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January 23, 2007

●Soig Siberil: Du Cote de Chez Soig

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Soig Siberil (g)
Alain Genty (b)
Pierre-Yves Prothais (per)
Karl Gouriou (sax)
Camel Zekri (g)

 フランスのブルターニュのCDショップで一番良く目にしたギタリストの名前はソイグ・シブレルであった。70年代後半頃から、アイリッシュ音楽に接近をしていったソイグは、80年代に入ると、Kornogを結成する。ほとんどがブルターニュ出身のメンバーで構成されたKornogは、ブルターニュのケルト音楽にスコットランドやアイルランドのスタイルをうまく融合させ、ブルターニュを代表するグループとして高い評価を得るようになる。アルバム製作と並行して積極的にヨーロッパやアメリカのツアーを行い、ブルターニュの音楽を知らしめていった。

 Kornogでの活動を通じ、より深くブルターニュの音楽へと入り込んでいったソイグは、その後も様々なグループを編成して演奏活動を続けていく。その後、90年代に入ると、アコースティック・ギターを中心とした演奏をおこなうようになり、ギターのソロアルバムをリリースしていく一方、各地のケルト音楽フェスティバルなどにも積極的に参加していく。

 今回取り上げたアルバムは、2003年にリリースしたブルターニュ西部の町でのライブアルバム。アルバムのタイトルは「ソイグの家の方へ」といった意味だと思うが、このタイトル自体が、このユニット名になっているようでもある。ソイグのギターの音色は、ピエゾタイプのピックアップの音色が強いせいか、決していいものとはいえないが、ギター2本、ベースとパーカッション、それとサックスを加えた独特の編成による音楽は、アイルランド、スコットランドのケルト音楽とはまた異なる趣きのものでとても魅力的だ。特に、フレットレスベースとサックスが加わっていることが大きいのかもしれないが、とてもうまくジャズの要素を取り入れているように感じる。

 収録曲の約半数がトラッド、残りはソイグともう一人のギタリストキャメル・ゼクリのオリジナル。あいにく不勉強のため、トラッドに関しては原曲をほとんど聴いたことがないのだが、全編を通じ、5人によるグループの演奏スタイルが貫かれていて、最初から最後までスムーズに耳に入ってくる。

 フランス人でケルト音楽の影響色が濃いギタリストとしては、ピエール・ベンスーザンが一番知られていると思うが、素晴らしいギタリストはまだまだたくさんいる。アンサンブル・スタイルということでも含め、このソイグの演奏は非常に質の高いものと言って間違いはない。

 残念ながら、日本では彼のアルバムを入手するのは難しそうである。ジャケットの画像にリンクを張っているのは本アルバムの発売元のレーベルで、インターネット経由で購入できそうではある。ただ、日本に発送してくれるのどうかについては未確認なのでご注意いただきたい。

December 09, 2006

●Pascal Bournet: Solace - Celtic Spirit

PascalBournet_solace.jpg

Pascal Bournet (g)
Robert Le Gall (vln, mandola, b, per)
Benoit Sauve (recorders)
Hector "Tachi" Gomez (per)

 ケルト音楽というと、アイルランドを中心としたものだとずっと思っていたが、最近になって、そもそもケルト民族がどのようにしてアイルランドにたどり着いたかを考えれば、ヨーロッパ各地にケルト文化があってもおかしくないことに気付いた。ケルト民族はヨーロッパ中西部を支配していたが、紀元前3世紀頃から南からローマ帝国が勢力を伸ばし、次々とケルト圏を征服していく。さらには、当方からゲルマン民族が押し寄せ、ケルト民族は西へ西へと追いやられていってしまったのである。こうしてみれば、ヨーロッパ西部を中心にケルト文化が残っていることは何ら不思議なことではない。
 フランスに目を移すと、パリからTGVで2時間ほど西に行ったブルターニュ地方はケルト文化圏である。ブルターニュのロリアン市では毎年国際ケルト民族フェスティバルが開催され、音楽を初めとするケルト文化を継承するアーティストたちが数多く集うことでも知られている。

 さて、今回取り上げるパスカル・ブルネはパリ生まれのフランス人。7歳でピアノを始め、しばらくしてクラシックギターの勉強を重ねていく一方で、ステファン・グラッペリ、アストル・ピアソラ等をはじめとする様々なジャンルの音楽に関心を示すようになる。その中で、18世紀の盲目のハーピスト、ターロック・オカロランの音楽研究に力を注いでいった。『Celebrating O'Carolan』というオカロランの曲集も2001年にリリースしている。
 オカロランの書いた曲は、現在ではギター曲として演奏されることも多く、Si Bheag Si Mhor等はかなりポピュラーな曲といってもよいだろう。

 本作は、ケルト音楽の研究成果を消化して書き上げたオリジナル曲のみで構成されている。参加メンバーはいずれもケルト音楽への造詣が深いだけでなく、世界各地の音楽を吸収していることもあり、特にパーカッションなどはアジア、アフリカ、中近東、南米などの楽器を用いているのが興味深い。

 ケルト音楽にスティール弦のギターが入っていることは珍しいことではないが、パスカルは全曲ナイロン弦ギターを演奏しているのが面白い。ナイロン弦の音によって、伝統的なアイリッシュの風合いが若干薄まり、ワールド音楽的な要素が前面に出てきている印象を受けるのだ。もちろん、パスカル自身がジャズやロック、ブルースの影響を受けていることも忘れてはいけないだろう。
 正確なピッキングと、きれいに粒立ちのそろった音。ダンス曲のスタイルであるジグでは、リコーダーとユニゾンで小気味良いフレーズを披露したかと思うと、クラシックの楽曲のように重厚なスタイルの曲もある。全編に共通しているのは、非常にメロディアスな曲だということだろうか。聴く者の中にスッと入ってくるのである。それでいて、曲のバリエーションも豊富なのが素晴らしい。

 パスカルのことを知ったのは、以前ブルターニュに旅行をしたときのことだった。地元のCDショップでいいギター音楽がないかと探していたときに巡り合ったのである。聞いたことがなかった人なので、おそらく日本ではほとんど知られていないだろうと思ったが、知り合いのギタリストに紹介したところ、彼のオカロランの曲集は日本のCD屋で手に入れることができるという情報をもらい、ビックリした。
 パスカルが演奏しているのは、なかなか爆発的な人気の出るジャンルではないので、生の演奏に触れる機会を得るのは難しいだろう。最近は日本でもケルト音楽のイベントが開催されるようになって来た。このようなイベントでもいいから、何とか来日をして欲しいアーティストの一人である。

June 25, 2006

●Toninho Horta: Durango Kid

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Toninho Horta (g, vo)

 トニーニョ・オルタを最初に見たときの印象は、心優しき巨漢というものだった。ジョイスのサポートで、前に出すぎず、かといって、しっかりとした存在感のあるギタープレイからは、歌い手をやさしく包み込むような力が感じられた。

 2度目に彼のライブを見たのは、ブラジル音楽演奏を聞かせるブラジルレストラン(確かサバス東京だったと思うが定かではない)での演奏。このときは、自身のグループを引き連れての演奏で、素晴らしいギター演奏と歌(ヴォイス)に魅了されてしまった。実は、こちらのライブでは、エレクトリックはヤマハのパシフィカ・シリーズのものを使用していたが、ガットギター(おそらくフラメンコモデルだったと思う)は、当時東京に工房を持っていた福岡氏のギターを使い始めたところだった。会場jに製作者が来ていて、ライブ途中で、トニーニョが「この素晴らしいギターを製作してくれた若き友人、福岡氏を紹介します」といっていたのを、今でもはっきりと覚えている。トニーニョは現在に至るまで、福岡ギターを愛用しているようである。
 このアルバムは、彼が福岡ギターに出会う前の作品なので、使用しているのは、コンデ・エルマノスというギターのようである。コンデは、フラメンコ・ギタリストのパコ・デ・ルシアの愛器としても知られている、スペインの有名な工房の作品である。

 トニーニョの素晴らしいところは、オリジナル、カバーを問わず、演奏する曲を完全に自分のものにしていることである。彼のアレンジによるギターと歌が始まると、周りの空気までもが柔らかいトニーニョの世界そのものであるかのように変わる。

 余談を一つ。私の年代にしては珍しいかもしれないが、これまでほとんどビートルズを聴かずに育ってきた。中学生ぐらいになり、洋楽を聴くようになったときには、ビートルズは時代遅れのような気がして手を伸ばさずにいて、結局そのままにしてしまったからだ。だから、有名な曲もほとんど知らない。このアルバムには「アクロス・ザ・ユニバース」という曲のカバーが収められている。いわずとしれた、レノン/マッカートニーという黄金コンビによる作品だ。恥ずかしながら、割合最近までこの曲はトニーニョのオリジナルだと信じて疑わなかった。あるとき、他の人のカバー演奏を聴いて、「やはり、トニーニョの曲でもメロディがきれいだから、誰かが歌詞をつけてカバーをしたんだ」と思い込んでいた。しかし、いろいろなところで、いろいろなアーティストがカバーしているのを耳にすると、さすがになんか変だなと感じて、調べてみたところ、ビートルズがオリジナルだということを初めて知った。
 一度、ちゃんとビートルズを聴かないといけないと思いつつも、まだ手を伸ばさずにいる。

 トニーニョの生まれたミナス(正式にはミナス・ジェライス州)はブラジルの中でも独特の音楽文化を持つ地域。トニーニョ以外にも、ミルトン・ナシメントをはじめとする、ミナスを代表するアーティストは数多い。パット・メセニーはトニーニョから多大な影響を受けたといっている。トニーニョは、1981年にメジャー・レーベルから初めてリリースしたアルバムでは、パットとの共演を果たしている。一方、パットはECMでの最後の作品『First Circle』(このアルバムをいずれ取り上げる予定)や、Geffenレーベルに移籍した後、『Still Life (talking)』から始まる、ワールドミュージック色の濃い作品群からは、明らかにブラジル音楽、おそらくはトニーニョから受けた影響が聞き取れる。

 プレイヤーズ・プレイヤーという称号がふさわしいトニーニョ。彼が音楽に向っている姿勢そのものは厳しいものだが、あふれ出てくる音には、人の気持ちを和らげる素敵なオーラに満ち溢れている。

May 19, 2006

●Hermeto Pascoal: Slaves Mass

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Hermeto Pascoal (p, key, g, ss, fl, vo)
Ron Carter (b)
Alphonso Jonson (b)
Airto Moreira (ds, per, vo)
Chester Thompson (ds)
Raul de Souza (tb, vo)
David Amaro (g)
Hugo Fattoruso (vo)
Laudir de Olivera (vo)

 いつの頃か、ブラジル音楽がとてもしっくりと合うようになって来た。ポルトガル語の柔らかい音感と、比較的抑揚を抑えて淡々と弾くナイロン弦ギターによる音楽は、とても心地よいものだ。同じブラジルでも、非常にスピード感にあふれ、ピンと張り詰めた緊張感を前面に出した音楽もある。以前、紹介したエグベルト・ジスモンティはその筆頭とも言ってよいが、もう一人、忘れてならないのが、このエルメート・パスコアールだ。

 今考えてみると、高校生の頃、東京田園調布の田園コロシアムでおこなわれていた「ライブ・アンダー・ザ・スカイ」というライブイベントは、その後の私の音楽との関わりを大きく左右するものだった。自分の聴いてきた音楽を振り返りながら文章を書いてみると、そのことを強く実感する。

 エルメートは1979年のライブ・アンダー・ザ・スカイに出演していた。ブラジリアン・ナイトと銘うち、ブラジルの歌姫エリス・レジーナとの共演である。当時の私は、チック・コリアやアル・ディ・メオラしか眼中に無く、「ブラジリアン・ナイト?! みんなでサンバ演奏かぁ。」と高をくくっていた。もちろんお金に余裕の無い高校生のこと、さして関心の無いコンサートに足を運ぶことなど無かった。今思うと、本作を発表して間もない時期だったので、脂の乗り切った時期の演奏だったに違いない。
 ライブのパンフレットでみたエルメートの写真は、怪しげな初老の巨体で、「奇才」という形容詞がピッタリの風貌だった。色素欠乏症のため、このとき40歳そこそこにもかかわらず年老いたように見えたのだったということを知ったのは、ずいぶん後になってからだった。

 マルチ・インストゥルメンタル・プレイヤーとして名高いエルメートは、本作でも鍵盤楽器、管楽器そしてギターとマルチぶりを存分に発揮している。あるときはアンサンブル全体がものすごいスピードで疾走し、混沌とした淵へと飛び込みそうになったり、また、ある時はフルートのみの演奏に声やパーカッションによる不思議な効果音がからんできたり、彼の楽曲の展開は、聴くものに息をもつかせぬほどのものだ。かといって、難解なフリーフォームへと突入するのではなく、メロディアスなフレーズも随所にちりばめられている。

最近になって、数年前に何度か来日をしていたことを知った。そのときの演奏も素晴らしいものだったそうだ。今年、70歳を迎えるエルメート。次に日本での演奏があるならば、見逃せないものになることは間違いない。

May 16, 2006

●Noa & Gil Dor: Live

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Noa (vo, g, per)
Gil Dor (g)

 イスラエルの歌姫、ノアは本名Achinoam Nini(アヒノーム・ニニ)、1969年テル・アビブ生まれ。生まれてまもなく、家族そろってニューヨークへと移住し、8歳頃から作曲活動を始めたという。その後、ハイスクール在学中に、生まれ故郷のイスラエルに戻り、音楽活動に本腰を入れていく。
 90年代に入り、本作でも競演をしているギタリストのGil Dorと出会ったのが、彼女にとっての大きなターニングポイントとなったようである。Pat Methenyと知り合ったギルはノアを彼に引き合わせ、当時パットが在籍してたGeffen Recordsから『Noa』をリリースするきっかけを作る。このアルバムは、パットと、パット・メセニー・グループ(PMG)の中心メンバーでもあるベーシストのスティーブ・ロドビーがプロデュースを行い、ライル・メイズも参加しており、PMGをバックにノアが歌うといった感じの仕上がりになっている。

 『Noa』は国際マーケットへと登場し、私も東京のCD専門店で"お薦め盤"として紹介されていたので、初めて目にしたわけである。当時は、かなりパット・メセニーに入れ込んでいたため、ノアという歌手よりもPMGメンバーの演奏に注目していたのだが、クリアーながらパワーもあるノアの声は惹きつけてやまないものがあった。

 その後も、お店でノアの名前を見つけるとなるべく手にするようになっていたが、ギタリストと二人での共演盤ということで、期待を膨らませつつ本作を購入した覚えがある。その期待を裏切ることなく、ギルのギターと、時折ギターやパーカッションも演奏するノアのボーカルというシンプルな構成ながら、伸びやかな歌声は魅力がいっぱいだ。突然ひずんだ音のギターで ジミ・ヘンドリックスのフレーズを弾くギルの遊び心にも思わずニヤリとさせられてしまう。ヘブライ語で歌われるオリジナル曲はもちろんのこと、ビートルズのナンバーやマドンナの曲なども、完全に自分のものにして、新しい姿に歌い上げている。

 日本盤が発売された95年以降、しばらくはノアの作品は簡単に入手できたが、残念なことに、本作を国内で入手するのは難しいようである。ちなみに本作は1991年の録音で、『Noa』よりも古い作品である。少し探してみると、ジャケットデザインは違うが同じ内容のアルバムがアメリカの通販サイトで入手できるみたいだ。2005年にはギルと弦楽四重奏の演奏をバックに歌ったコンサートのDVDも出ているようで、いずれチェックしてみたい。

 ノアに関する情報は、なかなか日本に入ってこないが、このアルバムのようなシンプルな編成でのライブをぜひとも見てみたいものだ。

May 04, 2006

●Joyce: Feminina/Agua e Luz

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Joyce (vo. g)


 音楽をジャンル分けすることに意味はほとんど無いのだが、どこの音楽が一番好きかといわれると、「ブラジル」と答えたくなる。知らないうちに耳に飛び込んできたボサノバなどを別にすれば、一番最初にブラジル出身プレイヤーの音楽として意識しながら聞いたのは、エウミール・デオダートの『ツラトゥストラはかく語りき』だった。おなじみのメロディを、とてもおしゃれなコードワークとリズムでまったく違うものに仕上がっていてとってもかっこよかったことを覚えている。その後、ボサノバを含めたギターものにもだんだんと自分から手を伸ばしていき、素晴らしいプレイヤーをどんどんと知るようになる。

 ジョイスは、60年代終わり頃から活動を続けているブラジルの女性アーティストの中心人物の一人。本作は80年発表の『フェミニーナ』と81年発表の『水と光』のLP2枚を、1枚のCDに収録したもので、初期の代表的な作品。残念ながらパーソネル(参加ミュージシャン)はわからなかった。時にしっとりと、時に縦横無尽に駆け回るようなジョイスの歌とスキャットは、今聴いてもまったく色あせていない。
ジョイスの声は、透明感がありながら「ざらついた」テクスチャーを感じる。心地よくすっと入ってきて、すっと出て行くのではなく、ざらついた部分が自分の中に引っかかっていくような感じなのである。

 90年代に入ると、ロンドンでのクラブシーンでジョイスの人気が再び高まり、日本のクラブなどでもさかんにこのアルバムの曲がかけられるようになった。ちょうどこの頃、来日したジョイスを見にブルーノート東京に出かけたことがあったが、観客には若い20代前半の人が目立っていたのにはビックリした。このときは、ギターにトニーニョ・オルタをひきつれてという豪華な布陣で、ステージ中央にスッと立ったジョイスはとてもかっこよかった。定番のナンバー「Samba de Gago」では、観客と一体となったスキャットで雰囲気は最高潮。日ごろクラブシーンにはほとんど関心を持っていないが、どんな形にせよ、いい音楽を知るきっかけとなるのであれば、それもまた良しという思いを強くした。

April 25, 2006

●Egberto Gismonti: Infancia

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Egberto Gismonti (p, g)
Nando Carneiro (key, g)
Zeca Assumpcao (b)
Jacques Morelenbaum (cello)

 これまでに見たライブのうち、3本の指に入るほどすごかったのが、1991年6月、ブルーノート東京で見たエグベルト・ジスモンティのライブだった。80年代には来日ソロコンサートもおこなっていたジスモンティだが、雑誌のインタビューによると、日本にはいい印象が無く、来日はしたくないという話しが伝わっていた。そんな中、本作をリリースした直後に、同じ編成の4人(まったく同一メンバーだったかどうかは覚えていない)で、コンサートホールではなく、小さなスペースでのライブ。彼の演奏を間近に見ることができたのは、本当にラッキーだった。ギターのソロ、ピアノソロ、4人でのアンサンブルなど、とてもバラエティに富んだ内容だったが、特に愛用の10弦ギターを弾いているときの、すさまじいばかりの集中力と、ひしひしと伝わってくる緊張感は忘れがたいものだった。前から2番目くらいの席で、ステージ上のジスモンティをわずかに見上げるような位置から見ていたのだが、やや逆光気味の照明に、飛び散る汗がキラキラと見えた。聴くものに息をすることすら許さない、といわんばかりの迫力だった。

 ギター製作のためにアメリカに渡ったとき、たまたまサンフランシスコのホールでジスモンティのコンサートがあった。まだ、向こうに着いたばかりで自分の車も無く、友達に頼んで移動をするような状況だったし、「さすが、サンフランシスコ。ジスモンティのライブもしょっちゅうあるんだ。」と勝手に思い込み、次の機会でいいやと、行かずにいた。もちろん、彼のコンサートは頻繁にあるわけではなく、結局、アメリカ滞在中に、彼の演奏を見るチャンスには恵まれなかった。

 ジスモンティの名前を初めて聞いたのは、「Frevo」という曲の作曲者としてであった。スーパー・ギター・トリオのライブでは、マクラフリンとパコのデュオで必ずといってよいほど演奏された曲だが、とても美しいメロディラインが印象的で、最も好きな曲のひとつだ。この曲をたどりつつ、ジスモンティの作品をどんどんと聴き始め、気がつくと、彼の音楽にどっぷりと首まで浸かるような状態になってしまった。ブラジル出身の彼は、幼い頃からクラシック・ピアノを習い、その後、パリに渡り、管弦楽法と作曲を勉強したという。ブラジルの伝統的な音楽をベースとしつつも、西洋の音楽手法を融合させ、独自の音楽を築いていく。

 クラシック、ジャズそしてブラジルの伝統音楽のショーロやサンバ、ボサノバ。さまざまな要素が見え隠れするジスモンティの曲は、クラシック・ギタリストにも積極的にレパートリーとして取り上げられている。ブラジル人としての血を根底に持ち続けつつも、時にはシリアスに、そして時にはユーモアを交えながら、ジャンルにとらわれないジスモンティが作り出す音楽世界。彼のパフォーマンスを再び目にする機会が訪れることを切に願う。

April 16, 2006

●Juanjo Dominguez: Plays Astor Piazzolla

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Juanjo Dominguez (g)

 ギターを製作するようになって、以前よりもナイロン弦を用いた、クラシック・ギターやフラメンコの演奏を聴くようになった。同じような外見でも、自分で作るスティール弦のギターとは内部の構造も違い、音作りのアプローチも異なる。ナイロン弦のギターは、弦の特性上、ふくよかな低音は出しやすいが、ピンと通る高音を出すのが難しい。一方、スティール弦では、キンとした音が出しやすい一方、ふくよかな低音を出すのが大変で、ここが製作家の腕の見せ所となる。いずれにしても、「いい楽器」というのは低音から高音までバランス(音量だけではなく)が取れているものなのである。まったく別方向からのアプローチを持つ同じ「ギター」というものを見つめることで、それまでの自分の考え方から一歩離れてモノを理解するきっかけとなるものだ。

 ここのところ、一番のヘビーローテーションでかけているのが本作。ナイロン弦のギターで、「ピンッ」と音が立っている好例である。ファンホ・ドミンゲスはアルゼンチンのギタリストで、クラシックに分類するのがいいのかもしれないが、ピアソラ曲集ということもあり、今回はワールド・ミュージックにカテゴライズした。

 ピアソラの曲はクラシックやジャズのプレイヤーがよく取り上げ、名演も多い。その中においても、ファンホのこの作品の仕上がりは特筆すべきものだ。同じアルゼンチン人として、ピアソラが何を考え、感じて曲を書いたのかということを意識し、ギター曲にアレンジしたという。タンゴ五重奏団でバンドネオンやヴァイオリンが繰り広げていたスリリングな演奏パートまでも、ギターの音だけで表現し、単調さなどまったく感じさせず、恐ろしいばかりの緊張感を最初から最後まで持ち続けている。音の立ち上がりとスピード感が全面に出た演奏は、まさしくナイロン弦の持ち味を最大限活かしたもので、これほどピタリとはまる感覚も珍しい。曲によってはギターを2本、3本と多重録音しているが、自分の演奏を重ねたからこそ、ここまでピタリと合ったものになっているのであろう。

 音数も多いので、音楽が「饒舌すぎるのでは」と心配してしまいそうだが、それも杞憂に過ぎないとすぐに気付く。すばらしい演奏テクニックに余りある歌心が、その音にはある。アルゼンチン人にとってタンゴ音楽、そしてピアソラの音楽がどのようなものなのかを、ファンホのギターがわれわれに投げかけている。

April 13, 2006

●Astor Piazzolla: The Rough Dancer and The Cyclical Night

AstorPiazzolla1.jpg

Astor Piazzolla (bandneon)
Fernando Suarez Paz (vln)
Pablo Zinger (p)
Paquito D'Rivera (as, cl)
Andy Gonzalez (b)
Rodolfo Alchourron (g)

  「20世紀を代表する音楽家は?」と聞かれると、真っ先に思い浮かぶのが作曲家・バンドネオン奏者のアストル・ピアソラだ。アルゼンチン・タンゴの異端者として本国ではなかなか評価されなかったピアソラだが、彼の楽曲はタンゴの枠にとどまらず、ポピュラー、クラシックなど幅広い分野のプレイヤーがカバーしていることから、そのすばらしさをうかがい知ることができる。  そもそもタンゴにおいて、音楽とは踊りのためのものであったのだが、ピアソラは従来のバンド編成(バンドネオン、ヴァイオリン、コントラバス、ピアノ)にエレキギターを加えた五重奏団で、踊りのための音楽という殻を破った、前衛的な演奏を繰り広げた。そのため、保守的な層からは、徹底的に批判を受けるが、彼が作り上げた独創的なモダン・タンゴの世界は唯一無二ともいえる。皮肉なことに、その独創性ゆえ、「ピアソラの先にアルゼンチン・タンゴの将来はない」と評されることもあるが、「アルゼンチン・タンゴ」という枠から見れば、あながち誤った指摘ともいえないだろう。

 本作は、『Tango: Zero Hour』、『La Camorra』と並ぶ、いわゆるピアソラ3部作の一つ。他の2作品の強烈な緊張感あふれる仕上がりと比較すると、比較的聞きやすい作品。バンドネオンを中心に強靭なリズムが刻まれ、躍動するヴァイオリンのメロディ展開がとても印象的だ。早いパッセージの後に、メランコリックなフレーズが続いたりするのも、「泣きの音楽」を好む日本人にはピッタリとも言える。

 ピアソラのすばらしさは、その音楽の展開から、色彩や、人間の心理描写をイメージさせる点にあると思う。一つ一つの独立した楽曲から伝わってくるというよりは、アルバム全体の流れがストーリー展開となって自分の中に入ってくる感覚は、他ではあまり経験したことがない。残念ながら、生の演奏を聴く機会はなかったが、映像を手に入れてじっくりと演奏を見てみたいアーティストの一人だ。