウやケニー・ランキン、バーバラ・ストライザンドなどがカバーしていることからもうかがい知ることができる。レコーディングに参加したミュージシャンもそうそうたる面子で、当時、売り出し始めた新人のシンガーソングライターへのサポートとしては、ビックリさせられるほどのものだ。結局、このアルバムからはシングルヒットも出、グラミー賞にノミネートされるなど高い評価を得るようになった。その後、立て続けにアルバムを数枚発表した後、『アニマル・ハウス』、『チャイナ・シンドローム』等をはじめ、映画音楽も手がけるようになり、コンポーザーとしての評判も高めていった。映画そのものにも出演するケースもどんどんと増えていった。
 自身の音楽としては、90年代に1枚、2000年以降にも1枚と、ペースは落としているものの、活動自体は続いている。

 都会的で、独特のウィットを持ちながら、どことなくほろ苦いような感傷を感じさせるスティーヴンの世界。70年代終わりから80年代の初めにかけて自分の過ごした時代と、オーバーラップしてはいろいろな想い出が頭の中に浮かんでくる。

May 23, 2006

●Fleetwood Mac: English Rose

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Peter Green (g, key, ds)
Mick Fleetwood (ds)
John McVie (b)
Jeremy Spencer (g, vo)
Danny Kirwan (g, vo)

 中学生の頃、土曜の晩は兄とトランプゲームをして過ごすことが多かった。看守と囚人が一晩中やっていたというジン・ラミーというゲームだったのだが、ラジオの「アメリカン・トップ40」という番組を聴きながらというのが常だった。
この番組は、その名の通りアメリカのヒットチャートの曲をどんどんかけるわけで、当時はフリートウッド・マックの『噂』というアルバムからのシングルカット曲などがチャートをにぎわせていた。スティービー・ニックスの甘く、とろけるようなボーカルがなかなか魅力的だったが、甘口のロック・ポップスという印象は否めなかった。

 そんな印象が強かったので、ほとんどフリートウッド・マックを聴くことはなかったのだが、あるとき、サンタナの「ブラック・マジック・ウーマン」のオリジナルは、フリートウッド・マックで、当時在籍していたギタリストのピーター・グリーンが書いた曲だと聞いた。どうしても、スティービーの歌声とこの曲のイメージが結びつかなかったので、いずれちゃんと聞かなきゃと思いながら時間だけがどんどん過ぎていった。

 結局、このアルバムを手にしたのは数年前なので、20ン年越しの出会いとなるのであるが、お目当ての曲のみならず、ブリティッシュのブルース・ロック・スタイルを代表するといってもいいような名演がいっぱいだ。今風の音作りからすると、密度も低く、音圧も高くないのだが、「音楽はこうでなくちゃ」とわくわくさせてくれるものがあるのだ。頭で考えて、どんどん作品として仕上げていくのではなく、演奏の場(レコーディングの場)に漂っていたであろうオーラがそのまま、聴くものにも伝わってくる。

 そもそも、このバンドのルーツをたどれば、、ベーシストのジョン・マクヴィーはオリジナルメンバーだったジョン・メイオールのブルース・ブレイカーズと密接な関係がある。この伝説的なブリティッシュ・ブルース・ロックバンドのギターがエリック・クラプトンからピーター・グリーンへと、そして、ドラマーとしてミック・フリートウッドが加わり、この3人がジョン・メイオールと決別をしてフリートウッド・マックを結成する(ブルース・ブレイカーズのメンバー変遷は複雑で、どの時期に誰が誰と一緒だったのかなどの詳細については私は把握していない)のである。したがって、クリームやヤードバーズ、さらにはジミ・ヘンドリックスなどから音楽的な影響を受けたバンドであっても何ら不思議は無い。
 ドラッグを多用していたピーターは、このアルバムを発表してまもなく、バンドを離れソロ活動をおこなうようになるが、目立った活躍をあげることなく、精神のバランスを崩していくようになってしまい、だんだんと表舞台での音楽活動をおこなえなくなっていく。ほとんど音楽界で、彼の音沙汰を聞くことがなかったが、どうやら最近、再び音楽活動を再開したといううわさも届いている。

 一瞬の輝きをはなったブルース・ロックバンドとしてのフリートウッド・マックの頂点は、本作をおいてほかにはない。強烈なインパクトのジャケット写真にひるむことなく、このアルバムを手にして欲しい。

May 08, 2006

●Paul Simon: Song Book

PaulSimon_songbook.jpg

Paul Simon (g, vo)

 サイモン&ガーファンクルを聴くようになったのは中学生の頃で、すでに解散してから数年たち、二人それぞれがソロアルバムを発表していた。解散に至る経緯なども含め、音楽界としても振り返る余裕ができたこともあってか、ラジオでかぜ耕士(当時、ニッポン放送の深夜番組「たむたむたいむ」の人気パーソナリティーだった)がナレーションで「サイモン&ガーファンクル・ストーリー」という連載番組(半年以上続いたように記憶している)を放送していた。その時代ごとの二人にまつわるエピソードを交えながら、当時の曲をかけるという番組だった。ポール・サイモンとアート・ガーファンクル、そしてプロデューサーのロイ・ハリーの間のずれがどのように生じていったのかなどについても触れていた。

 マイク・ニコルズ監督の『卒業』の音楽を全編担当することで、二人の評価はゆるぎないものになっていったが、その一方で、アートが一時的に音楽から離れ、役者としてマイクがメガホンを取った『キャッチ22』や『愛の狩人』へと出演することになったのは、なんとも皮肉にようにも思える。当時は、マイクやアートが映画へ移行しなければ、この素晴らしいデュオが解散には至らなかったのに、とずいぶんとアートに対して悪い印象を持ったものだ。

 さて、本作はS&G名義で活動を始めて間もない頃、ポールが一人で全編弾き語りでおこなった録音。ファーストアルバムが不振だったことに失望したポールはしばらくイギリスに渡り、しばらく書き溜めていた曲を一人でレコーディングする。ギター一本にボーカルというシンプルな構成は、取り上げている楽曲の影響も大きいが、ファーストアルバム『水曜の朝、午前3時』と通ずるものを強く感じさせる。美しいメロディにのせて淡々と、また、あるときは激しい口調の歌声は、強いメッセージ性を含むものである。

 ポールとアートの二人とはまったく別に、ファーストアルバムに収録されていた「サウンド・オヴ・サイレンス」にエレクトリック・ギターやドラムスをかぶせて編曲し、シングルリリースされたものが大ヒットとなったことはよく知られていることだが、失意の底にありながらポールが製作したアルバムとはまったく違うサウンド、当時流行しつつあったフォーク・ロックスタイルの編曲が世に受けたということは、なんとも皮肉である。

 本作は、長らくCD化されなかったが、2004年にようやくリリースされた。オリジナルのLPに対して、CDのジャケットでは写真が裏焼きになっているように使われている。ひょっとすると、オリジナルのものが裏焼きで使われていたのかもしれないが、アルバムタイトルの字体なども変更され、昔のカシッとしたデザインとはずいぶんと趣きが変わった。いずれにせよ、貴重な音源を再びCDで聴くことができるのは嬉しいことだ。

April 30, 2006

●Pentangle: Basket of Light

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Terry Cox (ds, vo)
Jacqui McShee (vo)
Bart Jansch (g, vo)
John Renbourn (g, vo)
Danny Thompson (b)

 今まで聞いていなかったものを聴くようになるきっかけはさまざまだが、私の場合、自分の好きなプレイヤーが影響を受けた音楽に手を伸ばすというパターンが多い。1960年代のブリティッシュ・フォークへと導いてくれたのは、ポール・サイモンである。ご存知のように、ポールは、サイモン&ガーファンクルとして、1960年代前半から1970年までの間、数々のヒットを飛ばしたスーパーデュオである。
 S&G名義のアルバムに唯一入っていたポールのギターインスト曲が「Anji」だった。昔は、この曲を完璧に弾ければプロになれるといううわさまで流れた曲である。そのポールが、影響を受けたのがバート・ヤンシュの「Anji」であったり、もともとの作曲者のデイヴィー・グレアムであったりという情報が耳にはいると、バーとを追っかけておくと行き当たったのが、ペンタングルである。ジョン・レンボーンとバート・ヤンシュという素晴らしいギタリスト二人を擁するというグループとのイメージが強かったが、ジャッキー・マクシーのボーカルの独特の存在感が際立っているのに圧倒された。
 ペンタングルとしては、デビューアルバムの評価も高いが、実験的な取り組みもある本作は、このグループの最高傑作の名に恥ずかしくない仕上がりであろう。ジャズやブルースに繋がる要素と、ケルト音楽の影響が複雑に交じり合った音楽は、イギリスの独特のどんよりとした気候を肌で感じさせるものを持っている。アメリカルーツのブルースとは根本的に違いつつも、「これもやはりブルース」と思わせるところは、音楽としての芯の強さなのかもしれない。
 伝統を継承しつつも、革新的なものに取り組むペンタングルの斬新さは、力強く、聴くものにせまってくる。

April 24, 2006

●Bruce Cockburn: Salt, Sun and Time

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Bruce Cockburn (vo. g)
Eugene Martynec (g, key)
Jack Zaza (cl)

 カナダのシンガー・ソング・ライターというと、ゴードン・ライトフット、ニール・ヤングやジョニ・ミッチェルといった名前がすぐに思い浮かぶ。あるとき、カナダの女性ギター製作家、リンダ・マンザーが「カナダのカリスマ的シンガー・ソング・ライターのブルース・コバーン」にギターを製作した時に、どれだけ興奮したかということをインタビューで述べているのを読んだことがあった。「製作家がお気に入りとあらば、これは聴かずばなるまい!」と探してみたものの、なかなか見当たらない。結局、最初に手に入れたのはアメリカ滞在中、いつものカリフォルニア大学バークレー校そばの中古CD屋だった。ところが、エレクトリック主体であまりパッとしない演奏がずっと続く。「こんなもんかぁ」とがっかりしつつ、ブルースのことは忘れてしまった。

 日本に戻り、いろいろと調べると、アコースティック・ギターの第一人者中川イサト氏が初期のブルース・コバーンの影響を受け、当時、出版したギターの楽譜集にも何曲か取り上げたとのこと。もう一度聴いてみようと思い、探し当てたのが本作だった。ほとんどギターとボーカルのみの構成ながら、ブルースの音楽世界が目の前いっぱいに広がるような感覚はなんなのだろう。敬虔なクリスチャンでもあるブルースは、デビュー当初から70年代終わりくらいまでは、非常に宗教色の強い歌詞を書いている。無神論者の私にとって、信仰からくるものを理解するのは難しいが、美しいメロディと朴訥とした声のバランスの妙は、歌詞の理解とは別の次元で、心に響いてくるものがある。80年代に入ると、キリスト教色は薄まり、よりロック色の強い音楽へと向うのだが、政治的なメッセージを歌に込めるようになっていく。

 時折オープンチューニングを用いる、ブルースのギタースタイルは独特のもので、北米東海岸の湿度が高く、しっとりした空気と、彼が初期の頃に愛用していたカナダのジーン・ラリビー製作のギターの音がぴったりと合う。倍音がすっきり整理され、重心の低い音は、ジャズ・テイストを含んだフレーズをいっそう際立たせるものだ。ギターのラインがボーカルとハモる構成など、比類のないほどすばらしい。


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 ブルースの最近の動向を調べてみると、昨年、ギターのインスト・アルバムをリリースしたことを知った。ソングリストを見ると、初期から毎作数曲ずつ入れていたインストものを、ギターソロで演奏しているようである。エレクトリックよりは、アコースティック・ギターの名手として活躍して欲しいと思っていただけに、これは嬉しい情報だ。さっそく、入手しなければ・・・。

April 22, 2006

●Mark O'Connor: Markology

MarkO'connor_Markology.jpg

Mark O'Connor (g)
David Grisman (mandolin)
Tony Rice (g)
Bill Amatneek (b)
Sam Bush (mandolin)
Dan Crary (g)

 ギターが主役の音楽でも、ほとんど聴かずに来たジャンルがブルーグラスである。定番のドク・ワトソンやトニー・ライスなどは聴くことは聴いたのだが、どうも自分の中に響いてくるものを感じなかったからだ。ギタリストにはテクニシャンがそろい、早弾きもある。普通であれば、飛びつくようなものなのだが・・・。

 マーク・オコナーは実は、フィドル(ヴァイオリン)のトップ・プレイヤーである。しかし、私が彼の名前を聞いたのは、ギタリストとしての評判が最初だった。私が修行をしたギター製作家Ervin Somogyi氏のギターを使ったこともあるという話しだった。Ervinのギターは、その豊かな倍音と繊細な響きから、フィンガースタイルと呼ばれる指弾きのインスト曲を演奏するプレイヤーが愛用するケースが多い。フラット・ピッキングで、それもハードなタッチで弾くブルーグラスのプレイヤーがどのように使いこなしているか、興味津々だったのだ。CDショップを回って手に入れた最初のアルバムが、『Stone from Which the Arch Was Made』。家に帰って、プレイヤーにかけてみてビックリ。前面に出ているのはフィドルだ。改めてライナーをチェックすると、マーク・オコナー(フィドル)とあるではないか。おまけに曲はコンテンポラリ・ブルーグラスというさらに馴染みのないスタイル。すっかり当てが外れた気分になってしまった。(注:Ervinによると、このアルバムのレコーディングで彼のギターを使用していたということなので、近いうちにこのアルバムもじっくり聴き直してみたい。.)

 ギター製作の修行でアメリカに滞在中、休みの日曜には車で10分くらいのバークレーの中心街に出るのがいつものことだった。そこで、中古CD屋と古本屋を回りながら、気に入ったものを探すのが、なんとも楽しい時間なのである。そのとき見つけたのがこのアルバム。ジャケットにもギターの絵があるので、これこそが、求めていたギター・アルバムに違いないと買って帰った。工房の戻り、さっそく聞いてい見ると、のっけからはじけるようなギターの音。当たりだ。
 このアルバムが録音された頃、マンドリンのデヴィッド・グリスマンはDAWGという新しい音楽のスタイルを作りつつあった。従来のブルーグラスにフォークやジャズを融合させたものである。当然、本作にもその影響がおよび、マークの弾くリードラインはストレートなブルーグラスのフレーズとはまったく違い、ジャズテイストが色濃い。これが、「いい!」と思った一番の要因であろう。ストレートアヘッドなブルーグラス・アルバムとはいえないかもしれないが、私にとっては一押しのギター演奏である。

 このweblogのために、ジャケット写真を探して初めて気がついたこと。手元にあるアルバムにはマークのサインが入っていたのである。ジャケットデザインにある、ギターの輪郭線と、文字のペンによる線がほとんど同じだったので、てっきりこういうデザインのものだと思っていたのだが・・・。1978年のレコーディングは、バークレーでおこなわれたとクレジットされているので、中古CD屋に彼のサインアルバムがあっても不思議ではないのかもしれない。とはいえ、買ったのは録音されてから20年以上経ってからではあったが。

 天才フィドルプレイヤーとして登場して、最初のアルバムを録音したのが、12歳のとき。1961年生まれの彼が、本作を録音したときは、まだ16歳。その、恐ろしいまでの才能には、ただただ脱帽である。いい演奏に年齢は関係ない。

April 20, 2006

●Donovan: Live in Japan

Donovan-Live_in_Japan.jpg

Donovan (vo. g)

 ドノヴァンは、60年代中頃に注目を浴びるようになったスコットランド出身のシンガーソングライター。彼に少し先立ってデビューを脚光を浴びていたボブ・ディランと何かと比較される存在であった。「アメリカのディランに対する、イギリスの回答」と、なにやら国を代表する存在にまで祭り上げられていたこともあったようだが、スタイルはまったく違うように思う。直情的なディランに対し、ドノヴァンは叙情的で、楽曲は牧歌的な雰囲気の漂うものも多い。一時期、ミッキー・モストプロデュースのもと、サイケデリックな方向へと歩み、『サンシャイン・スーパーマン』等のヒットを飛ばしたことjもあった。ロック色が強くなった頃は、レッド・ツェッペリンのメンバーや、ジェフ・ベック・グループのメンバーとレコーディングをすることもあった。しかし、シンプルなアコースティック・スタイルこそがこの人の真骨頂だと思う。

 ドノヴァンが、何よりも強く印象に残っていたのは、不思議なギターを持っていたからだ。このアルバムのジャケットでわかるように、サウンドホールは三日月型、真っ黒なボディに星がちりばめられたデザイン。一度見たら忘れられないものだ。
クラシック・ギターの世界では、いわゆる手工品と呼ばれる個人製作家ものがハイエンドのギターとして、普通に存在しているが、不思議とスティール弦では、個人製作家のものは見当たらず、楽器として評価が高かったのは、一部のメーカーのものだった。その中で、唯一、個人製作家として評価されていたのが、ドノヴァンのこの楽器などを製作した、イギリスのトニー・ゼマティスである。彼は、エレキ、アコースティック・ギターの両方を製作し、60年代半ばからギター製作家としての評価が高まり、イギリスのミュージシャンを中心に、彼の楽器を愛用するプロのプレイヤーが増えていった。デザインも含め、非常にユニークなギターで、今でもワンオフものとして市場での価値も高い。

 このweblogで紹介するものは、普段工房でかけている音源からというのが原則だが、このアルバムは、残念なことにCD化がされていない。それどころか、LPでリリースされたのも日本国内だけという、貴重なもののようだ。1972年の東京と大阪での公演から選曲されているが、ギター一本でヴォーカルとハーモニカのみ。とてもシンプルなサウンドである。曲によっては、ケルト音楽の影響が強く出ているものもある。時として、ディランのようにメッセージ性の強い歌詞もあるが、決して怒鳴るように訴えるのではなく、あくまでもきれいなメロディに載せて、切々と歌いかけてくる。ギターの演奏面でも、オープン・ハイ・コードと呼ばれる、開放弦とハイポジションを混ぜた音使いなどが時折あり、透明感のある歌声に実によくマッチしている。

 70年代の後半頃から、だんだんと表に出ての活動が少なくなり、ほとんど活動休止状態になっていたが、1996年には久しぶりのアコースティック・スタイルの新作『Sutras』を発表。その後も、リリースの間隔は長いものの、コンスタントの活動をしているようである。
 今年に入ってから、Try for the Sun: The Journey of Donovanという集大成的なCD3枚+DVDというボックスセットが発売されたり、5月には昔のライブ盤がリリース予定など、嬉しい動きもある。英国BBC放送では、今年の2月から3月にかけて、FOLK BRITANNIA SEASONというシリーズ番組で、1972年のライブ映像を放映している。貴重な映像の数々をアーカイブに持っているBBCならではだが、日本でもぜひ放送してもらいたいものだ。

April 18, 2006

●Yardbirds: Little Games

Yardbirds_little.jpg

Jimmy Page (g)
Keith Relf (vo)
Chris Dreja (b)
Jim McCarty (ds)

 すでに死語となった感があるが、ロック三大ギタリストとは、エリック・クラプトン、ジェフ・ベック、ジミー・ペイジのことを指す。ジェフ・ベック命だった私は、エリックもジミーもまったく眼中にはなかったのだが、この3人が在籍したことのある伝説のグループ、ヤードバーズはどうしてもチェックしておかなければいけないバンドだった。初代ギタリストのエリックが脱退した後、ジェフが参加するのだが、そのうちベーシストがバンドを離れたため、ジミーがベーシストとして参加することになる。三人のうち、同時期にバンド在籍していたのは、このときのジェフとジミーだけだ。
 当時のヤードバーズの様子は、ミケランジェロ・アントニオーニ監督のカンヌ映画祭グランプリ受賞作品『欲望』で、見ることができる。「動くヤードバーズが見られる」と知ると、ちょうどタイミングよくテレビの深夜映画で放送されたのであった。眠い目をこすりながらテレビの前に座って映画を見たのだが、中学生にはこの映画自体はさして面白いものには映らなかった。ただ、お目当てのヤードバーズのことだけはさすがに覚えている。確か、地下室でバンドが"Stroll On"という曲を演奏しているシーンなのだが、ジェフは途中でギターを叩き壊す。今でこそ、ギター製作という仕事をしているので、どんなにいい音楽をやっていてもギターを壊す人は評価しないが、当時はこの道を選ぶことなど夢にも思っていなかったので、ただただ「おぉ、すごい!!」と思ったものだった。

 その後、ツアーの途中で体調を崩したジェフが辞め、ジミーがギターを担当してバンドの主導権を握っていく。本作は、ジミー中心のヤードバーズが唯一残したスタジオ盤である。メンバー間の関係がギクシャクしていたり、プロデューサーのミッキー・モストがどんどんポップ志向になっていくのに対する反発が強まっていたなど、バンドの状態は決してよくなく、アルバム全体としてのコンセプトの統一感に欠けるのは事実だが、きらりと光って印象に残る楽曲も多い。ジェフの時代は、ストレートなブリティッシュ・ロックというイメージが強かったが、ここでは、ブリティッシュ・トラッド・フォークやインド音楽の影響が随所に見られる。演奏面でも、ヴァイオリンの弓を使ってエレキ・ギターを弾く奏法なども取り入れられている。これらは、まさしくレッド・ツェッペリンのファーストアルバムへと繋がっていくものだ。このアルバムを初めて聴いたのは、音楽評論家渋谷陽一氏の番組。当時は、LPの全曲をかけることも珍しくなかったのだ。さまざまなスタイルが融合し始めた(必ずしも、すべてがしっくりといっていたわけではなかったが)ヤードバーズの音楽は、それまで知っていたものとはまったく別のものだった。それまでは、「ジミー・ペイジ? やっぱりジェフでしょう。」と思っていたのが、「やるじゃない、ジミー」と認識を新たにしたのだった。

 CD化に当たっては、オリジナルのアルバムとは別に、シングルのみでリリースされていた曲も追加収録されている。ただ、こちらはポップ志向がいっそう強いため、曲の流れからも浮いた感じがしてしまうのは否めない。
 ジミーを再認識しながらも、レッド・ツェッペリンはほとんど聴かなかった。ジェフに対する義理立ての気持ちが強かったからなのかは定かではないが・・・。

April 15, 2006

●Crosby, Stills, Nash & Young: 4 Way Street

CSNY_4way.jpg

David Crosby (vo. g)
Graham Nash (vo. g)
Stephen Stills (vo, g)
Neil Young (vo. g)
Johnny Barbata (ds)
Calvin Samuels (b)

 中学1-2年の頃、東京の浜松町にある世界貿易センタービルまでヤマハのギター教室に通っていたことがあった。グループレッスンだったが、たいていの人は長続きせず、気がつくと私一人という感じで、その分、たくさんのことを教えてもらえてよかった。それまでは、日本のフォークを中心に聴いていた私に、海外のすばらしい音楽を押して得てくれたのが、このときの講師の人だった。確か、小泉さんというひとで、教室で教えている以外にもヤマハ関連のイベントでサポートギタリストとして活躍していたと記憶している。その小泉先生が「このギターはかっこいいぞ!」と教えてくれたのが、クロスビー・スティルス・ナッシュ・アンド・ヤング(CSN&Y)だった。中でもお勧めは『組曲:青い眼のジュディ』という曲だということだったので、お小遣いをためてレコード屋に足を運び、探してみるとこの曲が入っているアルバムが2枚。片方はLP1枚で2,500円。本作は2枚組みで4,000円。「当然こちらの方がコストパフォーマンスが高い」と思って購入したまではよかった。
 さて、冒頭が先生お勧めの曲だったので、気合を入れて聞いてみると、コーラス部分がフェードインで始まると、すぐにワァーっという歓声とともに終わってしまった。「えっ」と動揺しながらジャケットをよくよく見ると、「組曲:青い眼のジュディ(0:33)」とある。もともとスティルスが普通の長さの1曲に治めることができなかったので「組曲」という構成にした長い曲である(ちなみに「ジュディ」とは当時同棲をしていたジュディ・コリンズのことだといわれている)。その曲の終わりのほんの一部をライブアルバムの雰囲気作りで使っていただけだったのだ。肝心のかっこいいギターの部分は聴けずじまいで、アルバムの選択ミスを後悔をしつつも聴き進んでいくことにした。お目当ての曲はともかく、他の曲はどれもギターはかっこよく、ハモリも今まで聞いたことがない新鮮なもので、気がつくと、グイグイとCSN&Yの世界に引き込まれていった。

 元バーズのクロスビー、ホリーズを脱退してイギリスから参加したナッシュ、そして元バッファロースプリングフィールドのスティルスとヤングが組み合わさったユニットは、斬新なギタープレイと複雑なコーラスが特徴。
 普通にギターをチューニングすると、左手でどこも押さえずに(「開放で」と表現する)すべての弦を鳴らしても、調整の取れた和音にはなっていない。チューニングを変えて、開放である和音がなるようにするのがオープン・チューニングである。スティルスはこのオープン・チューニングの名手で、自分だけの独特のパターンをよく使っていた。このため、今まで聴いたことのないようなギターの音となっていたのである。中学1年のときに買った安いヤマキのギターでも、オープン・チューニングにすると気分はもうスティルス。その音に飽きるまで弾き続けていたことはいうまでもない。
 ハモリも、一般的なのは3度のハーモニーだが、4度を多用して、長調なのか短調なのかを表に出さず、浮遊感のある和音構成がこれまたユニーク。ハーモニーの和音だけで、「あっ、CSN&Yだ」とわかるほどだ。

 個性の強いメンバーが集まれば当然衝突も多かったようで、DVDになっている映像には、マリファナでボーとしながらハンモックに揺られているクロスビーに向って、「いいかげんにしろよっ!」と切れるスティルスの姿を見ることもできる。スティルスはスティルスでヤングとは仲が悪く、ツアーの途中で喧嘩が絶えず、後半のツアーキャンセルということも結構あったようだ。その割りには、機会があるたびにともに演奏をし続け、CSN&Y以降でも、スティルス・ヤング・バンドとしての活動などもおこなった。ライブ映像でも、4人で一つのユニットというよりは、曲によって一人でやったり、二人、三人と編成を変えて演奏している。

 本CDはLP同様2枚組みで、一枚目がアコースティック、二枚目がエレクトリックという構成。しかし、アコースティック盤には、新たに4曲追加されているのが嬉しい。ライブでは必ずアンコールの最後にやっていたという"Find The Cost of Freedom"は当然一番最後(二枚目のオーラス)に収録されている。ギター2本がかっこよく絡むインストパートから始まり、ユニゾンでのワンコーラス目の途中からギターの音が消えて、完全なアカペラとなる。ツーコーラス目は3声のハモリ。突然、音空間が上下に広がる快感。パッとコーラスが終わり、(おそらく)ナッシュが”Good Night"といってコンサートは終わりを迎える。

 自分にとってのウエストコースト・サウンドの原点はこの辺りにあるのだろう。

April 12, 2006

●Jeff Beck: Blow by Blow

JeffBeck1.jpg

Jeff Beck (g)
Max Middleton (key)
Phil Chenn (b)
Richard Balley (ds, per)

 僕にとっての最初のギターアイドルは間違いなくジェフ・ベックである。運命的な出会いとなったのが1975年発売のこのアルバム。当時は中学一年か二年だったはず。この頃は、アルバムのタイトルに邦題をつけることが多く、発売当初のアルバム名は『ギター殺人者の凱旋』というもの。「なんじゃ、こりゃ?」という感じだが、この邦題をつけたレコード会社の人がのちに語ったことによると、どんなタイトルにしようかと悩んでいるとき、たまたま目にしたジェフ・ベックのコンサート評で、彼の鬼気迫る演奏を「・・・まるでギター殺人者のようであった・・・」とあったのが頭に残り、このようなタイトルにしたとのこと。レコード盤を手にしながら、「ギター殺人者ってなんだろう??」と悩みつつも、人を殺すほど研ぎ澄まされた何かがあるように感じたものだった。

 今であれば、このアルバムはストレートなロックというよりはフュージョン系の音楽に入るかもしれないが、全曲インストという構成。冒頭のファンキーなカッティングに始まり、さまざまなエフェクターを駆使したギターの音作りには度肝を抜かれた。
 2曲目ではトーキングモジュレーターというエフェクターを使っている。これは、小さな箱に入れたスピーカーからギターの音を出し、その箱から出ているホースを口にくわえ、唄うように口の形を変えると、ギターの音と声が混ざったかのような効果が得られる(口がフィルターの効果を果たす)ものだ。お小遣いの少ない中学生には、何とかギターを手に入れることはできたとしても、エフェクターまで手が回るはずはなかった。それでも何とか音をまねてみたく、お菓子の缶に小さなスピーカーを入れ、ふたに開けた穴から太目の水道ホースをだすようにして、何とか格好だけは形にした。期待にわくわくしながらホースを口にくわえ、アンプのスイッチをオン。その気になってフレーズをひいてみたものの、かすかにギターの音が口の中で響くだけで、レコードの音とは大違い。結局、失意のまま、改造されたお菓子の缶は押入れの奥に追いやられることになった。
 うわさによると、このトーギングモジュレーターを多用すると、大音量が口の中で響くため、脳細胞が破壊されてバカになるという話がまことしやかに流れていたこともよく覚えている。もし、あの時自作したものがうまくいっていたら、若いうちに貴重な脳細胞を失っていたのかもしれないと思うと、失敗もよかったのかもしれない。

 このアルバムが出てしばらくすると、フュージョンブーム(当時はクロスオーバーと呼んでいた)がやってくるわけだが、ほとんどのフュージョンものがジャズプレイヤーがロックよりの演奏をしていたのに対し、ジェフはこのアルバムと、次作の『Wired』では、数少ないロックからジャズへと歩み寄ったすばらしい演奏の数々を残した。『Wired』ではマハビシュヌ・オーケストラのキーボード奏者だったヤン・ハマーのシンセサイザーが前面に出ていて双頭バンド的な色合いが濃くなるのに比べ、本作はもちろんギターがフューチャーされているが、それにも増してユニット全体のまとまりがすばらしく、音楽としての完成度の面ではジェフの最高傑作といっても過言ではないだろう。"ジェフのアルバムをまず一枚"というのであれば、まちがいなくこのアルバムをお勧めする。

 今でも、このアルバムの1曲目が流れると、どっとアドレナリンが噴出すのがおかしい。