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April 30, 2006

●Pentangle: Basket of Light

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Terry Cox (ds, vo)
Jacqui McShee (vo)
Bart Jansch (g, vo)
John Renbourn (g, vo)
Danny Thompson (b)

 今まで聞いていなかったものを聴くようになるきっかけはさまざまだが、私の場合、自分の好きなプレイヤーが影響を受けた音楽に手を伸ばすというパターンが多い。1960年代のブリティッシュ・フォークへと導いてくれたのは、ポール・サイモンである。ご存知のように、ポールは、サイモン&ガーファンクルとして、1960年代前半から1970年までの間、数々のヒットを飛ばしたスーパーデュオである。
 S&G名義のアルバムに唯一入っていたポールのギターインスト曲が「Anji」だった。昔は、この曲を完璧に弾ければプロになれるといううわさまで流れた曲である。そのポールが、影響を受けたのがバート・ヤンシュの「Anji」であったり、もともとの作曲者のデイヴィー・グレアムであったりという情報が耳にはいると、バーとを追っかけておくと行き当たったのが、ペンタングルである。ジョン・レンボーンとバート・ヤンシュという素晴らしいギタリスト二人を擁するというグループとのイメージが強かったが、ジャッキー・マクシーのボーカルの独特の存在感が際立っているのに圧倒された。
 ペンタングルとしては、デビューアルバムの評価も高いが、実験的な取り組みもある本作は、このグループの最高傑作の名に恥ずかしくない仕上がりであろう。ジャズやブルースに繋がる要素と、ケルト音楽の影響が複雑に交じり合った音楽は、イギリスの独特のどんよりとした気候を肌で感じさせるものを持っている。アメリカルーツのブルースとは根本的に違いつつも、「これもやはりブルース」と思わせるところは、音楽としての芯の強さなのかもしれない。
 伝統を継承しつつも、革新的なものに取り組むペンタングルの斬新さは、力強く、聴くものにせまってくる。

April 28, 2006

●Pierre Bensusan: Musiques

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Pierre Bensusan (g, mandolin, vo)

 久しぶりにギターソロのアルバム紹介となるが、前回のラルフ・タウナーはナイロン弦ギターがメインだったのに対し、こちらはスティール弦。このスタイルの音楽をどのジャンルに入れるかはいつも悩むところだが、アメリカなどではNew Ageにカテゴライズされるのが一般的だった。ニューエイジという言葉には少し抵抗があるが、とりあえず、ここでもそのカテゴリーに入れることにしよう。

 ピエールはアルジェリア生まれのフランス人。ボブ・ディランの歌で英語を覚え、弾き語りを始めたという。その後、ジョン・レンボーン、バート・ヤンシュという素晴らしい二人のギタリストが在籍していた、伝説的なブリティッシュ・フォーク・ロックのグループ、「ペンタングル」に惹かれ、ケルト音楽などの影響も取り込んでいくようになる。

 このアルバムは、今では彼のトレードマークといってよいDADGADと呼ぶ変則チューニングで、全編演奏されている。このチューニングは、アイリッシュやブリティッシュ・フォークなどのプレイヤーがよく用いており、独特の雰囲気を作り出すものだ。ただ、ピエールは、このチューニングの持つ古典的なイメージを超え、コンテンポラリーな曲想にもうまくフィットさせている。ライブで、比較的インプロビゼーション色の強い曲を演奏すると、ケルト音楽の影響に、アフリカのリズムがのったようなフレーズが見られる。彼のルーツを考えると、なるほどと納得できる。

 ステージで自分の演奏、音を完璧にコントロールするピエールの姿から容易に想像できるが、アメリカのギター製作家に話を聞くと、多くの人が「ピエールは気難しいからなぁ」という。2001年に来日したとき、ライブ後に少し彼と話す機会があったが、気難しさなど感じさせぬ、実にフランクな人柄だった。もちろん、一緒に仕事をするとなると、別だろうが・・・。

 2004年には、サンフランシスコを拠点に活動をしているブライアン・ゴアの呼びかけで、クラシック・ギタリスト兼作曲家のアンドリュー・ヨークなどを交えて、「インターナショナル・ギター・ナイト」と称したツアーをおこなっている。それぞれが、ユニークな演奏スタイルを持つテクニシャンぞろいだけに、面白い仕上がりとなっているようだ。ただ、ピエールはこの頃から、メインギターを変更しており、ライブ音源などはピックアップの音色が今ひとつの仕上がりなのが残念だ。
 最新作も素晴らしい演奏だが、個人的には、以前のギターの音色の方がしっくりくるように感じてしまう。よい悪いではなく、あくまでも好みの問題ではあるが・・・。ただ、ひとつところにとどまらず、新しいスタイルにも挑戦し続けているピエールの今後からは、やはり目を離すことはできない。

April 27, 2006

●南 佳孝: 摩天楼のヒロイン

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南 佳孝 (vo, g, p)
矢野 誠 (p, key)
林 立夫 (ds)
小原 礼 (b)
細野 晴臣 (b)
鈴木 茂 (g)
駒沢 裕城 (dobro, steel g)
松本 隆 (per, arr)

 中学生の頃、歌謡曲以外の音楽映像を唯一流していたのが、地元のTVK(テレビ神奈川)だった。川村尚が進行する洋楽のPVを流していた『ポップス・イン・ピクチャー』と、南佳孝が司会をしていた『ファンキー・トマト』というのが双璧の音楽番組。ファンキー・トマトでは、アシスタントに売り出したばかりの竹内まりあがついていた。湘南地方の番組らしく、サーフィンのコーナーがあったりと、当時の若者文化をフィーチャーしたものだったが、毎回、番組の最後に、南佳孝が弾き語りで1曲歌うのがとても気に入っていた。シンプルな編成で、パーカッションがついたり、キーボードのサポートがあったり、時にはラジという女性シンガーとのデュエットもあった。
 ちょうど、洋楽でもAOR(アダルト・オリエンテッド・ロック)と呼ばれるジャンルが出始め、ボズ・スキャッグスやボビー・コールドウェルなどがこのスタイルをリードしていた。邦楽はというと、フォークからニューミュージックへと移行している段階で、荒井由美(ちょうど結婚をして松任谷由美になったようなタイミング)や中島みゆきなどが、中心となって活動していた。そんな中、南佳孝はとても都会的なセンスで、独特の雰囲気を持っていた。それが、中学生や高校生の時期にはとてもかっこよく映り、大人の雰囲気の香りを楽しんだものだ。

 このアルバムのサポートメンバーを見ればわかるが、元はっぴいえんどの3人が要となっている。特に、松本隆は、本作がプロデューサーとして取り組んだ最初の作品である。その後、太田裕美を初め松田聖子などに数々の詞を提供し、ヒットメーカーとして大活躍することになるのは周知のことと思う。

 LPでの発売時点では、A面がHero Side、B面はHeroin Sideという構成だった。歌詞やアレンジも物語性を非常に意識しており、舞台上での演技を見ているかのように感じさせる仕上がりが面白い。ジャリッとしたした感触を聞かせるギターの音も新鮮で、決して密ではない音空間なのに、隙間を感じさせないのは不思議だ。

 その後、「モンロー・ウォーク」や「スローなブギにしてくれ」などで、メジャーヒットを飛ばすが、この人の持ち味は、弾き語りなどのシンプルなスタイルにあるような気がする。ただ、音を積み上げていくコンセプトで作り上げたアルバム『冒険王』は、別方向のものながらとてもいい。これは、いずれまた取り上げてみたい。

 2000年以降は、ボサノバの曲を演奏したりと、いい意味で力を抜きながらお気に入りのスタイルの音楽をやっているように感じる。今でも、湘南に拠点を置き、海の匂いを感じさせる南佳孝。一度は、生で演奏を見てみたいアーティストの一人だ。

April 26, 2006

●Bartok: Piano Concertos Nos. 1&2

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Maurizio Pollini (p)
Claudio Abbado (cond)
Chicago Symphony Orchestra

 バロック音楽を代表するバッハなどは、その旋律法などが数学的見地からも興味深い対象(ホフスタッターの名著『ゲーデル・エッシャー・バッハ』は一世を風靡した)であったため、時折聴くこともあったが、近現代物となると難解なイメージがどうしても強く、避けて通ってきた。

 大学時代、友人のY君は現代音楽に非常に精通しており、武満徹を初めとした現代音楽のCDのコレクションはなかなかのものだった。ジョン・ケージの作品などをはじめ、現代音楽の素晴らしさについて熱弁をふるったY君だが、私のほうは、「音楽」というイメージと現代音楽の作品が結びつかず、なんとなく気にはなっていたものの、積極的に手を伸ばそうという対象ではなかった。その彼が、あるとき「バルトークはいいよ」といって推薦してくれたのが、このバルトークのピアノ協奏曲第1番、第2番である。やはり、あまり期待もせずに、聞かせてもらったのだが、それまでの「近現代もの=難解」というイメージを払拭する、すばらしい演奏だった。
 クラシックの場合、同じ曲でも指揮者やソリスト、オーケストラが違えば当然違った演奏に仕上がる。「誰が指揮した、どこのオケの、いつの録音がいい」などと、マニアは言うわけであるが、残念ながら、私はそこまでいろいろと聴き込んでいるわけではない。ただ、本作に関しては、バルトークの楽曲とポリーニのピアノが、すばらしくマッチしていることは間違いない。

 弦を極力追いやり、管楽器を前面に出した曲の構成は、一般的なオーケストラ演奏とはイメージをかなり違うものにしている。非常に硬質で、時折パーカッシブな要素も交えたポリーニのピアノは、管楽器の中に、切り込んでいくかのように鋭い。第2番の第2楽章には、唯一といってよいくらいだが、弦楽を前に出した主題が演奏される。ここでも、「弱音器をつけて、ビヴィブラートをかけずに」と指定されているため、普通とは違う、不思議な浮遊感を感じさせる弦の響きとなっている。
 音階、和声によるものだろうが、楽曲の展開なども含め、現代のジャズに通ずる要素を強く感じる。特に、ヨーロッパ系のピアノもの、それもリリカルではない演奏をするジャズ・ピアニストは、バルトークの影響を何らかの形で受けているのかもしれない。

 ジャズのアルバム全体を一つの作品として聴くことを考えれば、バルトークの曲はさほど抵抗無く聞くことができるだろう。緻密なつみあげをしながら、難解なものとはなっていないこの曲などは、近現代のクラシックを聴くための導入作品としてもよいかもしれない。

 今や、クラシック界を代表するアバドとポリーニ。若かりし頃のジャケット写真がほほえましい。

April 25, 2006

●Egberto Gismonti: Infancia

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Egberto Gismonti (p, g)
Nando Carneiro (key, g)
Zeca Assumpcao (b)
Jacques Morelenbaum (cello)

 これまでに見たライブのうち、3本の指に入るほどすごかったのが、1991年6月、ブルーノート東京で見たエグベルト・ジスモンティのライブだった。80年代には来日ソロコンサートもおこなっていたジスモンティだが、雑誌のインタビューによると、日本にはいい印象が無く、来日はしたくないという話しが伝わっていた。そんな中、本作をリリースした直後に、同じ編成の4人(まったく同一メンバーだったかどうかは覚えていない)で、コンサートホールではなく、小さなスペースでのライブ。彼の演奏を間近に見ることができたのは、本当にラッキーだった。ギターのソロ、ピアノソロ、4人でのアンサンブルなど、とてもバラエティに富んだ内容だったが、特に愛用の10弦ギターを弾いているときの、すさまじいばかりの集中力と、ひしひしと伝わってくる緊張感は忘れがたいものだった。前から2番目くらいの席で、ステージ上のジスモンティをわずかに見上げるような位置から見ていたのだが、やや逆光気味の照明に、飛び散る汗がキラキラと見えた。聴くものに息をすることすら許さない、といわんばかりの迫力だった。

 ギター製作のためにアメリカに渡ったとき、たまたまサンフランシスコのホールでジスモンティのコンサートがあった。まだ、向こうに着いたばかりで自分の車も無く、友達に頼んで移動をするような状況だったし、「さすが、サンフランシスコ。ジスモンティのライブもしょっちゅうあるんだ。」と勝手に思い込み、次の機会でいいやと、行かずにいた。もちろん、彼のコンサートは頻繁にあるわけではなく、結局、アメリカ滞在中に、彼の演奏を見るチャンスには恵まれなかった。

 ジスモンティの名前を初めて聞いたのは、「Frevo」という曲の作曲者としてであった。スーパー・ギター・トリオのライブでは、マクラフリンとパコのデュオで必ずといってよいほど演奏された曲だが、とても美しいメロディラインが印象的で、最も好きな曲のひとつだ。この曲をたどりつつ、ジスモンティの作品をどんどんと聴き始め、気がつくと、彼の音楽にどっぷりと首まで浸かるような状態になってしまった。ブラジル出身の彼は、幼い頃からクラシック・ピアノを習い、その後、パリに渡り、管弦楽法と作曲を勉強したという。ブラジルの伝統的な音楽をベースとしつつも、西洋の音楽手法を融合させ、独自の音楽を築いていく。

 クラシック、ジャズそしてブラジルの伝統音楽のショーロやサンバ、ボサノバ。さまざまな要素が見え隠れするジスモンティの曲は、クラシック・ギタリストにも積極的にレパートリーとして取り上げられている。ブラジル人としての血を根底に持ち続けつつも、時にはシリアスに、そして時にはユーモアを交えながら、ジャンルにとらわれないジスモンティが作り出す音楽世界。彼のパフォーマンスを再び目にする機会が訪れることを切に願う。

April 24, 2006

●Bruce Cockburn: Salt, Sun and Time

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Bruce Cockburn (vo. g)
Eugene Martynec (g, key)
Jack Zaza (cl)

 カナダのシンガー・ソング・ライターというと、ゴードン・ライトフット、ニール・ヤングやジョニ・ミッチェルといった名前がすぐに思い浮かぶ。あるとき、カナダの女性ギター製作家、リンダ・マンザーが「カナダのカリスマ的シンガー・ソング・ライターのブルース・コバーン」にギターを製作した時に、どれだけ興奮したかということをインタビューで述べているのを読んだことがあった。「製作家がお気に入りとあらば、これは聴かずばなるまい!」と探してみたものの、なかなか見当たらない。結局、最初に手に入れたのはアメリカ滞在中、いつものカリフォルニア大学バークレー校そばの中古CD屋だった。ところが、エレクトリック主体であまりパッとしない演奏がずっと続く。「こんなもんかぁ」とがっかりしつつ、ブルースのことは忘れてしまった。

 日本に戻り、いろいろと調べると、アコースティック・ギターの第一人者中川イサト氏が初期のブルース・コバーンの影響を受け、当時、出版したギターの楽譜集にも何曲か取り上げたとのこと。もう一度聴いてみようと思い、探し当てたのが本作だった。ほとんどギターとボーカルのみの構成ながら、ブルースの音楽世界が目の前いっぱいに広がるような感覚はなんなのだろう。敬虔なクリスチャンでもあるブルースは、デビュー当初から70年代終わりくらいまでは、非常に宗教色の強い歌詞を書いている。無神論者の私にとって、信仰からくるものを理解するのは難しいが、美しいメロディと朴訥とした声のバランスの妙は、歌詞の理解とは別の次元で、心に響いてくるものがある。80年代に入ると、キリスト教色は薄まり、よりロック色の強い音楽へと向うのだが、政治的なメッセージを歌に込めるようになっていく。

 時折オープンチューニングを用いる、ブルースのギタースタイルは独特のもので、北米東海岸の湿度が高く、しっとりした空気と、彼が初期の頃に愛用していたカナダのジーン・ラリビー製作のギターの音がぴったりと合う。倍音がすっきり整理され、重心の低い音は、ジャズ・テイストを含んだフレーズをいっそう際立たせるものだ。ギターのラインがボーカルとハモる構成など、比類のないほどすばらしい。


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 ブルースの最近の動向を調べてみると、昨年、ギターのインスト・アルバムをリリースしたことを知った。ソングリストを見ると、初期から毎作数曲ずつ入れていたインストものを、ギターソロで演奏しているようである。エレクトリックよりは、アコースティック・ギターの名手として活躍して欲しいと思っていただけに、これは嬉しい情報だ。さっそく、入手しなければ・・・。

April 23, 2006

●Ralph Towner: Solo Concert

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Ralph Towner (g)

 大雑把に言って、ギターを弾くのに2つのスタイルがある。一つは、フラットピックを使う奏法。もう一つは、フィンガースタイルと呼ぶ指弾きである。指で弾く場合、爪をどのくらい伸ばしてどう使うかによって、音が変わってくる。爪を使う割合が増えれば、輪郭のたった硬質な音となるし、指の肉の部分を主に使えば、タッチはソフトで芯のある音となる。ナイロン弦は、スティール弦に比べて柔らかいため、ナイロン弦を主に使う人はスティール弦のギターを弾くと爪を痛めてしまうことが多い。そのため、両方を併用する人がごくまれである。

 ラルフは、ナイロン弦での演奏が中心だが、スティール弦、それも弦の張力が強い12弦ギターを併用する、非常に珍しいギタリストである。場合によっては、1曲ごとにギターを持ちかえ、ナイロン弦とスティールの12弦を交互に弾くというのは、普通では考えられないことだが、彼はいとも簡単にやってのけている。

 繊細な音作りを得意とするECMレーベルの録音で、コンサートのライブ録音とは思えないほどクリアーな音にはビックリさせられる。ジャケットの写真を見ると、ブリッジとネックの付け根をそれぞれ狙ったマイクのセット(ノイマンのU87と思えるラージダイアフラムのセットと、AKG451スタイルの小径ダイアフラムのセットを併用しているので、計4本のマイクを使用)、少し離してアンビエントマイクを1本セットしている。さすがに、レコーディングを重視したセッティングで、コンサートでの見栄えは二の次にしているところが、いかにもECMらしい。

 ラルフの演奏を最初に聞いたのは、彼がソロ活動と並行して演奏活動をおこなっているオレゴンというグループでの演奏。ラリー・コリエルとの共演盤、『The Restful Mind』である。オレゴンは、ラルフとタブラ、コンガ奏者のコリン・ウォルコットを中心としたユニットで、インド音楽などの影響も取り入れた、エスニックテイストのある、独特の音楽世界を繰り広げている。残念なことに、コリンは後に事故で他界してしまうが、その後も、メンバーを替え、現在も活動を続けている。

 ソロ演奏では、クラシカルな要素と、ジャズの即興的な要素を非常にうまくミックスしている。緻密な構成を感じさせる一方で、自由奔放に展開されるパッセージも織り交ぜ、最初から最後まで聴く者を惹きつけてやまない。学者然としたその風貌にマッチした、知的な香りのする音楽がなんとも心地よいものだ。

April 22, 2006

●Mark O'Connor: Markology

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Mark O'Connor (g)
David Grisman (mandolin)
Tony Rice (g)
Bill Amatneek (b)
Sam Bush (mandolin)
Dan Crary (g)

 ギターが主役の音楽でも、ほとんど聴かずに来たジャンルがブルーグラスである。定番のドク・ワトソンやトニー・ライスなどは聴くことは聴いたのだが、どうも自分の中に響いてくるものを感じなかったからだ。ギタリストにはテクニシャンがそろい、早弾きもある。普通であれば、飛びつくようなものなのだが・・・。

 マーク・オコナーは実は、フィドル(ヴァイオリン)のトップ・プレイヤーである。しかし、私が彼の名前を聞いたのは、ギタリストとしての評判が最初だった。私が修行をしたギター製作家Ervin Somogyi氏のギターを使ったこともあるという話しだった。Ervinのギターは、その豊かな倍音と繊細な響きから、フィンガースタイルと呼ばれる指弾きのインスト曲を演奏するプレイヤーが愛用するケースが多い。フラット・ピッキングで、それもハードなタッチで弾くブルーグラスのプレイヤーがどのように使いこなしているか、興味津々だったのだ。CDショップを回って手に入れた最初のアルバムが、『Stone from Which the Arch Was Made』。家に帰って、プレイヤーにかけてみてビックリ。前面に出ているのはフィドルだ。改めてライナーをチェックすると、マーク・オコナー(フィドル)とあるではないか。おまけに曲はコンテンポラリ・ブルーグラスというさらに馴染みのないスタイル。すっかり当てが外れた気分になってしまった。(注:Ervinによると、このアルバムのレコーディングで彼のギターを使用していたということなので、近いうちにこのアルバムもじっくり聴き直してみたい。.)

 ギター製作の修行でアメリカに滞在中、休みの日曜には車で10分くらいのバークレーの中心街に出るのがいつものことだった。そこで、中古CD屋と古本屋を回りながら、気に入ったものを探すのが、なんとも楽しい時間なのである。そのとき見つけたのがこのアルバム。ジャケットにもギターの絵があるので、これこそが、求めていたギター・アルバムに違いないと買って帰った。工房の戻り、さっそく聞いてい見ると、のっけからはじけるようなギターの音。当たりだ。
 このアルバムが録音された頃、マンドリンのデヴィッド・グリスマンはDAWGという新しい音楽のスタイルを作りつつあった。従来のブルーグラスにフォークやジャズを融合させたものである。当然、本作にもその影響がおよび、マークの弾くリードラインはストレートなブルーグラスのフレーズとはまったく違い、ジャズテイストが色濃い。これが、「いい!」と思った一番の要因であろう。ストレートアヘッドなブルーグラス・アルバムとはいえないかもしれないが、私にとっては一押しのギター演奏である。

 このweblogのために、ジャケット写真を探して初めて気がついたこと。手元にあるアルバムにはマークのサインが入っていたのである。ジャケットデザインにある、ギターの輪郭線と、文字のペンによる線がほとんど同じだったので、てっきりこういうデザインのものだと思っていたのだが・・・。1978年のレコーディングは、バークレーでおこなわれたとクレジットされているので、中古CD屋に彼のサインアルバムがあっても不思議ではないのかもしれない。とはいえ、買ったのは録音されてから20年以上経ってからではあったが。

 天才フィドルプレイヤーとして登場して、最初のアルバムを録音したのが、12歳のとき。1961年生まれの彼が、本作を録音したときは、まだ16歳。その、恐ろしいまでの才能には、ただただ脱帽である。いい演奏に年齢は関係ない。

April 21, 2006

●Keith Jarrett: My Song

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Keith Jarrett (p)
Jan Garbarek (ts, ss)
Palle Danielsson (b)
Jon Christensen (ds)

 新しい音楽を聴き始めるきっかけは、些細なことが多い。FM東京(現在のTokyo FM)の夜11時代の番組で、某ウイスキーメーカーがスポンサーだった番組があった。その番組の中で流れるCMで、「・・・・暖炉の前に腰掛ける・・・・キース・ジャレットのカントリーを聞きながら(BGMにこの曲が流れている)、グラスに○○ウイスキーを注ぐ。(ガラスがカランという効果音)・・・」というナレーションがあった。思い描くイメージにピタリとこの曲がはまり、おしゃれな大人の時間をうらやましくも思ったものだ。そのCMが、このアルバムへと導いてくれたのだった。

 クラシックやジャスでは、名門レーベルというものが存在し、そのレーベルごとに、音作りを含めた強い個性がある。ジャズのレーベルで一番好きだったのが、このアルバムをリリースしているECMというドイツのレーベルだ。1969年創立のECMは老舗と呼ぶにはまだ歴史が浅いが、マンフレート・アイヒャーというカリスマ性のある創立者が、プロデューサーとして君臨し、アーティストと喧々諤々の論争をしながら、作品製作をしていく様子は、数々の伝説を生んだほどだ。水彩画のような透明感のある知的なECMサウンドは、ヨーロッパ・ジャズの一つのシンボル的存在として、アメリカのジャズと対比することができよう。マンフレートはギターものに対する思い入れも強く、ラルフ・タウナー、ジョン・アバークロンビー、(初期の)パット・メセニーを初めとして、数々の名作を世に出してきた。

 このアルバムを録音する1年ほど前に、キースは5年間活動を続けたレギュラー・クァルテットを解散し、かつて、同じECMで『ビロンギング』を録音したメンバーを再び集め、レコーディングに入った。インプロビゼーションによって繰り広げられる独特のソロ・ピアノの世界をすでに確立してしまったキースにとって、新しいメンバーで、別の方向へと向う演奏をすることは必然だったのかもしれない。キース以外はいずれも北欧出身の実力派メンバー。特に、サックスのヤン・ガルバレクはECMレーベルでのセッションで、数々の名演を残している。ソロでは自由奔放に弾いているキースも、ヤンのサックスをうまくサポートしているのが印象に残る。ベースにあるのはリラックスしたムードだが、時折激しく音をぶつけ合い、きらりと光る緊張感あふれるプレイも随所に見え隠れする。

 暖炉の前で、ロッキングチェアに腰を下ろして、ウイスキーグラスを片手にこのアルバムを聴きたいという思いは、まだ、かなっていない。

April 20, 2006

●Donovan: Live in Japan

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Donovan (vo. g)

 ドノヴァンは、60年代中頃に注目を浴びるようになったスコットランド出身のシンガーソングライター。彼に少し先立ってデビューを脚光を浴びていたボブ・ディランと何かと比較される存在であった。「アメリカのディランに対する、イギリスの回答」と、なにやら国を代表する存在にまで祭り上げられていたこともあったようだが、スタイルはまったく違うように思う。直情的なディランに対し、ドノヴァンは叙情的で、楽曲は牧歌的な雰囲気の漂うものも多い。一時期、ミッキー・モストプロデュースのもと、サイケデリックな方向へと歩み、『サンシャイン・スーパーマン』等のヒットを飛ばしたことjもあった。ロック色が強くなった頃は、レッド・ツェッペリンのメンバーや、ジェフ・ベック・グループのメンバーとレコーディングをすることもあった。しかし、シンプルなアコースティック・スタイルこそがこの人の真骨頂だと思う。

 ドノヴァンが、何よりも強く印象に残っていたのは、不思議なギターを持っていたからだ。このアルバムのジャケットでわかるように、サウンドホールは三日月型、真っ黒なボディに星がちりばめられたデザイン。一度見たら忘れられないものだ。
クラシック・ギターの世界では、いわゆる手工品と呼ばれる個人製作家ものがハイエンドのギターとして、普通に存在しているが、不思議とスティール弦では、個人製作家のものは見当たらず、楽器として評価が高かったのは、一部のメーカーのものだった。その中で、唯一、個人製作家として評価されていたのが、ドノヴァンのこの楽器などを製作した、イギリスのトニー・ゼマティスである。彼は、エレキ、アコースティック・ギターの両方を製作し、60年代半ばからギター製作家としての評価が高まり、イギリスのミュージシャンを中心に、彼の楽器を愛用するプロのプレイヤーが増えていった。デザインも含め、非常にユニークなギターで、今でもワンオフものとして市場での価値も高い。

 このweblogで紹介するものは、普段工房でかけている音源からというのが原則だが、このアルバムは、残念なことにCD化がされていない。それどころか、LPでリリースされたのも日本国内だけという、貴重なもののようだ。1972年の東京と大阪での公演から選曲されているが、ギター一本でヴォーカルとハーモニカのみ。とてもシンプルなサウンドである。曲によっては、ケルト音楽の影響が強く出ているものもある。時として、ディランのようにメッセージ性の強い歌詞もあるが、決して怒鳴るように訴えるのではなく、あくまでもきれいなメロディに載せて、切々と歌いかけてくる。ギターの演奏面でも、オープン・ハイ・コードと呼ばれる、開放弦とハイポジションを混ぜた音使いなどが時折あり、透明感のある歌声に実によくマッチしている。

 70年代の後半頃から、だんだんと表に出ての活動が少なくなり、ほとんど活動休止状態になっていたが、1996年には久しぶりのアコースティック・スタイルの新作『Sutras』を発表。その後も、リリースの間隔は長いものの、コンスタントの活動をしているようである。
 今年に入ってから、Try for the Sun: The Journey of Donovanという集大成的なCD3枚+DVDというボックスセットが発売されたり、5月には昔のライブ盤がリリース予定など、嬉しい動きもある。英国BBC放送では、今年の2月から3月にかけて、FOLK BRITANNIA SEASONというシリーズ番組で、1972年のライブ映像を放映している。貴重な映像の数々をアーカイブに持っているBBCならではだが、日本でもぜひ放送してもらいたいものだ。

April 19, 2006

●井上 陽水: II センチメンタル

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井上 陽水 (vo, g)
星 勝 (arr, g,)
安田 裕美 (g)
矢島 賢 (g)
竹部 秀明 (b)
高中 正義 (b)
稲葉 国光 (b)
田中 清司 (ds)
深町 純 (arr, p, key)
本田 竹廣 (p)
飯吉 馨 (p)

 ギターの入った音楽に没頭するようになったのは、井上陽水のアルバムを聞いてからだった。それ以前に、ギターに関心を持ったことはあったっけと、思い起こしてみると、小学校中学年の頃にさかのぼる。母親がある日、突然(のように私には思えた)ギターを買ってきたのである。たしかFujiというブランドのクラシックギターだった。
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 それと、多少前後したかもしれないが、一枚のレコードが我が家にやってきた。森進一の『影を慕いて』。古賀メロディーを若き森進一が歌い上げているものである。つまり、演歌のギターが、一番最初に原体験として刷り込まれたのだった。それでは、家にあったギターで演歌ギターの練習を始めたかというと、そうではなかった。とりあえず、手元にあったクラシックの教則本を見ながらポロポロと練習曲等を弾き始めただけだった。

 陽水の曲を初めて聴いたのもラジオからだった。『傘がない』というタイトルの曲は、まだ、学生運動や政治活動が盛んな時代に、彼女のところに行くのに傘がなくて困っているという内容の歌詞だった。当時は、社会問題について、関心がないこと自体が罪だと糾弾するような時代。その中にあって、社会で起こっていることよりも自分が傘を持っていないということを淡々と歌っていることが、あまりに衝撃的だった。
 一か月分のお小遣いを握り締め、レコード屋でシングル盤を買って、何度も何度も聞き返した。知り合いが、陽水のLPを持っているというので、借りてきてカセットに録音し、テープが伸びてしまうまで聴き続けた。当時、フォークのスターといえばまずあがったのがよしだたくろう。しかし、シンプルなコード進行に、直情的な歌詞をのせて、時には攻撃的に歌うたくろうは、がさつな感じがしてどうしても好きになれなかった。それに対し、陽水は、繊細で弱々しくはあったが、ディミニッシュコードなども用いたおしゃれなコード展開で、ギターのアレンジも秀逸、心の弱い部分を歌う独特の世界観に強い共感を覚えた。楽譜集を買ってきて、載っている曲を片っ端から練習したことは言うまでもない。

 このアルバムは、陽水名義でリリースした2作目。歌を邪魔せず、かといってきちんと存在感のあるギターのアレンジが実にすばらしい。陽水の歌声は、現在に比べるとはるかに繊細で、その歌詞から伝わってくる、今にも壊れてしまいそうな世界とぴったり合っている。陽水はある時期以降、カミングアウトをして、自ら屈折した部分を堂々と出すようになったが、この当時は、屈折したところを、自分でも疑問を感じながら、気持ちに正直に表現せずにはいられないという雰囲気が伝わってくる。歌詞は時として不条理なまでもの情景を述べる。『東へ西へ』での、”・・・電車は今日もすし詰め、(中略) 床に倒れた老婆が笑う・・・・”といった内容も、さらりと歌いながら、歌われているものはすさまじいばかりだ。当時は考えも及ばなかったが、今、改めてこの歌詞を読むと、まるでつげ義春のマンガにでも出てきそうな不条理の世界がイメージされるのは私だけだろうか。

 この頃のアルバムは、参加ミュージシャンのクレジットを見るのも楽しみのひとつ。星勝は元モップス(鈴木ヒロミツがボーカルをしていたグループ)で、陽水の初期からアレンジ全般を手がけている。その関係は現在でも続いているから、30年以上の長い関係というわけだ。リリースされたのが1972年だということを考えると、高中正義は成毛滋(当時は、グレコのギターを買うと、成毛滋のロックギター教則カセットか、竹田和夫のブルースギター教則カセットがついていたのが懐かしい)率いるフライド・エッグにベーシストとして参加していた時代なので、ギターではなくベースで参加しているのもおかしくない。深町純はその後、オールスターズというグループを率いて『オン・ザ・ムーブ』という名曲をヒットさせるし、本田竹廣(残念なことに、つい最近亡くなられた)は、フュージョンブームの中で、日本の旗頭となるべくネイティブ・サンを結成して一世を風靡する。
 これだけの実力派が脇を固めているので、やたら音を重ねているのではないのに、必要な音が必要な空間を満たしている。シンプルなスタイルの音楽が、ストレートに心に響く。

April 18, 2006

●Yardbirds: Little Games

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Jimmy Page (g)
Keith Relf (vo)
Chris Dreja (b)
Jim McCarty (ds)

 すでに死語となった感があるが、ロック三大ギタリストとは、エリック・クラプトン、ジェフ・ベック、ジミー・ペイジのことを指す。ジェフ・ベック命だった私は、エリックもジミーもまったく眼中にはなかったのだが、この3人が在籍したことのある伝説のグループ、ヤードバーズはどうしてもチェックしておかなければいけないバンドだった。初代ギタリストのエリックが脱退した後、ジェフが参加するのだが、そのうちベーシストがバンドを離れたため、ジミーがベーシストとして参加することになる。三人のうち、同時期にバンド在籍していたのは、このときのジェフとジミーだけだ。
 当時のヤードバーズの様子は、ミケランジェロ・アントニオーニ監督のカンヌ映画祭グランプリ受賞作品『欲望』で、見ることができる。「動くヤードバーズが見られる」と知ると、ちょうどタイミングよくテレビの深夜映画で放送されたのであった。眠い目をこすりながらテレビの前に座って映画を見たのだが、中学生にはこの映画自体はさして面白いものには映らなかった。ただ、お目当てのヤードバーズのことだけはさすがに覚えている。確か、地下室でバンドが"Stroll On"という曲を演奏しているシーンなのだが、ジェフは途中でギターを叩き壊す。今でこそ、ギター製作という仕事をしているので、どんなにいい音楽をやっていてもギターを壊す人は評価しないが、当時はこの道を選ぶことなど夢にも思っていなかったので、ただただ「おぉ、すごい!!」と思ったものだった。

 その後、ツアーの途中で体調を崩したジェフが辞め、ジミーがギターを担当してバンドの主導権を握っていく。本作は、ジミー中心のヤードバーズが唯一残したスタジオ盤である。メンバー間の関係がギクシャクしていたり、プロデューサーのミッキー・モストがどんどんポップ志向になっていくのに対する反発が強まっていたなど、バンドの状態は決してよくなく、アルバム全体としてのコンセプトの統一感に欠けるのは事実だが、きらりと光って印象に残る楽曲も多い。ジェフの時代は、ストレートなブリティッシュ・ロックというイメージが強かったが、ここでは、ブリティッシュ・トラッド・フォークやインド音楽の影響が随所に見られる。演奏面でも、ヴァイオリンの弓を使ってエレキ・ギターを弾く奏法なども取り入れられている。これらは、まさしくレッド・ツェッペリンのファーストアルバムへと繋がっていくものだ。このアルバムを初めて聴いたのは、音楽評論家渋谷陽一氏の番組。当時は、LPの全曲をかけることも珍しくなかったのだ。さまざまなスタイルが融合し始めた(必ずしも、すべてがしっくりといっていたわけではなかったが)ヤードバーズの音楽は、それまで知っていたものとはまったく別のものだった。それまでは、「ジミー・ペイジ? やっぱりジェフでしょう。」と思っていたのが、「やるじゃない、ジミー」と認識を新たにしたのだった。

 CD化に当たっては、オリジナルのアルバムとは別に、シングルのみでリリースされていた曲も追加収録されている。ただ、こちらはポップ志向がいっそう強いため、曲の流れからも浮いた感じがしてしまうのは否めない。
 ジミーを再認識しながらも、レッド・ツェッペリンはほとんど聴かなかった。ジェフに対する義理立ての気持ちが強かったからなのかは定かではないが・・・。

April 17, 2006

●Larry Coryell: Tributaries

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Larry Coryell (g)
Joe Beck (g)
John Scofield (g)

 ジェフ・ベックの次に、思い切りはまったギタリストがラリー・コリエルである。ジャズ・ギターというとウエス・モンゴメリに代表されるようにアーチトップ・ギターを抱え、クリーンなトーンというのが一般的なイメージだった。そこにロックのイディオムを持ち込んだのがラリー・コリエルとジョン・マクラフリンだ。まだ、日本ではフュージョンとかクロスオーバーという言葉が耳馴染みない頃、FMラジオから聞こえてきた、ラリーの演奏は、ひずんだ音のギターが縦横無尽に駆け回るような、新鮮な響きだった。

 ディメオラが初来日した翌年、ライブ・アンダー・ザ・スカイでは、なんと「ラリー・コリエル&ジョン・マクラフリンナイト」というプログラムが用意された。前の年は、チケット発売日の昼休み、学校にある公衆電話(当時はもちろん携帯電話などなかった)から必死に駆け続けてようやくチケットを取ったが、席はスタンドの真ん中辺り。ステージは遥かかなただった。今年は絶対にいい席で見るぞ、と思い、母親を拝み倒して、チケット発売開始の10時に繋がるまで電話をかけ続けてもらった。その甲斐もあって、席はアリーナの前から2列目の中央。もう、この席のことを考えただけでも興奮してしまうほどだ。

 ライブが近づいても、この晩のプログラムには「出演者:ラリー・コリエル(g)、ジョン・マクラフリン(g)、クリスチャン・エスクーデ(g)」とあるだけ。会場はテニスコートスタジアム。「広いステージにギター3人だけ??!」、おまけに最後のクリスチャン・エスクーデは名前も聞いたことがない。不安と期待が入り混じりながら、夕方の田園調布駅から会場の田園コロシアムへの道のりを急いだ。
 最初は、ラリー・コリエルのソロ。ステージ中央に三つ並んだ椅子、オヴェイションのアダマス(ギターのモデル名)を持ったラリーが登場すると、その一つの座り、おもむろにギター一本での演奏が始まる。チック・コリアの『スペイン』やジョン・コルトレーンの『ジャイアント・ステップス』など、とてもソロではできないと思うような曲が次から次へと飛び出す。おまけに、目の前で演奏しているにもかかわらず、とても一本のギターから出ているとは信じられないような音数。ただただ、あっけにとられるだけだった。後で聞いた話しによると、渡辺香津美氏もこのライブを見に来ていて、あまりのすごさに一週間寝込んでしまうほどだったという。
 ライブは、その後、ジョンとクリスチャンのデュオ、3人でのアンサンブルと盛りだくさんの内容で、アコースティック・ギターのすばらしさを満喫して帰り道についた。

 さて、前置きが長くなったが、本作は、1979年の作品。ラリーは70年代中頃からスティーブ・カーンやフィリップ・キャサリーンなどと、アコースティック・ギターによるデュオアルバムを製作しているが、これもその路線の延長線上にある。アコースティック・ギター3本の演奏というと、ディメオラ、マクラフリンとフラメンコ・ギタリストのパコ・デ・ルシアによるスーパーギタートリオが有名(実は、一時期ディメオラではなくにラリーが入って三人で演奏していたこともある)だが、こちらは、ジャズ・フュージョン界で活躍していたジョー・ベックと、今やコンテンポラリースタイルのジャズ・ギターでは第一人者といってよいジョン・スコフィールドによる演奏。スーパーギタートリオがインプロビゼイション(アドリブ)中心に展開しているのに比べ、こちらは、きちんとアレンジをした印象が強く、アンサンブルもすばらしい。音の重ね方が、即興演奏では出てこないような緻密な構成になっているのだ。全体的に、ジャズ・ブルースともいえるスタイルで、思わずうなるほどのかっこよさ。ちなみに、ジョンはほとんどアコースティックでの演奏をおこなっておらず、このレコーディングでも、ギターがなかったためにラリーのものを借りたという。

 CDでは、もともとのTributariesに含まれていた7曲に、1978年のスイス・モントルー・ジャズ・フェスティバルでのライブ収録とスタジオ録音を交えた"European Impressions"(邦題『ヨーロッパの印象』)のB面の4曲を加えた11曲入り。Tributariesではオヴェイションのアダマスを、後半の録音では、オヴェイションのカスタム・レジェンドを弾いており、音がかなり違うのも興味深い。ちなみに”European Impressions"のA面に入っている曲は、ラリーとスティーブ・カーンの共演盤”Two For the Road"に収録されている。こちらも名盤なので、いずれ紹介したい。

 アダマスのネックが3本並んだジャケット写真は本当にかっこよかった。「いつかはアダマス」と、高校生の頃から思っていたものだった。それから10年ほどして、いい縁があって本物を持つことができたときの嬉しさといったらなかった。

April 16, 2006

●Juanjo Dominguez: Plays Astor Piazzolla

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Juanjo Dominguez (g)

 ギターを製作するようになって、以前よりもナイロン弦を用いた、クラシック・ギターやフラメンコの演奏を聴くようになった。同じような外見でも、自分で作るスティール弦のギターとは内部の構造も違い、音作りのアプローチも異なる。ナイロン弦のギターは、弦の特性上、ふくよかな低音は出しやすいが、ピンと通る高音を出すのが難しい。一方、スティール弦では、キンとした音が出しやすい一方、ふくよかな低音を出すのが大変で、ここが製作家の腕の見せ所となる。いずれにしても、「いい楽器」というのは低音から高音までバランス(音量だけではなく)が取れているものなのである。まったく別方向からのアプローチを持つ同じ「ギター」というものを見つめることで、それまでの自分の考え方から一歩離れてモノを理解するきっかけとなるものだ。

 ここのところ、一番のヘビーローテーションでかけているのが本作。ナイロン弦のギターで、「ピンッ」と音が立っている好例である。ファンホ・ドミンゲスはアルゼンチンのギタリストで、クラシックに分類するのがいいのかもしれないが、ピアソラ曲集ということもあり、今回はワールド・ミュージックにカテゴライズした。

 ピアソラの曲はクラシックやジャズのプレイヤーがよく取り上げ、名演も多い。その中においても、ファンホのこの作品の仕上がりは特筆すべきものだ。同じアルゼンチン人として、ピアソラが何を考え、感じて曲を書いたのかということを意識し、ギター曲にアレンジしたという。タンゴ五重奏団でバンドネオンやヴァイオリンが繰り広げていたスリリングな演奏パートまでも、ギターの音だけで表現し、単調さなどまったく感じさせず、恐ろしいばかりの緊張感を最初から最後まで持ち続けている。音の立ち上がりとスピード感が全面に出た演奏は、まさしくナイロン弦の持ち味を最大限活かしたもので、これほどピタリとはまる感覚も珍しい。曲によってはギターを2本、3本と多重録音しているが、自分の演奏を重ねたからこそ、ここまでピタリと合ったものになっているのであろう。

 音数も多いので、音楽が「饒舌すぎるのでは」と心配してしまいそうだが、それも杞憂に過ぎないとすぐに気付く。すばらしい演奏テクニックに余りある歌心が、その音にはある。アルゼンチン人にとってタンゴ音楽、そしてピアソラの音楽がどのようなものなのかを、ファンホのギターがわれわれに投げかけている。

April 15, 2006

●Crosby, Stills, Nash & Young: 4 Way Street

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David Crosby (vo. g)
Graham Nash (vo. g)
Stephen Stills (vo, g)
Neil Young (vo. g)
Johnny Barbata (ds)
Calvin Samuels (b)

 中学1-2年の頃、東京の浜松町にある世界貿易センタービルまでヤマハのギター教室に通っていたことがあった。グループレッスンだったが、たいていの人は長続きせず、気がつくと私一人という感じで、その分、たくさんのことを教えてもらえてよかった。それまでは、日本のフォークを中心に聴いていた私に、海外のすばらしい音楽を押して得てくれたのが、このときの講師の人だった。確か、小泉さんというひとで、教室で教えている以外にもヤマハ関連のイベントでサポートギタリストとして活躍していたと記憶している。その小泉先生が「このギターはかっこいいぞ!」と教えてくれたのが、クロスビー・スティルス・ナッシュ・アンド・ヤング(CSN&Y)だった。中でもお勧めは『組曲:青い眼のジュディ』という曲だということだったので、お小遣いをためてレコード屋に足を運び、探してみるとこの曲が入っているアルバムが2枚。片方はLP1枚で2,500円。本作は2枚組みで4,000円。「当然こちらの方がコストパフォーマンスが高い」と思って購入したまではよかった。
 さて、冒頭が先生お勧めの曲だったので、気合を入れて聞いてみると、コーラス部分がフェードインで始まると、すぐにワァーっという歓声とともに終わってしまった。「えっ」と動揺しながらジャケットをよくよく見ると、「組曲:青い眼のジュディ(0:33)」とある。もともとスティルスが普通の長さの1曲に治めることができなかったので「組曲」という構成にした長い曲である(ちなみに「ジュディ」とは当時同棲をしていたジュディ・コリンズのことだといわれている)。その曲の終わりのほんの一部をライブアルバムの雰囲気作りで使っていただけだったのだ。肝心のかっこいいギターの部分は聴けずじまいで、アルバムの選択ミスを後悔をしつつも聴き進んでいくことにした。お目当ての曲はともかく、他の曲はどれもギターはかっこよく、ハモリも今まで聞いたことがない新鮮なもので、気がつくと、グイグイとCSN&Yの世界に引き込まれていった。

 元バーズのクロスビー、ホリーズを脱退してイギリスから参加したナッシュ、そして元バッファロースプリングフィールドのスティルスとヤングが組み合わさったユニットは、斬新なギタープレイと複雑なコーラスが特徴。
 普通にギターをチューニングすると、左手でどこも押さえずに(「開放で」と表現する)すべての弦を鳴らしても、調整の取れた和音にはなっていない。チューニングを変えて、開放である和音がなるようにするのがオープン・チューニングである。スティルスはこのオープン・チューニングの名手で、自分だけの独特のパターンをよく使っていた。このため、今まで聴いたことのないようなギターの音となっていたのである。中学1年のときに買った安いヤマキのギターでも、オープン・チューニングにすると気分はもうスティルス。その音に飽きるまで弾き続けていたことはいうまでもない。
 ハモリも、一般的なのは3度のハーモニーだが、4度を多用して、長調なのか短調なのかを表に出さず、浮遊感のある和音構成がこれまたユニーク。ハーモニーの和音だけで、「あっ、CSN&Yだ」とわかるほどだ。

 個性の強いメンバーが集まれば当然衝突も多かったようで、DVDになっている映像には、マリファナでボーとしながらハンモックに揺られているクロスビーに向って、「いいかげんにしろよっ!」と切れるスティルスの姿を見ることもできる。スティルスはスティルスでヤングとは仲が悪く、ツアーの途中で喧嘩が絶えず、後半のツアーキャンセルということも結構あったようだ。その割りには、機会があるたびにともに演奏をし続け、CSN&Y以降でも、スティルス・ヤング・バンドとしての活動などもおこなった。ライブ映像でも、4人で一つのユニットというよりは、曲によって一人でやったり、二人、三人と編成を変えて演奏している。

 本CDはLP同様2枚組みで、一枚目がアコースティック、二枚目がエレクトリックという構成。しかし、アコースティック盤には、新たに4曲追加されているのが嬉しい。ライブでは必ずアンコールの最後にやっていたという"Find The Cost of Freedom"は当然一番最後(二枚目のオーラス)に収録されている。ギター2本がかっこよく絡むインストパートから始まり、ユニゾンでのワンコーラス目の途中からギターの音が消えて、完全なアカペラとなる。ツーコーラス目は3声のハモリ。突然、音空間が上下に広がる快感。パッとコーラスが終わり、(おそらく)ナッシュが”Good Night"といってコンサートは終わりを迎える。

 自分にとってのウエストコースト・サウンドの原点はこの辺りにあるのだろう。

April 14, 2006

●Return To Forever: Romantic Warrior

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Chick Corea (p, key, per)
Stanley Clarke (b, per)
Lenny White (ds, per)
Al Di Meola (g, per)

 中学、高校と音楽にどっぷり浸かっていたが、当時の情報源は雑誌とFMラジオ。雑誌はミーハー指向のものを除けばほとんど目を通し、"超絶テクニックのギター"などという文字があろうものならば、「何としてでも聴かなければ」と思ったものである。そんな状況だったので、「バカテクのギタリスト」として脚光を浴びつつあったディメオラがアンテナに引っかかったのも当然の成り行きだった。ディメオラのソロアルバムもいいものがいくつかあるが、ソロ活動前の演奏を追っかけていってたどり着いたのが、チック・コリア率いるリターン・トゥ・フォーエヴァー(RTF)である。

 本作は、後期RTFの最高傑作といってもいい。ネヴィル・ポッターの詩にインスパイアされ、アルバムをトータル構成したもので、確かにストーリー性が感じられる曲展開である。4人が4人ともテクニック抜群で、遊び心にもあふれた演奏は、理屈抜きで楽しめるだろう。レニー・ホワイトのドラムスとディメオラのギターがかなりロック色を濃くしている一方、スタンリー・クラークは時折アコースティック・ベースのアルコ(クラシックのように弓を使っうこと)奏法を交え、”中世の騎士”というイメージに繋げているのも面白い。チック、ディメオラ、スタンリーがいずれもアコースティック楽器を演奏していながら、曲としてはエレクトリックのイメージを感じさせるのは、RTFというトータルユニットの持つマジックかもしれない。

 ディメオラは1979年のライブ・アンダー・ザ・スカイでチック・コリアのバンドメンバーとして初来日をするのだが、必死の思いでチケットを手に入れ、会場の田園コロシアムに出かけた。RTFの再構成に近い、このときの来日メンバーはチック・コリア(key)、アル・ディメオラ(g)、バーニー・ブルネル(b)、トニー・ウィリアムス(ds)という豪華な顔ぶれ。ディメオラ目当ての観客が多かったせいもあってか、彼のアコースティック・ギターソロのコーナーでは、ワンフレーズひいてはワァーという歓声が上がり、演奏としては期待していたほどではなかったのが残念だった。メンバーで一番光っていたのはバーニー・ブルネル。フレットレス・ペースでハーモニックスを多用する奏法には度肝を抜かれた。当時、フレットレス・ベースといえばジャコ・パストリアスというイメージが強かったが、まったく違うスタイルで、「すごい!!」と思わせるユニークさがバーニーにはあった。自分が知らないプレイヤーでも、すごい人がごろごろしているんだなぁと思いながら家に帰ったのをよく覚えている。

 後期RTFのコンセプトは、その後、チック・コリア・エレクトリック・バンドへと繋がっていくものだが、よりロック色の濃いRTFの演奏は、今聞いてもまったく色あせていないのがすばらしい。

April 13, 2006

●Astor Piazzolla: The Rough Dancer and The Cyclical Night

AstorPiazzolla1.jpg

Astor Piazzolla (bandneon)
Fernando Suarez Paz (vln)
Pablo Zinger (p)
Paquito D'Rivera (as, cl)
Andy Gonzalez (b)
Rodolfo Alchourron (g)

  「20世紀を代表する音楽家は?」と聞かれると、真っ先に思い浮かぶのが作曲家・バンドネオン奏者のアストル・ピアソラだ。アルゼンチン・タンゴの異端者として本国ではなかなか評価されなかったピアソラだが、彼の楽曲はタンゴの枠にとどまらず、ポピュラー、クラシックなど幅広い分野のプレイヤーがカバーしていることから、そのすばらしさをうかがい知ることができる。  そもそもタンゴにおいて、音楽とは踊りのためのものであったのだが、ピアソラは従来のバンド編成(バンドネオン、ヴァイオリン、コントラバス、ピアノ)にエレキギターを加えた五重奏団で、踊りのための音楽という殻を破った、前衛的な演奏を繰り広げた。そのため、保守的な層からは、徹底的に批判を受けるが、彼が作り上げた独創的なモダン・タンゴの世界は唯一無二ともいえる。皮肉なことに、その独創性ゆえ、「ピアソラの先にアルゼンチン・タンゴの将来はない」と評されることもあるが、「アルゼンチン・タンゴ」という枠から見れば、あながち誤った指摘ともいえないだろう。

 本作は、『Tango: Zero Hour』、『La Camorra』と並ぶ、いわゆるピアソラ3部作の一つ。他の2作品の強烈な緊張感あふれる仕上がりと比較すると、比較的聞きやすい作品。バンドネオンを中心に強靭なリズムが刻まれ、躍動するヴァイオリンのメロディ展開がとても印象的だ。早いパッセージの後に、メランコリックなフレーズが続いたりするのも、「泣きの音楽」を好む日本人にはピッタリとも言える。

 ピアソラのすばらしさは、その音楽の展開から、色彩や、人間の心理描写をイメージさせる点にあると思う。一つ一つの独立した楽曲から伝わってくるというよりは、アルバム全体の流れがストーリー展開となって自分の中に入ってくる感覚は、他ではあまり経験したことがない。残念ながら、生の演奏を聴く機会はなかったが、映像を手に入れてじっくりと演奏を見てみたいアーティストの一人だ。

April 12, 2006

●Jeff Beck: Blow by Blow

JeffBeck1.jpg

Jeff Beck (g)
Max Middleton (key)
Phil Chenn (b)
Richard Balley (ds, per)

 僕にとっての最初のギターアイドルは間違いなくジェフ・ベックである。運命的な出会いとなったのが1975年発売のこのアルバム。当時は中学一年か二年だったはず。この頃は、アルバムのタイトルに邦題をつけることが多く、発売当初のアルバム名は『ギター殺人者の凱旋』というもの。「なんじゃ、こりゃ?」という感じだが、この邦題をつけたレコード会社の人がのちに語ったことによると、どんなタイトルにしようかと悩んでいるとき、たまたま目にしたジェフ・ベックのコンサート評で、彼の鬼気迫る演奏を「・・・まるでギター殺人者のようであった・・・」とあったのが頭に残り、このようなタイトルにしたとのこと。レコード盤を手にしながら、「ギター殺人者ってなんだろう??」と悩みつつも、人を殺すほど研ぎ澄まされた何かがあるように感じたものだった。

 今であれば、このアルバムはストレートなロックというよりはフュージョン系の音楽に入るかもしれないが、全曲インストという構成。冒頭のファンキーなカッティングに始まり、さまざまなエフェクターを駆使したギターの音作りには度肝を抜かれた。
 2曲目ではトーキングモジュレーターというエフェクターを使っている。これは、小さな箱に入れたスピーカーからギターの音を出し、その箱から出ているホースを口にくわえ、唄うように口の形を変えると、ギターの音と声が混ざったかのような効果が得られる(口がフィルターの効果を果たす)ものだ。お小遣いの少ない中学生には、何とかギターを手に入れることはできたとしても、エフェクターまで手が回るはずはなかった。それでも何とか音をまねてみたく、お菓子の缶に小さなスピーカーを入れ、ふたに開けた穴から太目の水道ホースをだすようにして、何とか格好だけは形にした。期待にわくわくしながらホースを口にくわえ、アンプのスイッチをオン。その気になってフレーズをひいてみたものの、かすかにギターの音が口の中で響くだけで、レコードの音とは大違い。結局、失意のまま、改造されたお菓子の缶は押入れの奥に追いやられることになった。
 うわさによると、このトーギングモジュレーターを多用すると、大音量が口の中で響くため、脳細胞が破壊されてバカになるという話がまことしやかに流れていたこともよく覚えている。もし、あの時自作したものがうまくいっていたら、若いうちに貴重な脳細胞を失っていたのかもしれないと思うと、失敗もよかったのかもしれない。

 このアルバムが出てしばらくすると、フュージョンブーム(当時はクロスオーバーと呼んでいた)がやってくるわけだが、ほとんどのフュージョンものがジャズプレイヤーがロックよりの演奏をしていたのに対し、ジェフはこのアルバムと、次作の『Wired』では、数少ないロックからジャズへと歩み寄ったすばらしい演奏の数々を残した。『Wired』ではマハビシュヌ・オーケストラのキーボード奏者だったヤン・ハマーのシンセサイザーが前面に出ていて双頭バンド的な色合いが濃くなるのに比べ、本作はもちろんギターがフューチャーされているが、それにも増してユニット全体のまとまりがすばらしく、音楽としての完成度の面ではジェフの最高傑作といっても過言ではないだろう。"ジェフのアルバムをまず一枚"というのであれば、まちがいなくこのアルバムをお勧めする。

 今でも、このアルバムの1曲目が流れると、どっとアドレナリンが噴出すのがおかしい。

April 11, 2006

●weblog開設

 毎日、工房でギターを製作しながら音楽を流しています。聴くものはどうしてもギターものに偏りがちですが、昔のものから比較的新しいものまで、そしてジャンルもポピュラー~ジャズ~クラシックと広い範囲にわたっています。
 せっかくいい音楽を毎日聴いているので、その中でも特にお勧めのものを少しずつ紹介していこうと思い、このweblogを立ち上げることにしました。気の向くまま書いていきますので、不定期更新かつ個人的な内容が多くなりがちですが、ご覧の方が「いい音楽」を探す上で、何かの手助けにでもなれば幸いです。



大屋 建
Ken Oya Acoustic Guitars