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August 18, 2006

●上条 恒彦: 冬の森にて

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上条 恒彦 (vo. g)
小室 等 (g)
高嶋 宏 (g, mandolin, balalaika)
芹田 直彦 (p, key)
川野 優次 (b)
長倉 徹 (ds, per)

 ジョーさんの歌を最初に聴いたのは、小室等率いる六文銭をバックに歌った「出発の歌」だったと思う。ヤマハが主催していた世界歌謡祭で1971年にグランプリを受賞した曲である。その翌年、市川崑監督のテレビドラマ『木枯らし紋次郎』の主題歌「だれかが風の中で」でも、小室さんのギターをバックに素晴らしい歌を聞かせてくれていた。
 当時、小学生だったこともあり、ずいぶん遅い時間に始まるドラマだったような気がするが定かではない。「・・・上州新田郡三日月村の貧しい農家に生まれたという。十歳の時、国を捨て、その後一家は離散したと伝えられる。・・・」というナレーションで始まり、主演の中村敦夫が「あっしには関わりあいのないことでござんす」という決め台詞とともに、口にくわえた長楊枝をプッと吹きだすしぐさが流行ったものだった。きれいな刀さばきの殺陣ではなく、ばたばたとした立会いがそれまでの時代劇とは違っていて、妙にリアルな印象を受けるドラマだった。

 話をジョーさんの歌に戻そう。こどもの頃、わが家にジョーさんのベスト盤が1枚あり、何度も何度も繰り返し聴いたものだった。民謡、黒人霊歌からシャンソン、ポップスなど、様々なスタイルの曲を取り上げていたが、ことさら印象に残ったのは、歌詞を大切に歌うという姿勢だった。伸びのある太い声とともに、その歌詞がしっかりと聴くものの中に入ってきて、情景が思い浮かぶのである。

 「ショウは終わった」という曲のせいかもしれないが、“ステージで歌う、歌うたい”というのが、ジョーさんのイメージである。しかし、歌手をメインとしていたのははじめの頃のみで、その後はミュージカル、そして舞台やドラマで俳優として活躍するにつれ、歌の活動はだんだんと少なくなっていった。

 このアルバムは、1996年に初めて自主制作というスタイルで作られたもの。実に17年ぶりのアルバムである。初期の頃から新曲まで、馴染みのあるものないものを織り交ぜた構成となっている。昔の曲も、アコースティック編成でシンプルな編曲となっていて、とても新鮮だった。28ページにも渡るライナーノーツには、ジョーさん自身による解説が載っている。それぞれの曲にまつわる話、その曲を歌っていた頃の様子など、昔を知るものにとっては裏話的な内容がこれまた楽しい。

 7-8年位前だったと思うが、ようやくジョーさんが歌う姿を見ることができた。小室等さんが中心となったコンサートで、上条恒彦、森山良子や、武満徹つながりで渡辺香津美、鈴木大介などが一堂に会した豪華なものだった。初めて聴いた頃から30年近くたっていたが、そのうたごえの魅力は何ら衰えるところがなかった。憧れの人にようやく会えたというような感激があったのをよく覚えている。

 歌詞の持つ世界を大切に伝えようとすることを、歌い手は忘れてはいけないと思う。単に声の素晴らしさだけでなく、言葉によってより多くのものを、よりいっそう強く人々に訴えかけることができるのだから。 

August 11, 2006

●Allan Holdsworth: The Things You See

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Allan Holdsworth (g)
Gordon Beck (p)

 アコースティック・ギターとピアノのデュオは思いのほか少ないような気がする。突き詰めて考えれば、ピアノもスティール弦を使い、鍵盤~ハンマーで弦を叩くという発音メカニズムは違うものの、音の質には共通点があることが影響しているのかもしれない。実験したことはないが、それぞれの音のアタック部分を消してしまうと、ピアノなのかスティール弦ギターなのかを識別するのは難しそうな気もする。

 最近では、超絶テクニックというと、ヘビーメタル系のギタリストが真っ先にあがることが多いが、私が高校生の頃、フュージョン系の人以外では、なんといってもプログレッシブ・ロックのギタリストが真っ先に思い浮かんだものだ。アラン・ホールズワースはややマニアックながら、コアなファンの多いギタリスト。70年代前半に、プログレバンドのテンペストに参加して以来、ゴング、UKなど、数々のグループに加わりアルバムを残してきた。

 「うまい」と聞けば、必ずそのギタリストの演奏を聴こうとしていた高校時代、最初に手に入れたアランのアルバムは『Velvet Darkness』というファーストソロだった。確かにテクニックはすごいのだが、なんだか散漫な印象をぬぐえなかったのだが、いろいろと調べていくと、アラン自身、このアルバムのできには非常に不満で、自分のソロアルバムとしては認めたくないといっていると知った。
 あまり良くない第一印象からか、シンセアックスという、ギターとシンセサイザーを組み合わせたような新しい楽器を使っているとか、さまざまな情報が入ってきたにもかかわらず、なんとなく聴かずにきてしまったのであった。

 かなり後になってからだが、ギタリストのコンピレーションアルバムで、アランの演奏を聴き、独特のうねるように流れていくフレーズに、彼のことを再認識した。そこで手にしたのが本作だった。期せずして、買った2枚目は実は、彼の2作目で、ファーストソロの2年後にリリースされたものだったのがおかしい。

 エレクトリック・ギターをメインにしている人がアコースティック・ギターを演奏する際、おなじようなスタイルで弾く人と、まったくスタイルを変えてしまう人がいる。後者の代表がパット・メセニーだろう。アランは前者のスタイル。ハンマリングとプリングを多用し、音が洪水のようにあふれてくるのは、まさしく彼がエレクトリックでも披露しているものと同じだ。ただ、エレクトリックでの歪み系サウンドとは異なり、生音メインのアコースティックでは、流れるようでありながら音の粒々がはっきりと伝わってくる感覚が面白い。きついテンションノートも使っているが、不思議と濁った感じはなく、するりと耳に入ってくるのは、アラン独特の演奏によるものなのだろう。

 ジャズ・ピアニストとしてキャリアをスタートさせたゴードン・ベックによるものが大きいのか、ジャズとロックの要素を非常にうまくミックスした仕上がりになっている。緊張感あふれるフレーズの応酬があるかと思うと、ほのぼのとした曲調もあり、いろいろな雰囲気を楽しむことができる。

 昨年には1990年の東京でのライブ盤が発売。気がつくと、時折来日してライブをおこなったりと、現在でもコンスタントに活動をおこなっているようである。新旧交えて、彼の音楽をまた少し追っかけてみようか・・・。

August 05, 2006

●Bill Evans: You Must Believe in Spring

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Bill Evans (p)
Eddie Gomez (b)
Eliot Zigmund (ds)

 思いがけず、ビル・エバンスで引っ張ってしまったが、とりあえず本作の紹介で一段落としたい。
ビル・エバンス・トリオのベーシストでは、まず名前が上がってくるのはスコット・ラファロ、そして次がチャック・イスラエルであろう。本作は、この二人と同様、ビルにとっても重要なベーシストとして、晩年近く一緒に演奏をしていたエディ・ゴメスが参加した最後の作品。

 スコットとのトリオがまさしくインタープレイを中心にすえたものとすれば、ここでのビルの演奏はまさしくリリシズムを究極に追い求めたものといってよい。ビルへのトリビュートとして紹介したギター演奏との対比で考えれば、ラリーとミロスラフの演奏はインタープレイ的要素にスポットライトを当てた『Walts for Debby』からの流れを受け(トリオ演奏からの影響という枠をはずせば、ジム・ホールなどが参加した,タイトルもそのものズバリの『Interplay』からの流れというのがより正確かもしれない)たものであるのに対し、ジョンの演奏は本作を支配しているリリシズムを継承していると強く感じる。

 このアルバムを録音した前年には愛妻のエレーヌを失い、またこの年には兄ハリーが自殺するなど、悲しい出来事が続いたビルの弾くピアノは悲しいほどに美しい。ビルのようなリリカルな部分を強調すると、ピンと張り詰めた緊張感と透明感を前に押し出すような演奏が多くなる。しかし、このアルバムでの演奏は、インタープレイ的な緊迫感を排し、すべての音が自ら調和を求めてあふれ出ながら、温かさに満ちている。愛おしさにあふれたピアノをとくとご堪能あれ。

August 02, 2006

●Larry Coryell: Quartet

LarryCoryell_quartet.jpg

Larry Coryell (g)
Miroslav Vitous (b)

 ビル・エバンスつながりでもう一枚紹介したい。ここでは再度登場となるが、ラリー・コリエルのミロスラフ・ヴィトウスどのデュオアルバムである。タイトルが『Quartet』(4重奏の意味)とあるのは、ビル・エバンスとスコット・ラファロにインスパイヤされてこのアルバムを作ったためである。

 ビルへのトリビュートとして、先日紹介したジョン・マクラフリンの『Time Remembered』とはある意味、好対照なアルバムに仕上がっているのがとても興味深い。ジョンはビルのリリシズムに焦点を当てたの対して、ラリーはインタープレイをその中心に置いているのである。どちらも、ビル・エバンスを語る上では重要なファクターなのだが、同じようにジャズ・ギター界に変革をもたらしたジョンとラリーが、違ったアプローチからビルの音楽を見つめなおしているわけである。

 ミロスラフ・ヴィトウスはチェコ生まれ。小さい頃からヴァイオリン、ピアノを習ってきた彼がベースを弾き始めたのが14歳のとき。その後、ウィーンでのコンクールで優勝し、奨学金を得てアメリカ東海岸のバークリー音楽院へと留学をする。チック・コリア、ハービー・マンなどのレコーディングに参加した後、自己のアルバムも製作する。彼が広く脚光を浴びるようになったのは、ジョー・ザビヌル、ウェイン・ショーターらと一緒にウエザー・リポートを結成してからだろう。ウエザー・リポートの最初の3枚のアルバムに参加した後、ミロスラフはグループを離れ、ロスに移り住んで新しい楽器の開発に取り組んだり、音楽教育に力を注いできた。最近では、ちっく・こりあとの演奏や、自身のリーダーアルバムをECMからリリースしたりと、マイペースでの演奏活動を続けている。

 ジャズでギターとベースのデュオアルバムといえば、ロン・カーターとジム・ホールの『Alone Together』が真っ先に思い浮かぶが、歴史的名盤との評価が高いロンとジムのものに比べると、ラリーとミロスラフの演奏はストレート・アヘッドな4ビートジャズというよりは、もっとコンテンポラリーな印象が強い。それでいて、難解さはあまり感じさせないので、聴くものの中にスッと入って来やすい。時折アルコ奏法(弓によりベース演奏)を交えるミロスラフの演奏はとても美しく、また力強い。

 ベースがギターをサポートしているというよりは、ギターとベースがお互いに重なり合うように絡みつつあるのは、やはりビルが得意としていたインタープレイ的な要素が根底にあるからだ。Quartetというタイトルの意味を考えながらこのアルバムを聴くと、いっそうイメージが膨らむのが楽しい。