<?xml version="1.0" encoding="utf-8"?>
<rss version="2.0">
   <channel>
      <title>My Favorites -ギター製作家が紹介するお気に入りの音楽</title>
      <link>http://www.oyaguitars.com/weblog/</link>
      <description>工房でギターを製作しながら、朝から晩まで音楽を流す毎日…　　　　
</description>
      <language>en</language>
      <copyright>Copyright 2010</copyright>
      <lastBuildDate>Thu, 20 Nov 2008 23:47:57 +0900</lastBuildDate>
      <generator>http://www.sixapart.com/movabletype/?v=3.2-ja-2</generator>
      <docs>http://blogs.law.harvard.edu/tech/rss</docs> 

            <item>
         <title>Edward Gerhard: Counting the Ways</title>
         <description><![CDATA[<div>
<a href="http://www.amazon.co.jp/gp/product/B0000004CX?ie=UTF8&amp;tag=myfavorits04-22&amp;linkCode=as2&amp;camp=247&amp;creative=1211&amp;creativeASIN=B0000004CX" title="amazon.co.jpでこのアルバムをチェック" target="blank">
<img alt="EdGerhard_Counting.jpg" src="http://www.oyaguitars.com/weblog/images/EdGerhard_Counting.jpg" width="190" height="190" style="img"/></a>
<div>
<br />
Edward Gerhard (g, lap steel, b, per)<br />
Martin Simpson (g)<br />
Bob Brozman (lap steel)<br />
Arlo Guthrie (g)<br />
Ray Brunelle (ds)<br />
</div>
<br class="clear" />
</div>

<a href="http://www.oyaguitars.com/weblog/archives/2008/11/ed_gerhard_night_birds.html" target="blank">『Night Birds』</a>で触れたが、エドに初めて会ったのが1998年春の初来日のときだった。アーヴィンが自分のギターの音のプレゼンテーションにエドのアルバムを持っていたくらいだったので、てっきりSomogyiギターを使っていると思い、とても楽しみに南青山MANDALA似足を運んだ。中川イサトさんが中心となって、エド･ガーハード、プレストン・リードを招き、小松原俊さんと4人のジョイントという実に豪華なライブだった。

それぞれが個性的で味のある演奏を繰り広げ、心待ちにしていたエドのステージが始まった。彼が手にしていたのはアーヴィンの楽器ではない!!　「えぇっ」と驚きながら見るとBreedloveのあまり見たことのないモデルだ。
MCでこの楽器が来日直前に完成して渡され、今回が初のステージお目見えとのこと。演奏自体はとてもすばらしいもので楽器の違いなどあまり気にならなくなり、気がつけばすっかり音楽を楽しんでいる自分がいた。
ライブのあとエドに話をし、近々バークリーにギター製作を勉強しに行くというと、「Ervinのところかい?　彼は本当にいい製作家だよ。いい友達だし｣と笑って答えてくれた。

このアルバムがリリースされたのが1996年。実はこのときすでにエンドースメントを受けてBreedloveを使っていたのだった。BreedloveはもともとTaylor社にいたLarry BreedloveがクラフトマンのSteve Hendersonと1990年に立ち上げた比較的新しいギターメーカー。外見的には特徴的なブリッジのデザインが印象的だが、立ち上げ直後に合流したDon Kendallが開発した<a href="http://www.jldguitar.net/" target="blank">JLDブリッジ･システム</a>を採用していたのが実に斬新的だった。

アメリカに渡ってアーヴィンの元でギター製作を手伝いながら勉強をする日々を送っていた頃、エドと再会する機会があった。98年の夏、ベイエリアの北部にあるSan Rafaelという街で開催された<a href="http://www.frets.com/FretsPages/FieldTrips/AGFest98/agfest981.html" target="blank">Acoustic Guitar Festival</a>の会場でのことだった。「僕のことを覚えている?｣と聞くと、エドは笑って｢もちろん!｣と答えた。ライブで使うメインギターを変えた後も、エドとアーヴィンの親交は変わることなく続いていたのである。向こうのギター展示会では、自分のギターのプレゼンテーションの時間が設けられていることが多く、主催者側が手配したギタリストか、それぞれが各自で依頼したギタリストに別会場(このときは大学が会場になっていたので展示会場とは別の教室だった)で30分ほど演奏をお客さんに聴いてもらうことが出来る。

アーヴィンはマーティン・シンプソンに演奏を依頼していたのだが、当日、マーティンの友人がアクシデントに巻き込まれて、時間まで到着できないというハプニングが発生してしまった。急遽、旧友のエドに演奏を依頼したところ快諾してくれて無事にプレゼンテーションを終えることが出来た。期せずして、エドがアーヴィンの楽器を演奏(それもピックアップを搭載していない楽器だったのでマイク収音というおまけつきだった)を聴くことが出来たが、ギターも演奏自体もすばらしく、聞きながら思わず鳥肌が立つほどだった。

さて、少しこのアルバムについて触れてみよう。副題にLove Songsとあるように、バラードものを中心にイギリスの古い伝統歌、ビートルズやミシシッピ・ジョン・ハートの楽曲、アフリカ、メキシコ、フィジーのラブソングをギター曲にアレンジしている。比較的ゆったりした曲ばかりなのだが、メロディラインの多彩さもあいまって単調な感じはまったくなく一気に聴いてしまう。ライブでの定番曲も多いのでエドの代表アルバムといってもよいが、その中でも白眉の出来はやはり「The Water is Wide」だろう。

この曲のルーツははっきりしたことはわかっていないが、17世紀ごろにイングランドもしくはスコットランドで歌われていたメロディに19世紀ごろにバラッドといわれる口承の物語を歌詞にして載せたものだといわれている。このスタイルは多少形が違っていはいるもののアメリカでも見られ、この曲をもともとアメリカの曲だと思っている人も少なくないという。
アイリッシュ、ブリティッシュのシンガーのみならず、その美しいメロディからインストとしても良く取り上げられ、特にギターソロにアレンジされているものも多い。その中でもエドのアレンジは、いつものように決して奇をてらうことなく、それでいてユニークで聴くものを引き込む力のあるものだといえる。この一曲を聴くためだけにこのアルバムを手に入れる価値は十分ある。
このアルバムではメインにブリードラブのギターを使っているが、実は「The Water is Wide」、「My Creole Belle」および「Isa Lei」のメインギター(この曲はオーバーダブでエドが複数のパートでギターを弾いている)ではSomogyiを使っていると彼は<a href="http://www.virtuerecords.com/subpages/ggandt/ggt.html" target="blank">HP</a>でアナウンスしている。


1998年の初来日以来、毎年とまではいかないが幾度となく日本に来ているエド。パートナーのケリーともども大の親日家で、日本の聴衆の前での演奏を本当に楽しんでいる様子がいつも伝わってくる。
アメリカでは毎年12月に行っているクリスマス･コンサートのプログラムでの演奏を去年から日本でも行うようになった。ことしも11月25日に東京の白寿ホールでクリスマス･プログラムでの<a href="http://www.edgerhard.jp/" target="blank">コンサート</a>が開催される。オリジナル曲をたくさん聴けないのは少々残念ではあるが、思いのいっぱい詰まっているクリスマス曲をエドのつむぎだすすばらしいギターサウンドで堪能できるのはとても楽しみである。
]]></description>
         <link>http://www.oyaguitars.com/weblog/archives/2008/11/edward_gerhard_counting_the_wa.html</link>
         <guid>http://www.oyaguitars.com/weblog/archives/2008/11/edward_gerhard_counting_the_wa.html</guid>
         <category>New Age</category>
         <pubDate>Thu, 20 Nov 2008 23:47:57 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>Edward Gerhard: Night Birds</title>
         <description><![CDATA[<div>
<a href="http://www.amazon.co.jp/gp/product/B0000004CU?ie=UTF8&amp;tag=myfavorits04-22&amp;linkCode=as2&amp;camp=247&amp;creative=1211&amp;creativeASIN=B0000004CU" title="amazon.co.jpでこのアルバムをチェック" target="blank"><img alt="EdGerhard_Night.jpg" src="http://www.oyaguitars.com/weblog/images/EdGerhard_Night.jpg" width="190" height="190" style="img"/></a>
<div>
<br />
Edward Gerhard (g) <br />
</div>
<br class="clear" />
</div>

ギター製作の第一歩を踏み出すのに、もっとも大切だった出会いは1997年、東京池袋の楽器フェアの会場でのことだった。自らのギターのプロモーションも兼ねて、アメリカからErvin Somogyi氏が来日していたのである。当時、ギター製作の勉強をどうしたらいいかと模索していた私は、すばらしいギターを世に送り出し続けているアーヴィンにアドバイスを求めるべく話しかけたのだった。

このときの内容や、私がどうやってギター製作の道を歩み始めたのは置いておくとして、日本に来る際にアーヴィンが自分のギターの音を聴くサンプルとして持っていたアルバムが2つあった。ひとつはSteve Hancoffの<a href="http://www.stevehancoff.com/Parallel/Recordings/steel.htm" target="blank">『Steel String Guitar』</a>、そしてもう一枚が本作だった。

アーヴィンのギターの音はマイケル・ヘッジスやアレックス・デグラッシ、ウィリアム・アッカーマンなどのウィンダムヒル系のギタリストの音楽でなじみがあったが、彼のギターの愛用者としてエド・ガーハードの名前は当時は知らなかった。

フィラデルフィア生まれのエドが最初にギターを意識したのは10歳のとき。テレビでクラシック･ギター界の巨匠アンドレス・セゴビアの演奏を見たのがきっかけだった。それまではポップスばかりを聴いていた少年が、ギター一本で繰り広げられる音楽に魅了された瞬間だ。
14歳のとき、ようやく自分のクラシック･ギターを手に入れた彼は当然のようにクラシック･ギターを習うようになる。しかし、しばらくして伝説のブルースマン、ミシシッピ･ジョン･ハートや鬼才ジョン・フェイヒの音楽に触れ、急速のその関心はクラシックからスティール弦ギターの演奏へと移っていく。レコードを聴いてコピーをしたり、友人に習ったりしてギターの技術を磨きながら、コーヒーハウスなどでソロもしくは友人たちと一緒に演奏をするようになっていった。
その後、現在も居を構えているニューハンプシャーへと移り住み、様々な形で演奏を続けながら自らも曲作りをどんどんと進めていく。特に、ジョン・フェイヒから強く影響を受けたと自ら言っているが、変則チューニングによってギターの美しい響きをどう生かすかを良く考えていたという。

本作はそんなエドが1987年、31歳のときにまさしく満を持して発表した初のソロアルバム。ボストン・グローブ紙のレコード評欄で年間のベスト10アルバムに選ばれるという高い評価を得た。リリース直後には、Windham Hillレーベルから新たにリリースされるGuitar Samplerアルバムへ参加しないかという声がかかり、Handing Down(ソロ3作目となる『Luna』にも収録されている)という曲を演奏･収録した。Windham Hillのアルバムを介してエドの名前を知ったというリスナーも数多くいたことだろう。

エドの魅力はなんといってもギターの音の存在感。決してギミックな奏法を用いたり、複雑なことを積極的にやっているわけではない。一音一音に、自分の持っているものすべてを凝縮して音楽を紡ぎだす、そんな彼の姿勢がひしひしと伝わってくる。弦をはじいてギターが音を発した瞬間に音楽になる、彼の演奏を聴くたびにいつも思うことである。

一部の楽曲ではGuildの12弦ギターを重ねているが、メインで使っているのはErvin SomogyiのDreadnoughtモデル。現在は座って演奏するのに適するようにボディのラインを一般的なドレッドノートタイプから変更したModified-Dというモデルが主流であるが、80-90年代初頭くらいまではドレッドノートモデルもかなり製作していて、エドは直接アーヴィンと相談しながらギターの仕様を決めていったという。
90年代後半になるとエドはBreedloveのエンドースメントを受け、ライブなどではこのギターの出番がなくなってしまったが、「今でも一番好きで大切なギターのひとつだよ」といい、アルバムでもここぞというときには登場している。

1998年3月に初来日をしたエド。そのときは中川イサト、小松原俊、プレストン･リードそしてエドの4人によるツアーだった。この年の5月以降にアメリカにわたり、アーヴィンの元でギター製作の勉強をするつもりだった私は、もちろんこのライブに足を運び、エドといろいろ話をすることが出来た。このときのことも含めてエドとのエピソードなどについては、次に紹介するアルバムで触れることにしたい。]]></description>
         <link>http://www.oyaguitars.com/weblog/archives/2008/11/ed_gerhard_night_birds.html</link>
         <guid>http://www.oyaguitars.com/weblog/archives/2008/11/ed_gerhard_night_birds.html</guid>
         <category>New Age</category>
         <pubDate>Fri, 14 Nov 2008 01:15:42 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>Cannonball Adderley: Somethin&apos; Else</title>
         <description><![CDATA[<div>
<a href="http://www.amazon.co.jp/gp/product/B00000I41J?ie=UTF8&amp;tag=myfavorits04-22&amp;linkCode=as2&amp;camp=247&amp;creative=1211&amp;creativeASIN=B00000I41J" title="amazon.co.jpでこのアルバムをチェック" target="blank">
<img alt="CannonballAdderley_some.jpg" src="http://www.oyaguitars.com/weblog/archives/images/CannonballAdderley_some.jpg" width="190" height="185"style="img" /></a>
<div>
<br />
Cannonball Adderley (as)<br />
Miles Davis (tp)<br />
Hank Jones (p)<br />
Sam Jones (b)<br />
Art Blakey (ds)<br />
</div>
<br class="clear" />
</div>

高校の頃に聴いていたフュージョンから自然な流れでジャズへと手を伸ばすようになったのは、大学生活を送っていた京都でのことであった。チック・コリアをはじめとするフュージョンの中心メンバーたちは、マイルス・デイヴィスのグループに籍を置いていたり、エレクトリックへと移行していったマイルスの影響を強く受けていたこともあり、まず聴いたのはやはりマイルスだった。

当時、学生でステレオを持っているのは本当にまれで、私も音楽を聴く道具といえば唯一持っていたのがラジオ。いい音でジャズを聴きたいとなると、行くべきところはジャズ喫茶であった。京都には老舗店を含めたくさんジャズ喫茶があったので環境としては申し分ない。

熊野神社から丸太町通りを東に行ったところにあった｢サンタクロース｣。広い店内にゆったりと腰掛けられるソファーがある。なんと言っても目玉はアルテックのA7という馬鹿でかいスピーカー。もともとは劇場用に開発された機種なのでリアルな音像が浮き上がるさまはすさまじかった。

中心部の河原町まで行くのであれば、時間を見つけて出かけていたのが｢蝶類図鑑｣。店の名の通り、壁には額に入った蝶の標本がずらりと並ぶ奇妙なお店。ここのスピーカーはJBLのアポロ。

そして、大学から北に行ったときに寄っていたのは一乗寺の「downhome」。こちらはJBLのパラゴンでジャスを聴かせる珍しいところ。

他にもフリー系のジャズをよくかけていた「SMスポット」(すごいネーミング！）、ビルを地下に降りていくと縦長の狭い部屋に、すべての椅子がスピーカーに向かって並んでいた「The Man Hall」、荒神口の老舗店「しあんくれーる」(高野悦子の『二十歳の原点』にもでてくる）などなど・・・。残念なことにここにあげたすべてのお店はもうないらしい。

とても個人では所有できそうになりオーディオで大音量のジャズを聴くという贅沢な時間。ジャズメンが本当に目の前で演奏しているかのようなリアルな音像を経験したことが、オーディオに関する原体験といってもよいかもしれない。

閑話休題。
このアルバムはキャノンボール・アダレイがリーダーとしてクレジットされているが、当時はレコード会社との契約でマイルスをリーダーとしたアルバムを製作できなかったBlueNoteレーベルの苦肉の策。

キャノンボールは後にマイルスのスーパー・セクステットのメンバーとして<a href="http://www.oyaguitars.com/weblog/archives/2006/07/miles_davis_kind_of_blue.html">『Kind of Blue』</a>をはじめとする何枚かのすばらしいアルバムに参加するわけだが、このアルバムでは少なくともマイルスと対等に「行くぞ」という静かな気迫を彼の音から感じ取れる。

フロリダの高校でバンドの音楽監督をしていた彼は、たまたま休みが取れてニューヨークまで出かけ、有名なジャズスポット「ボヘミア」でオスカー・ペティフォード（当時はチャールス・ミンガスとならぶトップ・ベーシスト）・コンボの演奏を見に行ったのが1955年のこと。サックスプレイヤーのジェローム・リチャードソンが到着していなかったことを幸いに、キャノンボールはオスカーに自分をステージに上げてくれと頼み込んで、しぶしぶ承知をしたオスカーを尻目に、ものすごいテンポで「I'll Remember April」のソロを吹くまくったという。
その評判がニューヨーク中に伝わり、あっという間にSavoyとの契約を果たし、ニューヨークでフルタイムのジャズ・プレイヤーとして活躍を始めるようになる。

キャノンボールはチャーリー・パーカーの影響を強く受けているが、考えてみるとディジー・ガレスピーにあこがれてニューヨークに出て、パーカーのグループに参加したマイルスとは共通項も多かったはずである。このアルバムでも、おそらくレコーディング現場では相当なぶつかり合いもあったことは想像できるが、音楽そのものはそれぞれのメンバーがうまく溶け合い、ひとつの完成形として仕上がっている。「枯葉」のイントロが終わり、マイルスがテーマを吹き始めるその最初の一音はいつ聴いても鳥肌が立つほどだ。

とても知的で、じぶんの音楽についても細かく説明ができたといわれるキャノンボール、そしてとても感覚的だったと思われるマイルス。この二つの個性がぶつかり合うのではなく混じり合っているという点からも、マイルスのリーダー作とは違うよさが、このアルバムにはある。

何よりも、キャノンボールのサックスの音は（当時のプレイヤーには多かった）シリアスでダークなのではなく、人の気持ちをハッピーにする力を持っている。]]></description>
         <link>http://www.oyaguitars.com/weblog/archives/2008/06/cannonball_adderley_somethin_e.html</link>
         <guid>http://www.oyaguitars.com/weblog/archives/2008/06/cannonball_adderley_somethin_e.html</guid>
         <category>Jazz</category>
         <pubDate>Sun, 01 Jun 2008 03:03:33 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>Egberto Gismonti in Tokyo 2007</title>
         <description><![CDATA[2007年8月20日。東京勝どきの第一生命ホールでエグベルト･ジスモンチ（tiはポルトガルでは「ティ」と発音するが、ブラジルでは「チ」となるという話を聞いたので、今回からジスモンティではなくジスモンチと表記することにした）が16年ぶりに来日公演をおこなった。
ずいぶんと時間がたってしまったが、今回は特にCDを紹介するのではなく、このコンサートで感じたことを記してみたい。

前回の来日は1992年。関東ではBlue Note東京での公演だった。<a href="http://www.oyaguitars.com/weblog/archives/2006/04/egberto_gismonti_infancia.html">『Infancia』</a>をリリースした直後ということもあり、ギター兼キーボード、ベース、チェロを加えたクァルテット編成で、とても完成度の高い素晴らしい演奏をおこなってくれた。

その後、大病を患ったこともあり、特に海外公演は滅多に行わなくなったので、生の演奏を見るにはブラジルに行くしかないのかもと思っていた矢先、突然の来日情報、それもソロコンサートだという。「このチャンスを逃すと二度と見ることができないかもしれない」という切羽詰った思いで、チケットを手配確保した。

会場の第一生命ホールは1，2階をあわせても800席弱のこじんまりとした楕円型のホール。
舞台のやや下手よりにはSteinway&amp;SonsのフルコンサートピアノD-274(だと思う)。AKG C-414を２本,ややオンマイク気味に立てている。ほぼ中央には、ギター演奏に使う椅子と足台。こちらにはAKG C-491が一本。マイクはいずれもショックマウントを使用していた。

会場の規模からいって、ギターは生音なのかPAを使うのかは興味のあるところだったが、マイク録りでPAというスタイルだったわけだ。ただ、客席の両脇と、舞台上手のスピーカーの後ろにビデオカメラがセットされていたので、収録用としても音をきちんと拾う必要があったに違いない。

定刻からわずかに遅れて、会場の照明がおちる。舞台の袖からジスモンチが２本のギターを持って登場すると、会場から割れんばかりの拍手。彼の来日を心待ちしていた観客の気持ちがひしひしと伝わる。もちろん、私もその中の一人だ。

まず手にしたのは10弦のナイロン弦ギター。マイクの位置をちょっと直したかと思うと、いきなり演奏に入る。冒頭からものすごい疾走感。ピアノのポリフォニック的要素をギターで実現するために多弦ギターを使うといっていたが、確かに、左手のタッピング、右手の早いアルペジオやラスゲアードに近い奏法、また、ピッキングハーモニックスも多用していて、その音はまさしく変幻自在で、一本のギターから発せられているとはにわかには信じがたいほどだ。

よく、「ギターは小さなオーケストラ」とたとえられることがある。伴奏もメロディーも一台の楽器でこなし、音域も広いからだと思っていたが、ジスモンチの演奏を聴いていると、まったく違う次元で「ギター＝オーケストラ」ということが理解できる。

時折12弦仕様のスティール弦（通常の12弦とは違い8弦ギターを部分的に複弦にしているように見える)に持ち替えながら6曲を演奏。どの曲もファンにはおなじみのメロディながら、アレンジが異なるせいか楽曲の色彩がいつもと違っているように感じる。それが、｢現在のジスモンチ」の演奏という感をいっそう強くする。

息をつく間もなく前半が終わり、しばしの休憩。
ロビーに出ると、皆が興奮の色を隠せず、そこかしこで今日の演奏について言葉を交わしている。
そうこうしているうちに後半の始まりを告げる合図があり、あわてて席に戻る。

後半はピアノのセット。ピアノの前に座ったジスモンチは、まったくもったいぶることなくいきなりトップギアに入れての演奏が始まる。ただし、コンテンポラリー色の強いギターと比較すると、ピアノの演奏スタイルはいたって正攻法。クラシックのピアノになじんでいる人にとっては違和感があるのかもしれないが、とてもよく歌うフレーズはきわめて心地のよいもの。
ジスモンチの曲では一、二を争う人気曲「Frevo」と「Karate」をメドレーで弾くなど、予想をしない流れにはビックリしつつも、グイグイと彼の音楽世界に引き込まれていく。身をゆだねることの心地よさ･･･。

アンコールも含めてピアノで8曲の演奏。鳴り止まぬ会場の拍手にこたえ、何度もステージに戻って挨拶をするジスモンチの表情にも満足そうなものが浮かぶ。以前の公演ではプロモーターとの関係から｢二度と日本では演奏をしたくない｣といったといううわさを耳にしたが、このファンの歓声を受け止めてぜひとも日本公演を続けて欲しいという思いを強くした。

前回のライブはこれまでに見たもののベストと思っていたので、正直なところそれを上回ることはないだろうと思って会場に出かけた。しかし、そんな思いは軽く吹き飛ばされるほどの演奏。このすばらしい音楽を、家人とも共有できたことはこの上ない幸せ･･･。

<a href="http://www.gismonti-live.jp/setlist.html">当日のセットリスト</a>


<追記>
今年の夏に開催予定の『第24回　〈東京の夏〉音楽祭2008』での来日が決まったようである。詳細は音楽祭の<a href="http://www.arion-edo.org/tsf/2008/">オフィシャルHP</a>をごらんいただきたい。

]]></description>
         <link>http://www.oyaguitars.com/weblog/archives/2008/04/egberto_gismonti_in_tokyo_2007_1.html</link>
         <guid>http://www.oyaguitars.com/weblog/archives/2008/04/egberto_gismonti_in_tokyo_2007_1.html</guid>
         <category>Report</category>
         <pubDate>Sun, 06 Apr 2008 18:46:54 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>Nick Drake: Five Leaves Left</title>
         <description><![CDATA[<div>
<a href="http://www.amazon.co.jp/gp/product/B000H5TYYG?ie=UTF8&amp;tag=myfavorits04-22&amp;linkCode=as2&amp;camp=247&amp;creative=1211&amp;creativeASIN=B000H5TYYG" title="amazon.co.jpでこのアルバムをチェック" target="blank" >
<img alt="NickDrake_five.jpg" src="http://www.oyaguitars.com/weblog/images/NickDrake_five.jpg" width="190" height="190" style="img" /></a>
<div>
<br />
Nick Drake (vo, g)<br />
Paul Harris (p)<br />
Richard Thompson (g)<br />
Danny Thompson (b)<br />
Rocki Dzidzornu (per)<br />
Clare Lowther (cello)<br />
Tristam Fry (ds, vib)<br />
</div>
<br class="clear" />
</div>

以前は、洋楽というとほとんどアメリカのものを聴いていたような気がするけれど、最近手を伸ばすのは、圧倒時にブリティッシュものが多い。若い頃にはじっくりと向き合ってこなかったものを、あらためて丹念に聴いていくと、実にしっくりと来る感じのものが多い。

アメリカ、それもウエストコーストの音楽と比較すると、ブリティッシュのものは、マイナー(短調)な曲はもちろんのこと、メジャー(長調)であっても、底抜けに明るい感じは決してなく、どこかに影を落としているような印象が強い。イギリス特有のあのどんよりとした気候と、ついついリンクしているかのような気になってしまう。

ニック･ドレイクはそんなブリティッシュの中にあっても、一段とダークでメランコリックな音楽で知られる。弱冠20歳でニックは、当時凄腕のプロデューサーとして知られていたジョー・ボイド（Fairport ConventionやThe Incredible String Bandのプロデュースで知られる人物)と契約を結び、ファーストアルバムとなる本作をリリースしたのは1969年。彼が21歳のときだった。

バックを支える中心メンバーはPentangleのベーシスト、ダニー･トンプソンとFairport Conventionのギタリスト、リチャード･トンプソン。当時を代表する人気グループのメンバーが新人をサポートするも珍しいことだったようだ。
レコード会社が提案していたストリングス･アレンジャーに首を横に振り、ニックのケンブリッジでの友人ロバート・カービーにアレンジをさせるなど、20歳そこそこの新人らしからぬ逸話も残っている。

一度足を踏み入れてしまうと、抜け出せないほど深くて暗い孤独の闇が、ニックの世界には広がっている。時折差し込むかすかな光も、次の瞬間には「やはり幻だった｣と思ってしまいそうな暗闇の中。「自分とは縁のない世界であって欲しい」と思いつつも、このアルバムを聴くと心の中の何かが震えだす。

専門家の間では評価が高かったにもかかわらず、リリースした3枚のオリジナルアルバムは、いずれもセールス的には振るわなかった。そんな状況が、ニックをどんどんと追い詰めていったのだろう。3枚目の『Pink Moon』を発表した後、精神状態が一層不安定になっていく。もともと、音楽制作をしている間はライブ演奏をほとんどしていなかったが、この頃からは音楽制作自体も休止すると口にするようになっていく。ただ、他のアーティストに向けた曲作りだけは続けたかったようである。

そして1976年11月26日。息を引き取っているニックが発見される。まだ26歳だった。前の晩に抗うつ剤を過剰摂取していたのが死因とされた。枕元には母親が好きだったというカミュの詩集。自殺説が強い中、彼の家族はあくまでも誤って過剰摂取をしたことによる事故死だと主張していたという。
彼の心の中は、闇に閉ざされたままだが、残した素晴らしい音楽は、人々の心を揺さぶり続けるだろう。
]]></description>
         <link>http://www.oyaguitars.com/weblog/archives/2007/06/nick_drake_five_leaves_left.html</link>
         <guid>http://www.oyaguitars.com/weblog/archives/2007/06/nick_drake_five_leaves_left.html</guid>
         <category>Rock, Pop, Folk</category>
         <pubDate>Wed, 27 Jun 2007 21:27:14 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>James Taylor: Mud Slide Slim And The Blue Horizon</title>
         <description><![CDATA[<div>
<a href="http://www.amazon.co.jp/gp/product/B000002KDM?ie=UTF8&amp;tag=myfavorits04-22&amp;linkCode=as2&amp;camp=247&amp;creative=1211&amp;creativeASIN=B000002KDM" title="amazon.co.jpでこのアルバムをチェック" target="blank">
<img alt="JamesTaylor_Mud.jpg" src="http://www.oyaguitars.com/weblog/images/JamesTaylor_Mud.jpg" width="190" height="188" style="img" /></a>
<div>
<br />
James Taylor　(vo, g, p)<br />
Russ Kunkel (ds, per)<br />
Leland Sklar (b)<br />
Carole King (p, chorus)<br />
Danny Kootch (g, per)<br />
Peter Asher (produce, per, chorus)<br />
Joni Mitchell (chorus)<br />
Kevin Kelly (accordian, p)<br />
John Hartfor (banjo)<br />
Richard Greene (fiddle)<br />
Kate Taylor (chorus)<br />
</div>
<br class="clear" />
</div>

ジェイムス･テイラーの音楽に最初に接したのは中学生のときだった。<a href="http://www.oyaguitars.com/weblog/archives/2006/04/crosby_stills_nash_young_4_way.html">CSN&amp;Y</a>の紹介でも触れたが、中学のときに通っていたギター教室で取り上げたのがきっかけである。スリーフィンガー奏法を徐々にマスターしてきたこともあり、｢これで大抵のフォーク曲は弾けるだろう｣と思い上がっていたころでもあった。

教室で習う順番からすると、スリーフィンガーはアルペジオ奏法よりも若干高度なテクニックと感じていたため、ジェイムスの譜面をもらったときに最初に思ったのは、｢なんだぁ、アルペジオかぁ｣ということだった。

ところがどうしてどうして、弾いてみると単純なアルペジオではなく、なかなか上手くできない。それまでの定型パターンのものとは違い、メロディやコード進行に併せて、実に効果的なオカズが入っているのだ。彼の曲を何曲か練習していくにしたがい、入れているオカズのフレーズは比較的手癖のようなものだと気付くのだが、それはずいぶん後になってからだった。

歌伴のギターとしては、今なお最高峰の演奏だと信じてやまない。歌とよく絡みつつでしゃばりすぎつ、かといってちゃんと存在感もある、こんなギターを弾くことができる人は滅多にいないだろう。
カントリー的な要素とジャジーな雰囲気とブルースの香りも感じるギタープレイは、今聴いてもとても新鮮だ。

当時、愛用していたのはギブソンのJ-50というモデル。ギブソンのアコースティック･ギターはかなり個体差が大きいこともあるが、私自身、何本か試奏したことはあるものの、ジェイムスのような音のものには一度たりとも出会ったことがない。あの独特の音は、ギターそのものというよりも彼のプレイによるところが大きいような気がする。

東海岸ボストン生まれのジェイムスは、1968年に最初のソロ名義のアルバムを、ビートルズのアップルレコードレーベルからリリースする。専門家の間では注目されたものの、商業的にはまったく振るわず、失意のままプロデューサーのピーター･アッシャー(本アルバムでもプロデュースをしている)とともにアメリカに戻り、カリフォルニアに拠点を置いて活動をおこなっていく。

1970年にリリースした2作目『Sweet Baby James』(これはいずれ別途紹介したい)で成功を収め、瞬く間にシンガーソングライターとしての地位を確立する。メッセージ性の強いプロテスト･ソングを歌っていたピート・シーガーやボブ・ディランなどとは一線を画し、日常的なことや恋愛などを繊細に歌い上げるシンガーソングライターは?というと、真っ先にあがるのがジェイムスだろう。

本作は1971年に発表した第3作。楽曲の構成、バリエーションともに素晴らしく、大変聴き応えがある。ギターや歌、コーラスなどを分析していくと、勉強になる点も多いが、そんなことを意識せず、音楽にどっぷりと浸かるのが最高の楽しみ方だろう。

初期から最新のものまで、音楽のスタイルにいろいろと変化はあるものの、駄作がなくどれをとっても素晴らしいものとなっている。初めて聴いても、なんとなくなつかしい香りがし、それでいて飽きさせないものがある。これこそがジェイムスのマジックなのかもしれない。

現在も変わらぬ歌声で、ライブも含めた活動を積極的におこなっている。日本のギタリストやシンガーソングライターが、彼の影響を強く受けたと語っているのが多いのもうなづける。
]]></description>
         <link>http://www.oyaguitars.com/weblog/archives/2007/05/james_taylor_mud_slide_slim_an.html</link>
         <guid>http://www.oyaguitars.com/weblog/archives/2007/05/james_taylor_mud_slide_slim_an.html</guid>
         <category>Rock, Pop, Folk</category>
         <pubDate>Thu, 31 May 2007 01:00:08 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title><![CDATA[Sergio &amp; Odair Assad: Saga dos Migrantes]]></title>
         <description><![CDATA[<div>
<a href="http://www.amazon.co.jp/gp/product/B000005J3H?ie=UTF8&amp;tag=myfavorits04-22&amp;linkCode=as2&amp;camp=247&amp;creative=1211&amp;creativeASIN=B000005J3H" title="amazon.co.jpでこのアルバムをチェック" target="blank" >
<img alt="Assad_migrantes.jpg" src="http://www.oyaguitars.com/weblog/images/Assad_migrantes.jpg" width="190" height="190" style="img" /></a>
<div>
<br />
Sergio Assad (g)<br />
Odair Assad (g)<br />
</div>
<br class="clear" />
</div>

　コンスタントに活動をしているクラシック･ギターのデュオでは、まず紹介しなければいけないのがアサド兄弟だろう。兄セルジオと弟オダイルは4歳違い。自らたちを「4歳離れた一卵性双生児｣と称することもあるが、その言葉通り、完璧なアンサンブルには思わずため息が出てしまうほどだ。

<img alt="Assad_alma.jpg" src="http://www.oyaguitars.com/weblog/images/Assad_alma.jpg" width="120" height="120" style="float: right;"/>　アサド兄弟のことを知ったのは、ある雑誌にギタリストの渡辺香津美氏が、今一番気になっているギターアルバムとしてアサド兄弟の<a href="http://www.amazon.co.jp/gp/product/B000005IYY?ie=UTF8&amp;tag=myfavorits04-22&amp;linkCode=as2&amp;camp=247&amp;creative=1211&amp;creativeASIN=B000005IYY" target="blank">『ブラジルの魂』</a>をあげていたからだ。このアルバムには、ジョン･マクラフリンとパコ･デ･ルシアの演奏で有名になった、エグベルト・ジスモンティ作「Frevo」が入っていて、今回紹介する作品と甲乙つけがたい名盤といえよう。

　ギターものはほとんどなんでもといっていたわりには、クラシック関係はほとんど聴いていなかった当時、｢香津美さんが薦めるくらいだから･･･｣と手に入れて聴いてみたところ、何となくピンと来なかったというのが正直な感想だった。アンサンブルの凄さは十分わかるのだが、生ギターのアンサンブルといえばスーパー･ギター･トリオ系のものを愛聴していた耳には、何だが音が遠く、きれいにまとまりすぎているような感じがしたのだった。
　それでも、何度も聴き続けているうちに、だんだんとその素晴らしさがわかってくるようになる。なんといっても特筆すべきは、タッチである。二人のつむぎ出す音の立ち上がりの見事なこと。あまりに流暢なので、さらった聞き流してしまいそうなフレーズも、大きな流れの抑揚がしっかりあるのだ。

　二人の愛器は、ニューヨーク在住のトーマス・ハンフリー作のもの。トムはギターの表面板に対して指板の位置を上げるレイズド・フィンガーボードというシステムを普及させた張本人。最近では、日本の製作家でもこのスタイルを用いている人がいる。表面板裏のブレイシングと呼ばれる補強兼音響コントロール部材にも、独自の工夫が施されていて、彼の楽器の音の立ち上がりの素晴らしさは誰もが認めるところであろう。
　ギター専門誌のインタビューで、表面板を含めた音作りの考え方を語っていた記事は、アメリカにいるときに熟読したものだった。東海岸在住ということで会うチャンスがなかったが、いつかは会ってみたい製作家の一人だ。

　アサド兄弟は、バッハに始まり、古典的なレパートリーの演奏も素晴らしいが、やはり｢南米モノ｣を弾かせると、並ぶものがないほどだ。本作では、クラシック･ギタリストがレパートリーとしていることの多い<a href="http://www.oyaguitars.com/weblog/archives/2006/04/astor_piazzolla_the_rough_danc.html">ピアソラ</a>、ヴィラ＝ロボスをはじめとし、セルジオ･アサド自身の曲や、ブラジルの異才<a href="http://www.oyaguitars.com/weblog/archives/2006/04/egberto_gismonti_infancia.html">エグベルト･ジスモンティ</a>の曲も取り上げている。作曲のみならず、セルジオの編曲センスも素晴らしく、あたかもギター曲であったかのような素晴らしいアレンジを、このアルバムでもじっくりと堪能できよう。

　毎年といっていいくらい来日を重ねているアサド兄弟。次に日本に来たときには、ぜひともコンサートに足を運ぼうと思う。

　ちなみに、このジャケットの写真は、Joel Meyerowitzによるもの。彼の代表作ともいえる、ケープコッド湾で撮影した写真集もよく眺めたものだ。カラーでのスナップ的な風景写真の先駆者であるが、彼独特の雰囲気が、このジャケット写真からも伝わってくる。]]></description>
         <link>http://www.oyaguitars.com/weblog/archives/2007/03/sergio_odair_assad_saga_dos_mi.html</link>
         <guid>http://www.oyaguitars.com/weblog/archives/2007/03/sergio_odair_assad_saga_dos_mi.html</guid>
         <category>Classic</category>
         <pubDate>Tue, 27 Mar 2007 02:36:45 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>Barney Wilen: Sanctuary</title>
         <description><![CDATA[<div>
<a href="http://www.amazon.co.jp/gp/product/B000027RLR?ie=UTF8&amp;tag=myfavorits04-22&amp;linkCode=as2&amp;camp=247&amp;creative=1211&amp;creativeASIN=B000027RLR" title="amazon.co.jpでこのアルバムをチェック" target="blank" >
<img alt="BarneyWilen_Sanctuary.jpg" src="http://www.oyaguitars.com/weblog/images/BarneyWilen_Sanctuary.jpg" width="190" height="190" style="img" /></a>
<div>
<br />
Barney Wilen (ts, ss)<br />
Philip Catherine (g)<br />
Palle Danielsson (b)<br />
</div>
<br class="clear" />
</div>

　フランス、ニース生まれのバルネ・ウィランが一般に広く知られたのは、1950年代に公開されたフレンチ･ヌーベルバーグの一翼を担っていたルイ･マル監督の『死刑台のエレベータ』のサントラ盤に参加してからだろう。音楽を担当したのはマイルス･デイヴィスで映画のフラッシュバックを映しながら即興で音楽をつけていったという逸話もあるようだ。ここで、派手さはないものの、なぜだか心に引っかかるようなバルネのサックスに惹かれた人も多かったという。

　50年代のパリにはマイルス以外にも、バド・パウエル、ベニー・ゴルソンなどアメリカのジャズメンが集い、クラブ・サン・ジェルマンなどで演奏をしていたこともあり、バルネはマイルスとのつながりを持ち、映画のサントラ盤に参加したわけである。その後もロジェ・ヴァディム監督『危険な関係』（1988年にはハリウッドでリメイクされている）のサントラ盤を自ら手がけた。

　ジャズシーンで注目されたにもかかわらず、60年代に入るとロック色の強い演奏へと移行し、その後は音楽シーンからだんだんと離れてしまったのだが、80年代後半から再びジャズ演奏の場へと戻ってくる。本作は、1991年録音の作品。当時のレギュラー･クァルテットとは異なり、ギターのフィリップ・キャサリーン（カテリーン）とベースのバレ・ダニエルソンによる変則的なトリオ編成。
　サックスを中心にしたトリオ演奏だと、ソニー・ロリンズのピアノレス･トリオ（サックス、ベース、ドラムス）の編成が真っ先に思い浮かぶ。音楽の3要素が、メロディ、和音(コード)、リズムであることを考えれば、単音楽器のサックスは、バッキングに回ってコード感を出すのはかなり難しいといえよう。それでも、上手いオブリガードで雰囲気を出すものもあるが･･･。サックス、ベース、ドラムであれば、ドラムはリズムを刻み、通常はリズム隊とも言われるベースは、分散和音の形でコード感を作り、サックスが旋律を奏でることで、3つの要素を積み上げることは可能だ。
　これに対し、今回のバルネの編成では、リズムの核となる楽器がない。ギターは時としてバッキングによってリズムを刻み、オブリガードを入れたりと、八面六臂の活躍が求められている。フィリップは、そんな状況でも実にリラックスしながら、時にリズム、時にはメロディ、時にはコードをとすべての要素を紡いでいる。

　サックス、ピアノ、ベース、ドラムというクァルテット編成を基準と考えると、必要な要素が常に音空間に満たされているという点で、オーケストラ的と表現できるとしよう。これに対して、今回のような変則トリオでは、常に必要なものを満たすことは不可能である。つまり、最初からすべてを満たすことなどは狙わず、本当に必要なものを必要なだけ埋めていくという感覚で、先ほどのオーケストラ的という表現との対比で考えれば、弦楽四重奏的と言ってもよいように思う。

　マイルスの音楽監督のもとでの演奏の頃の印象と同じように、本作でもバルネのサックスは決して派手ではない。聴く者に極端な集中を強いるわけではないのに、さらっと聞き流させないような音楽。それがバルネの変わらぬ魅力なのかもしれない。残念なことに、このアルバムに限らずバルネの作品はなかなか入手しにくいようである。再発売されると嬉しいのだが･･･。]]></description>
         <link>http://www.oyaguitars.com/weblog/archives/2007/03/barney_wilen_sanctuary.html</link>
         <guid>http://www.oyaguitars.com/weblog/archives/2007/03/barney_wilen_sanctuary.html</guid>
         <category>Jazz</category>
         <pubDate>Sat, 24 Mar 2007 01:42:18 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>サディスティック・ミカ・バンド: 黒船</title>
         <description><![CDATA[<div>
<a href="http://www.amazon.co.jp/gp/product/B000GALG9S?ie=UTF8&amp;tag=myfavorits04-22&amp;linkCode=as2&amp;camp=247&amp;creative=1211&amp;creativeASIN=B000GALG9S" title="amazon.co.jpでこのアルバムをチェック" target="blank" >
<img alt="SadisticMikaBand_black.jpg" src="http://www.oyaguitars.com/weblog/images/SadisticMikaBand_black.jpg" width="190" height="190" style="img" /></a>
<div>
<br />
加藤　和彦 (vo. g)<br />
加藤　ミカ (vo)<br />
小原　礼 (b, vo, per)<br />
高橋　幸宏 (ds, per)<br />
今井　裕 (key, sax)<br />
高中　正義 (g)<br />
</div>
<br class="clear" />
</div>

　最近、木村カエラをボーカルに迎え、コマーシャルがきっかけで活動を再開したサディスティック･ミカ･バンド。以前桐島かれんをボーカルで参加させたときに比べれば、遥かにいい感じに仕上がっているが、やはりオリジナル･メンバーによるものからまず聴いてほしいものだ。

　加藤和彦といえば、フォーク･クルセイダースのイメージが強かったが、イギリス志向の飛び切りポップなミカ･バンドが出てきたとき、それまでとの方向性の違いにびっくりしたものだった。メンバー一人ひとりは、スタジオミュージシャンとしても活躍していた猛者ばかり。当時の奥さんだった加藤ミカの決してうまいとはいえないがなんともいえない味のあるボーカルと相まって、強烈な存在感を放っていた。

　そんなミカ･バンドがロンドンから敏腕プロデューサー、クリス･トーマスを迎えて製作したのが本作である。クリスはピンク･フロイドをはじめとするプロデュースで活躍していて、イギリスで最も有名なプロデューサーの一人といってもよかった。そんなクリスが日本という地の果てのロック･バンドのプロデュースをするというニュースに、誰しもが驚いた。イギリス、ロンドン志向の強かったことにくわえ、日本語でのロックには抵抗が強かった日本国内の市場に対する反発心もあったかもしれないが、このアルバムを製作した翌年には、イギリスを代表するバンド、ロキシー･ミュージックのロンドン公演で前座を務め、大反響でロンドンっ子たちに迎え入れられる。
　当時、私はまだ中学生だったが、なんとなくこれからの音楽はロスやニューヨークだろうという雰囲気を掴み取っていたので、｢何でいまさらイギリス?　ロンドン??｣という気持ちが強かったことをよく覚えている、もちろん、その後、ロンドンからパンク･ムーヴメントが起こることなどは、まったく想像していなかった。

　まるでワイドショーネタだが、クリス･トーマスはこのアルバムのプロデュースがきっかけで、加藤ミカと不倫関係になり、その後、加藤和彦とミカは離婚し、バンドは解散となる。ミカは単身イギリスに渡り、クリスとしばらく生活を共にすることになる。今井裕、高橋幸宏、高中正義、そして小原礼にかわってベースで参加していた後藤次利の4人は、新たにサディスティックスと名前を変え、インストのバンドとしてしばらく活動をおこなっていった。

　この時代、日本語のロックはノリが悪いといわれていたが、そんな声を払拭するほど完成度が高かったのが、若干年代が前後するものの、はっぴいえんどとこのミカ･バンドだったと思う。片やアメリカ的、もう片方はイギリス志向という違いも、今になってみるととても興味深い。アルバムのストーリー立ても含め、綿密に練られた音楽は、クリスの力を借りているとはいえ、やはり加藤和彦の力だろう。アルバムを通して聴くと、一つのショーを観に行ったようなイメージが残るのが面白い。

　ギターの高中正義に関しては、サディスティックス～ソロの初期の演奏を一時期聴きまくっていた頃がある。高校生の頃はひたすらコピーをして、文化祭でバンド演奏をしたときにも3曲ほど取り上げるほどの入れ込みようだった。この頃のエピソードについては、いずれ高中のアルバムを取り上げるときにでも紹介してみたい。]]></description>
         <link>http://www.oyaguitars.com/weblog/archives/2007/02/post_13.html</link>
         <guid>http://www.oyaguitars.com/weblog/archives/2007/02/post_13.html</guid>
         <category>Japanese</category>
         <pubDate>Sun, 25 Feb 2007 21:14:38 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>Steps: Smokin&apos; in the Pit</title>
         <description><![CDATA[<div>
<a href="http://www.amazon.co.jp/gp/product/B000007UGQ?ie=UTF8&amp;tag=myfavorits04-22&amp;linkCode=as2&amp;camp=247&amp;creative=1211&amp;creativeASIN=B000007UGQ" title="amazon.co.jpでこのアルバムをチェック" target="blank">
<img alt="Steps_smokin.jpg" src="http://www.oyaguitars.com/weblog/images/Steps_smokin.jpg" width="190" height="187" style="img" /></a>
<div>
<br />
Mike Mainieri (vib)<br />
Michael Brecker (ts)<br />
Steve Gadd (ds)<br />
Don Grolnick (p, key)<br />
Eddie Gomez (b)<br />
渡辺香津美(g)<br />
</div>
<br class="clear" />
</div>

　残念なことに、昔からよく聴いていたプレイヤーの訃報を耳にすることがだんだんと多くなってきた。中には、｢まさか、まだ若いのに｣と思う人も少なくない。サックスのマイケル･ブレッカーもそんな一人だ。
　昨年、骨髄異形成症候群という診断が下され、予定されていたSteps Ahead（Stepsというグループ名は使用できなくなったためのちにSteps Aheadと改名した)のツアーをすべてキャンセルして、闘病生活を送っていたというマイケル。白血病へと進行することの多い病気で、マイケルは骨髄移植による治療を試みようとしていたが、特殊な型だったせいもあり、家族を含めドナーが見つからなかった。そして、残念なことに今年の1月13日、ニューヨークで亡くなった。一部には快方に向かっているという情報も流れ、レコーディングもおこなっているという話もあっただけに、本当に残念だ。

　私が音楽を聴くのに没頭していて、そして多感だった10代後半、アメリカを中心にジャズとロックを融合したようなフュージョンと呼ばれるスタイルの音楽が台頭してきた。そのとき、めきめきと頭角を現してきたのが、トランペットの兄ランディとテナー･サックスの弟マイケルの二人によるブレッカー･ブラザースであった。70年代後半から80年代初めにかけて、ニューヨークをベースにしているテクニシャンぞろいのプレイヤーたちと繰り広げるインタープレイは素晴らしいものがあった。当時、ラリー･コリエルに入れ込んでいたこともあり、彼とよく共演もしていたブレッカー･ブラザースの二人の演奏は、よく耳にすることになっていた。

　さて、そこでStepsである。リーダー格のマイク･マイニエリの元に集まった凄腕ミュージシャンによるユニットだけに、きわめて質の高い演奏が繰り広げられることは容易に想像できよう。
　実は、このSteps、ファーストと2枚目に当たるこのアルバムは、日本のみで当初は発売された。当時、フュージョンのプレイヤーにとっては聖地とも言える六本木のライブハウス、ピット・インでのこのライブでは、アルバム『トチカ』以来、マイクと親交の深かった渡辺香津美がゲストとして1曲参加している。とある雑誌に、当時を振り返って渡辺香津美がコメントしているのを見ると、プレイヤーたちにとってこのユニットがいかにすごいものであったかがわかる。

<em>  　 このときは久々に胃が痛くなった(笑）。･･･(中略)ニューヨークの
　　超第一線級のミュージシャンに交じって、マイニエリのバンドの
　　一員としてベスト･プレイをしなければいけない。何がびっくりし
　　たかって、早めに会場に行くとすでにマイケル･ブレッカーがい
　　て、バリバリ練習している。こんな上手い人がマイニエリのツ
　　アーでやるっていうので、必死にトレーニングをしている。すると
　　今度はエディ・ゴメスがやって来て、弓で1～2時間基礎練習をや
　　る。凄い人は準備も凄いんだよ。」</em>

　テクニックのあるプレイヤーたちが、とてつもなく高い緊張感を持って望むライブ。いかに凄かったかは想像して余りある。もちろん、ユニットとしてはマイク・マイニエリがキーパースンなのは間違いないが、決してでしゃばりすぎず、かといってしっかりとユニットの音楽性をさせえているという点で、ドン・グロルニクの存在が非常に重要のように感じる。
　このアルバムはどの曲もお勧めだが、1曲を選べといわれれば迷わずラストのSara's Touchを上げたい。マイクが書いた名曲だが、マイケルのサックスの音が聴く人の心をがっしりと掴むスローナンバーである。

　最後に少し話をマイケルに戻したい。70年代後半、フュージョンを代表するサックスプレイヤーとして評価が高かった一方、4ビートのスタンダードなジャズはダメだろうと厳しい意見をいう人たちがいたことも確かだった。しかし、そんな声を吹き飛ばすかのように、Stepsでかなりジャズよりの素晴らしい演奏を披露し、さらには、80年代に入ってしばらくした後、チック･コリアとともに素晴らしい4ビートジャズの演奏を繰り広げていくことになる。こちらもいずれ取り上げることにしよう。
　サックスというとむせび泣くような情感たっぷりの音というイメージもあるが、マイケルは、決して感情に流されすぎることなく、常にクールな部分が残っていると感じさせるような演奏がとても印象的なプレイヤーだ。もちろん、ハードなブローもあるのだが、いわゆる泣きのフレーズなどは決して交えないのがとても潔い。
　ストレートアヘッドな、メインストリームのジャズを別にすれば、コンテンポラリーなスタイルのジャズは昔で言えば、フュージョンと呼ばれていた音楽の要素を何らかの形で含んでいたり、少なくとも影響を受けているものが多いと思う。そういった点から、ステップスというグループは、フュージョンという音楽をジャズの一つのスタイルとして結びつけた立役者といってもよいだろう。そして、ジャズでの花形がサックスであるとすれば、このユニットの音楽でマイケルが果たした役割の大きさは決して過小評価されるべきものではないだろう。

　息を引き取る2週間前にスタジオ入りをして遺作となるアルバムを完成させていたマイケル･ブレッカー。謹んで、彼のご冥福をお祈りしたい。]]></description>
         <link>http://www.oyaguitars.com/weblog/archives/2007/01/steps_smokin_in_the_pit.html</link>
         <guid>http://www.oyaguitars.com/weblog/archives/2007/01/steps_smokin_in_the_pit.html</guid>
         <category>Jazz</category>
         <pubDate>Wed, 31 Jan 2007 01:10:05 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>Soig Siberil: Du Cote de Chez Soig</title>
         <description><![CDATA[<div>
<a href="http://www.coop-breizh.com/vitrine/fiche.asp?pid=4014281&amp;pagecourante=1&amp;motcle=SO%CFG%20SIBERIL&amp;" title="coop-breizh.comでこのアルバムをチェック" target="blank" >
<img alt="SoigSiberil_du.jpg" src="http://www.oyaguitars.com/weblog/SoigSiberil_du.jpg" width="190" height="170" style="img" /></a>
<div>
<br />
Soig Siberil (g)<br />
Alain Genty （ｂ）<br />
Pierre-Yves Prothais (per)<br />
Karl Gouriou (sax)<br />
Camel Zekri (g)<br />
</div>
<br class="clear" />
</div>

　フランスのブルターニュのCDショップで一番良く目にしたギタリストの名前はソイグ・シブレルであった。70年代後半頃から、アイリッシュ音楽に接近をしていったソイグは、80年代に入ると、Kornogを結成する。ほとんどがブルターニュ出身のメンバーで構成されたKornogは、ブルターニュのケルト音楽にスコットランドやアイルランドのスタイルをうまく融合させ、ブルターニュを代表するグループとして高い評価を得るようになる。アルバム製作と並行して積極的にヨーロッパやアメリカのツアーを行い、ブルターニュの音楽を知らしめていった。

　Kornogでの活動を通じ、より深くブルターニュの音楽へと入り込んでいったソイグは、その後も様々なグループを編成して演奏活動を続けていく。その後、90年代に入ると、アコースティック･ギターを中心とした演奏をおこなうようになり、ギターのソロアルバムをリリースしていく一方、各地のケルト音楽フェスティバルなどにも積極的に参加していく。

　今回取り上げたアルバムは、2003年にリリースしたブルターニュ西部の町でのライブアルバム。アルバムのタイトルは「ソイグの家の方へ｣といった意味だと思うが、このタイトル自体が、このユニット名になっているようでもある。ソイグのギターの音色は、ピエゾタイプのピックアップの音色が強いせいか、決していいものとはいえないが、ギター2本、ベースとパーカッション、それとサックスを加えた独特の編成による音楽は、アイルランド、スコットランドのケルト音楽とはまた異なる趣きのものでとても魅力的だ。特に、フレットレスベースとサックスが加わっていることが大きいのかもしれないが、とてもうまくジャズの要素を取り入れているように感じる。

　収録曲の約半数がトラッド、残りはソイグともう一人のギタリストキャメル･ゼクリのオリジナル。あいにく不勉強のため、トラッドに関しては原曲をほとんど聴いたことがないのだが、全編を通じ、5人によるグループの演奏スタイルが貫かれていて、最初から最後までスムーズに耳に入ってくる。

　フランス人でケルト音楽の影響色が濃いギタリストとしては、<a href="http://www.oyaguitars.com/weblog/archives/2006/04/pierre_bensusan_musiques.html">ピエール・ベンスーザン</a>が一番知られていると思うが、素晴らしいギタリストはまだまだたくさんいる。アンサンブル･スタイルということでも含め、このソイグの演奏は非常に質の高いものと言って間違いはない。

　残念ながら、日本では彼のアルバムを入手するのは難しそうである。ジャケットの画像にリンクを張っているのは本アルバムの発売元のレーベルで、インターネット経由で購入できそうではある。ただ、日本に発送してくれるのどうかについては未確認なのでご注意いただきたい。]]></description>
         <link>http://www.oyaguitars.com/weblog/archives/2007/01/soig_siberil_du_cote_de_chez_s.html</link>
         <guid>http://www.oyaguitars.com/weblog/archives/2007/01/soig_siberil_du_cote_de_chez_s.html</guid>
         <category>World</category>
         <pubDate>Tue, 23 Jan 2007 01:36:23 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>本年もよろしくお願いいたします</title>
         <description>本weblogも、立ち上げ当初は順調に書き込んでいましたが、途中で長いブランクがありました。
それでも、大勢の方に訪れていた抱いたこと、嬉しく思っております。
今年もがんばっていい音楽を紹介していくつもりですので、どうぞよろしくお願いいたします。

素晴らしい音楽とともに、すべての人が平和で穏やかに過ごせますように祈りつつ。


Ken Oya Acoustic Guitars  大屋　建</description>
         <link>http://www.oyaguitars.com/weblog/archives/2007/01/post_12.html</link>
         <guid>http://www.oyaguitars.com/weblog/archives/2007/01/post_12.html</guid>
         <category> Information</category>
         <pubDate>Mon, 01 Jan 2007 01:21:15 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>Pascal Bournet: Solace - Celtic Spirit</title>
         <description><![CDATA[<div>
<a href="http://www.amazon.fr/Solace-Celtic-Spirit-Pascal-Bournet/dp/B00019IC5A/sr=1-7/qid=1165590725/ref=sr_1_7/171-3762869-6085006?ie=UTF8&amp;s=music"  title="amazon.frでこのアルバムをチェック" target="blank" >
<img alt="PascalBournet_solace.jpg" src="http://www.oyaguitars.com/weblog/images/PascalBournet_solace.jpg" width="190" height="190" style="img" /></a>
<div>
<br />
Pascal Bournet (g)<br />
Robert Le Gall (vln, mandola, b, per)<br />
Benoit Sauve (recorders)<br />
Hector "Tachi" Gomez (per)<br />
</div>
<br class="clear" />
</div>

　ケルト音楽というと、アイルランドを中心としたものだとずっと思っていたが、最近になって、そもそもケルト民族がどのようにしてアイルランドにたどり着いたかを考えれば、ヨーロッパ各地にケルト文化があってもおかしくないことに気付いた。ケルト民族はヨーロッパ中西部を支配していたが、紀元前3世紀頃から南からローマ帝国が勢力を伸ばし、次々とケルト圏を征服していく。さらには、当方からゲルマン民族が押し寄せ、ケルト民族は西へ西へと追いやられていってしまったのである。こうしてみれば、ヨーロッパ西部を中心にケルト文化が残っていることは何ら不思議なことではない。
　フランスに目を移すと、パリからTGVで2時間ほど西に行ったブルターニュ地方はケルト文化圏である。ブルターニュのロリアン市では毎年国際ケルト民族フェスティバルが開催され、音楽を初めとするケルト文化を継承するアーティストたちが数多く集うことでも知られている。

　さて、今回取り上げるパスカル・ブルネはパリ生まれのフランス人。7歳でピアノを始め、しばらくしてクラシックギターの勉強を重ねていく一方で、ステファン･グラッペリ、アストル・ピアソラ等をはじめとする様々なジャンルの音楽に関心を示すようになる。その中で、18世紀の盲目のハーピスト、ターロック・オカロランの音楽研究に力を注いでいった。『Celebrating O'Carolan』というオカロランの曲集も2001年にリリースしている。
　オカロランの書いた曲は、現在ではギター曲として演奏されることも多く、Si Bheag Si Mhor等はかなりポピュラーな曲といってもよいだろう。

　本作は、ケルト音楽の研究成果を消化して書き上げたオリジナル曲のみで構成されている。参加メンバーはいずれもケルト音楽への造詣が深いだけでなく、世界各地の音楽を吸収していることもあり、特にパーカッションなどはアジア、アフリカ、中近東、南米などの楽器を用いているのが興味深い。

　ケルト音楽にスティール弦のギターが入っていることは珍しいことではないが、パスカルは全曲ナイロン弦ギターを演奏しているのが面白い。ナイロン弦の音によって、伝統的なアイリッシュの風合いが若干薄まり、ワールド音楽的な要素が前面に出てきている印象を受けるのだ。もちろん、パスカル自身がジャズやロック、ブルースの影響を受けていることも忘れてはいけないだろう。
　正確なピッキングと、きれいに粒立ちのそろった音。ダンス曲のスタイルであるジグでは、リコーダーとユニゾンで小気味良いフレーズを披露したかと思うと、クラシックの楽曲のように重厚なスタイルの曲もある。全編に共通しているのは、非常にメロディアスな曲だということだろうか。聴く者の中にスッと入ってくるのである。それでいて、曲のバリエーションも豊富なのが素晴らしい。

　パスカルのことを知ったのは、以前ブルターニュに旅行をしたときのことだった。地元のCDショップでいいギター音楽がないかと探していたときに巡り合ったのである。聞いたことがなかった人なので、おそらく日本ではほとんど知られていないだろうと思ったが、知り合いのギタリストに紹介したところ、彼のオカロランの曲集は日本のCD屋で手に入れることができるという情報をもらい、ビックリした。
　パスカルが演奏しているのは、なかなか爆発的な人気の出るジャンルではないので、生の演奏に触れる機会を得るのは難しいだろう。最近は日本でもケルト音楽のイベントが開催されるようになって来た。このようなイベントでもいいから、何とか来日をして欲しいアーティストの一人である。]]></description>
         <link>http://www.oyaguitars.com/weblog/archives/2006/12/pascal_bournet_solace_celtic_s.html</link>
         <guid>http://www.oyaguitars.com/weblog/archives/2006/12/pascal_bournet_solace_celtic_s.html</guid>
         <category>World</category>
         <pubDate>Sat, 09 Dec 2006 01:45:05 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>GARO: GARO Box</title>
         <description><![CDATA[<div>
<a href="http://www.amazon.co.jp/gp/product/B000F8O5LM?ie=UTF8&amp;tag=myfavorits04-22&amp;linkCode=as2&amp;camp=247&amp;creative=1211&amp;creativeASIN=B000F8O5LM" title="amazon.co.jpでこのアルバムをチェック" target="blank" >
<img alt="Garo_box.jpg" src="http://www.oyaguitars.com/weblog/images/Garo_box.jpg" width="190" height="193" style="img" /></a>
<div>
<br />
堀内護 (vo, g)<br />
日高富明 (vo, g)<br />
大野　真澄 (vo, g)<br />
　他<br />
</div>
<br class="clear" />
</div>

　ガロの歌を最初に聴いたのは、おそらく『学生街の喫茶店』の大ヒットのときだったと思う。その後も、数々のヒットを飛ばしたのであるが、ギターとコーラスが若干印象には残るものの、当時は数多くあったポップス色が強いフォーク系のグループという程度の認識しかなかった。ただ、マーティンの最上位機種のD-45(1970年ごろの定価が75万円くらいだったようである)を持っていたので、貧乏なイメージの強かったフォークシンガーと比べて、ずいぶんとお金を持っているんだなぁと思ったことを覚えている。

　お小遣いの少ない小学生にとって、ガロのメジャーなヒット曲は、わざわざレコードを買いたいと思うほどではなかった。最初に彼らの曲を耳にしていらずいぶんたった後のことだが、ラジオから聞こえてくる『一本の煙草』という曲が、とてもおしゃれで気になった。当時は東京の大井町に住んでいたのだが、、同級生の実家でもあったアップルレコードという行きつけのレコード店に、シングル盤を探しに行ったのは、その直後のことだった。
　お目当てのシングル盤はすぐに見つかり、白黒の渋いジャケットに惹かれつつも、｢他に何かいいものがあるかもしれない｣と思い、フォーク系のアーティストのシングルを物色してみることにした。そこで、もう一つ気になっていたアリスの『紫陽花』というシングルを見つけてしまった。どちらを買おうか、かなり長い時間迷った末、なんと手にしたのは、アリスのシングル。いまや演歌歌手となってしまったベーヤンこと堀内孝雄がメインボーカルの曲である。今思い起こしても、かなり演歌色の強い曲といってもよいものだった。
　そんなわけで、ガロのレコードを手にする機会を自ら逃してしまった。その後はロック～フュージョン～ジャズへと走っていく少年にとって、ポップス色（それもたぶんに歌謡曲的な要素が含まれていた)の強いフォークはもはやおしゃれなものとは映らず、長いこと思い出すこともない存在となっていた。
<a href="http://www.amazon.co.jp/gp/product/B00006YXVA?ie=UTF8&amp;tag=myfavorits04-22&amp;linkCode=as2&amp;camp=247&amp;creative=1211&amp;creativeASIN=B00006YXVA">
<img alt="GARO_anthorogy.jpg" src="http://www.oyaguitars.com/weblog/images/GARO_anthorogy.jpg" width="120" height="121" style="float: right;"/></a>
　大人になってかなりしてから、ガロがよく聴いていた<a href="http://www.oyaguitars.com/weblog/archives/2006/04/crosby_stills_nash_young_4_way.html" >CSN&amp;Y</a>のコピーバンドから始まったことを知り、俄然興味がわいてきた。
　すでに、彼らのCDは入手困難で、唯一手に入ったのがシングルリリースを中心にしたヒット曲集のアルバムのみ。ギターとコーラスには確かにCSY&amp;Y的な雰囲気は感じられるものの、グイグイ著ひきつけられるほどの魅力は感じられない。
　いろいろと調べていくと、ファーストアルバムが一番CSN&amp;Yの影響が濃い演奏となっていること、所属事務所(もしくはレコード会社)の意向で、ヒットを狙った路線を強いられ、なかなか自分たちのやりたかった音楽ができなかったことなどがわかってきた。そこで、ファーストアルバムを入手しようとしたところ、すでに廃盤。時折オークションで見かけても、1万円近くの値段で取引されているような状態だった。

　そうこうしているうちに、オリジナルアルバム8枚と未発表曲、テイク、ライブなどを収録したCD2枚とDVD1枚を組み合わせた本ボックスセットがリリースされるという情報を掴んだ。確かにセットとなると値段は高いものの、プレミアがついているものを買うことを考えたら、はるかにお得。おまけに、未発表曲にはCSN&amp;Yのカバー演奏も含まれているというから、これは買わないわけにはいかない。

　完全予約生産というこのボックスセットは当初2006年8月にリリースされる予定だったが、DVDに収録しようとしていたCSN&amp;Yの曲の使用承諾を得るのが難航し、発売は延期。結局、映像収録分は許可が下りず(ライブでのカバー演奏は収録されている)に内容を若干変更して11月末にリリースと相成った。すでにamazonでは在庫切れとなっているので、これから注文をしても入手できるかどうかはわからない。

　発売順にCD全10枚を続けて聞くと、事務所側がやらせたかったことと自分たちが本当にやりたかったこととの狭間でメンバーが苦しみながら音楽制作をしていたことが痛いほど伝わってくる。時折顔を出す、変則チューニングを多用したアコースティック･ギターの音と3声のコーラスは、確かにCSN&amp;Yの影響がひしひしと現れている。当時ヒットしていた曲ではなくこれらの曲を聴いていれば、どっぷりとガロの音楽に浸っていたかもしれないほどだ。

　解散ライブの様子も一部収録されているが、解散の挨拶をメンバーがした後に｢最後の曲です｣といって演奏するのがTeach Your Children。そしておそらく続けて演奏されたのであろうFind the Cost of Freedom。Find～はCSN&amp;Yがライブの最後にアコースティック･ギターだけを持って演奏する曲。途中から伴奏が一切なくなり、アカペラコーラスだけになる。グループの解散の最後にこの曲を持ってくることに、彼らの置かれていた状況の複雑さを垣間見たような気がした。

　残念なことに、トミーこと日高富明氏は1986年に36歳の若さで自ら命を絶つ。ガロとしての生演奏を耳にすることは二度とできないのである。高かった音楽性と、市場に翻弄されたグループとしての運と不運。音楽は、やはりアーティスト自身が内から湧き上がる思いとともに作り上げていくものだと感じずにはいられない。]]></description>
         <link>http://www.oyaguitars.com/weblog/archives/2006/12/garo_garo_box.html</link>
         <guid>http://www.oyaguitars.com/weblog/archives/2006/12/garo_garo_box.html</guid>
         <category>Japanese</category>
         <pubDate>Fri, 01 Dec 2006 02:14:35 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>Kristina Olsen: Live From Around the World</title>
         <description><![CDATA[<div>
<a href="http://www.amazon.co.jp/gp/product/B0000003WB?ie=UTF8&amp;tag=myfavorits04-22&amp;inkCode=as2&amp;camp=247&amp;creative=1211&amp;creativeASIN=B0000003WB" title="amazon.co.jpでこのアルバムをチェック" target="blank" > 
<img alt="KristinaOlsen_Live.jpg" src="http://www.oyaguitars.com/weblog/images/KristinaOlsen_Live.jpg" width="190" height="191" style="img" /></a>
<div>
<br />
Kristina Olsen (vo, g, p)<br />
Nina Gerber (g)<br />
Ed Johnson (chorus)<br />
Kim Scanlon (chorus)<br />
Martin Pearson (chorus)<br />
Al Petteway (g)<br />
</div>
<br class="clear" />
</div>

　アメリカでギター製作の修行をしているときは、月曜から金曜までは工房で通常の作業、土曜日は楽器店でリペアの修行、日曜日は基本的に休みというパターンだった。日曜日には、工房で作業をしていることが多かったのだが、毎週のようにちょっと時間を作っては隣町のバークレーまで出かけていた。
　UCバークレー校(ある年代以上の人にとっては、ダスティン･ホフマン主演の『卒業』という映画の舞台にもなった大学として記憶にとどまっているかもしれない)の近くは、今では死語となってしまったヒッピースタイルの人々がアメリカ全国から集まっていたりと、ごちゃごちゃとしていて、とても楽しい場所だった。
　まず覗くのは、MOEという古本屋。まめに探していると、すでに絶版になっていたギター製作に関する書籍が見つかったりしたものだった。そしてお決まりのコースは、AMOEBAとRASPUTINという2軒のCD屋。いずれも中古盤の品揃えが豊富で、毎回1枚6ドル以下のもの限定で探しても、あっという間に欲しいものが見つかってしまうヤバイ場所だった。

　お気に入りのアーティストのCDを探したのはもちろんのことだったが、雑誌や書籍（一番頼りにしていたのは、『All Music Guide』という本。最近では、<a href="http://www.allmusic.com/">Web版</a>をいつも参考にしている。）をチェックしながら、アコースティック･ギターが聴きもののアーティストを探すのも楽しみの一つだった。クリスティーナ・オルセンもこうやって出会ったアーティストの一人だった。

　このCDをかける前にまずビックリしたのはトラック数が24もあったこと。再生してみるとなぞは解けたのだが、ライブ演奏を集めたこのアルバムでは、曲間のMCにまでトラックナンバーをふっていたのであった。肝心の演奏はというと、比較的ブルース色の強いギターとパンチの効いたクリスティーナの歌声ではあったが、最初の印象では、自分の好みと必ずしもあっていたわけではなかったこともあり、あまりパッとした感じを受けなかった。

　それでも、繰り返し聴いているうちにだんだんと良さが伝わってくるようになった。なんといってもMCが絶妙で、話の内容が次の曲へのうまい導入にもなっている。なるほど、これならばMCにトラックナンバーをふりたくなる気持ちも良くわかる。ほとんどは一人での弾き語りだが、数曲、ニナ・ガーバーを始め、素晴らしいサポート･プレイヤーをバックに演奏している。ギターもブルース色が確かに強いが、オールドスタイルのものというよりは、時折ジャズ･フレーバーのフレーズもちりばめられていて、なんとも心地よい。最初の印象などは、もうどこ吹く風である。

　1957年生まれの彼女が最初のCDをリリースしたのは1992年。主にコーヒーハウスやフォーク･フェスティバルなどでの演奏活動をおこなっていたのであるが、キャリアの長さからすると遅咲きといってもいいだろう。

　日本ではあまり知られていないが、シンプルなスタイルの素晴らしいシンガー･ソング･ライターがまだまだたくさんいる。これが音楽大国アメリカの底力なのかもしれない。]]></description>
         <link>http://www.oyaguitars.com/weblog/archives/2006/11/kristina_olsen_live_around_the.html</link>
         <guid>http://www.oyaguitars.com/weblog/archives/2006/11/kristina_olsen_live_around_the.html</guid>
         <category>Rock, Pop, Folk</category>
         <pubDate>Sun, 26 Nov 2006 22:12:24 +0900</pubDate>
      </item>
      
   </channel>
</rss>
